我々地球人類がやるべき最も重要なことは、自分が本当は誰か、あるいは、何かを思い出すことである。
それをしなければならない理由は、我々はそれを忘れてしまっており、そのために、力を著しく制限されているからだ。
本来持っている力の1%なのか0.1%なのかは分からないが、とにかく、ほんのわずかの力しか使えず、そして、自分が本当はどれほどの力を持っているのか、全く分かっていない。
だが、自分が誰かを思い出すことで、力を取り戻すことが出来る。

我々は本当は誰か?
それは、単に言葉で言えば、神(のようなもの)とか、至高の実在といったものである。
とりあえず、神、あるいは、至高の実在と思って良い。
だが、それを本当に思い出し、「私は身体や心ではなかった。私は神だった」と実感した時に、無限の力を取り戻す。
そのためには、「私は誰か?」、あるいは「私とは何か?」と問うだけで良い。
だが、普通の人は、自分が本当は誰であるかに興味がないので、それをやらない。
私もそうだった。
だが、『エイリアンインタビュー』を読み、自分が神であることが実感出来たわけではないが、自分(あるいは人類)が神であるとしたら、ものごとのつじつまがあまりにも合うので、納得が出来、ようやく、「私は誰か?」と問う気になったのだ。
あなたも「エイリアンインタビュー」を読むと、そんな気になれるかもしれない。

『エイリアンインタビュー』だって、時々、「ちょっとおかしい」と思う記述はある。
だが、それは、当時1947年であり、エイリアンとテレパシーで対話したマチルダ・オードネル・マックエルロイも、まだ23歳の看護師であったことから、マチルダが知らない概念や考え方を表現するには、どうしても無理がある場合も少なくなかったからだろう。
ただし、あきらかに不合理に思えたり、不自然に感じる内容があれば、そこは鵜呑みにせず、ちゃんと疑って保留する必要がある。
確かに、おかしな部分もあったが、それは一応、マチルダの解釈上の問題として考えれば済む範囲であったと思う。
それよりも、やはり、合点がいくことの方がはるかに多かったのだ。

「私は誰か?」と「私」に問えば、真の「私」が応え、それを感受出来るようになっていく。
それには、ある程度の時間と、それを続ける根気が必要かもしれない。
しかし、私は、ただ楽しみなだけで、根気を全く必要としていない。
このような状態になることが、昔からの私の願いでもあった。








  
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