IQ(知能指数)が20以上違う者どうしでは会話が成立しないという話がある。
正確にこの通りであるかどうかは分からないが、だいたい事実と考えて良いだろう。
とはいえ、現実世界では、そのくらい、自分よりずっと知性が劣る・・・遠慮のない言い方をすれば「馬鹿」と付き合わざるを得ないことは少なくない。
そして、親がそうである場合が多いのである。
TEDでも評判の良い、若い世代の方が頭が良いという、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンの主張を持ち出さなくても、日本も全くそうだが、普通の人間は歳を取るほど、極端に頭が悪くなる環境にある。
つまり、テレビや新聞を見ていたら、確実にどんどん頭が悪くなるので、テレビばかり見ている親と、意識的にテレビを避ける子供では、生まれつきの頭脳が似通っているとしても、あっという間にIQが20や30は違ってくることがある。
だから、子供はさっさと親元を離れるべきだし、親も、せめて子供のためを思うなら、子供が楽に家を出ていけるよう手を尽くしてあげるべきなのだ。

蝶々
AIアート112
「蝶々」
Kay


だが、そう言っておいて何だが、本来、どんな人間も素晴らしい知性を持っており、会話が成立しない相手など、本当は存在するはずがないのである。
実を言えば、犬や猫、その他の動物だって、会話手段を持てれば、その素晴らしい知性に驚かされのであるが、この件は今回は省こう。
しかし、動物でもそうであるなら、人間が高い知性を持たないなど、あり得ないのである。

結論を言えば、人間は思考を消せば・・・これは心を消すことと同意であるが、無限とも言える知性を持てるのであり、完全にそこまでいかなくても、思考を消していけば、どんどん知性が高まるのである。
そして、思考を消すのに、最も簡単で、しかも効果が高い方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
しかし、馬鹿な人間に「私は誰か?」と自分に問えと言っても無駄なことであろう。
そこで、呼吸の観察とか、マントラやアファーメーションを唱えるなどの方法を勧めるのだが、馬鹿は頭を良くする方法は何もやりたがらないものなのでる、
馬鹿がやりたがるのは、より馬鹿になることだけである。

だが、あなたが「私は誰か?」と問い、知性を上げていけば、馬鹿は近寄ってこなくなる。
馬鹿がちょっかいを出して来たり、馬鹿とまともに付き合わざるを得ないとしたら、まだ、あなたの知性が不十分なのである。
また、やや稀であるが、あなたの知性の向上に伴い、周囲の馬鹿が知性を向上させることもある。

「私は誰か?」と問うほどには知性が進歩していない場合は、マントラやアファーメーションを唱えたり、呼吸を意識したりするのが良い場合もある。
言い方を変えれば「私は誰か?」とずっと問うているなら、かなり知性が発達したのである。
私も、まだ事務的な仕事をしている時は、頭の中で阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」をよく再生している。
YouTubeで聞いたお坊様らが唱和したものである。
別に、このマントラに霊力があるとは思っていないが、別に思っていたって悪くはない。
この言葉の響きやリズムには長年の工夫が込められており、それを霊力と言っても差し支えないと思う。








  
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