今回は『老子』第76章である。
この章を一言で言えば「高く飛べ」である。

この章は、最も、学者さんら「専門家」や「識者」らが滑稽な解釈をする章だ。
そんな人達の解釈では、若い草は良く、堅くなった古い木は駄目だから、若い草のようでいろという常識的なことを老子が言ったということになってしまう。

この章の本当の意味は、死んだ硬いもの(古い木。ここでの真意は不活性な魂)は地上に縛り付けられているが、生きている柔らかいもの(青い草。ここでの真意は活性化している魂)は、地球から解放され自由になるということだ。

初音ミク 白の和装
AIアート23
「初音ミク 白の和装」
Kay


太古の昔、悪の宇宙人グループが地球に仕掛けたマインドコントロール装置が、地球の人々の魂を不活性な、いわば、死んだ状態にして、地球に縛り付けているが、地球人は、真の自分が全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出し、その力を解放することで、宇宙すら創造出来るのである。
真の自分が何者か思い出すためには、自然に生きることが何より大切である。
だから、老子は、自然の働きを「道」という言葉に集約し、自然の理に則って生きることを「道に従って生きる」と言い、これが人間にとっても、最も重要なことであると教えたのだ。
だが、圧倒的に自然と接する機会がなく、加えて、極めて人工的な社会の中で生きている我々には、地球から逃れる術はない。
しかし、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」と自分に問うことで、真の自分が何であるか思い出すことが出来る。
そうすることで、魂の無限の力を取り戻した者は、老子や釈迦のように、地球を離れ自在に生きるのである。








  
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