インドの聖者ラマナ・マハルシが「私は誰か?」という問いを提示したことはよく知られている。
これは、各自が「私は誰か?」を見出さねばならないということだ。
では、私は誰だろう?
実は、マハルシ自身が言葉で答えている。
その答は、文章では複雑・抽象的に書かれているが、簡単に言えば、
「身体と心を除いた後に残る覚醒(目覚めた精神)」
である。
目覚めた精神の本質は、「存在、意識、至福」である。
ところで、「私は誰か?」の答を、「想定の法則」で知られる伝説的な引き寄せのマスターであるネヴィル・ゴダードがこう簡単に言っている。
それは「存在の自覚」だ。
彼は、原語で聖書を読んで研究し、その確証を得たのだと思われる。
マハルシの答もゴダードの答も、本質は同じと思う。
どちらも分かり易いとは言えないが、ゴダードの「存在の自覚」の方が分かり易いので、こちらを採用する。
神やイエスに、「あなたは誰ですか?」と尋ねた時、返ってくる答えは、
「私は、<私は在る>だ」
である。
たとえば、あなたが電気ショックを受けて身体が動かず、知覚も働かず、朦朧として思考も働かないが、意識だけはある状態で、心の奥から「おい、居るか」という声があったら、あなたは「居る」と感じるだろう。
それが存在の自覚だ。
そして、聖者やネヴィル・ゴダードが言うところでは、存在の自覚が神である。
『若きウェルテルの悩み』というゲーテの傑作小説があるが、ウェルテルが何を悩んでいたか分からなくても、絶対にこれで悩んでいたのではないと断言出来ることが「私は存在するのだろうか?」だ。
つまり、いかなる状態であろうが、ウェルテルには存在の自覚があるということだ。
その存在の自覚に集中することが、真の自己(「私は誰か?」の答)に集中することで、同時に、神に集中することだ。
「存在の自覚」を感じるほど、余分なものが剥がれて純粋な自己が現れる。
純粋な自己は神なのだから、全知全能である。
「私は在る」と唱えれば、わずかかもしれないが、存在の自覚を感じる。
唱えれば唱えるほど、存在の自覚が分かってくる。
やがて、「私は在る」と唱えなくても、存在の自覚を簡単に感じるようになる。
それを突き詰めれば、悟りに至るのだろうが、なかなかそこまではいかない。しかし、引き寄せのマスターにはなれると思う。
引き寄せマスターは、凡人の意識状態から悟りの意識状態への途中経過にある者だと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
(2)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(3)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(4)新約聖書 福音書(塚本虎二)
AIアート1226
「都会に吹く風」
Kay
これは、各自が「私は誰か?」を見出さねばならないということだ。
では、私は誰だろう?
実は、マハルシ自身が言葉で答えている。
その答は、文章では複雑・抽象的に書かれているが、簡単に言えば、
「身体と心を除いた後に残る覚醒(目覚めた精神)」
である。
目覚めた精神の本質は、「存在、意識、至福」である。
ところで、「私は誰か?」の答を、「想定の法則」で知られる伝説的な引き寄せのマスターであるネヴィル・ゴダードがこう簡単に言っている。
それは「存在の自覚」だ。
彼は、原語で聖書を読んで研究し、その確証を得たのだと思われる。
マハルシの答もゴダードの答も、本質は同じと思う。
どちらも分かり易いとは言えないが、ゴダードの「存在の自覚」の方が分かり易いので、こちらを採用する。
神やイエスに、「あなたは誰ですか?」と尋ねた時、返ってくる答えは、
「私は、<私は在る>だ」
である。
たとえば、あなたが電気ショックを受けて身体が動かず、知覚も働かず、朦朧として思考も働かないが、意識だけはある状態で、心の奥から「おい、居るか」という声があったら、あなたは「居る」と感じるだろう。
それが存在の自覚だ。
そして、聖者やネヴィル・ゴダードが言うところでは、存在の自覚が神である。
『若きウェルテルの悩み』というゲーテの傑作小説があるが、ウェルテルが何を悩んでいたか分からなくても、絶対にこれで悩んでいたのではないと断言出来ることが「私は存在するのだろうか?」だ。
つまり、いかなる状態であろうが、ウェルテルには存在の自覚があるということだ。
その存在の自覚に集中することが、真の自己(「私は誰か?」の答)に集中することで、同時に、神に集中することだ。
「存在の自覚」を感じるほど、余分なものが剥がれて純粋な自己が現れる。
純粋な自己は神なのだから、全知全能である。
「私は在る」と唱えれば、わずかかもしれないが、存在の自覚を感じる。
唱えれば唱えるほど、存在の自覚が分かってくる。
やがて、「私は在る」と唱えなくても、存在の自覚を簡単に感じるようになる。
それを突き詰めれば、悟りに至るのだろうが、なかなかそこまではいかない。しかし、引き寄せのマスターにはなれると思う。
引き寄せマスターは、凡人の意識状態から悟りの意識状態への途中経過にある者だと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
(2)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(3)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
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