今回は『老子』第72章である。
この章を一言で言えば「最上の手本は空気」である。

あまり、国を支配している、あるいは、支配したことがあるという方はいないだろうが、国民も自分の子供も似ている。
それで、自分の子供を、放任するのと、厳しく躾けるのは、どちらが良いかという話があり、いずれのグループにも、自信満々に「放任が良い」「いや、厳しく躾けないといけない」と主張する者がいるものである。

答は放任であるが、実は、人間は、自分の支配下にあると思うものを放任出来ないのである。
どうしても支配しようとしてしまうのだ。
それで、次善の策である、「最低限の躾をする」のが良いようだが、これだって、親は、最低限のつもりが余計な躾をしてしまい、結果、子供は駄目になる。
国民を支配する場合も同じようなものである。

現代のヘレーネ
AIアート19
「現代のヘレーネ」
Kay


老子は、放任して良い結果を出す者とは、以下のような者だと言っているのである。
「自分を賢いと思っていない」
「自分に価値があると思っていない」
このような者は空気に喩えられる。
ルドルフ・シュタイナーは「優れた教師は空気のような存在」と言ったが、良い為政者や良い親も同じである。
だが、現在の国の支配者や親のほとんどが、全くこうではないので、国民や子供を放任すれば、国は傾き、子供はロクデナシになる。
それでいて、国の支配者や親は、国民や子供にやたら干渉するので、さらに悪い状況になっている感じである。

逆に、上に挙げたことに該当する者には、自然に人が従い、放任してもうまくやっていくのである。
上に挙げたことに該当する者を君子と言う。
そして、君子とは、「私は誰か?」と自分に問うている者である。
君子は、それを知りたいと思っているからである。
なぜなら、君子であるほど、今の自分を作りものっぽく感じているからだ。
その通りなのだ。
我々は、ある高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の力で、本当の自分を忘れ、偽物の自分になってしまっている。
だが、「私は誰か?」と問い続けることで思い出すことが出来るのである。








  
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