今回は『老子』第64章である。
この章を一言で言えば「最高の学問は学ばないこと」だ。
この章は比較的長いが、前半部分は、全章の第64章でも書かれていたことの繰り返しだ。
つまり、
「大きなことをしようとするな」
ということを、再度、述べている。
あらゆる物事は、元々は小さなところから始まるのだから、小さなうちに対処すれば良く、逆に言えば、大きくなってしまえば手に負えない。
たとえば、ダイエットだって、肥満してしまえば痩せるのは難しいが、少し太り始めた段階で節制すれば、楽にプロポーションを保てる。それと同じだ。
まあ、正しいやり方を知っていれば、太ってしまっても大丈夫だから、最後まで読んでいただきたい。
後半に名言があるのだが、どの翻訳者も注目せず、些末な解釈に終始しているように思う。
その名言とは、
「不欲の欲(欲を持たないことを欲とする)」
「不学の学(学ばないことを学ぶ)」
で、真意を言うなら、それぞれ、
「欲望を持たないことが最上の欲望である」
「学ばないことが最上の学びである」
だ。
覚えやすいように、「最高の学問とは学ばないこと」と覚えておくと良い。

AIアート11
「初音ミク 和装」
Kay
だが、これも全章で述べたことだが、人間は愚かなので、つい、余計なものを欲し、余計なことを学ぶ。
それを、「つまらない欲を持つな」とか「下らないことを学ぼうとするな(知ろうとするな)」と言っても無駄というものだ。
美味しい食べ物があると食べたいし、可愛い女の子やいい男がいたら何とかしたい。
「簡単に金持ちになれる引き寄せの秘法がある」と聞けば知りたがる。
それを非難したって不毛である・・・つまり、止められない。
だが、余計なものを欲し、余計なことを知りたがるうちは、力がなく、何も成就出来ず、惨めだ。
しかし、心配無用だ。
いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問い続ければ、自ずと大欲のみを欲し、最上のことのみを知るようになる。
「私は誰か?」という探求こそが、最上の大欲であり、最上の学問であるからだ。
これらに比べれば、世の中の願望や学問など、奴隷が欲しがる粗悪な食物であり、迷信時代の学問だ。
「私は誰か?」と問うことで知ることが出来ること、そして、それによって得られるものは、宇宙の真理全てであり、宇宙まるごとなのである。
この章を一言で言えば「最高の学問は学ばないこと」だ。
この章は比較的長いが、前半部分は、全章の第64章でも書かれていたことの繰り返しだ。
つまり、
「大きなことをしようとするな」
ということを、再度、述べている。
あらゆる物事は、元々は小さなところから始まるのだから、小さなうちに対処すれば良く、逆に言えば、大きくなってしまえば手に負えない。
たとえば、ダイエットだって、肥満してしまえば痩せるのは難しいが、少し太り始めた段階で節制すれば、楽にプロポーションを保てる。それと同じだ。
まあ、正しいやり方を知っていれば、太ってしまっても大丈夫だから、最後まで読んでいただきたい。
後半に名言があるのだが、どの翻訳者も注目せず、些末な解釈に終始しているように思う。
その名言とは、
「不欲の欲(欲を持たないことを欲とする)」
「不学の学(学ばないことを学ぶ)」
で、真意を言うなら、それぞれ、
「欲望を持たないことが最上の欲望である」
「学ばないことが最上の学びである」
だ。
覚えやすいように、「最高の学問とは学ばないこと」と覚えておくと良い。

AIアート11
「初音ミク 和装」
Kay
だが、これも全章で述べたことだが、人間は愚かなので、つい、余計なものを欲し、余計なことを学ぶ。
それを、「つまらない欲を持つな」とか「下らないことを学ぼうとするな(知ろうとするな)」と言っても無駄というものだ。
美味しい食べ物があると食べたいし、可愛い女の子やいい男がいたら何とかしたい。
「簡単に金持ちになれる引き寄せの秘法がある」と聞けば知りたがる。
それを非難したって不毛である・・・つまり、止められない。
だが、余計なものを欲し、余計なことを知りたがるうちは、力がなく、何も成就出来ず、惨めだ。
しかし、心配無用だ。
いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問い続ければ、自ずと大欲のみを欲し、最上のことのみを知るようになる。
「私は誰か?」という探求こそが、最上の大欲であり、最上の学問であるからだ。
これらに比べれば、世の中の願望や学問など、奴隷が欲しがる粗悪な食物であり、迷信時代の学問だ。
「私は誰か?」と問うことで知ることが出来ること、そして、それによって得られるものは、宇宙の真理全てであり、宇宙まるごとなのである。
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