引き寄せ関連の動画を見ていたら、どの動画というのではなく、こんな話がよくあると思う。

願望は願った瞬間に叶うという。
だが、そう言われても、普通の人は納得出来ない。
現実には、願う金額が銀行の預金通帳に入っていないし、希望する車が自分の家にないからだ。
ところが、まれに、「願望は願った瞬間に叶う」ことが「腑に落ちてしまった」人がいる。
現実には、欲しい車が家になくても、その車はもう手に入ったと「腑に落ちて」しまったのである。
すると、もう、その車が欲しいとは思わなくなる。
なぜなら、もう手に入ってしまったものを欲しがる道理などないからだ。
そうしたら、実際に、その車は手に入る。
そこで、多くの人が、「どうやったら腑に落ちるのか?」と尋ね、「腑に落ちて」願望を実現した人が、それに応えていろいろ説明する。
「腑に落ちた」人は、一般的に親切だからね。
それで、「腑に落ちた」人の懸命の説明を聞いて、質問者も納得したようなことを言う。

光と薔薇と天使
AIアート100
「光と薔薇と天使」
Kay


だが、断言するが、その説明で本当に納得する人はいないし、結果、願望を実現することはない。
つまり、こういうことだ。
「腑に落ちよう」「理解しよう」と思っても、腑に落ちることも、理解することも出来ないのだ。
なぜなら、「腑に落ちた」人が腑に落ちたのは、単に、たまたまだったのだからだ。
その非常に稀な気付きが、「たまたま」自分のところに来ない限り、腑に落ちることはないのである。
その「たまたま」を無理やり起こすことは出来ない。
ただ幸運に頼るしかないのである。

ところが、そう言っておいて何だが、その「たまたま」は容易く自在に起こせる。
そのための唯一の条件である、思考(心)を消しさえすれば。
言い換えれば、「たまたま腑に落ちた人」というのは、「たまたま思考(心)が消えた」だけなのである。
それなのに、それを羨んで、悪い頭で必死に考えて(思考して)「たまたま」を起こそうとすれば、ますます「たまたま」は遠ざかる。
そうではなく、考えることをやめ、思考を消せば、容易く「たまたま」は起こる。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問えば良いだけである。








  
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