引き続き『老子』第6章である。
これは、まともな解釈を見たことがない章だ。
いつも通り、一言で言えば、「気を付けろ」だ。
つまり、「油断するな」「隙を見せるな」ということだ。
隙を見せるとつけ込まれるからだ。
つけ込まれたら、悪魔のようなことをするようになる。
誰につけ込まれるのかというと、悪の宇宙人グループだ。
アメリカの大富豪や大政治家達の多くが、つけ込まれてしまった。
ここ(『老子』第6章)に書かれている通り、悪の宇宙人グループ、あるいは、連中の(我々を駄目にする)装置は、いつまでも存続し、働きを止めないからだ。

老子ほどではないが、ゲーテも、悪の宇宙人グループのことは感づいていたと思われる。
『ファウスト』の『天上の序曲』で、神は言う。
「わしは人間に仲間をつけて、刺激したり、働きかけたりして、悪魔として仕事をさせるのだ」
「永久に生きて働く生成の力がおまえたちを縛る」
これも、上と同じだ。
悪の宇宙人グループが、人間につけこみ、悪魔として働かせるのである。
そして、人間を逃れられないようにする装置は、働きを止めない。

あなただって、やってはいけないと分かっているのに、なぜか分からず、やってしまったことがあるだろう。
悪の宇宙人グループはいくらでもおり、別に地球にいなくても、遠隔地から、オンラインゲームのように悪いことを仕掛けて来る。
なぜ、そんなことをするのかを説明するとややこしいので省くが、ある意味、やはりゲームを楽しんでいるのである。

映画『荒野の七人』で、七人のガンマンの1人が、こんな思い出話をする。
「ある男が、裸でサボテンの中に飛び込んだ。後でその男に、『なんであんなことをしたんだ?』と聞いたら、その時はそれでいいと思ったそうだ」
悪の宇宙人グループにつけ込まれた者は、こんな奇妙なことをするものだ。

だが、悪の宇宙人グループも、想念を起こさない者には何も出来ない。
想念を起こさないためには、簡単には、「私」に意識を向ければ良い。
なぜなら、想念とは「私」が起こすものだからだ。
その私をロックすれば想念は起こらない。
だから、常に「私は誰か?」と問うていれば、悪魔として動かされることはない。
なかなかそうはいかなくても、なるべく「私は誰か?」と問うていれば、それ以外の時も、無意識下で、ある程度は「私は誰か?」と問うているので、まあ、安全である。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ