今回は『老子』第29章である。
この章を一言で言えば「極端を避ける」である。

ものには限度があり、いかに酒好きでも、ほどほどに飲まないといけないし、いかに大事な宝でも、人の命を犠牲にしてまで守るべきでない。
いくら真面目で勤勉な社員でも、40度の高熱がある時は休まないといけないし、良い生活がしたくても、稼ぎの範囲でやらないといけない。

・・・とまあ、クソ真面目なことを言うのは、特に若いうちは面白くないものだ。
無茶をしたい、徹底的にやりたい、クレイジーであってそ命が燃えるものだ・・・というのも、あながち否定出来ない。

だが、極端を避ける理由は、熱狂している時の精神状態が危険だからであることが分かれば、自ずと慎むようになる。
昔は、「心を失うと悪霊に憑りつかれる」と、よく言われたものだった。
これは、感覚的な表現であり、同じことを、我を忘れるとか、自分を失うという言い方もする。
「心を失うと悪霊に憑りつかれる」とは、「1分間熱狂すると、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に発見され脳を破壊される」ことを、直観的に分かって言ったことだ。

ロックコンサート等で、熱狂し過ぎて、極端な場合、失神する人がいるらしいが(ほとんどはヤラセであるという説もあるが)、そんな喧噪から帰ってきたら、人が変わってしまっているもので(悪い方にである)、完全には元に戻らない。
だが、演奏しているミュージシャンは、案外に冷静なのだが、作り物のミュージシャンが、自分が熱狂しているうちに廃人になるのも、やはり、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の攻撃を受けるからである。

熱狂し、心のコントロールを失うことは、そのように恐ろしいことだ。
だが、「地雷を踏む」という隠語で示されるように、人間は条件が整ってしまうと、容易く(レベルはあるが)発狂する。
だから、我々は意識して地雷を避けなければならない。
だが、心の地雷は向こうからやって来る。
ここらは、意外だが、L.ロン.ハバードの『ダイアネティックス』に、「反応心」としてうまく説明されている。
この本は、いわば、危険な心の地雷から身を護る方法について書かれている。
『ダイアネティックス』は、中途半端に宇宙人の情報を得るか、勘ずくかして書いたものかもしれない。
害もあるいかもしれないが、案外に得るものもあるように思う。
俳優の中で、最も多くの収益を上げたのはトム・クルーズだが、トム・クルーズは『ダイアネティックス』を基本にした宗教であるサイエントロジーの熱心な信者で、良いか悪いかは分からないが、人間としては妙に強いエネルギーがあるのも、『ダイアネティックス』の影響があるのかもしれない。
ただ、少なくとも、『ダイアネティックス』の周辺には悪いものもあるので、せいぜい、本を読むだけにしておくと良い。
ちなみに、『ダイアネティックス』は、自己啓発分野では、歴史上、最も売れた本である(『ザ・シークレット』が超えたかもしれないが)。

だが、極端を避け、熱狂に陥らない最良の方法は「私は誰か?」と自分に問うことだ。
ある意味、「私は誰か?」と問えば、強力な悪霊に憑りつかれないで済む。
悪霊に関しては、宗教的に上手く対処した者も、いくらかはいたと思う。
しかし、それもまた、周辺は曲者が多くて困るのである。
そこで、加持祈祷の類ではなく、「私は誰か?」と問う方が良いと思う。
言葉の上だけで良いから、「本当の私は全知全能の無限の魂」あるいは「本当の私は神」ということを憶えておいて「私は誰か?」と自分に問うのである。
私は神であると主張する必要はないし、してはならない。
「私は誰か?」と問うているうちに、事実は自ずと明らかになる。
事実とは、「私は神である」ことである。








  
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