天国とか極楽浄土があるかというと、ない。
それは確かだ。
では、天国や極楽浄土のことを説いた過去の聖者達が馬鹿だったのかというと、そうではない。
庶民に対しては、その程度の説明しか出来なかったし、ほとんどの聖者だって、死んだらどうなるか、はっきり知っていたわけではない。
では、天国や極楽浄土がないことは悲しいことかというと、それが難しいのだ。
本来であれば、事実は、天国や極楽浄土があるよりずっと良い。
だが、普通の人間は、死ぬと全ての記憶を消されて、この地獄のような地球で、またゼロから人生を繰り返すのだから、何とも悲惨だ。
上で、天国や極楽浄土はないと言ったが、地獄ならある。この世界が地獄だ。

本来の我々は、いつでも好きな時に死ねる。
死ぬためには、首を吊る必要も、心臓をナイフで突き刺す必要も、毒や多量の睡眠薬を飲む必要もない。
単に、肉体から離れれば良いだけだし、そんなに時間が経っていなければ、身体に戻ることも出来る。
だから、「死ぬ」というのではなく、やはり、単に「身体から離れる」だけだ。
そして、本当なら、身体を離れても、記憶が消えることはない。

言い換えれば、我々は、肉体の使用期限が来て機能を失うまで、その肉体に縛り付けられ、離れることが出来ない。
人間の肉体はメンテナンスを十分にすれば200年は持つが、実際は50年くらいでガタが来て、100年持たせるのは難しい。
そして、本来であれば、50年やそこらは若いままでいられるのだが、ずっと早く老化してしまう。
地球以外では、使いたい時だけ使う身体が用意されている場合が多く、その身体は地球人のものよりはるかに高機能だ。
そして、いくつの身体を出入りしても、記憶が消えることは全くない。

白百合
AIアート67
「白百合」
Kay


だが、地球人は、どこかの宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置により、死んで肉体を離れると、記憶を消されて赤ん坊の身体に入れられ、その後も、偽の記憶を植え付けられ、自分を虫けらのような存在と思い、実際、虫けらのように生きる。
それを果てしなく繰り返すのである。
そこから脱却したければ、生きているうちに、本当の自分が、全知全能の無限の魂であることを思い出さなくてはならない。
その方法は、これまでも、釈迦や老子らによって教えられてきたが、その教えは難しく、ほとんどの者が呪いのループを脱出出来ずにいる。
ところが、20世紀初頭に、偶然に「私は誰か?」と自分に問えば、それが出来ることを発見したラマナ・マハルシがそのことを教え、多くの人々が、確かにマハルシの教えに、探し求めていた答があるとは感じたが、最後まで「私は誰か?」と問い続ける者は滅多にいない。
そして、今や、そんな者は皆無になりつつある。
問いさえすれば、天国や極楽浄土に行くよりずっと良いことになるし、まあ、その気になれば、天国や極楽浄土を作ることも出来るのである。








  
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