今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、22番目からと24番目までの質問とその回答である。
とても面白い問答と思う。
質問22
眠っている時に見る夢と、起きている時の現実に違いはないのでしょうか?
回答
全く同じで何の違いもない。
いずれも、心が作り出しているただの幻想である。
眠っている時の夢の中では、起きている時より制約が少なく、奇想天外なことが起こるように思うかもしれない。
しかし、それは、起きている時に奇想天外な空想をするのとなんら変わらない。
子供のうちは、起きている時の現実と空想に区別はない。
大人になるにつれ、「現実とはこのようなもの」という固定観念が出来るので、大人は、「これは現実」「これは空想」と区別するが、固定観念が少ないほど子供に近く、現実世界もおとぎ話のようなものである。
AIアート37
「森の妖精さん」
Kay
質問23
魂に目覚めるため・・・つまり、自分が本当は無限の魂であることを知るために本を読むことは役に立つでしょうか?
回答
全ての価値ある本は、読者が無知であることの配慮から、それとなく示していることも多いが、大切なことは、思考を消し、心を消すことであると言っている。
よって、本当に大切なことは、ただ1つ、心を消すことであることが理解出来れば、もう本を読む必要はない。
本を読む時間を「私は誰か?」と自分に問うことに当てる方がはるかに有益である。
質問24
幸福とは何でしょうか?
回答
魂を覆っていた心が消え、魂が現れることである。
魂は幸福そのものである。
心からの願いが叶った時、実は、心は消え、魂を楽しんでいるのである。
だが、すぐに心が戻ってきて、「どれほど願ったことでも、得てしまえばさほどでもないものだ」と思ってしまうのである。
しかし、心が消えている状態が続けば、ずっと幸福なのである。
何も得なくても、心が消えれば幸福なのである。
逆に、どれほどのものを得ても、心を抱えているなら不幸であるし、心が重ければ悲惨である。
心が希薄な子供に尋ねてみると良い。
「毎日は楽しいかい?」
すると、子供は言うのだ。
「楽しいに決まってるじゃない」
賢者(心がない)と子供が似ていると言われる理由はこれである。
賢者は、傍目には不幸に見てても、本人は幸福なのである。
とても面白い問答と思う。
質問22
眠っている時に見る夢と、起きている時の現実に違いはないのでしょうか?
回答
全く同じで何の違いもない。
いずれも、心が作り出しているただの幻想である。
眠っている時の夢の中では、起きている時より制約が少なく、奇想天外なことが起こるように思うかもしれない。
しかし、それは、起きている時に奇想天外な空想をするのとなんら変わらない。
子供のうちは、起きている時の現実と空想に区別はない。
大人になるにつれ、「現実とはこのようなもの」という固定観念が出来るので、大人は、「これは現実」「これは空想」と区別するが、固定観念が少ないほど子供に近く、現実世界もおとぎ話のようなものである。
AIアート37
「森の妖精さん」
Kay
質問23
魂に目覚めるため・・・つまり、自分が本当は無限の魂であることを知るために本を読むことは役に立つでしょうか?
回答
全ての価値ある本は、読者が無知であることの配慮から、それとなく示していることも多いが、大切なことは、思考を消し、心を消すことであると言っている。
よって、本当に大切なことは、ただ1つ、心を消すことであることが理解出来れば、もう本を読む必要はない。
本を読む時間を「私は誰か?」と自分に問うことに当てる方がはるかに有益である。
質問24
幸福とは何でしょうか?
回答
魂を覆っていた心が消え、魂が現れることである。
魂は幸福そのものである。
心からの願いが叶った時、実は、心は消え、魂を楽しんでいるのである。
だが、すぐに心が戻ってきて、「どれほど願ったことでも、得てしまえばさほどでもないものだ」と思ってしまうのである。
しかし、心が消えている状態が続けば、ずっと幸福なのである。
何も得なくても、心が消えれば幸福なのである。
逆に、どれほどのものを得ても、心を抱えているなら不幸であるし、心が重ければ悲惨である。
心が希薄な子供に尋ねてみると良い。
「毎日は楽しいかい?」
すると、子供は言うのだ。
「楽しいに決まってるじゃない」
賢者(心がない)と子供が似ていると言われる理由はこれである。
賢者は、傍目には不幸に見てても、本人は幸福なのである。
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