私は、子供の時から、自分の異様な運の良さを感じていたが、やっと、その理由について単純に説明がつけられるようになった。
説明がつけられるということは、それに従えば、これからも運が良く出来るし、同じようにやれば、誰でも、運が良くなる。
以前は、自分が運が良いのは、いくらかは自分が特別な人間だからだと思っていたし、そうでないとしても、運を良くするのは何か奥深い秘法があり、私がたまたまそれを行っていたと考えていたが、そうではない。
それは実に簡単なことだった。

その方法は、もちろん、思考を消すことで、心を消すことと言っても良い。
ただし、思考を消すと言っても、眠っていたり、気絶していてはならない。
意識があって、なおかつ、思考を消さなくてはならない。
これを自然に実践していたのは、UFO研究家で有名な矢追純一さんだった。
彼は、何かのインタビューで、「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」と言っていたが、この態度こそまことに好ましいものだと思う。
ただ、思考を止めることが出来るのであれば、方法は問わない。

健康な人
AIアート105
「健康な人」
Kay


私は残念ながら、なかなか自分の頭が悪いという自覚を持てなかったが、どういうわけか、小学4年生の時から、座禅に興味を持ちそれを度々行っていた。
座禅と言っても、全くの見様見真似の我流で、単に、映画か何かで、ヒーローが座禅をする姿を見て「恰好ええなあ」と思って真似していただけだった。
しかし、「自主的に」座って目を閉じ、心静かなフリをすれば、少しでも思考が消えるものである。
私が好ましく思うヒーローの多くは、ありがたいことに座禅をしていた。
そのおかげで、私は瞑想好きになったが、あくまで恰好だけである。
しかし、恰好だけでも座禅、瞑想、静座が好きになり、たとえ少しでも、心を消すことが出来たのが幸運の秘密だった。

心が消えれば、全知全能の魂が表に出て活動する。
魂は神のようなものであり、イエス・キリストが言ったように、「神はお前たちが必要なものなど、とっくにご存じ」なのであるから、思考が消え、魂が活動すれば自ずと幸運にもなるのである。
座禅や瞑想も、長時間、集中してやれれば(つまり長時間、思考を消せれば)良いのは当然であるが、たとえわずかでも思考が消えれば、魂は全知全能であるのだから、相当なことが出来るのである。

念仏や真言を唱えることでも、思考を追い出し、思考を止めることが出来る。
そのためには、聖者とか修行者になりきって、真面目にやることが大切で、私のように、子供が座禅をするヒーローを見て、格好良いから真似する・・・で十分である。

少しでも良いのである。
たとえ1秒でもだ。
実際、1秒の瞑想(統一という言い方をする人もいる)を勧める聖者もいる。
そして、最も良い瞑想は「私は誰か?」と自分に問うことである。
「私は誰か?」と自分に問えば、瞬間かもしれないが確実に心は消える。
その積み重ねにより、ますます心を消し易くなる。
自分が好きな方法を取れば良いのであるが、とにかく、瞑想をすることで、最終的には「私は誰か?」にたどり着けば良いと思う。








  
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