「男は度胸、女は愛嬌」という言葉は、誰でも知っていると思う。
私は、この言葉は、古い流行歌のサビ(聞かせどころ)の歌詞だと思っていた。
だが、この言葉はヴィクトリア朝時代(ヴィクトリア女王統治時代。1837~1901)のイギリスの格言であるらしい。

「男は度胸、女は愛嬌」は、そんな面もあるとは思うが、今の時代なら「男は金、女は若さ」だろう。
「女は若さ」だと有名人が言ったらフェミニスト団体から抗議があって炎上しそうだ。
せめて、「女は美しさ」と言わないといけないかもしれないが(それでもきょうび駄目かもしれないが)、やはり「女は若さ」が現実だろう。
かなり昔だが、当時、毒舌で売っていたビートたけし(北野武)さんが、
「誰だって(当時42歳の)吉永小百合より(当時13歳の)後藤久美子を取るだろ」
とテレビで言っても、誰も反論しなかったらしい。
また、渡部昇一さんが『知的風景の中の女性』(1984)で、女子大生の中に16歳の少女が入ると、女子大生達が惨めなほどオバサンに見えた実際のエピソードを引用した他、やっぱり若さには敵わないことを滾々と説いた。
まあ、今の時代では、名のある人は言えないので古い引用しか出来ないが、やっぱり本当のことかもしれない。

輝く髪
AIアート153
「輝く髪」
Kay


ただ、「男は金、女は若さ」で、ある重要なことに気付く。
それは、女は誰でも一度は若かったが、一度でも金持ちになれる男は少なく、まして、ずっと金持ちでいる男はごく僅かだということだ。
これは、「男は度胸、女は愛嬌」にも、いくらか言えることだ。
愛嬌を持つのはそんなに難しくないが、たとえ演技でも、度胸を持てない男は多いのだ。

タイムリープ(意識が過去に戻り、その時の自分の身体と一体化すること)すれば、確実に若くなり、女性ならそれだけで勝ったも同然である。
美人でないと言ったって、若いというだけで十分に美しいし、それに大人の知恵が加われば、いくらでも美しさを引き上げられる。
しかし、男は、金持ちになろうと思えば、それなりにがんばらないといけない。
とはいえ、大人の知恵を持って子供の時から始めれば、勝つのは楽だし、それに楽しいものである。
もちろん、女性だって、若さ美しさとは別のことでも楽勝出来るのである。
よって、タイムリープによる良い再スタートが出来るよう、しっかり準備すべきで、具体的には知恵を得るべきである。
そして、そのためには、昨日の記事で書いたように、「数が全て」で、たとえて言えば、「素振りの数が全て」である。
私が人生で悟った最大のことはこれである。
それで、私は、数を重ねることが楽しくて仕方がなくなった。
四股も腕振り運動も、世界コマンドも、「私は誰か?」と問うことも、まだ十分とは言えないが、それでタイムリープ後は保証されるし、タイムリープするまでもなく、大抵のことで勝利出来るのである。
そして、何より、楽で簡単である。
「この世は数が全て」は私が自分のために書いた絶対の自信がある真理である。








  
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