今回は、『老子』第22章である。
この章を一言で言えば、「下がれば上がる」である。
「下がれば上がる」は、『老子』自体では「曲則全」であるが、日本でそんな言葉は使わない。
「下がれば上がる」が宇宙の万能法則である。
イエスが「偉くなりたいなら、使用人のようであれ」と言ったようにだが、ほとんどの人は、この意味を間違える。
これは「自我である私が引っ込めば、神である魂が出て来る」という意味だ。
では、私が引っ込むにはどうすればいいかというと、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
そうすることにより、意識は心の奥深くに下がっていき、そうすれば、神である輝く魂が上がって来る。
これ自体は、ラマナ・マハルシも言っていたが、ちょっとした知識が必要なのである。
その知識とは、
「自分は記憶喪失であり、自分が誰か忘れていること」
「本当の自分は神であり、全知全能の無限者であること」
である。
これらを憶えている者が「私は誰か?」と自分に問うことで、最も早く自分が神であることを思い出すのである。
エマーソンが引用したように、記憶喪失で自分が貧しいロクデナシだと思い込んでいる者が、本当の自分が強大な力を持つ高貴な公爵であることを思い出すだけで、ただちに、そのような公爵になるのと同じである。
この章を一言で言えば、「下がれば上がる」である。
「下がれば上がる」は、『老子』自体では「曲則全」であるが、日本でそんな言葉は使わない。
「下がれば上がる」が宇宙の万能法則である。
イエスが「偉くなりたいなら、使用人のようであれ」と言ったようにだが、ほとんどの人は、この意味を間違える。
これは「自我である私が引っ込めば、神である魂が出て来る」という意味だ。
では、私が引っ込むにはどうすればいいかというと、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
そうすることにより、意識は心の奥深くに下がっていき、そうすれば、神である輝く魂が上がって来る。
これ自体は、ラマナ・マハルシも言っていたが、ちょっとした知識が必要なのである。
その知識とは、
「自分は記憶喪失であり、自分が誰か忘れていること」
「本当の自分は神であり、全知全能の無限者であること」
である。
これらを憶えている者が「私は誰か?」と自分に問うことで、最も早く自分が神であることを思い出すのである。
エマーソンが引用したように、記憶喪失で自分が貧しいロクデナシだと思い込んでいる者が、本当の自分が強大な力を持つ高貴な公爵であることを思い出すだけで、ただちに、そのような公爵になるのと同じである。
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