ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

大人が歌えないこっぱずかしい2曲

ボーカロイド曲『命に嫌われている』(作詞・作曲・編曲:カンザキイオリ。歌唱:初音ミク)は、2021年にまふまふさんの歌唱で紅白歌合戦で歌われ、これは、2015年に小林幸子さんが『千本桜』を歌って以来の紅白でのボーカロイド曲らしい。

『命に嫌われている』では、私は、『God knows』を思い出す。
『God knows』は、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、涼宮ハルヒが文化祭で歌ったというだけの曲なのだが、大ヒットした。
この『God knows』について、作詞・作曲・編曲を行った畑亜貴さんが、「こっぱずかしい曲を作った」と言っていたのが印象的だ。
「こっぱずかしい」とは、「小恥ずかしい」から来ていて、「妙にきまりが悪い」という意味らしいが、どちらかというと、無茶苦茶恥ずかしいという感じがする。ただ、恥ずかしいと言っても、やはり、複雑な恥ずかしさなのだろう。
『God knows』がどう恥ずかしいのかというと、大人では恥ずかし過ぎて聴けない、まして、歌えないという恥ずかしさだと思う。
中学生や高校生なら、マジ顔で歌えるが、大人では無理なのだ。
そのくらい、歌詞が、大人にとっては恥ずかしい。
そして、中学生や高校生でも、大人びているというより、老化した者では、やはり無茶苦茶恥ずかしい曲なのである。
どの部分の歌詞が恥ずかしいのかというと、もうほとんど全部で、歌詞を見ているだけで恥ずかしくて冷や汗が出るほどだ(笑)。
確か、作った畑亜貴さん自体が、「10代の気分で作ったが、改めて詩を見ると恥ずかしくて狂う」みたいなことを言っていたと思う。
美人シンガーソングライターも大人になったということだろうが、大人になってもこんな曲を作るのは凄いかもしれない。

『命に嫌われている』は極めてシリアスで哲学的と言える歌なので、こっぱずかしいと言ったら怒られるが、大人・・・特に、世間で賢い系と言われるような大人からすれば、やっぱりこっぱずかしい曲だと思う。
私も、マジカルミライ2020では、初音ミクさんがこの曲を歌った時は真面目な顔でペンライトを振っていたが、歌えと言われたらちょっと無理(笑)。
そもそも、これは思春期の感性の歌なので、大人が歌っても似合わないし、大人が歌うとしたら、やはり紅白で歌ったまふまふさんのように、ぱっと見ですら人間離れした(中身も人間離れしているが)人でないと似合わない。まともな大人が歌ったら曲に対して失礼とすら思える。

この『命に嫌われている』は、「生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。」で終わる。
カルト教祖と扱われることも多いL.ロン.ハバード(トム・クルーズが信仰していることで知られるサイエントロジーの教祖でもある)が述べたことなので根拠にはし難い面もあるが、人間の脳の中の唯一の指令は「生きろ」なのだそうだ。
まあ、私は全面的に賛成だ。なぜなら、人間が最も避けようとすることは、死の恐怖だ。
たとえば、高いビルとビルの間に渡した幅30cmの板の上を歩くことは出来ない。たとえ、名誉や愛がかかっていても出来ないだろう。
映画で飛び降り自殺をする場面があっても、それは嘘っぽくなる。脳のシステムが引き止めるのを拒否する精神状態は、とても表現出来ない。

特殊な例であるが、私は、既に一応の分別があった小学校3年生くらいまで、交通量の多い車道に目をつぶって飛び込むということを、姉が言うところでも、度々やっていた。
これは、飛び降り自殺とは違い、必ず死ぬとは限らないし、私も別に死ぬ気はなかった。
何度か述べたが、私がキリスト級の奇跡を起こせた訓練みたいなものだったと思う。
ちなみに、宗教家の五井昌久さんがこれをやろうとしたら、守護霊みたいな者に怒られたらしい。
まあ、やるとしたら空想でやって欲しいが(脳は空想と現実を区別出来ない)、空想でもやらない方が良いだろう。
もし、イエス・キリストが、福音書に書かれているような奇跡を本当に起こしたとしたら、彼は相当ヤバいことをやってきたのかもしれない。
イエスが、そこを語らずに教えるのは難しかったのではないかと思う。
それなら、「生きている」「生きてやる」とつぶやく方が、脳システムを味方にし、様々な面(引き寄せでも)で良い成果を得られると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆

(1)科学の進化(L.ロン.ハバード)
(2)初音ミク「マジカルミライ2020」 (Blu-ray限定盤)
(3)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(4)今、生きる秘訣 ~横尾忠則対話集~
(5)新アダムスキー全集1 第2惑星からの地球訪問者(ジョージ・アダムスキー)
(6)神話学入門 (カール・ケレーニイ、カール・グスタフ・ユング)
(7)天と地をつなぐ者(五井昌久)

あの子はだあれ
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「あの子はだあれ」
Kay

  
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成功者が成功する本当の理由

成功者が教える成功法、引き寄せの方法、潜在意識の生かし方、あるいは、神の助けを得る方法なんてのは、ほとんどがロクでもないものだ。
本人が、多少は善意で教えている場合でもそうであるが、大抵は、富を得てなお欲しがる承認欲求、自己重要感の渇望のためだ。
歳を取った正直な成功者は、皆こう言う。
「金欲、物欲はある程度克服出来たが、名誉欲だけはなくならない」

斎藤一人さんが長年、沢山の本を書き、大変な数の講演会を行い、いろんなことを教えているが、その教えのおかげで駄目な凡人が成功したなんてことは・・・まあ、調べたわけでもないからハッキリとは言えないが、ほぼ全くないと思う。
言ってる本人ですら、若い時にその通りにやっていたら駄目になっていたと思う。

おそらく、斎藤一人さんは、自分がなぜ成功出来たのか分かっていない。
では、斎藤さんがなぜ成功したのかというと、彼が本の中でこんなことを書いていたことで分かる。
「私は200歳まで生きる」
彼が子供の時、「80歳まで生きる」と言ったら笑われたように、今(と言っても20年以上前と思うが)200歳まで生きると言ったら笑われるが、いまどき80歳は珍しくないように、将来、150歳、160歳は珍しくなくなるから、健康に注意すれば200歳も可能という理屈だと思う。
まあ実際は、世界も日本も、平均寿命の延びが止まり、むしろ短くなる傾向にあるかもしれない。
しかし、そんな事実関係や、斎藤さんの認識はどうでも良い。
実は、斎藤さんが成功したのは・・・引き寄せをうまく行えたのは、「200歳まで生きる」と真面目に思ったからだ。
それで、200歳まで生きるには、お金が沢山あると有利だと斎藤さんは思い込んだので成功したのだ。
これが潜在意識のカラクリだ。

ちなみに、マイケル・ジャクソンも200歳まで生きることを目標にしていたという話があり、そのために睡眠用の酸素カプセルを導入したり、毎日、多量のビタミンを摂取していたという話がある。
彼に関してはデマも多いし、実際には彼は50歳で亡くなっているが、その心構えが彼に成功を引き寄せた原因になった可能性は、かなりあると思うのだ。

前にも書いたが、人間の脳の中にある唯一の指令は「生きろ」だ。
それに従えば、脳は潜在意識とコンタクトし、潜在意識は、それに必要な条件を作り出す。
「長生きする気なんかないよ」と、冗談にでも言う者が成功したり、富を引き寄せることは、まずない。
逆に、「生き抜いてやる」「生きている」と言う者は、健康になり、生存に有利な、嬉しい状況、楽しい状況、面白い状況を引き寄せる。
アダムスキーの本に出て来る宇宙人は、(地球換算で)100歳とか200歳を過ぎても、美青年だったり美少女だったりする。
その話が本当かどうかは分からないが、面白いので、イメージを得るために楽しく読むと良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)今、生きる秘訣: 横尾忠則対話集
(2)新アダムスキー全集1 第2惑星からの地球訪問者(ジョージ・アダムスキー)
(3)神話学入門 (カール・ケレーニイ、カール・グスタフ・ユング)
(4)科学の進化(L.ロン.ハバード)

巡る風
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「巡る風」
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賢者は思考停止し自分の頭で考えない

「思考が停止している」「自分の頭で考えることが出来ない」という言葉を、人を蔑む、馬鹿にする意味で使うのは、本当にやめて欲しいと思う。

性善説と性悪説の話で、
「溺れている子供を見て、救おうという気持ちが起こるのは、後で利得を得ようとしてのことではない。よって、人間の本質は善である」
という意見がある。
これに対しては、いろいろ反論がある。
たとえば、
「子供が溺れているのに助けなかった薄情な人間だと思われないために救うのではないか?」
といったものだ。
この2つの意見では、いずれも子供を救うのだが、こんな話はどうだろう?

私が小さな子供の時に見た映画だが、高校生くらいのイケメンの男と、同い年くらいの女が仲良く話しながら歩いていたら、子犬が池に落ちて溺れているのが見えた。
その女は、その男に「助けてあげて」と言うが、子犬が溺れているのは、大きな池の岸から離れたところで、助けるには泳いで行く必要がある。
男は、少し苦笑して、「服が濡れちゃう。まだ寒いし」みたいなことを言って、助けようとしない。
ところがそうしていると、1人の、やはり彼らと同い年くらいの男が池に飛び込んで子犬を助けた。
結局、この女は、そのイケメン男子を振って、子犬を助けた男を気に入って付き合うことになったと思う。

思考停止していたのは、子犬を助けた男の方だ。
一方、自分の頭で考えていたのは、イケメンの男だ。
イケメンの男は、こんなことを「自分の頭で」考えたのだと思う。
「助けるために飛び込んだら寒いし、服がびしょびしょになって大変だ」
「助けなかったら、この女の印象が悪くなるかもしれないが、それでも濡れるのや寒いのは嫌だ」
「俺だって、子犬が溺れ死ぬのは嫌だが、濡れるのや寒いのはもっと嫌だ」
「この女、なんとか諦めてくれないかな」
一方、子犬を助けた男は、別に次のように考えたのではないようだった。
「ここで子犬を助けたら、この女の気を引くことが出来るに違いない」
「子犬の飼い主がいたら、礼をもらえるかもしれない」
「子犬を助けた善良な若者として評判になり、いろいろいい思いが出来るのではないか」
子犬を助けた男は、子犬を抱いて嬉しそうに可愛がっていたことから、やはり、そんなことは考えていなかっただろう。
つまり、子犬を助けた男は、溺れている子犬を見て、「思考停止」し、「自分の頭で考えず」、内から起こった善意に従って助けたのである。

昔、こんな映像をテレビで見たことがある。
多分、事実だったと思う。
子供が、流れの激しい川で溺れている。
親は助けたいが、助ける方法がない。
そんな親を見て、ある男が、その親に、助けたらいくら出すかの交渉を始める。
この男は、助けたら自分の評判が良くなるというより、もっと自分の頭で考え、「助けて儲けよう」と考えたのである。
一方、見返りなしでも助けたいが、自分の力で助けることが出来ない人は、何も考えていない。
あるいは、一見、自分が助けることは不可能でも、何とか助けることが出来ないかと思う者が、「こうすれば助けられるのではないか」と、助けるためのアイデアを思いつくのは、思考停止した時だ。
スポーツでも、素晴らしいプレーがあった時、そのスポーツをよく知っている解説者が「あれは考えてやったんじゃないですね」などとよく言うが、それと同じである。
武道では、考えて動くのではなく、無我で戦うことを目指す。つまり、無思考で動けるように修行するのである。

「よく考えて選びなさい」
と言われて、本当によく考えたら、必ず駄目な方を選ぶ。
「何も考えずに選んだから、間違った方を選んだ」などと言うかもしれないが、実際は、下らないことを考えて選ぶから間違えるのだ。
金持ちの男と、豊かでない男からプロポーズされ、「よく考えて」金持ちの男を選んだ女は不幸になる。
未来がどうなるかは分からないが、どうせ分からないなら勘で選んだ方がマシである。
考えても正しい方は分からないが、無思考になった時の勘は、なかなか鋭いものだ。

まあ、いろいろ反論もあろうが、少なくとも、「思考が停止している」「自分の頭で考えることが出来ない」という言葉を否定的に使うべきでないことが分かると思う。
そもそも、そんな言葉で人を蔑む者に賢い人間はいない。知らない人も多いと思うが、それは確かである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(2)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)

夢
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「夢」
Kay

  
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自分だけレベルアップする方法

思考を消せば、本当に賢くなり、人間を超越した力を持つと言っても、信じられない人が多い。
思考を消すとは、何も考えない、思考が止まっているというのと同じ意味だが、これらの言葉のイメージが悪い。
「思考停止」
「何も考えていない」
「自分の頭で考えない」
というのは、ほぼ全面的に、人を蔑む言葉として使われているからだ。
しかし、そう言って人を蔑む者が本当に馬鹿であることは分かると思う。
本当に賢い人は、そんな言葉で人を馬鹿にすることは絶対にない。

「私は思考停止の馬鹿です」
「私は何も考えていない馬鹿です」
「私は自分の頭で考えない馬鹿です」
そう言う者が本当に馬鹿であるとは、とても思えない。

本当の馬鹿とは、頭の中の声に振り回される者だ。
旧約聖書の創世記では、その声のことを、イブをそそのかす蛇として描かれている。
蛇は、イブに、生命の木の実が、いかに美味しいか、食べたらどれだけ良いことが起こるかを話し、イブはそれに騙されて食べ、イブに勧められてアダムも食べた。
蛇の声を聞かなければ、2人は、働くことも死ぬこともなく幸福に過ごせた。
そして、我々も頭の中で、始終声が聴こえている。
その声を聞くことがなくなれば再び力を取り戻す。

そう言えば、私のお気に入りのアニメ『俺だけレベルアップな件』で、思考力を持つ上級モンスター達は、「頭の中で声が聴こえる。俺はそれに従う」と言う。
作者のChugong(韓国人)は、なかなか知恵があるのだと思う。作品が世界的にヒットした理由も、そんなところにあるのかもしれない。
まあ、実際は、このアニメを見れば、ヒロイズムの表現法の技術が抜群であることが分かり、それもヒットの大きな要因であると思う(この部分は案外に軽い)。

カルト教祖扱いされることが多いアメリカの作家L.ロン.ハバードが言うには、人間の脳の中には、たった1つの指令しかなく、それは「生きろ」なのだそうだ。
実は私も、それはそうだと思う。
ある強大な力を持つ超神秘集団は、どんなピンチの時でも、ただ「生きてやる」と思い、普段は「生きている」と思うらしい。
それが思考を消す秘法と言うわけだ。彼らは自在に魔法を操ると言われ、それは引き寄せが万能であるということらしい。
『俺だけレベルアップな件』でも、観月絵里(みづきえり。B級ハンター)が、水篠旬(みずしのしゅん。主人公。E級ハンター)に、「あなたの、どんな時でも生きることを諦めない姿に憧れていた」といったことを言っていた。
だから、旬はただ一人、レベルアップする力を得たような気がする。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)科学の進化(L.ロン.ハバード)
(2)旧約聖書 創世記 (岩波文庫)
(3)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(4)四つの約束(ドン・ミゲル・ルイス)

騙されないイブ
AIアート1529
「騙されないイブ」
Kay

  
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偏見まみれの武士道を単純に言うと

『葉隠(はがくれ)』とは、江戸時代中期に佐賀藩の山本常朝(やまもとつねとも)が、(上級の)武士の心得を口述したものだ。
優れた武士の間で評価が高いだけでなく、三島由紀夫なども絶賛してきた。
武士の心構えと言うからには、さぞ厳格なことが書かれているというイメージがあるかもしれず、『葉隠』の中の最も有名な言葉の1つ、

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

も、武士道に対するおかしな観念を一般の人に持たせてしまったと思う。
だが、『葉隠』を読むと、親切な世話好きなおじさんが言っているという雰囲気もあるほど、人間味がある内容で驚くかもしれない。

武士道の名著と言ったら、新渡戸稲造の『武士道』を思い浮かべるかもしれないが、こちらは、西洋人のために新渡戸稲造が英語で書いたものだ。そして、『武士道』の方が、よほどおどろおどろしい(厳しく恐ろしい)、つまり、人間味に欠ける。
『武士道』では、主君の息子を救うために自分の息子の首を刎(は)ねるも平然とした態度を見せる武士のことが書かれているが、『葉隠』には、罪人を裁く際には罪が軽くなることを願って審議せよなどとある。

だが、『葉隠』も『武士道』も、言っていることは同じに思える。
つまり、ただ「真の意味で正しくあれ」ということで、別に武士に限ったことではない。
だが、武士は模範となるべく正しい道を行かねばならない。
今では、「私は武士道精神でやっている」と言ったら、奇妙な偏見に凝り固まった頭のおかしな人間と思われかねないが、それは、一般大衆が、武士道に対し歪んだ観念を持っているからだ。
新渡戸稲造が、西洋人から、「日本では子供に宗教を教えずに、どうやって道徳を教えるのか?」と問われ、「日本には宗教がなくても武士道がある」として『武士道』を示したように、武士道とは単に、「真に正しくあること」である。
ただ、『武士道』は、西洋人はおろか、ほとんどの日本人にすら分からない。
いや、武士に対する奇妙な偏見が多い日本人の方が分かり難いかもしれない。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
この死ぬとは、自我が死ぬことで、普通の言葉で言えば、思考を消すことだ。
道元が言うには、仏教の神髄は「自己を忘れること」だが、これも、自我を葬ること、つまり、思考を消すことだ。
イエスは「死ななければ生きることは出来ない」と言ったが、この「死ぬ」も、自我の死で、やはり、思考を消すことだ。
引き寄せの鍵すら、自我が死ぬことで、思考を消すことだ。
自我の死と言っても、常に自我がないわけではない・・・つまり、常に思考が消えているわけではない。
ラメッシ・バルセカールは、聖者の中の聖者と言われるラマナ・マハルシにだって自我はあると言ったが、そりゃ、自我がなければ人間として活動出来ない。

思考偏重で、思考に最大の価値を置く現代人に武士道は理解出来ない。
思考が消えたところに英知があり、思考は英知の下僕として必要なところで使えばいいのに、下僕である思考を主君である英知より上に置いているのが現代人だ。
ハサミだの歯ブラシだのといった道具は、必要な時に使えば良い道具であるように、思考も必要な時に使えば良い道具だ。
『葬送のフリーレン』で、若い魔法使いの女性ユーベルが言ったように、「ハサミって切るものなんだよ」という単純な真理を忘れ、どう切るかを考え過ぎると、切れるものも切れなくなる。
ユーベルが「皆、頭を使い過ぎるんだよ」と言ったのは、そういう意味だ。

1日5分でも10分でも、無思考になるよう(ただし目覚めている時)、ほんの少し努力すれば、引き寄せ万能・・・つまり、世界は思い通りであることに近付く。
やり方は、これまで沢山書いたが、ゆったりとした長く静かな呼吸をすることが、その良い方法の1つである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)葉隠 (知的生きかた文庫)
(2)葉隠入門(三島由紀夫)
(3)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院)
(4)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

良い眠りを
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「良い眠りを」
Kay

  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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