人は死んでも生まれ変わるという輪廻転生を信じている人も、そうでない人もいるだろう。
意外と言って良いかどうかは分からないが、エマニュエル・スウェーデンボルグは輪廻転生を完全に否定していた。人が地上で身体を持って生きるのは一度きりで、死んだ後は永遠に霊界で生きると言う。
一方、霊界の方を否定し、人は死ねばすぐに転生すると言ったのがジョージ・アダムスキーだ。
だが、突き詰めて考えると、2人は案外に同じことを教えているようにも思えるのだ。
スウェーデンボルグもアダムスキーも一般にはひどく誤解されているところがあり、特にアダムスキーは「世紀のペテン師」「大変人」と言われるほどである。
だが、エマーソンは「偉大であることは誤解されること」と言ったが、誤解されないなら偉大でない。誤解されない思想は、単に世間と迎合したものに過ぎない。私なら、むしろ世間が褒め称えるものを警戒する。
ところで、誰かが、昔の歴史的人物の生まれ変わりであると主張した場合、輪廻転生を認めないスウェーデンボルグはもちろんだが、アダムスキーもそれはほとんど否定する。
また、ダライ・ラマがそうなのであるが、前世の記憶を持つ人達のそれなりの信憑性のある研究結果などに関しても、2人共、それは転生のためであるとは認めないと思う。
過去の人の記憶を持っていると感じるのは、スウェーデンボルグは、それは霊が人の中に流入することがあるためであるとする。
アダムスキーは、出来事や思念を永久に保存するものがあり、保存された過去の人の思念に感応する時に、それが前世の記憶のためであると勘違いされることがあると言う。アダムスキーは輪廻転生は肯定するが、前世の記憶はむしろ他人のことのように感じると言う。
そして、スウェーデンボルグの言う霊の流入も、アダムスキーの言う過去の記録への感応も、いずれの場合も、それは極めて頻繁に起こることであり、我々はそれに対して警戒をしなくてはならないものであるようだ。
トラインは、「善なる霊に対して心を開き、悪の霊に対し心を閉ざせ」と言う。
目には見えないが、空間の中に、おびただしい数の想念が存在し、我々の脳はそれに感応しているのかもしれない。それは1秒間に数千という数のものかもしれないが、我々はその大半を無視し、好みの想念や自分の性向に適合する想念を受け入れるのではないかと思う。ただし、極めて強かったり、継続的な想念の影響は受けるものであり、それが大衆を操作することもあるのかもしれない。
印象やフィーリングに対して、我々はもっと注意しなくてはならない。そして、トラインが言ったように、その良いもののみを受け入れなければならない。そのためには、個人の欲望を捨て、悪しき想念に感応して心に進入されることを赦さないようにしなければならない。低い想念の誘惑を我々は常に受けるが、そんな時、「誘惑に勝てるかどうかが人格を決める」という古い格言を思い出さなくてはならない。
我々の周りには、美食、飽食、異常性欲、虚栄をそそのかす想念に満ち満ちているが、既にそれに負け、取り込まれてしまった者達が、目に見える形でさらに我々を煽っているのである。もはや世界は終りに近付いているのであるが、そういった低レベルの誘惑に打ち勝って人格を示し、この流刑地から脱出したいものであると思う。
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意外と言って良いかどうかは分からないが、エマニュエル・スウェーデンボルグは輪廻転生を完全に否定していた。人が地上で身体を持って生きるのは一度きりで、死んだ後は永遠に霊界で生きると言う。
一方、霊界の方を否定し、人は死ねばすぐに転生すると言ったのがジョージ・アダムスキーだ。
だが、突き詰めて考えると、2人は案外に同じことを教えているようにも思えるのだ。
スウェーデンボルグもアダムスキーも一般にはひどく誤解されているところがあり、特にアダムスキーは「世紀のペテン師」「大変人」と言われるほどである。
だが、エマーソンは「偉大であることは誤解されること」と言ったが、誤解されないなら偉大でない。誤解されない思想は、単に世間と迎合したものに過ぎない。私なら、むしろ世間が褒め称えるものを警戒する。
ところで、誰かが、昔の歴史的人物の生まれ変わりであると主張した場合、輪廻転生を認めないスウェーデンボルグはもちろんだが、アダムスキーもそれはほとんど否定する。
また、ダライ・ラマがそうなのであるが、前世の記憶を持つ人達のそれなりの信憑性のある研究結果などに関しても、2人共、それは転生のためであるとは認めないと思う。
過去の人の記憶を持っていると感じるのは、スウェーデンボルグは、それは霊が人の中に流入することがあるためであるとする。
アダムスキーは、出来事や思念を永久に保存するものがあり、保存された過去の人の思念に感応する時に、それが前世の記憶のためであると勘違いされることがあると言う。アダムスキーは輪廻転生は肯定するが、前世の記憶はむしろ他人のことのように感じると言う。
そして、スウェーデンボルグの言う霊の流入も、アダムスキーの言う過去の記録への感応も、いずれの場合も、それは極めて頻繁に起こることであり、我々はそれに対して警戒をしなくてはならないものであるようだ。
トラインは、「善なる霊に対して心を開き、悪の霊に対し心を閉ざせ」と言う。
目には見えないが、空間の中に、おびただしい数の想念が存在し、我々の脳はそれに感応しているのかもしれない。それは1秒間に数千という数のものかもしれないが、我々はその大半を無視し、好みの想念や自分の性向に適合する想念を受け入れるのではないかと思う。ただし、極めて強かったり、継続的な想念の影響は受けるものであり、それが大衆を操作することもあるのかもしれない。
印象やフィーリングに対して、我々はもっと注意しなくてはならない。そして、トラインが言ったように、その良いもののみを受け入れなければならない。そのためには、個人の欲望を捨て、悪しき想念に感応して心に進入されることを赦さないようにしなければならない。低い想念の誘惑を我々は常に受けるが、そんな時、「誘惑に勝てるかどうかが人格を決める」という古い格言を思い出さなくてはならない。
我々の周りには、美食、飽食、異常性欲、虚栄をそそのかす想念に満ち満ちているが、既にそれに負け、取り込まれてしまった者達が、目に見える形でさらに我々を煽っているのである。もはや世界は終りに近付いているのであるが、そういった低レベルの誘惑に打ち勝って人格を示し、この流刑地から脱出したいものであると思う。
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