今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問と回答を収めた小冊子『私は誰か?』の、20番目と21番目の質問とその回答である。
味わい深いので、一度に小数取り上げた方が良いので、今回も2つだけとする。
質問20
神やグル(霊的な指導者)が、真の私が無限の魂であることを思い出させてはくれないのでしょうか?
回答
神とは大自然の法則であり、それに従えば魂に目覚めることが出来る。
だが、それ(大自然の法則に従うこと)は自分でやらなければならない。
また、グルは大自然の法則に従うよう、あなたを導くだけである。
大自然の法則に従うためには、思考する心を消せば良い。
ただ、大自然の法則に従えば、思考する心が消えるのも確かである。
この2つの、逆向きにも見えるやり方の、いずれも有効であり、十分である。
前者のための方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。これはとても易しい。
後者の方法とは、一切をなりゆきにまかせ無為であることで、伝統的には、「神に人生を明け渡す」と言う。これは、特に現代人には難しい。
「私は誰か?」と自分に問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせ無為であることが良いやり方である。
※「なりゆきにまかせる」ことを特に重視したのが荘子である。だが、「私は誰か?」と問う方が易しいので、まずは「私は誰か?」と問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせるよう心がけるのが賢いやり方と思う。

AIアート36
「近未来の企業」
Kay
質問21
魂に目覚めるために、思考する心を消すことが必要ということですが、思考や、思考する心について分析・研究し、詳しく知ることは良いことでしょうか?
回答
腐った果実を捨てる際、その果実がどのように腐っているか、分析・研究する必要はない。ただ捨てれば良いのである。
毒が入った食物を捨てる際も、その毒について、分析・研究することではなく、その食物を捨てることが最も重要である。
この、腐った果実や、毒が入った食物が、我々の心の喩えである。
実際、我々の心は、何かの力によって、腐らされ、毒を入れられている。
どうやって腐らされたか、入れられたのはどんな毒かは、我々には分からない。
だが、「私は誰か?」と自分に問うことで、腐った心、毒を含んだ心を捨てることは出来る。
余計なことは考えず、心を捨てるべきである。
※悪い意味でいう「心を捨てる」とは、大自然の法則に従う意思を捨てるということで、悲惨な結果をもたらす。
※※我々の心を腐らせ、毒を入れたというのは、あくまで喩えであるが、我々の心が何者かに意図的に穢されているのは事実である。これについては、これもまた喩え話と思えば良いが『エイリアンインタビュー』を読むとおおよそが分かる。
味わい深いので、一度に小数取り上げた方が良いので、今回も2つだけとする。
質問20
神やグル(霊的な指導者)が、真の私が無限の魂であることを思い出させてはくれないのでしょうか?
回答
神とは大自然の法則であり、それに従えば魂に目覚めることが出来る。
だが、それ(大自然の法則に従うこと)は自分でやらなければならない。
また、グルは大自然の法則に従うよう、あなたを導くだけである。
大自然の法則に従うためには、思考する心を消せば良い。
ただ、大自然の法則に従えば、思考する心が消えるのも確かである。
この2つの、逆向きにも見えるやり方の、いずれも有効であり、十分である。
前者のための方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。これはとても易しい。
後者の方法とは、一切をなりゆきにまかせ無為であることで、伝統的には、「神に人生を明け渡す」と言う。これは、特に現代人には難しい。
「私は誰か?」と自分に問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせ無為であることが良いやり方である。
※「なりゆきにまかせる」ことを特に重視したのが荘子である。だが、「私は誰か?」と問う方が易しいので、まずは「私は誰か?」と問いつつ、なるべく、ものごとをなりゆきにまかせるよう心がけるのが賢いやり方と思う。

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「近未来の企業」
Kay
質問21
魂に目覚めるために、思考する心を消すことが必要ということですが、思考や、思考する心について分析・研究し、詳しく知ることは良いことでしょうか?
回答
腐った果実を捨てる際、その果実がどのように腐っているか、分析・研究する必要はない。ただ捨てれば良いのである。
毒が入った食物を捨てる際も、その毒について、分析・研究することではなく、その食物を捨てることが最も重要である。
この、腐った果実や、毒が入った食物が、我々の心の喩えである。
実際、我々の心は、何かの力によって、腐らされ、毒を入れられている。
どうやって腐らされたか、入れられたのはどんな毒かは、我々には分からない。
だが、「私は誰か?」と自分に問うことで、腐った心、毒を含んだ心を捨てることは出来る。
余計なことは考えず、心を捨てるべきである。
※悪い意味でいう「心を捨てる」とは、大自然の法則に従う意思を捨てるということで、悲惨な結果をもたらす。
※※我々の心を腐らせ、毒を入れたというのは、あくまで喩えであるが、我々の心が何者かに意図的に穢されているのは事実である。これについては、これもまた喩え話と思えば良いが『エイリアンインタビュー』を読むとおおよそが分かる。
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