幸せになるとか、大きな力を得るとか、神の加護を得るとか、幸運に恵まれるために必要なことはただ1つで、「考えない」ことだ。
よく、難しく「無になる」なんて言う人もいるが、これも単に「考えない」ことで、多少、現実味を持って言うなら「頭の中のお喋りを止める」である。
世の中には、「思考停止」する者は愚か者で、「自分の頭で考える」ことが立派だという考え方が浸透してしまっている。
だが、「愚か者」とは、余計なことを考える者のことで、人間の思考は全て余計なことなのだから、やっぱり考える者が愚かなのである。

良いアイデアを出さないといけないという切羽詰まった状況の時、人はじっと眉間に意識を集中し、何も考えないものだ。
すると、素晴らしいアイデアが浮かぶものである。
そうではなく、まだ、あれこれ余計なことを考えていると、最悪のアイデアを思いついて、結果、ジ・エンドだ。

将棋やチェスで、実力の差が大きい相手と対局すると、考えてしまって何も出来ず、そのままでは一手も打てないので、結局、最悪の手を打つ。
だが、本当に何も考えないと、案外に良い対局が出来、ことによれば勝ってしまう。これを世の中ではビギナーズラックとか言うが、ビギナーズラックは、初心者が思考を捨てれば頻繁に起こる。
私も、プログラミングをしている時、考えていたらミスが多く、考えずにタイピングしている時に、良いプログラムが出来るのである。
ただ、プログラミングは手順が多いので、初心者のうちは多少は考えながらでないと出来ないが、手順がルーチンとして身に付き、何も考えなくなった時に、ちゃんとしたプログラミングが出来るのである。
「考えないからミスをする」のではなく、「余計なことを考えるからミスをする」のである。
一頃、「ルーチン」という言葉が流行ったが、あれも思考を消すテクニックなのである。

場所が空いてる
AIアート80
「場所が空いている」
Kay


そして、その場で、頭の中のお喋りを止(と)め、考えることを止(や)める最上の方法は、いつも言う通り「私は誰か?」と自分に問うことだが、普段からたゆみなくこれをやっていれば、いざという時には、ぱっと思考を止め、奇跡を起こす可能性が高まる。

ただ、現実的に、「私は誰か?」と問うことに取り組めない人が多い。
それなら、言葉は何でもいいから、考える暇もないほど繰り返せば、それ(「私は誰か?」と自分に問うこと)に近い効果がある。
本当に何でも良いが、唱え難い言葉を選ぶのは賢明なことではない。
やはり、心にとって、ちょっと嬉しい言葉が良いのだ。
例えば、「ありがたい」「お金がある」「生きている」とか、あるいは、「神様の奇跡が起こる」を好ましく思う人もいる。
その中で、特にお奨めするわけでもないが、ちょっと合理的な言葉がある。
それは、「なぜか分からないが〇〇」で、〇〇の部分は、嬉しいと思うことを入れれば良い。
たとえば、「なぜか分からないがお金がどんどん入ってくる」とか、「なぜか分からないがすごくもてる」とか。
なぜ、これが良いのかというと、分かるかもしれないが「なぜか分からないが」と言うことで、考えることを放棄することを宣言するからだ。
「なぜか分からないが」の後に続けた言葉は叶い易いのは当然である。
ただ、お金が入ったり、もてたりすると、面倒なことになる場合が多い。
適当に良い想いをしたら、欲張らず、「私は誰か?」に切り替えていただきたいと思う。








  
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