念仏は、法然、親鸞といった仏教関係とは別のお話があり、それらがロマンに溢れ興味深い。
『方丈記』の作者として知られる鴨長明という平安時代の貴族は、都での出世争いに敗れたりで宮勤めが嫌になり、『方丈記』にあるように自然の中で生活して聖人を目指すが、何年もそのような生活を送っても、自分が全くの俗物であることを自覚し愕然とした時、自然に「南無阿弥陀仏」という念仏が口から出たという。
ちなみに、鴨長明は1155年生まれで、法然が1133年生まれ。法然が念仏に開眼したのが1175年生まれというから、鴨長明は法然の影響を受けたことが考えられるが、そのあたりの情報を私は知らない。
鴨長明は、自然に念仏が出た時がさとりを開いたと言えるかもしれない。
また、興味深いのが、中将姫のお話だ。
中将姫は奈良時代の伝説上のお姫様で747年生まれとされる。
折口信夫(おりぐちしのぶ)の傑作小説『死者の書』の主人公は、中将姫という名では呼ばれないが、中将姫だと言って間違いないだろう。
この書の中で、彼女は郎女(いらつめ。若い女性のこと)と呼ばれるが、中将姫と呼ぼう。
中将姫は、高位の貴族であった父親が中国から取り寄せた『阿弥陀経』を千回写経して覚醒したと思われる。
中将姫の時代に念仏はないが、『死者の書』の中で、彼女は、
「なも 阿弥陀(あみだ)ほとけ。あなたふと(あな尊し) 阿弥陀ほとけ」
と唱えていた。
あくまで伝説上の人物ではあるが、このお話では、わが国の念仏の元祖は中将姫ということになるかもしれない。
中将姫のお話は、有名な世阿弥の作品とされる『当麻(たえま)』や、近松門左衛門の浄瑠璃『当麻中将姫』その他で語られる。
小林秀雄がエッセイの中で能の『当麻』を取り上げていたが、『当麻』では、中将姫が当麻寺で念仏を唱えると阿弥陀如来が多くの菩薩と共に來迎し、中将姫は西方極楽浄土に行ったらしい。
法然、親鸞の系統以外に、念仏に関し、鴨長明、折口信夫、小林秀雄といった知の巨人達によって語られていることは興味深いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)方丈記(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
(2)死者の書(折口信夫)
(3)モオツァルト・無常という事(小林秀雄)

AIアート1656
「死者の国」
Kay
『方丈記』の作者として知られる鴨長明という平安時代の貴族は、都での出世争いに敗れたりで宮勤めが嫌になり、『方丈記』にあるように自然の中で生活して聖人を目指すが、何年もそのような生活を送っても、自分が全くの俗物であることを自覚し愕然とした時、自然に「南無阿弥陀仏」という念仏が口から出たという。
ちなみに、鴨長明は1155年生まれで、法然が1133年生まれ。法然が念仏に開眼したのが1175年生まれというから、鴨長明は法然の影響を受けたことが考えられるが、そのあたりの情報を私は知らない。
鴨長明は、自然に念仏が出た時がさとりを開いたと言えるかもしれない。
また、興味深いのが、中将姫のお話だ。
中将姫は奈良時代の伝説上のお姫様で747年生まれとされる。
折口信夫(おりぐちしのぶ)の傑作小説『死者の書』の主人公は、中将姫という名では呼ばれないが、中将姫だと言って間違いないだろう。
この書の中で、彼女は郎女(いらつめ。若い女性のこと)と呼ばれるが、中将姫と呼ぼう。
中将姫は、高位の貴族であった父親が中国から取り寄せた『阿弥陀経』を千回写経して覚醒したと思われる。
中将姫の時代に念仏はないが、『死者の書』の中で、彼女は、
「なも 阿弥陀(あみだ)ほとけ。あなたふと(あな尊し) 阿弥陀ほとけ」
と唱えていた。
あくまで伝説上の人物ではあるが、このお話では、わが国の念仏の元祖は中将姫ということになるかもしれない。
中将姫のお話は、有名な世阿弥の作品とされる『当麻(たえま)』や、近松門左衛門の浄瑠璃『当麻中将姫』その他で語られる。
小林秀雄がエッセイの中で能の『当麻』を取り上げていたが、『当麻』では、中将姫が当麻寺で念仏を唱えると阿弥陀如来が多くの菩薩と共に來迎し、中将姫は西方極楽浄土に行ったらしい。
法然、親鸞の系統以外に、念仏に関し、鴨長明、折口信夫、小林秀雄といった知の巨人達によって語られていることは興味深いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)方丈記(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
(2)死者の書(折口信夫)
(3)モオツァルト・無常という事(小林秀雄)

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