ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

毎日やらずにいられない気持ちいい運動

私は、毎晩、10分から20分、佐川幸義流四股を踏むことが、この上ない楽しみになってきた。
また、100回のエア・ボート漕ぎ運動も同様である。
これらの運動は、とても気持ち良く、毎日やらずにはいられない。
決して、一般的な運動・・・スクワット、腕立て伏せ、腹筋運動、プランク、ジョギング、ウォーキング等を否定するわけではないし、私も、それらの運動を人一倍(相当と言った方が良い)やったが(ジョギングは少しだけやった)、首記の運動の方が自然で、総合的に優れた効果があると思う。

佐川幸義流四股は、実際は決まったやり方はない。
私の場合、足を肩幅に開き、足を平行にして立ち、軽い足踏みを行う。
踵を上下させることを主とし、つま先はほとんど床から上げない(とはいえ数センチは上がっている)。
腕は動かさず、私は、手は膝に当てている。
鏡でも見ないと気付かないかもしれないが、やっている時は、上体は左右に少し揺れている。
テンポ良く行い、私は、かなりの速さで行うこともある。
速いテンポで行う場合、以前は、数を数えるのが難しかったが、今は、片足ずつ数えても、楽々数えられる。
(数を速く数えることは優れた頭の訓練であり、やっているうちに、速く正確に数えられるようになる。IQも上がると思う)
この四股で、私が何より重視しているのが、足をつま先からそっと下ろすことである。
決して、ドスンと落とすようなことをしてはならない。
まあ、ドスンと落としていては、速く行えないが。
一度に行うのは、200~1000回だが、夜は、数を数えず、10~20分無心に行う。気持ちが良いので、瞑想しているようである。
私の場合、普通は1000回で7分ほどなので、1400回から2800回ということになる。
出来れば30分以上やりたいと思う。
インナーマッスルが鍛えられ、体幹が鍛えられるためか、身体が非常に軽く感じるようになった。

エア・ボート漕ぎ運動は、何も持たず、ボート漕ぎ運動の動きをするだけである。
具体的には、手を前に伸ばし(あまり真っすぐ伸ばさない)、そこから一気に、肘を後ろに、やや強く引くのである。
これを一度に百回やるが、身体がぞわーっとするほどの快感を感じる。
寒い時に、身体を温める効果は、これ以上のものはないと思うほどだ。
腕振り運動との共通点は、肩甲骨がよく動くことと、仙骨で身体のバランスを取る機能が向上すること、そして、腹筋、背筋が鍛えられることだが、腕振り運動より効果的な面もあり、特に、身体強化効果が高く、腹筋、背筋が引き締まることを感じる。
腕振り運動と共に、肩甲骨をしっかり動かすことが出来る貴重な運動だが、中国医学では、肩甲骨を動かすと、血行が良くなり、万病の回復に効果があるという話がある。

書籍や動画で、スクワットや腕立て伏せ、その他の筋トレを薦める人は多いが、そんな運動を、一般の人が続けられる可能性は低いと思う・・・と言うより、ほぼ無理と思う。別に怠け者でなくても、これらの運動は、不自然で辛く、スポーツ選手のように競技に勝つ目的でもなければ、あるいは、「俺はこんな苦しいトレーニングをしているんだ」と自慢したり、自己満足をするつもりでもなければ、やれないのではと私は思うのだ。
以前の私が、まさにそんな感じだった。
以前の私は、毎日、数百回に及ぶ腕立て伏せやスクワットを行って自己満足していたが、トレーニング時間が来ると憂鬱になり、ストレスを溜めたと思う。
もちろん、私のように感じるかは、人それぞれかもしれないが、私と同じような人が多いのではないかと思う。
また、自慢や自己満足を否定する気もないが、私なら、今は気持ちの良い運動を選ぶ。
そして、運動は、1年365日、一生やることが何より大切である。
負荷の大きな運動は、週に2度とか3度とかの場合もあるらしいが、そんな運動は、やらない日が嬉しいとかいう、変なことになるのではないかと思う。やはり運動は、毎日やりたいと思ってやるのが正しいのだと私は思う。
私は、日本人は、戦後、西洋から不自然な運動を押し付けられたのではないかと疑っている。

ある優れた武術家は、こういった四股を毎日1~2時間、エア・ボート漕ぎ運動を15分ほど行っているらしい。
この人はプロなので、普通の人はなかなかここまでやれないが、私も、四股30分、エア・ボート漕ぎ運動を5分はやりたいと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気(「月刊秘伝」編集部)
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(3)四股鍛錬で作る達人
(4)二見龍レポート#15 実戦的訓練を追求する田村装備開発

花と空気と光と少女
AIアート1355
「花と空気と光と少女」
Kay

  
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哲学を持つとは

バート・レイノルズというアメリカの大俳優がまだ駆け出しだった頃、既に大俳優だったクリント・イーストウッドに、「成功するまで何をしていたか?」と尋ねると、イーストウッドは「成功した時の準備をしていた」と答え、それを聞いてレイノルズは何かを悟って、成功への階段を駆け上った。
こんな話が、チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本に書かれていたが、この本にも、この話の真意は書かれていなかった。
つまり、単に、「成功した時の準備をすることが大切だ」みたいなことしか書かれていなかったと思う。

私が知っていた、まるで駄目な男が、社長になりたいだの、素敵な彼女が欲しいだのと言っていたが、それを聞いて片腹痛く思ったのは、この駄目な男は、社長になった時の準備も、素晴らしい彼女が出来た時の準備も、全く出来ていないからだ。
そんなやつはよくいる。
また、マーク・フィッシャーの『成功の掟』という本に、ミリオネア(百万長者)を名乗る富豪が、成功を目指す主人公に、来年稼ぐ金額の目標を紙に書かせる場面があったが、主人公は今の日本の貨幣価値で500万円程度を書いたのかもしれない。すると、ミリオネアは「本当は5000万円と書いて欲しかったところだが・・・」みたいなことを言う。
それで、この本、駄目だと思うのだ。
問題は、この主人公に、年5000万円稼ぐ準備が出来ているかどうかだ。

では、成功した時、目標を達成した時の準備とは何だろう?
まさか、俳優の場合、サインの練習をするとか、インタビューのシミュレーションとかではあるまい(まあ、それらも必要だが)。
それは、「掟」だと思いつく人もいるかもしれない。
それはそれで正解だ。
「成功したら、これだけは絶対にする」
「成功したら、これだけは絶対にしない」
という掟・・・自分に対する約束、自己制約である。
大きな目標を達成する者で、掟を持っていない者はいない。
たとえサイコパスでデタラメな人間でも、大きな成功を収め、それを維持する者は、確固とした掟を持っている。
何の掟も持ちもせずに、社長になるだの素敵な彼女が欲しいだの言っている者を見ると、滑稽に見えるのである。

だが、掟は結果だ。
大切なものは、掟の元になる哲学だ。
それは自分で見つけるしかない。
『君たちはどう生きるか』って映画や『これからの「正義」の話をしよう』という本があるが、そんな、安易に答を教えてくれそうなものを相手にしてはならない。
『即死チートが最強すぎて異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』というふざけたタイトルのアニメを見たが、なかなか面白かった。
主人公の男子は、子供の時から、世界を滅ぼすことも出来るほどの力を持っていた。
ところが、主人公が子供の時に、なりゆきで彼の教師になった若い平凡な女性が、主人公に言う。
「その力を好きに使えばいい。でも、誰かが言う、いかにも合理的なルールにだけは従ってはならない」
つまり、これも、自分の哲学を持てってことだ。

「弱い者いじめをしない」でも立派な哲学だ。いや、これ以上の哲学は、そうはない。
「言い訳をしない」もだ。
「言い訳をしない」について、少し述べる。
経済学者の成田悠輔氏が少し前「65歳以上は集団自決すればいい」と発言して炎上し、海外のメディアでも非難された。
しかし、彼は一切の言い訳をしなかった(問われたら説明はした)。
一方、日本保守党党首の百田尚樹氏は「30歳以上(の女性)は子宮摘出だ」と発言し、これも炎上して、同じように海外のメディアでも非難されたが、百田氏は言い訳をしまくった。
私は、どちらかというと、成田悠輔氏は嫌いだが、百田氏に比べると、立派で高潔に感じてしまった。
2人の発言は、「切り抜き」と言うならそうである。
だが、言い訳出来るような発言ではない。
おそらく、成田氏は、「65歳以上は集団自決すればいいと思っていますか?」と聞かれたら、否定はしないだろう。
それが最低限の器量と言うものだ。
だが、百田氏は「30歳以上は子宮摘出しなければならないか?」と聞かれたら、「いや、そんなことはない。あれはSFやと言ったやろ」とみっともなく言い訳をしまくるだろう。もしそうなら、最低の器量もないのだ。
よほどの馬鹿でない限り、成田氏の発言も百田氏の発言も、なんらかの条件がついた発言だということは想像出来るはずである。
だが、それを分かっている上で非難しているのである。

話が少し逸れたが、成田氏は哲学があるが、百田氏にはないという話だ。
おそらく、百田氏の方がいい人である気はするが、とてもではないが、政治家の器ではない。
哲学があるかどうかは、自分を信頼しているかどうかの問題でもある。
エマーソンは子供の時、「僕が悪魔なら、悪魔になりきる」と言ったらしい。これは、自分を信頼していなければ言えない言葉だ。
少し説明すると、エマーソンの考えは、世間で言う正しいこととは外れているように見え、それを牧師に指摘されたが、エマーソンは自分の考えが正しいように思えた。もし、その考え方が悪魔のものであるなら、自分は悪魔に徹するという意味だ。
まあ、人の哲学も、従わないまでも参考にすると良いだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)パンセI (中公クラシックス)(パスカル)
(4)即死チートが最強すぎて 異世界の奴らがまるで相手にならないんですが。※Amazon Prime Video

疑わない
AIアート1354
「疑わない」
Kay

  
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引き寄せが疑いようのない事実である理由

理論物理学者のフレッド・アラン・ウルフ博士は、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の書籍やDVDに登場していて、引き寄せについて完全に肯定的な立場を取っている。
引き寄せの法則に量子物理学を適用して解説する者は多いが、ウルフ博士ほどの本格的な量子物理学者が、ここまで熱心に引き寄せを語ることは珍しいと思う。
ウルフ博士の場合、特に引き寄せの法則だとか、ロンダ・バーンの主張に賛同するのではなく、意識が世界を支配するということを教えているのであり、それがたまたま、引き寄せを多様に語るバーンの『ザ・シークレット』と適合したのだろう。

ところで、ウルフ博士が、引き寄せの法則を完全に肯定する理由は、量子物理学の研究成果からではなく、彼の幼児体験からであり、その体験を探求することが量子物理学の研究に彼を導いたのだった。
その幼児体験とは、自宅の2階から1階へのテレポーテーション(瞬間移動)だった。
それは、鮮明な体験であったようだ。
それで彼は、人間の意識が奇跡を起こすことを感じ、量子力学や意識の研究をしたのであるが、どこまで引き寄せ理論の解明が出来たのかは分からない。

幼児期の奇跡体験が、引き寄せなどの世間的には不可思議な現象を確信したという意味では私も同じだが、私の場合、ウルフ博士よりはるかに多い奇跡を体験している。
いずれにしても、ウルフ博士も私も、引き寄せがあるかないかという話は問題にならない。
ウルフ博士の幼児体験は、まだ白昼夢のようなものと考えることも出来るが、私のものは、あまりに露骨な奇跡体験で、大人になってからも続き、イエスの奇跡に優るとも劣らないと言えるものもあると思う。奇跡の内容は何度も書いたことがあるので、ここでは省く。

私の場合は、ウルフ博士のようにIQが高くなかったせいかもしれないが、奇跡体験を理論的に解明しようとしたことはあまりない。
しかし、ニュートンやデカルトが、熱心にオカルト研究をしていたことには共感を感じることもあった。
特に、ニュートンの場合は、オカルトのついでに科学研究をしていたと言っても良いと思う。
私は、科学にこだわらなかったことが良かったかもしれない。
ある意味、科学は偏見に過ぎないという意見もあるが、そんな面も確かにあり、既存科学を逸脱したようなことに関しては、科学はマイナスの影響が大きい場合もあるのだと思う。
例えば、相対性理論や量子力学が、ニュートン物理学の延長ではなく、むしろ多くの部分でニュートン理論を否定したようなものであることを見れば、現在の量子力学のさらに先にあると思われる引き寄せの科学には、現代の科学理論が邪魔になることもあると思う。

引き寄せは、当分の間は科学では解明出来ないだろう。
しかし、実用は太古の時代であっても可能だったし、それは科学理論よりもっと深淵な高度な法則に則るのであり、今のところ、直観と経験に負う部分が大きい。
ただ、ウルフ博士や私のように、まずは体験として意識の力を知った者は幸運であると思う。
私としては、誰でも・・・出来れば、馬鹿でも使える引き寄せの方法に関心があるが、それを広めるのは、いろいろ困難があるかもしれない。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)聖なる量子力学9つの旅(フレッド・アラン・ウルフ)
(2)大きく考えるための小さな本(フレッド・アラン・ウルフ)
(3)ザ・シークレット(ロンダ・バーン)

動きたくない子
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「動きたくない子」
Kay

  
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究極の真言が必ず効く理由

ジョセフ・マーフィーは、著書の中で次のように書いている。
「自分のことを、神の可愛い息子や娘だと思いなさい」
「神は天の上におられるのではなく、自分の手足より身近にいる」
私は、面倒だから、神は魂だと思うことにしているが、間違いではないと思うし、少なくとも、魂は神のようなものと言っても良いと思う。
私は、『エイリアン・インタビュー』で、宇宙人エアルが「魂とは、人間の概念で最も近いものでは神だ」と述べていたのを気に入っている。
その神、あるいは、魂にとって、自分が息子や娘であるというのは、気持ち的に納得出来るかどうか分からないが、神に嫌われてはおらず、むしろ、神が我々を物凄く好きだということは信用して良い。なぜなら、神は絶対に失敗しないが、我々は、その神が作ったものだからだ、
人間が、悪いことをしたり考えたりするのも、神が人間を、悪いことをしたり考えたり出来るように作ったからである。
とはいえ、人間が悪いことをするのは、自分が神に好かれていることを信じていないからだろう。

「心おだやかに」と唱えると、心がおだやかになる状況が訪れるのは、神、あるいは、魂が我々の心がおだやかであることを望んでいるからだろう。
もし、そう唱えても、なかなか心がおだやかになる状況にならないなら、それはやはり、神に好かれていることが信じられないからだろう。
だが、根気強く唱え続けたら、やがて、即座に心がおだやかになる状況が現れるようになり、それにつれて神に好かれていることが確信出来るようになっていくと思う。

極めつけは、究極の真言、
「私はなるようになるだろう(I will be what I will be)」
「私ば常に生成する者である(I am the ever-becoming)」
で、こう唱えていたら、世界は、良いようになるし、良いように生成される。
唱え続けたら、その確信がどんどん高まるし、それどころか、自分が、神、あるいは、魂と融合していく。
エマーソンが「神の魂が私の魂の中に流れ込み、私の魂が神の魂の中に流れ込む。その体験は忘れることが出来ない」と言った通りである。
その体験を起こすものが、この究極の真言である。

神や魂という言葉を多用すると、宗教的に感じてしまうかもしれないが、他に適当な言い方がないから仕方がない。
頭から無理に信じる必要はなく、上にあげた言葉を唱え続けたら、自然に信じるようになると思う。
自我意識が強い者ほど時間がかかるかもしれないが、上の言葉であれば、それほどの時間はかからないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー)
(2)人生に勝利する(ジョセフ・マーフィー)
(3)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(4)エマソン名著選 精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(5)エイリアン インタビュー(ローレンス・スペンサー)

茜色の空
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「茜色の空」
Kay

  
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ダラダラやっていたらうまくいった話

そういえば、私は、瞬間引き寄せしかやったことがないと思う。
つまり、長期的な目標を立てて引き寄せを行ったためしがない。
私以外では、たとえば、本人は引き寄せとは思っていないだろうが、矢追純一さんが大学受験をした時も、そうなのだと思う。
矢追さんは、高校に入ったが3年間ほとんど全く通わず、受験勉強もしなかったらしい。
それで名門の中央大学法学部を受験することにしたのだが、一応、何年分かの過去問の本は見たらしい。
矢追さんは、取り立てて合格を目標にしたわけではなく、「私はなるようになるだろう(究極の真言の1)」と唱えはしなかったが、まさにそんな気分で受験したのだと思う。
しかし、その中で、一瞬で合格と自分が決めたのだろう。それで、彼にとって、合格が当然になってしまい、彼は、結果は全く気にならなかったらしいが、やはり合格だった。
私も、難関と言われるIT資格試験や転職の時、合格や就職を目的にせず、フリーレンのようにダラダラやっていたら・・・つまり、「私はなるようになるだろう」といった気分でやっていた時は、必ずうまくいったのだ。
だが、どこかで一瞬、結果を決めたのだ。
これを、矢追さんは「着地点だけは決める」と言ったのだと思う。
その着地点も、ネヴィル・ゴダードによれば、言葉にせず、気分みたいなもので決めるらしい。
たとえば、受験合格の場合、言葉で「合格」と思うのではなく、バラ色を思い浮かべる・・・といった感じで、ぼんやりとやるのである。
まあ、ここらへんの表現は、ゴダードも矢追さんも、苦心しただろうし、言葉で細かく表現してはいない。
色だけでなく、明るさ、音、温度、大きさなど、五感で感じることでイメージするのだろうが、ヴィジュアリゼーション(視覚化)みたいな真面目なものではなく、曖昧でぼんやりとやるのである。
ここら辺の感覚は、普段、音楽を聴いたり、絵画を見たりして磨くと良いかもしれない。
おそらく、クラシックの名曲の名演奏や、傑作絵画などが良いと思う。
個人的には、ドレの版画が、かなり感覚を刺激してくれる。まあ、それは人それぞれだろう。

面倒なら、やはり、
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
と唱えれば、全く同じようになるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヤオイズム(矢追純一)
(2)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(3)旧約聖書の世界(ギュスターヴ・ドレ、谷口江里也)
(4)ドレの神曲(ダンテ、ドレ、谷口 江里也)
(5)ドヴォルザーク:交響曲第8番・第9番「新世界より」(限定盤)(UHQCD)
(6)月の光 ~シンセサイザーによるメルヘンの世界(期間生産限定盤)[CD]~(冨田勲)

楽しい温室
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「楽しい温室」
Kay

  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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