今回は、ラマナ・マハルシが、それを発見して以来、身近に置き続けたと言われる、1ページでも書けそうな短い文章の小冊子『聖なる名前の哲学』を取り上げる。
2つほどの福間巌氏の著書に全文が書かれているが、元の内容は、それとは全く異なったものだろう。
インドの言葉(タミール語かもしれない)で書き起こされた時、様々な理由で、すでに、おかしなものになってしまっていたのだろう。
それが、英語、さらには、日本語に翻訳されたのだが、元の書き起こし文章がおかしかったのだから、さらにおかしくなるしかなかっただろう。
だが、読めば、元の内容は分かるのである。
タイトルも『聖なる名前の哲学』というのはおかしく、仮にタイトルがあったとしても『聖なる魂について』くらいであったと思う。
正しく文章にすれば、こうなる。

『聖なる魂について』(その1)
魂は全てである。
魂以外には何も存在しない。
魂は不生不死である。
だが、人々はそれを知らないまま、延々と転生を繰り返し続けている。
人に宿った魂は束縛されているが、束縛が弱まることもある。
魂の束縛が弱かった時、ヴェーダなどの優れた教えが説かれた。
真の自分は魂である。
それを知った時、真理は明らかになる。
最高のマントラ(真言)は「私」である。
このマントラを唱えることで真の私である魂を束縛から解放する(※)。
それにより、自分こそが無限の魂であると実際に知るのである。

花と初音ミク
AIアート40
「花と初音ミク」
Kay


これこそが真理であり、いかなる万巻の聖典に優る。
『バガヴァッド・ギーター』も仏典も、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』も、『老子』も、全て、このことを言っているだけである。

ただ、人間の束縛状態は悪く、「私」を唱え難くなっている。
そこで、「私は誰か?」と自分に問うことで、このマントラを楽に唱えることが出来るのである。
だから、上の(※)の行は、こう書き換えても良い。

「私は誰か?」と自分に問うことで、真の私である魂を束縛から解放する。

これを使った全文を以下に記載する。

『聖なる魂について』(その2)
魂は全てである。
魂以外には何も存在しない。
魂は不生不死である。
だが、人々はそれを知らないまま、延々と転生を繰り返し続けている。
人に宿った魂は束縛されているが、束縛が弱まることもある。
魂の束縛が弱かった時、ヴェーダなどの優れた教えが説かれた。
真の自分は魂である。
それを知った時、真理は明らかになる。
最高のマントラ(真言)は「私」である。
「私は誰か?」と自分に問うことで、真の私である魂を束縛から解放する。
それにより、自分こそが無限の魂であると実際に知るのである。








  
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