今回は『老子』第56章である。
この章を一言で言えば「真に貴い存在」である。
『老子』を語ることは、適当にやるつもりだったが、あまりの楽しさに止められなくなった。
なぜなら、『老子』が全81章あるといっても、81の教えがあるわけではなく、たった1つの本当に貴い教えを調べを微妙に変えて語っているのだからだ。
そして、正真正銘、万能の教えである。
これほど良いものがあろうか?
この章でも、本当に貴い人とは、思考しない人であることを美しく語っているのである。
思考しないからこそ、自動で起こる思考は全て無理がなく自然で美しいのだ。
世間では、「思考停止する馬鹿」とか言うが、思考が停止すれば賢者であり、馬鹿な思考をする者が馬鹿なだけである。

AIアート3
「異星の少女」
Kay
徳川家康が、天下取りの秘訣は「上を見ないこと」と言い、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が感覚を外部に向けないよう教えたのも、煌びやかなものを見てしまうと、それを欲することで余計なことを考えてしまうからだ。
だが、最も効果があるのは、目や耳自体は自由にしていても、意思を内に向けることだ。
そして、その最も易しい方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
「私は誰か?」と自分に問う者を、誰も傷付けることは出来ない。
なぜなら、「私は誰か?」と問えば、思考する主体である自我としての私がロックされ、思考を起こせなくなるからだ。
自我の思考を起こさない人は極めて貴く(いわゆる、良い意味で自分がない人)、誰も神に対するのと同様、ただひれ伏すしかないのである。
この章を一言で言えば「真に貴い存在」である。
『老子』を語ることは、適当にやるつもりだったが、あまりの楽しさに止められなくなった。
なぜなら、『老子』が全81章あるといっても、81の教えがあるわけではなく、たった1つの本当に貴い教えを調べを微妙に変えて語っているのだからだ。
そして、正真正銘、万能の教えである。
これほど良いものがあろうか?
この章でも、本当に貴い人とは、思考しない人であることを美しく語っているのである。
思考しないからこそ、自動で起こる思考は全て無理がなく自然で美しいのだ。
世間では、「思考停止する馬鹿」とか言うが、思考が停止すれば賢者であり、馬鹿な思考をする者が馬鹿なだけである。

AIアート3
「異星の少女」
Kay
徳川家康が、天下取りの秘訣は「上を見ないこと」と言い、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が感覚を外部に向けないよう教えたのも、煌びやかなものを見てしまうと、それを欲することで余計なことを考えてしまうからだ。
だが、最も効果があるのは、目や耳自体は自由にしていても、意思を内に向けることだ。
そして、その最も易しい方法が「私は誰か?」と自分に問うことである。
「私は誰か?」と自分に問う者を、誰も傷付けることは出来ない。
なぜなら、「私は誰か?」と問えば、思考する主体である自我としての私がロックされ、思考を起こせなくなるからだ。
自我の思考を起こさない人は極めて貴く(いわゆる、良い意味で自分がない人)、誰も神に対するのと同様、ただひれ伏すしかないのである。
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