程度が低い人間に対して過敏・・・つまり、過度に感情的に反応してしまう人がいる。
そんな人は、自己中心的で自分さえ良ければ他人がどうなろうが構わないと思っている人間を、どうしても許せない。出来れば、その場で撃ち殺せたらどんなに良いだろうと思っているのかもしれない。
そんな人は、そのような精神性が低い人間に自分が苦しめられたり、あるいは、自分が愛する人が苦しめられるのをただ見ているしかなかった辛い経験があるのかもしれない。
特に、自分の親、教師、その他でも、自分に対する支配的な立場の人間が、そんなおぞましい人間であったという可能性もある。

悪に対して過敏で、正義感が異常に強くなり、不正を断じて許さないという立場を取る者は、無神経に人に迷惑をかける者(たとえば歩きタバコをする者)に対し、本当に正面から叱責したりすることもある。
だが、程度の低い人間に正論で挑んだって全く意味はないのだが、それを感じることで心を病むこともある。

知らない人も多いだろうが、矢吹健太郎氏の漫画『To Loveる(とらぶる)』に登場する古手川唯という超真面目な女子高生がまさにそれだ。
ただし、彼女の場合は、優秀だったり美少女だったりで、普通の人よりはずっと強い立場にあるが、それでも無力感に苦しむ。ましてや、我々のようにとりえのない人間の場合は、さらに苦しむことになるだろう。

力のない人間が、過度な正義感に囚われると、人格が歪む場合が多いと想う。
それで、自分も、他人にとって迷惑な人間になる。そして、やっぱり自分も苦しいのだ。

イエス・キリストは、自分を殺そうとする人達について、神に「彼らをお許し下さい。彼らは自分がやっていることが分からないのです」と言ったが、それを知って少し救われる気分になるが、やはり悪への憎しみは止まらない。

最近の、回転ずしチェーン「スシロー」で、醤油の注ぎ口を舐めたりの迷惑行為を行った男子高校生に対し、SNSでは、殺しても飽き足らないくらいに、その高校生を過激に非難する人達を多く見ることが出来るだろう。
あの高校生のような人間が存在し、そんな人間が楽しく生きていることをあまりに理不尽に感じ、許せないのだと思う。
きっと、可能なら、あの高校生を拷問にかけた上で処刑したいと思っている人も少なくないだろう。

程度が低い人間を攻撃的に非難する者も程度が低いのである・・・と言ったら、こっちが攻撃的に避難されそうだが、まあ、真実だ。
迷惑行為を肯定して良いはずがないのは当たり前だが、攻撃的な手段で問題が解決するわけがない。
それに、攻撃的に解決しようとしたがる者も、かなり程度が低く、自分も人に迷惑をかけていることに気付いていない場合が圧倒的だ。

イエスが言った「彼ら(程度が低い人間)は何も分かっていない」の意味をはっきりさせるために、1つの仮定を導入する。
それは、人間の脳(あるいは魂)に影響を与え、人間性を低下させる超科学テクノロジーで作られた装置が地球上に存在するということだ。
その装置は強力で、全人類に影響を与えている。
だから、本当は、あらゆる人間が自己中心的で、自分さえ気持ち良ければ、自分さえ気分が良ければ良いと思っているのである。
ローレンス・スペンサーの『エイリアンインタビュー』によれば、そんな装置は本当にあるが、その真偽はともかく、そう考えた方が、はるかにつじつまが合うし、解決策も見つけられるのである。
「その装置のせいで、人類全員の人間性が下げられている」と考えれば合点がいくのである。結果(人類全体のレベルが低い)がその通りなのだから。
何より、自分に関して「なるほど」と思うのである。
自分が、かくも卑しい理由が説明出来るのである。
それが分かれば、あのスシローで迷惑行為をした高校生を始め、ロクでもない人間達も、ただ精神をコントロールされているだけだと理解出来るのである。
その装置は、少なくとも数十万年前には設置・稼働している。
だが、釈迦や老子、あるいはイエスが代表であるが、その装置の影響を脱することに成功した者もおり、部分的に装置の影響を逃れた者なら、いつの時代も、いくらかはいる。
だが、程度の低い人間をただ攻撃するだけの者は、装置の完全な影響下にあると断言出来る。
そして、その装置の影響下にある者は力がなく弱い・・・これも事実である。
しかし、装置の影響から離れるほど力を得るのである。
このブログでは、その装置の影響を回避する方法(沢山ある)を無料で述べている。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ