人生に意味があるのかというと、地球上においては意味はない。
しかし、
「いや、人生で素晴らしい出来事や出会いがあった。これは、神が与えてくれた宝であるに違いない」
と、言う、あるいは、言わないまでも、これに賛同する者は多いだろう。
だがそれは、ちょっときれいなガラス玉をダイヤモンドだと言うようなものなのだ。
いくらがんばっても、ガラス玉はガラス玉であり、ダイヤモンドではない。
ピカピカの包装紙に包んであったって、ガラクタはガラクタなのだ。

陽が昇るまで
AIアート122
「陽が昇るまで」
Kay


もし、意義ある人生だと言いたいなら、やるべきことは1つで、自分を地上に縛り付けているある力を打ち破り、解放されることだけだ。
そのための手段は1つで、思考(=心)を消すことである。
思考というガラス玉、包装紙を捨てるようなものだ。
だが、これがなかなか出来ない・・・いや、やりたがらない。
そして、良い思考と悪い思考を分けたがる。
台所のゴミに、良いゴミ、悪いゴミなどない。
我々に必要なものは天界の果実とも言うべきものだけである。
ならば、台所のゴミのようなものは全部捨てれば良いだけである。

思考を消すには、「私は誰か?」と自分に問うのが最良の方法である。
しかし、ずっと問うていても、不思議な声は聞こえないし、光が見えるわけでも、ハートがビリビリくるわけでもない(笑)。
我々は邪悪な力(とりあえず悪霊とでも思うと良い)にすっかり愚鈍にされ、狂ったロボットのようなものだ。
そして、世界はとっくに第三次世界大戦に突入したことに誰も気付かない。
そこで、急遽、世界コマンド「私は何も考えない」「私は何も信じない」を教えた。
少しでも多く、丁寧に唱えると良い。
邪悪な力に支配されている者にとって、一番嫌なことは「丁寧に」やることである。
そんな理由で、90%はもう救えないが、あなたは大丈夫だ。
尚、首尾良くいっている証拠は、好き嫌いがなくなることだ。
つまり、特定のものを、好きとか価値があると思って関心を向けることがなくなってくる。
愚か者の顕著な特徴が、自分が好きなものを良いと主張することであるが、そんな愚か者でなくなっていくのである。








  
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