前回は、人生は、別に魂の修行であるわけではないと述べた。
ついでに言えば、これも神秘主義者や宗教家がよく「楽しむために人生がある」と言うが、これも全くの間違いだ。
本当に楽しいことなど何もない。
では、何のために人生があるのかというと、地球に居る限り目的など全くない。
単に、延々と輪廻転生を繰り返しているだけだ。
しかも、生まれ変わるごとに前世の記憶を強制的にクリアされるので、たかが数十年の人生では、何の経験にもならず、進歩も出来ないし、何かを成せるわけでもない。
だから、人生で出来る、唯一の目的を持つとすれば、真の自分が誰か思い出すことだけだ。
それにより、地球を離れ、生まれ変わるごとに記憶を失う悲惨な輪廻転生のラットレースから逃れ、自由な全知全能の魂として、今の我々では想像も出来ないような活動をするのである。

AIアート52
「お花のコミュニケーション」
Kay
あるいは、こんなことを言う者にも人気がある者がいる。
いくつかの魂が、赤ん坊として生まれる前に集まって相談し、お互いが関係し合ってどんな人生を送るか計画を作っているというものだ。
つまり、人生は自作自演の劇のようなものというわけで、ちょっと面白い話ではあるが、そんな馬鹿なことがあるわけがない。
そんな相談のことなど完全に忘れている自我が、何も分からずに苦労させられるなど、ただのいじめだ。
そんな非効率なことに意味がないことは、誰も、一生の中で全然賢くならないのを見ても分かる。
単に、歳を取って動けなくなるので、賢い・・・あるいは、馬鹿でないフリをするだけである。
むしろ、歳を取るほど馬鹿なことをするから、どこかの人気経済学者が「60歳になったら集団自決を」ということを言い出し、それが多少は理解されるのである。
繰り返すが、人生唯一の目的は、真の自分を思い出すことだけである。
そのための方法が、いつも言う通り、20世紀初頭に、真の自分に目覚めたラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と自分に問うことである。
こう問い続けることで、思考を消し、心を消せば、心に覆われてしまうことで自分を心であると思い込んでいた魂が、真の自分は、神のごとき全知全能の無限の存在であることを思い出す。
そして、釈迦や老子のように、地球の人間にも理解される可能性のある精一杯の教えを残し、地球を離れ、壮大な活動を行うのである。
ついでに言えば、これも神秘主義者や宗教家がよく「楽しむために人生がある」と言うが、これも全くの間違いだ。
本当に楽しいことなど何もない。
では、何のために人生があるのかというと、地球に居る限り目的など全くない。
単に、延々と輪廻転生を繰り返しているだけだ。
しかも、生まれ変わるごとに前世の記憶を強制的にクリアされるので、たかが数十年の人生では、何の経験にもならず、進歩も出来ないし、何かを成せるわけでもない。
だから、人生で出来る、唯一の目的を持つとすれば、真の自分が誰か思い出すことだけだ。
それにより、地球を離れ、生まれ変わるごとに記憶を失う悲惨な輪廻転生のラットレースから逃れ、自由な全知全能の魂として、今の我々では想像も出来ないような活動をするのである。

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あるいは、こんなことを言う者にも人気がある者がいる。
いくつかの魂が、赤ん坊として生まれる前に集まって相談し、お互いが関係し合ってどんな人生を送るか計画を作っているというものだ。
つまり、人生は自作自演の劇のようなものというわけで、ちょっと面白い話ではあるが、そんな馬鹿なことがあるわけがない。
そんな相談のことなど完全に忘れている自我が、何も分からずに苦労させられるなど、ただのいじめだ。
そんな非効率なことに意味がないことは、誰も、一生の中で全然賢くならないのを見ても分かる。
単に、歳を取って動けなくなるので、賢い・・・あるいは、馬鹿でないフリをするだけである。
むしろ、歳を取るほど馬鹿なことをするから、どこかの人気経済学者が「60歳になったら集団自決を」ということを言い出し、それが多少は理解されるのである。
繰り返すが、人生唯一の目的は、真の自分を思い出すことだけである。
そのための方法が、いつも言う通り、20世紀初頭に、真の自分に目覚めたラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と自分に問うことである。
こう問い続けることで、思考を消し、心を消せば、心に覆われてしまうことで自分を心であると思い込んでいた魂が、真の自分は、神のごとき全知全能の無限の存在であることを思い出す。
そして、釈迦や老子のように、地球の人間にも理解される可能性のある精一杯の教えを残し、地球を離れ、壮大な活動を行うのである。
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