ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『老子』第69章を一言で言えば「見えない武器で戦う」

今回は『老子』第69章である。
この章を一言で言えば「見えない武器で戦う」である。

この章で、老子は戦いにおける必勝法、即ち、兵法の極意を説いている。
では、この究極の兵法を、現在のウクライナ紛争(事実上のロシア-ウクライナ戦争)でも適用出来るのかというと、出来るとも言えるし、出来ないとも言える。
なぜかというと、ウクライナ紛争は表向きで言われているより、はるかに複雑で醜いものであるからだ。
そして、この扮装だって、やはり、根本的には、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の影響によるものだ。

この章の中に「敵をあなどるほど大きな災いはない」ということが書かれている。
これを、現代人は、「敵をナメてはいけない」、つまり、「油断をするな」と受け取り、やっぱり戦うことを考える。
だが、老子は、「敵を本当にあなどらないなら戦わない」と言っているのである。

火星テラホーミング都市
AIアート16
「火星テラホーミング都市」
Kay


しかし、こう言うと、一見賢そうな人達は、「中国やロシアが攻めて来た時、やり返せる態勢がないと占領されるのですよ」と言い、だから、軍備拡張せよと主張する。
これが正しいかというと、現在の、双方とも、マインドコントロール装置に支配されている状況ではその通りだ。
つまり、真の知恵がないのだから、それ(来たら叩く)しか方法が分からないだろう。

ところで、戦争は全て、さきほども少し述べた通り、表だって知られているよりずっと複雑で汚いものだから、簡単に考えることは出来ない。
しかし、個人の戦いのようなものであれば、戦わずに勝つことを考えた方が賢い。
勝つためには、マインドコントロール装置の支配を脱すれば良いのだからだ。
それを成し、真の知恵と真の力がある者に勝てるはずがない。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
「私は誰か?」と自分に問うことで、まず思考を消した者には真の知恵がある。
真の知恵とは、考えて浮かぶ知恵ではない。考えないことで起こる知恵である。
そして、「私は誰か?」と問うことで、真の自分が全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出した者に物質的な力は及ばない。
このことは、実際にやってみないと、妄想にしか聞こえないのは仕方がないだろう。
だが、まずは、個人的にやってみると分かることである。








  
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『老子』第68章を一言で言えば「相手にしない」

今回は『老子』第68章である。
この章を一言で言えば「相手にしない」である。

短いが究極的な秘法が説かれた章である。

よく、下劣な人間に対しては「相手になっちゃ駄目」とか言うだろう。
しかし、こっちが相手になりたくなくても、向こうが盛んに来るかもしれない。
特に、あなたが美人や美少女の場合は、夏のハエのごとく、嫌な者達がやって来るに違いない。
あるいは、金持ちになると、嫌な知り合いが増えるものらしい(笑)。
そして、不幸なことに、その相手にしたくない者が上司や担任教師の場合もあれば、夫や妻や親ということもある。

だが、皆、「相手にしない」ことが下手なのだ。
2021年末までドイツ首相を務めたアンゲラ・メリケルは大の犬恐怖症だった。
そこで、モスクワでの首脳会談では、プーチン大統領は、メリケルとの2人きりの対話の場所を設け、そこに大型犬を放してメリケルを震え上がらせ、交渉を有利に進めたという、嘘か本当か分からない話があるが、プーチンなら、その程度はやりそうだ(笑)。
ところで、私も、小さい頃は犬が怖かったが、ある日、突然怖くなくなった。
誰かが私に、「犬は知らんふりをしたら近付かない」と言ったので、やってみたら、本当にそうだったので私は驚いた。
そこで私は、「犬だけでなく、人間も同じようにして遠ざけられる」と思い、やってみたら、まさにその通りで、以降、私は嫌な奴に絡まれたことがない。
だが、大切なことは、「相手を本当に心から消す」ことだ。
そして、嫌なものを心から消すのではなく、心そのものを消せば、嫌な人間だけでなく、嫌な出来事や、嫌な運命も、一切、近寄ってこれないことが分かった。

白い衣装の初音ミク
AIアート15
「白い衣装の初音ミク」
Kay


老子は、この章で「争わない者は一番強い」と述べている。
優れた武将は相手を威嚇せず、優れた戦士は敵とぶつからない。
しかし、凡人がその真似をしても、相手はかかって来る。
いかに相手を無視しているフリをしても、相手のことが心の中にあるからだ。
そして、心の中から相手を消すことは難しい・・・いや、不可能だ。
だから、心そのものを消せば良い。
そうなれば、無敵であり、いかなる悪いことも近付かず、良いものだけがやって来る。
そのためには・・・つまり、心を消すためには、もちろん、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問えば良いのである。
そうすれば、心は速やかに消え、やがて、心が現れ難くなる。
そうなれば、自分が人間であるという観念が薄れていき、本当の自分が分かって来る。
本当の自分、それは、全知全能の無限の魂(=神)である。








  
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『老子』第67章を一言で言えば「目を覚ませ」

今回は『老子』第67章である。
この章を一言で言えば「目を覚ませ」である。

一般的に、この章は味わい深いと言われ、「さすが老子!」と称賛されることが多い。
こんなことが書かれている。
「大きいものは足りないところがあるように見える」
「慈(いつく)しむから勇敢である」
「控え目だから影響力が大きい」
「人に仕えるから人が従う」
イエスも、「偉くなりたかったら仕えよ」「私は仕えさせるためでなく、仕えるために来た」と言った。
これらを見て、「分かったような顔をした者」が、
「これは素晴らしい!これこそが真理だ!我々はこんな重要なことを知らなかった!」
と称賛して見せる。

しかし、待っていただきたい。
上にあげたようなことなど、本当に知恵がある人からすれば、「当たり前やん」である。
本当に知恵があるとは、天才とか賢人と評判のある人のことではない。
田舎の普通のオジサン、オバサンなどには、上に挙げた一見「知恵の言葉」など、当たり前過ぎて意識もしない。

ある惑星
AIアート14
「ある惑星」
Kay


そんな当たり前のことが分からないのは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配されているからである。
それなら、田舎のオジサン、オバサンのようであれば、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配を逃れることが出来るということが分かる。
つまり、自然と共にいて、人知をあまり働かせなければ、それほどマインドコントロール装置の支配は受けない。
『エイリアンインタビュー』でも、マインドコントロール装置は、思考に反応して支配力を発揮すると書かれている。
我々がかくも愚かなのは、人類固有の性質ではなく、悪の宇宙人のマインドコントロール装置のためだと考えると、つじつまが合い、納得出来るのである。
ゲーテのファウストでも、天上の神が、人間の愚かな性質を指摘するが、なぜ愚かなのであるかは語られていなかった。
ゲーテも、何かおかしいとは思っていたが、さすがに宇宙人のことまでは思いつかなかったのだろう。
(支配者の洗脳のために庶民が愚かになっているという説は、まことしやかに感じるが、支配者だって愚かなのである)

そして、我々が、真の知恵が当たり前になるよう自然に従うには、思考を消すしかないが、その簡単な方法は、もう飽きるほど言ったが「私は誰か?」と自分に問うことである。
飽きるほど言ったが、実際にやる者は少ないし、続けられる者は滅多にいない。
従って、マインドコントロール装置から逃れられる人はほとんどいないのである。
善の宇宙人によれば、老子は、釈迦などと共に、装置の影響を逃れることが出来た者で、だから、『老子』は本来、真理の書である。
ただし、『老子』も、後世の改ざんや書き加えが多く、おかしな部分もあるが、おかしな部分も捨てずに細かく解釈しようとするから、本当に肝心なことが分からない。
『老子』は、本当に重要なところだけ取り、後は捨てれば良い。
そもそも、聖典というものは、分かったら捨てるものである。








  
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『老子』第66章を一言で言えば「先に思考を消した者が君子」

今回は『老子』第66章である。
この章を一言で言えば「先に思考を消した者が君子」だ。

この章も、世間で、それらしいだけの解釈が出回っている章である。
世間的な言い方では、
「あらゆる河川が大河や大海に流れ込むのは、大河や大海が一番低いところにあるからだ。だから、最も大いなる者(聖人、君子)が一番謙虚である」
となり、いかにも綺麗だ。
だが、聖人が、人民より頭を低くしてペコペコするわけではないのだ。
そして、重要なことはこうだ。
確かに、聖人は、傲慢さがなく、偉い人物に対しても庶民に対しても頭を下げているように見える。
だが、肝心なことは、聖人は、考えてそんなことをしているわけではないということだ。
一方、謙虚そうに見せようとする凡人は、頭で考えて謙虚なふりをする・・・つまり、へつらうだけだ。
そして、実際は、聖人は、頭を下げなくても、清々しい謙虚さを感じさせるのである。
そうであるからこそ、聖人には、王も愚民もひれ伏し、従うのである。

ハニ―ブロンドの乙女
AIアート13
「ハニーブロンドの乙女」
Kay


では、聖人は、どうやってそんなふうになったのか?
それは、思考を消すことによってだ。
では、どうやって思考を消したのかというと、それは分からない。
老子や、その他の古い聖人達は難しいことをしたのかもしれない。
だが、20世紀初頭に、インドの聖者ラマナ・マハルシが、思考を消すための簡単な方法を提示した。
それが「私は誰か?」と自分に問うことだ。
しかし、ほとんど誰も、この簡単なことが続けられない。
どうして続けられないのかと言うと、これをやっても、輝く光が見えるわけでも、荘厳な声が聴こえるわけでもないからだ。
つまり、自我を喜ばせることが何もないのだ。
だから、誰も続けない。
しかし、マハルシの解説者の誰も言わなかったが、問い続ければ、真の自分が全知全能の無限の魂(=神)であるということを思い出す。
それは、失われてしまっている驚くべき記憶だが、それを思い出すための、誰でも出来るほぼ唯一の方法がこれである。
それなら、続けないことは何とも惜しいことであると思う。








  
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『老子』第65章を一言で言えば「人知を捨てる」

今回は『老子』第65章である。
この章を一言で言えば「人知を捨てる」である。

一般的には、この章は、「人民を愚かにすれば国は収まり、人民に知恵があれば国は乱れる」という、突っ込みどころだらけの解釈をしている。
まるで悪徳君主の政治学だ(笑)。
まあ、言葉としては、確かにそうなる。
しかし、人民から取り去るべきは「余計な思考」としての知である。
「余計な思考」を消してしまえば真の賢者である。
真の賢者の知は人知ではなく、自然の知である「真知」である。
老子は人知を徹底的に否定している。
人民だろうが、君子だろうが、人知を捨てることで真知を得れば全てうまくいくが、君主が率先して人知を捨て、真知を持たなければならない。
そんな簡単なことが書かれているだけだ。
しかし、こう正しく解釈出来る専門家がいないのだ。専門家は人知で解釈するからだ。

宇宙人の住居
AIアート12
「宇宙人の住居」
Kay


そして、老子自身は、人知を捨て真知を得る方法は「道」に従う・・・つまり、自然に生きることだと言ったが、これが難しい。
どうしても、人間は欲望を持ち、余計なことを考える・・・つまり、人知を出してしまうのだ。
現代の我々はなおさらである。
だが、「私は誰か?」と自分に問えば、人知は自然と消え、真知である、自分が本当は全知全能の無限の魂(=神)であることが分かってくる。
そうすれば、その通りの存在になる。
老子がいったん分かってしまうと、老子全章は一貫した真知に貫かれていることが明確になり、極めて簡単になる。








  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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