今回は、とても面白い『老子』第13章だ。
この章は一言で言えば「安心しろ」だ。
そして、なぜ安心かが書かれている。

この第13章は、妙に難解な書き方をしているように思われる章でもある。
だが、『老子』は全章を通して思想は一貫しているし、それならば、当然、1つの章の中でも思想は一貫しているのだから、1章の中の1文が分かれば、その章全部が、そして、『老子』全部が分かるのである。
とりあえず、ここでは、「1文をもって1章を知る」で行こう。
その1文はこれだ。
「不幸とは身体や心が受けるものだ。なら、自分が身体や心ではなく魂だと知っている者に不幸なんてない」
ところが、この簡単なことを、言葉を重ね「これでもか」というくらいねちっこく書いている。
さらに、最後に、超不可思議な(と思える)ことを書いてね。
わざと分からないようにしているのかと疑うほどだ。
いや、そうかもしれない。
つまり、頭では分からなくても、魂なら分かる・・・というつもりなのかもしれない。
だから、五井昌久さんのような人は「繰り返し音読すれば自ずと分かる」と言ったのだが、そんなに何度も音読する人はいない。特に今の時代は。
その「繰り返し」の数も、数回なんてものではなく、少なくとも数十回、普通は、百回以上というものと思う。

だが、いつも、「私は誰か?」と自分に問うていると、少しずつ、自分が身体や心ではなく魂であることが分かり、魂は全知全能であることも分かってくる。
そうすれば、この『老子』13章と合わせてみれば、不幸はないことが明確に分かり、不安はなくなる。
だから、言葉だけでも良いから、自分は身体や心ではなく、無限の魂であることを知って「私は誰か?」と問うことには大変なメリットがある。
そして、自分が魂だと分かって来るにつれ、全能の力も発揮されるから、身体や心の不幸も起こらない。

悪の宇宙人が仕掛けたマインドコントロール装置の大きな機能は、人間に、自分が身体や心であると思い込ませることだ。
それなら、言葉だけでいいから、自分は身体や心ではなく、永遠無限、全知全能の魂で、神(のようなもの)であると知ることは、悪の宇宙人への大変な嫌がらせであるから、絶対にやるべきである(笑)。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ