赤は血の色、情熱の色だが、日本では、赤ん坊という言葉に使われたり、女の子の色でもあり、そして、巫女さんの衣装の色に赤が使われるのは世界でも珍しいと思う。
日本人には、赤に対する深い感覚があることは間違いが無い。
岡本太郎さんは、幼い頃から赤が好きだったという。確かに血の色、激しい生命の情感の色と言っていたが、一方、この赤を「赤い兎」と言ったように、太郎さんも、西洋人とは違い、この色に何か愛らしさ、愛おしさを感じていたのではないか。横尾忠則さんも赤が好きなようで、背景を塗る色に困ったら赤に塗ると著書に書かれていたと思う。
日本人の赤は、曙光(明け方の光)というよりは、黄昏(夕暮れ)の赤なのである。
アメリカに「トワイライトゾーン」という、長期に渡って人気を保ったSFテレビドラマがあったが、このトワイライトは単なる薄明かりであり、明け方と夕暮れの両方である。
ジャングルにおいては、夕焼けは、夜行性の猛獣が目覚める恐怖の色である。
しかし、我が国においては、それが日の丸が本当に示すものであるのだが、赤は神聖で神秘な色なのである。
西洋的な意味での赤にも当てはまるが、赤は、思考の色ではない。逆に、思考や理性を鈍らせる。
ただ、西洋の場合は、情熱と興奮で理性を麻痺させるのであるが、日本の場合は、理性を超えた畏怖と共にある美によって、無に至るのである。
太陽の光と熱は、単なる炎のようなものではない。もしそうであれば、宇宙を越え地球に届いたりはしない。それは精妙な放射線である。電磁波とも言える。この、可視、不可視のものが入り混じった放射線が、地軸との傾き具体により、地磁気と特赦な共鳴を起こし、不思議な作用を起こす。その重要なものが夕暮れに起こるのだ。
それは、人の意識に作用し、特別な意識状態に導く。
霊感に満ちた古代ギリシャの人はそれを感じ、ヘスペリデスという神秘的なニュンペー(英語のニンフ。妖精と女神の中間のような存在)を想像した。ヘスペリデスとは「黄昏の娘たち」という意味である。
ヘスペリデスの絵
この絵は、本物の黄昏のような効果を、見ている者に対して起こす芸術作品だ。
我々の理性は引き下がり、純粋な自己が表に現れる。これは、魔法の秘儀である。
純粋な自己、それは、宇宙そのものである。神と言って良いかもしれない。岡本太郎はよく「俺は宇宙だ」と言っていたが、赤が好きで、しかも、「赤い 兎を あげ ましょう」という不思議な詩を詠んだ彼ならではのことだ。これは、詩というより呪文である。本物の芸術は呪術であると、彼自身が語っていたものだった。
弓で的を射る時、的に当てようとすると当たらない。
当たることを疑う自我を滅ぼせば当たるのだ。この自我と理性を同じものと考えれば良いだろう。
このブログでよく書いているが、信じることができれば全て叶う。
しかし、信じようとしても、人は信じられない。
鏡の前で「今日は売れるぞ」などという馬鹿げたアファーメーションをすることを薦める者もいる。いや、特に否定はしない。落胆したければやってみると良い。それも経験だ。
しかし、疑う心、不信を払えば、心は透き通る。疑惑が悪魔である。「汝、敗れたり。わが後方(しりえ)に退けサタン!」とイエスは言ったが、人は、黄昏の赤が放つ神秘な光の中で、それを楽に為すのである。
夕暮れの、あるいは、上のヘスペリデスの乙女達の絵をイメージすれば、特に願わずとも、うまくいくだろう。
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日本人には、赤に対する深い感覚があることは間違いが無い。
岡本太郎さんは、幼い頃から赤が好きだったという。確かに血の色、激しい生命の情感の色と言っていたが、一方、この赤を「赤い兎」と言ったように、太郎さんも、西洋人とは違い、この色に何か愛らしさ、愛おしさを感じていたのではないか。横尾忠則さんも赤が好きなようで、背景を塗る色に困ったら赤に塗ると著書に書かれていたと思う。
日本人の赤は、曙光(明け方の光)というよりは、黄昏(夕暮れ)の赤なのである。
アメリカに「トワイライトゾーン」という、長期に渡って人気を保ったSFテレビドラマがあったが、このトワイライトは単なる薄明かりであり、明け方と夕暮れの両方である。
ジャングルにおいては、夕焼けは、夜行性の猛獣が目覚める恐怖の色である。
しかし、我が国においては、それが日の丸が本当に示すものであるのだが、赤は神聖で神秘な色なのである。
西洋的な意味での赤にも当てはまるが、赤は、思考の色ではない。逆に、思考や理性を鈍らせる。
ただ、西洋の場合は、情熱と興奮で理性を麻痺させるのであるが、日本の場合は、理性を超えた畏怖と共にある美によって、無に至るのである。
太陽の光と熱は、単なる炎のようなものではない。もしそうであれば、宇宙を越え地球に届いたりはしない。それは精妙な放射線である。電磁波とも言える。この、可視、不可視のものが入り混じった放射線が、地軸との傾き具体により、地磁気と特赦な共鳴を起こし、不思議な作用を起こす。その重要なものが夕暮れに起こるのだ。
それは、人の意識に作用し、特別な意識状態に導く。
霊感に満ちた古代ギリシャの人はそれを感じ、ヘスペリデスという神秘的なニュンペー(英語のニンフ。妖精と女神の中間のような存在)を想像した。ヘスペリデスとは「黄昏の娘たち」という意味である。
ヘスペリデスの絵
この絵は、本物の黄昏のような効果を、見ている者に対して起こす芸術作品だ。
我々の理性は引き下がり、純粋な自己が表に現れる。これは、魔法の秘儀である。
純粋な自己、それは、宇宙そのものである。神と言って良いかもしれない。岡本太郎はよく「俺は宇宙だ」と言っていたが、赤が好きで、しかも、「赤い 兎を あげ ましょう」という不思議な詩を詠んだ彼ならではのことだ。これは、詩というより呪文である。本物の芸術は呪術であると、彼自身が語っていたものだった。
弓で的を射る時、的に当てようとすると当たらない。
当たることを疑う自我を滅ぼせば当たるのだ。この自我と理性を同じものと考えれば良いだろう。
このブログでよく書いているが、信じることができれば全て叶う。
しかし、信じようとしても、人は信じられない。
鏡の前で「今日は売れるぞ」などという馬鹿げたアファーメーションをすることを薦める者もいる。いや、特に否定はしない。落胆したければやってみると良い。それも経験だ。
しかし、疑う心、不信を払えば、心は透き通る。疑惑が悪魔である。「汝、敗れたり。わが後方(しりえ)に退けサタン!」とイエスは言ったが、人は、黄昏の赤が放つ神秘な光の中で、それを楽に為すのである。
夕暮れの、あるいは、上のヘスペリデスの乙女達の絵をイメージすれば、特に願わずとも、うまくいくだろう。
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