今回は、ラマナ・マハルシへの28の質問とその回答から成る小冊子『私は誰か?』の、11番目の質問からである。
質問11
「私は誰か?」という想念を、どのようにして常に心に保てば良いのでしょうか?
回答
「私は誰か?」以外の想念が起こった時、それがいかなる想念であっても、その想念を追いかけず、「私は誰か?」と問うべきである。
すると、その想念は、想念を起こした源である「私」に引き戻され消える。
ところで、人はいつも、言い知れぬ不安を抱えているが、その不安は胸に感じていることが分かると思う。
心は、身体の中で、常に活発に活動している心臓に巣食っているからである(質問9への回答で述べた)。
そこで、胸の不安、あるいは、単に胸を意識しながら「私は誰か?」と問えば心は活動を抑えられて消え、結果、不安も消える。
何も考えずに済む状況を過ごせば心配事がなくなるのも、同じ理屈からである。
ただし、レクリエーションや緊張を強いられることで思考を消すのは限度がある。なぜなら、心はそれらのことに慣れてしまい、かえって勢力を増すからである。
よって、やはり「私は誰か?」と問うことが必要である。
質問12
「私は誰か?」と問う以外に心を消す方法はないのでしょうか?
回答
気力や緊張を必要としたり、危険を伴うものを除けばない。
呼吸法で一時的に心は消えたように静かになる。
それは、肺が、心が巣食う心臓に近いこと、また、肺の活動が静かになれば心臓の活動も同様に静かになることによってである。
だが、呼吸が元に戻れば、心もまた活発に活動を始める。
マントラ(真言)や神の名を唱えたり、讃美歌を歌うことなどでも、心が静かになるが、心が静かであるのは、それらが行われている間だけである。
確かに、起きている間ずっとマントラを唱えることが出来るほど修練すれば心を消すことが可能かもしれないが、それは難しいことであるし、そのような修練の完成にはとても長い年月を必要とする。
ただし、呼吸法、マントラを唱えること、その他の修練で集中力を得れば、「私は誰か?」と問うことが容易になる。
だが、修練の中で最も良いのは、適度な量の清らかな食事を取ることである。
過度に美味だったり、刺激の強い食物は心を粗暴にするだけである。
食べ過ぎや極端な少食も、心を刺激し落ち着きをなくす危険がある。

AIアート32
「着陸したUFO」
Kay
質問11と12は、「私は誰か?」と問うことの準備編で、13から、質問者の疑念が問われるので、ここでいったん終える。
13からの疑念は、誰もが持つ、実感のあるものである。
質問11
「私は誰か?」という想念を、どのようにして常に心に保てば良いのでしょうか?
回答
「私は誰か?」以外の想念が起こった時、それがいかなる想念であっても、その想念を追いかけず、「私は誰か?」と問うべきである。
すると、その想念は、想念を起こした源である「私」に引き戻され消える。
ところで、人はいつも、言い知れぬ不安を抱えているが、その不安は胸に感じていることが分かると思う。
心は、身体の中で、常に活発に活動している心臓に巣食っているからである(質問9への回答で述べた)。
そこで、胸の不安、あるいは、単に胸を意識しながら「私は誰か?」と問えば心は活動を抑えられて消え、結果、不安も消える。
何も考えずに済む状況を過ごせば心配事がなくなるのも、同じ理屈からである。
ただし、レクリエーションや緊張を強いられることで思考を消すのは限度がある。なぜなら、心はそれらのことに慣れてしまい、かえって勢力を増すからである。
よって、やはり「私は誰か?」と問うことが必要である。
質問12
「私は誰か?」と問う以外に心を消す方法はないのでしょうか?
回答
気力や緊張を必要としたり、危険を伴うものを除けばない。
呼吸法で一時的に心は消えたように静かになる。
それは、肺が、心が巣食う心臓に近いこと、また、肺の活動が静かになれば心臓の活動も同様に静かになることによってである。
だが、呼吸が元に戻れば、心もまた活発に活動を始める。
マントラ(真言)や神の名を唱えたり、讃美歌を歌うことなどでも、心が静かになるが、心が静かであるのは、それらが行われている間だけである。
確かに、起きている間ずっとマントラを唱えることが出来るほど修練すれば心を消すことが可能かもしれないが、それは難しいことであるし、そのような修練の完成にはとても長い年月を必要とする。
ただし、呼吸法、マントラを唱えること、その他の修練で集中力を得れば、「私は誰か?」と問うことが容易になる。
だが、修練の中で最も良いのは、適度な量の清らかな食事を取ることである。
過度に美味だったり、刺激の強い食物は心を粗暴にするだけである。
食べ過ぎや極端な少食も、心を刺激し落ち着きをなくす危険がある。

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「着陸したUFO」
Kay
質問11と12は、「私は誰か?」と問うことの準備編で、13から、質問者の疑念が問われるので、ここでいったん終える。
13からの疑念は、誰もが持つ、実感のあるものである。
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