『老子』第17章に進む。
この章は一言で言えば「沈黙せよ」だ。

『老子』が分からないと言われるのは、その見事な言葉使いに翻弄されるからではあるまいか?
確かに、言葉にこだわると『老子』はさっぱり分からない。
それなのに、言葉を解釈して満足しているだけの学者が多いのだと思う。
英語の『老子』を読めば分かるというのも、英語だと、漢字特有の一文字で深い意味を持たせるということが出来ず、単純化するので分かり易いのだと思う。
また、『老子』を、デタラメな神秘主義に脚色してしまう困ったスピリチュアリストも多く、そんな連中の解釈に付き合ってたら大変なことになる。
『老子』は絶対に単純明快だと思う。

とはいえ、この第17章は、言葉として本当に面白い。
岩波文庫(蜂屋邦夫訳)を引用すると、こんなことが書かれている。

・最高級の支配者:人民に存在を知られているだけの人。
・2番目の支配者:人民に親しまれ褒め称えられる。
・3番目の支配者:人民に恐れられる。
・4番目の支配者:人民に馬鹿にされる。

うまいことを言うものだ。
トランプ大統領は2番目、プーチン大統領は3番目。
バイデン大統領や岸田総理は4番目だ。
・・・と、明快になる。
最高級の支配者は分からないが、スイスの大統領なんて我々は誰も知らないし、スイス人でも名前くらいしか知らないから、それに近いかもしれない。
スイスの大統領は順番でやるのだから当然だ。
だから、スイスの大統領は、「俺は順番が来たから大統領やってるんだ。優秀だから選ばれたわけじゃない」と言うが、これこそが理想の大統領に近いのである。

だが、言葉に囚われては『老子』は分からない。
この章で肝心なことは、「あなたが支配者だ」ということで、これに気付く人がいない。

だから、支配者であるあなたは誠実でなければならないと老子は言う。
そして、慎重でなければならない。

だが、もっと大切で、それが分かればこれらもどうでも良くなることが「貴言」、すなわち、言葉を軽々しく発しないことだが、突き詰めると、沈黙こそが宝である。
だから、ラマナ・マハルシは沈黙でもって教え、「沈黙の聖者」と呼ばれた。
あなたも沈黙しなければならない。
口の言葉ではなく、頭の中の言葉においてだ。

常に「私は誰か?」と自分に問うていれば、心は、それ以外のことでは沈黙する。
「私は誰か?」の答は「神」あるいは「全知全能の無限の存在」であることを憶えておかなくてはいけない。
そうすれば、問えば問うほど、神である魂が輝き現れるだろう。








  
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