今の日本には深刻な問題が沢山あり、学識・教養に満ちた頭の良い人達がその問題を分析したり、解決策を提示したりしているが、現実的には、それらは何の解決ももたらされない。
なぜなら、その分析や解決策は思考によるものだからで、思考はどこまで行っても貧小で力のないものだからだ。
ところで、人々は日本の問題や世界の問題に本気で興味があるわけではなく、自分の問題にのみ強い関心がある。
そして、自分の問題もまた、思考することで悪くなることはあっても良くなることはない。
だが、単に思考を消せば全て解決する。
思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
よって、「私は誰か?」と自分に問えば、あらゆる問題は解決する。
それは、自分の問題も、日本の問題も、世界の問題もであるが、日本の問題は日本に、世界の問題は世界にまかせておけば良い。
自分の問題も解決出来ない者に日本の問題や世界の問題を解決出来るはずがない。
「私は誰か?」を提唱したラマナ・マハルシは「世界平和のためにあなたが出来ることは?」と聞かれたら「真我の実現」と答えたと言われるが、真我の実現は思考を消すことによって達成される。
よって、我々は「私は誰か?」と自分に問うのが良い。
ところが、「私は誰か?」とどのように問うのが良いのかが分からない。
ある本によると、マハルシは「『私は誰か?』を呪文にしてはならない」と言ったらしい。
これを、空虚に言葉だけを繰り返してはならないという意味に取る人が多いだろう。
だが、マハルシがそう言ったのだとしても、それをいつ、どんなシチュエイションで言ったかが問題で、それを勝手に意味づけしてはならない。
私は、「私は誰か?」を単調に繰り返しても良いと思う・・・つまり、呪文にしても良いと思う。
言い換えれば、「私は誰か?」は最上の呪文であるとも言える。
『バガヴァッド・ギーター』や『エイリアン・インタビュー』に書かれたことを理解して問うのが良いのかもしれないが、そうでなくて良い・・・あるいは、下手な理解の影響を受けて問うより良いかもしれない。
唯一大切なことは、問う数というか時間の長さである。
どんな下手な問い方であろうが、多く問えば、自ずと正しい問い方になっていく。
逆に言えば、どれほど深淵な本をよく読んでいても、数をこなさなければ正しい問い方にならない。
AIアート158
「神殿の乙女」
Kay
私はいかなることも、落合博満さんが教えを乞いに来た若い選手に5時間素振りをやらせたことを教訓にしている。
まあ、それ以前に、ある成功した経営者が、会社の幹部達に「俺とお前達との差は素振りの数だけ」と言うのを印象深く聞いていたこともあり、いかなることも数で解決出来る・・・いや、数でしか真の解決は出来ないと分かっている。
人生が楽しくないから早くタイムリープしたいと思う者も多いだろうが、思考を持ったままタイムリープしても、記憶は消えてしまうばかりか、偽の記憶が植え付けられ、結局、同じ人生・・・それどころか、もっと悪い人生になる可能性もある。
タイムリープや転生後は、それ以前の記憶がないのが普通である。
思考を消せば、タイムリープ後や転生後も記憶を維持し、さらに、英知を持ち、引き寄せも行うのであるから、楽しい人生になるし、今の人生のままでも十分かもしれない。
とにかく素振り(「私は誰か?」と問うこと)を多くすべきと思う。
※今回は世界コマンドのことには触れなかった。
なぜなら、その分析や解決策は思考によるものだからで、思考はどこまで行っても貧小で力のないものだからだ。
ところで、人々は日本の問題や世界の問題に本気で興味があるわけではなく、自分の問題にのみ強い関心がある。
そして、自分の問題もまた、思考することで悪くなることはあっても良くなることはない。
だが、単に思考を消せば全て解決する。
思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
よって、「私は誰か?」と自分に問えば、あらゆる問題は解決する。
それは、自分の問題も、日本の問題も、世界の問題もであるが、日本の問題は日本に、世界の問題は世界にまかせておけば良い。
自分の問題も解決出来ない者に日本の問題や世界の問題を解決出来るはずがない。
「私は誰か?」を提唱したラマナ・マハルシは「世界平和のためにあなたが出来ることは?」と聞かれたら「真我の実現」と答えたと言われるが、真我の実現は思考を消すことによって達成される。
よって、我々は「私は誰か?」と自分に問うのが良い。
ところが、「私は誰か?」とどのように問うのが良いのかが分からない。
ある本によると、マハルシは「『私は誰か?』を呪文にしてはならない」と言ったらしい。
これを、空虚に言葉だけを繰り返してはならないという意味に取る人が多いだろう。
だが、マハルシがそう言ったのだとしても、それをいつ、どんなシチュエイションで言ったかが問題で、それを勝手に意味づけしてはならない。
私は、「私は誰か?」を単調に繰り返しても良いと思う・・・つまり、呪文にしても良いと思う。
言い換えれば、「私は誰か?」は最上の呪文であるとも言える。
『バガヴァッド・ギーター』や『エイリアン・インタビュー』に書かれたことを理解して問うのが良いのかもしれないが、そうでなくて良い・・・あるいは、下手な理解の影響を受けて問うより良いかもしれない。
唯一大切なことは、問う数というか時間の長さである。
どんな下手な問い方であろうが、多く問えば、自ずと正しい問い方になっていく。
逆に言えば、どれほど深淵な本をよく読んでいても、数をこなさなければ正しい問い方にならない。
AIアート158
「神殿の乙女」
Kay
私はいかなることも、落合博満さんが教えを乞いに来た若い選手に5時間素振りをやらせたことを教訓にしている。
まあ、それ以前に、ある成功した経営者が、会社の幹部達に「俺とお前達との差は素振りの数だけ」と言うのを印象深く聞いていたこともあり、いかなることも数で解決出来る・・・いや、数でしか真の解決は出来ないと分かっている。
人生が楽しくないから早くタイムリープしたいと思う者も多いだろうが、思考を持ったままタイムリープしても、記憶は消えてしまうばかりか、偽の記憶が植え付けられ、結局、同じ人生・・・それどころか、もっと悪い人生になる可能性もある。
タイムリープや転生後は、それ以前の記憶がないのが普通である。
思考を消せば、タイムリープ後や転生後も記憶を維持し、さらに、英知を持ち、引き寄せも行うのであるから、楽しい人生になるし、今の人生のままでも十分かもしれない。
とにかく素振り(「私は誰か?」と問うこと)を多くすべきと思う。
※今回は世界コマンドのことには触れなかった。
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