私は中学1年生の時からゲーテを読んでいたが、それが良かったかどうかより、もっとちゃんと読んでおけば良かったと思う。
ゲーテは人間性の批判もするが、人間性を、そんな批判すべき低いものに引き落とす何かがあると考えていたと思う。
つまり、彼にもそれが何かは分からなかったのだろうが、見えない何かが、我々人間の性質を、愚かで醜いものに引き下げてしまうのである。
ラルフ・ウォルドー・トラインは、それを一応、「悪霊」の仕業だと表現していたが、あくまで仮にそう呼んだのであり、やはり、何かが人間を劣ったものに変えるので、その何かから自分を防御しなければならないと考えていたと思う。

ジクムント・フロイトは、元々人間は狂っているのであり、それは進化に失敗したからだといったように考えていたし、アーサー・ケストラーも同じで、ケストラーの場合は、人間の脳が進化過程で間違いが起こったのだと考えていたと思う。

だが、彼らの疑問に答は提示されず、ただ人間はロクでもないものであることがはっきりしただけだった。
ところが、ローレンス・スペンサーが、SF小説の形で出版した『エイリアン・インタビュー』で、人間性の欠陥の説明がついてしまったと思う。
細かい部分を省くと、数万年の昔かもしれないが、宇宙人がある目的を持って、人間を劣った存在に引き落とす効果を持つ装置を仕掛け、それが現在も稼働し続けている。
その装置は、何らかの理由で効果が弱くなることがあり、そんな時には人類もかなり高度な文明を築いた。
世界各地のよく似た神話は、宇宙人の話が脚色されたものだ。
そして、その宇宙人の装置の影響を免れる手段は難しいながら存在し、釈迦や老子をはじめ、いくらかの人々はそれを発見したことが『エイリアン・インタビュー』で示唆されている。

月下のニンフ
AIアート109
「月下のニンフ」
Kay


以下は私の考えであるが、釈迦や老子らは、装置の影響から解放される方法を、なんとか人々に教えようとしたが、彼らの教えは変なものに改ざんされてしまっていて、今ではほとんど役に立っていない。
だが、20世紀初頭に、インドにラマナ・マハルシという突出した人物が現れ、「私は誰か?」と自分に問うことで、装置の影響を打ち消すことが出来ることを発見し、人々に教えようとしたが、やはり、彼の教えも、かなり捻じ曲げられ、さらにおかしなものになると思われる。

幸い、私は全体をかなり把握したが、いかんせん、釈迦や老子やラマナ・マハルシのように優秀でない(特別なDNAを持っていないということか?)ので、自分が装置の影響を打ち消すだけで精一杯である。
そして、世の中には、この装置に操られた偽物の教師・教祖がやたら多い。そんな者達が装置の影響をモロに受けつつ、売れる本を書いたり、講演を行って人々を扇動している状況で、まあ、あまり好ましくはない。

だが、思考を消せば、即ち、心を消せば、装置は何も出来ない。
そのための最良の方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
心を完全に消せば、我々の観念でいうところの、完全な存在としての神と同じである。
だが、「私は誰か?」とは問い難い。
なぜなら、心は死にたくはなく、生き続けたいので、そのような、心が死んでしまうことには反発し、それを楽しくないものと感じさせるのだと思う。
そこで、もう少し楽に出来るものも含めて、心を消す方法をここで提示しているのである。








  
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