ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

眠りながら目覚めている

目が覚めてまもない時に、見慣れた街の風景を見ると、その異様なまでの美しさに圧倒されることがある。
普段は都会に住んでいる人が、旅先で、早朝に自然の風景を見た時、その荘厳さに感動したという人も多いだろう。
まだ暗い時に目覚めて、たまたま夜空の星を見ると、星達が本当にささやきかけてくることがある。
W.B.イェイツ(アイルランドの詩人、劇作家。「20世紀最大の詩人」と言われる。ノーベル賞受賞)のような、超感覚的な詩人であれば、昼間ですら、壁の絵画が語りかけてくるのを感じることもあったそうだ。

目覚めたばかりの時は、論理を司る脳である左脳はまだ眠ってることが多く、その左脳が、感覚を司る脳である右脳の働きを妨げないので、世界を左脳(論理)のフィルターを通さずに見ることができる。
アラビアのロレンスが、自叙伝「知恵の七柱」で、そのような経験について述べているのを、コリン・ウィルソンが「右脳の冒険」で引用しているが、ウィルソンは、ロレンスだけでなく、数多くの文豪の作品の中に、そのような話があることを指摘している。
画家で波動や宇宙意識に関して数多くの講演を行っていた足立幸子さんは、「頭はロクなことを考えないので、意識を胸に持っていってなるべくぼーっとしている。すると、素晴らしい閃きがあり、それに従うと間違いがなかった」と言う。

半分眠ったような状態が、人が超越的な存在である時だ。
アメリカの哲学者で、宇宙人とのコンタクティ(接触者)として知られるジョージ・アダムスキーは、「個人の心が意識(宇宙の英知)に従う時、心は意識と溶け合い、宇宙との合一に近付く」と言った。
宮本武蔵の肖像画を見ると、剣を持った彼の目は半眼である。彼の「五輪書」には、見ることについての記述があるが、それは、普通の人がものを見ることとはかなり異なる。「荘子」に、無限の道(タオ)と一体化するには、視線を自然にすることとあるが、それは思慮分別を通さずに、見えるがまま、あるがままに受け入れるということと思う。武蔵も荘子も、個人の心や論理でなく、深い意識で見ることについて説いているのだろう。
至道無難の言う、「生きながら死人となり、思いのままになすが良し」というのも、個人の自我としては、死んだ状態に近いのがよろしいということと思う。

眠りながら起きていることだ。
ジョセフ・マーフィーの代表的著作「潜在意識の力」を、渡部昇一さんは、その内容から「眠りながら成功する」という日本語のタイトルを付けたが、マーフィーは一般読者に分かりやすいように、就寝前の半分眠った状態について説いている。しかし、昼間に出来ないことでもない。
羽生善治さんの、対局中の脳波は眠っている時と同じであることが科学的調査で分かり話題になったことがある。

ただし、本当に寝てはだめだ。
電車の中で大イビキをかいて寝ているようなのは、単なる愚か者だ。
半分寝てはいるが、意識は目覚めていなければならない。
それどころか、真に優れた人間は、眠っていても意識は目覚めている。剣の達人の寝込みを襲っても、達人は易々と反撃してくる。意識が常に目覚めているのだ。
眠ったような状態で戦って歴史的勝利を収めた格闘家の例も多い。
ニサルガダッタ・マハラジも、「眠っている時のことも覚えているようになる」と言っていた。

私は、1日4時間半ほどの睡眠時間を長く続けているが、昼間眠く、幸い昼食を食べないので、その時間よく寝ていた。30分ほどの時間に、ぴくりとも動かず座ったまま熟睡し、ぴったり30分で起きた。
しかし、昼間の活動をしていても夢を見ることに気付き、起きていながら眠れることが分かった。
そんな中、足立幸子さんの本で、意識を胸に置いてぼーっとするのが良いという話を読み、いつも寝ていることにしたら、睡眠はあまり必要がなくなった。ほんの数日前のことだ。眠っているので余計なことを考えず、以前よりは穏やかになり、しかも、何事も以前よりうまくやれるようになった。至高の英知とも、ますます近付いていくに違いない。何より、人にとって眠ることは楽しいことであり、その楽しみが1日に渡って続く。人生が楽しくなるのである。







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好きこそものの上手なれ

「目が覚めたら夜だった」と聞いて、学校時代の夏休みを思い出す人もいるだろうし、大人になってからも、なるべくそうありたいと思う人もいるかもしれない。
一方、そんなことは大嫌いで、いつも何か忙しくしていないと気が済まず、家に居てどうしてもやることがなければ、せかせかと掃除をしたり、車を磨いているような人もいる。
ある家庭で、父親が行動派で、休暇ごとに家族での遊びや旅行の計画を立てるし、運動が好きで、自分も毎日ジョギングしているが、少しでも暇があると子供達と運動をはじめる。それどころか、家族で親戚の家に行くのにも野球のバットやボールを車に乗せ、子供達が叔父さんや叔母さん達とのんびりしていたら、不意に真冬でも子供達を外に連れ出してキャッチボールを始める。結果、彼の子供の内、趣向の合わない子は本当に自殺しかけた(未遂に終わった)。のんびりするのが好きなその子は、長年のノイローゼで精神が破綻したのだろう。

最初の「目が覚めたら夜だった」というのは、有名なアニメ「美少女戦士セーラームーン」のドラマCDと言って、音声だけで作ったギャグドラマの中の、セーラームーンこと月野うさぎが言ったことなのだが、彼女の性質を一言で絶妙に表現している。武内直子さんの原作漫画の中で、月野うさぎは自己紹介で、趣味を「寝ることと楽をすること」と言っていたのである。

「好きこそものの上手なれ」と昔からよく言われる。
ただ、この「好き」なことが、何か世間的に言って立派なことであるとか、金儲けになることに限定されるような風潮や傾向がありはしないだろうか?
月野うさぎのように、「寝ること」や「楽をすること」などを入れてくれそうにない雰囲気がある。
しかし、それではいけない。寝ることが好きなら、上手に寝る達人になれる可能性があるし、楽をすることが好きで、それを上手に出来るようになれば幸福であり、人生の目標を達成したことになる。
アインシュタインは、物理学を、趣味で、つまり、単に好きでやってきたと言い、どれほど成果を上げて賞賛されようと、自分を重要人物だとは全く考えていなかった。
楽をすることが趣味で、その道に邁進し精進しても、賞賛はされないし、重要人物と見なされることはないが、自分でも自分を重要人物とは見なさないだろう。

楽をすることは簡単なことではない。大半の人は、わざわざ苦労を背負い込むようなことばかりをしている。
本当に楽をするためには、余計なことを考えないという、人間の徳の中でも最上のものを身に付ける必要がある。
余計な考えとは、貪欲、恐怖、疑い、虚栄など、個人的な欲望に根ざすことである。
実に、楽をする道とは、個人的欲望を持たないことを目指すことであることは間違いない。それは人生をかける目標にするに値する。
徳川家康は、天下取りの秘訣をただ「上を見るな」と言ったが、不要なものを求めない心は天下をももたらす。なぜなら、もし宇宙を身体とする心があるなら、それは不要なものを求めず、自然であることで至高であるからだ。テレビやラジオから発信する微弱な電波が放送局からの同じ周波数の電波と同調するように、同じ性質のものは同調し溶けあい、似てくる。宇宙の心とわずかにでも似ていれば地球の中の一国の天下など、求めるまでもない他愛もないことに違いない。
天下すら取れる心にとって、不安と恐怖のない安らかな人生などお茶の子さいさいであろう。







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家族を幸せにする方法

家族を幸せにしたければ、主人は家に不必要なお金を入れないことです。大丈夫だと思うなら、全く入れなくてもいいのです。奥さんが働いてやっていけますから。
しかし、それは主人にとって厳しいことかもしれません。普通の家の主人は、給料を持ってくることだけに存在価値がありますが、家にお金を入れないなら、主人に本当の価値がなければなりません。それに比べれば、給料を持って帰る方がよっぽど楽です。
普通の男は、給料を持ってこなければ用無しです。もっとも、給料は持って帰っても、家の中に居場所のない、名前だけの主人は多いと思います。
そして、普段、家にお金を入れない主人が、わずかでもお金を渡すと、奥さんはそれを凄く有り難く思うのです。普通の家の奥さんは、主人が毎月給料を持って帰っても、それが当たり前になっていて、感謝なんてしません。それは実は異常なことです。

ある時、公園で寂しそうにお弁当を食べている背広ネクタイの男を見て、もしかしたら、会社をリストラされたのに、奥さんに言えずに、帰宅時間までうろうろしているのかもしれないと思いました。
実際、そんな人のために、あたかもまだ勤務先があるかのように家族を欺くため、奥さんなどからの電話を勤務先のふりで取り次いでくれるというサービスがありました。今はメールの時代ですから、あまり無いとは思いますが、メールを使えない人もいますので、需要はあるかもしれません。
しかし、もしそんなものがあるとしたら、いったい何のための妻なのかと思います。旦那が苦しい時に支えになってこその妻のはずですからね。

主人が家にお金をほとんど入れなくても、主人が立派であれば、妻子は明るくまっとうな人間でいます。妻子は鍛えられますし、その力は生涯役に立ちます。
逆に、主人が家に潤沢にお金を入れる家の奥さんや子供は駄目な人間になります。一方的に主人に養われていたら、力の付けようがなく、何も出来ずに快楽ばかり求めるようになります。それは非常に不幸なことです。
私の知っているある家では、主人は家にほとんどお金を入れず、若い頃は奥さんの貯金にまで手を出し、会社の退職金なども前借りして使い切っていました。それで主人は遊び歩いている訳です。そして主人は病気になって若くして死にましたが、彼は家族の業を背負ってあげたのだと思います。妻子は健康で立派になりましたから。そして、その主人は家族に慕われていました。
とはいえ、そこまでする必要はありません。おそらく、そんな家では、妻子や夫婦のそれぞれの家族に業と言いますか、隠れた問題があり、その解消のために、そんな苦しい療法が必要だったのかもしれません。言っては悪いですが、その家族も、やはりその周辺にいろいろ問題がありました。
普通は、簡単に言えば、主人があまり稼がなければ良いのです。給料が安いだけで家族は幸せになれます。

最近は、学生の就職が大変だと言われます。就職活動をする大学生が、数十とか数百の応募をして、一件も内定を得られないという話もよくあります。
それは、応募するところを間違っているのです。学生の多くは、企業の安定性や待遇を見て応募します。仕事がしたいのではなく、給料が欲しいのですね。
仕事自体はいくらでもあります。私は、長いニート生活の後、「行けば入れてもらえる」職場に喜んで入りました。そんなところでも、入れてくれるなら有り難く思いました。そう思っていましたから、職場の人はみんな親切にしてくれました。そんな職場には、大卒はまずおらず、中卒や高校中退の人も多かったですが、私は後に大企業や一流大卒ばかりの会社に入ることになりますが、その中卒、高校中退の人達の方がずっと優秀でした。そして、そんな職場での経験が人生の宝となったと思います。
働く場所は、直観で決めれば良いと思います。すると、大抵は、面接に行った1件目に入ることになるのではないかと思います。給料は安くても良いのではなく、安いほど良いのです。そう思っていれば、間違って危ない職場に入ることもないでしょう。
余計なことを言うなら、給料は安くて良いと思っていたら、案外に多く入ってくることもあります。政木和三さんに聞いたことがあります。「私はお金なんてちっとも欲しくないのですが、どういうわけか1億ほど納税することになってしまうのです」。ジョージ・アダムスキーも言います。「私は富を蓄えようと思ったことなどないが、金に困ったこともない」







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人間の最も大切な仕事とは

ぼーっとすることも、人間の大切な仕事だ。
ひょっとしたら、最も大切な仕事かもしれない。

私は、小学校に入った時のことをよく憶えている。
規則の多さと、その規則の分かりにくさにはすっかり参ってしまった。こんな規則を理解し、憶え、実行できる他の子達は、みんな天才なのかと思った。
図書室を使うにも、学年によって使って良いスリッパと使っていけないスリッパがあることが分からない。1年生は赤色らしかったが、そんな細かいことを憶えていられない。
私は、何をするにも、「ぼーっとするな!」と怒られ、すっかり自信を失くした。

それは今でも続いている。
複雑怪奇な仕事の手順や、会社のルールがさっぱり理解できず、憶えられない。他の有能な人間の仕事の仕方を、私はただ驚嘆の目で眺めているだけだ。
最近は、会社法だのという、企業が守らなければならない多くの法律が出来、それに則った企業活動をしなければならないのだが、私には、それらの法律はまるで、「キャラメルを食べる時には、まず包装材をすみやかに4分の1以上剥ぎ取り、軽く内箱の底を上方に押して、押し出された反対の側の内箱の端を軽くつまんで引き出し・・・」といったことのように思える。

学校でも、会社でも、我々はぼーっとすることが出来ない。
吉本隆明さんは、娘達(後に著名な漫画家と作家になる)が子供の頃、彼女達が何か大事なことをしていたら、それを邪魔しないよう心掛けたというが、その何かには、ぼーっとすることも含めていた。ぼーっとしている娘達に買い物に行かせるくらいなら、この日本最高の思想家は、自ら買い物籠を持って市場に行った。決して子供達を甘やかしたのではなく、彼には邪魔して良いことと悪いことの区別が付いていたのだ。今の普通の親は、子供が本当に大切なことをするのを最大に邪魔しているのだし、そもそも、子供達は、馬鹿なことを大切そうにやらされているのだ。
そして、大人になる頃には、社会の複雑なシステムに順応できなくなることに恐怖を感じ、ぼーっとすることに不安と罪悪感を感じる人間になる。

社会のルールは、個人の利益の追求から生まれた欲望の仕組みを維持するものだ。それに従えば安らぎはない。
ソクラテスは「汝自身を知れ」とか言ったらしいが、どうやればそれを知ることができるのかが伝わっていない。ソクラテスは教えたかもしれないが、彼を利用する権威者達には都合の悪い教えなので、いつか消えてしまったのだろう。その教えとは、「ぼーっとしろ」である。
知性を道具として適切に使えるのはその「私自身」である。私自身がルールを定めることはあるが、それは非常にシンプルで数も少ない。
カート・ヴォネガット(米国の作家)は言う。「私の知る地球のルールはただ1つ。人に優しくしろ」

私は、今日も大切な仕事をしよう。
そうすれば、不安も恐怖もない。ぼーっとする心に不安や恐怖、それに怒りや貪欲のつけ入るスキはないからである。そして、現実的な仕事でも、個人の利益ではなく、真に人々を幸福にすることが出来るようになるだろう。
共に良い仕事をしようではないか?







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天才ケストラーを超えて

アーサー・ケストラーという、恐ろしく頭の良い男がいた。肩書きは、小説家だとか哲学者だとか言われるが、彼にそのような肩書きは不要だ。彼は、「ジ・アーサー・ケストラー」だ。
その天才が、「ホロン革命」という本の中で、人間の脳は出来損ないだと書いていた。
人間の脳は、魚類や爬虫類といった下等動物の脳を、理性の脳である新皮質が覆っているだけの不完全な形で発達した。そのため、理性は本能を支配することが全くできない。
そして、その巨大な知性は、動物的本能に動かされ、幻想と欲望を果てしなく生み出す、どうにも始末に終えないものになった。
それはまるで、怒ったサルに核爆弾のスイッチを預けたようなものだと言う。
なるほど、そう言われれば、確かにそんな気がする。

石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」で、人類を創造した宇宙人が、長い時を経て、制作物である人類の様子を見に地球に来たら、そのあまりの出来の悪さに失望し、いったん人類を滅ぼして作り直すことに決めたという話がある。
石ノ森章太郎さんは「幻魔大戦」の東丈(スポーツも勉強も駄目な、チビで劣等感の塊)といい、「人造人間キカイダー」のジロー(不完全な機械の心を持ち、悪の誘惑に抵抗し切れない)といい、自分が出来損ないと悩むヒーローをよく描く。おそらく、石ノ森さん自体が、そのような悩みに苦しんだのだろう。
009達は、相手が創造主であるとしても、大人しく滅ぼされることを認めず、敵うはずのない相手に挑むことになった。
都築真紀さん原作・脚本の「魔法少女リリカルなのは Movie the 1st」(劇場版)で、フェイト・テスタロッサ(9歳の魔法使いの少女)は、自分は、母親だと思っていたプレシア・テスタロッサに作られた人工生命体であることを知り、しかも、プレシアに「失敗作」と言われて捨てられる。

我々もまた、出来損ない、失敗作なのだろうか?
動物は本能だけなので正しく生きるが、人間は本能と知性のバランスが悪く、それらが組み合わさると、果てしなく強欲となり、その実現のために、とどまることなく凶悪となる。
フロイトは、人間の本能が壊れていると言ったが、明らかにそうではなく、本能と知性の相性が絶望的に悪いのだ。

しかし私は、確かに、本能の理性への侵食を抑えることに成功した。これは本来なら、釈迦のような覚者(悟りを得た者)にしか出来ないことと思われていたが、私のような凡人に可能であったことは、客観的に見て注目に値する。
平均的な知性しか持たない私が天才ケストラーに勝ったかもしれない。そして、ケストラーは自殺しなくても良かったのだ。頭が良過ぎるのも災いかもしれない。

本能の理性への侵食を抑えるためには、ただ食を慎めば良い。
そうすれば、性欲も支配出来る。ナポレオン・ヒルは、人間の最大のエネルギーは性エネルギーであり、これを利用すれば成功できると言ったが、それは最終的には破滅の道だ。世俗の成功と破滅は等しい。歴史の中で例外など1つもないのに、なぜそんなことに気付かないのか?確かに、本当は惨めな世俗の成功者達は、様々な理由で自分の悲惨さを隠す。しかし、大衆もまた、欲望に目が眩んで、真理が見えないのだ。

私に関する少食のコツを言うなら、神経的に、感情に対して敏感な場所である胸に意識を集め、思考を離れることだ。頭脳は道具として使うべき時に使えば良いが、普段は意識を胸に集めぼうっとしていると良い。それを「心を静める」とか「無になる」などと気取ったことを言うと難しく感じる。ぼうっとすることなら得意なはずだ。授業中や仕事中に「ぼうっとするな」と怒られたらしめたものだ。いつまでたっても、ぼうっとしていて出来ない仕事なら、人類に対して害をなすものだ。早目に手を引けば良い。
釣りはせっかちな人には向かないと言うが、それは小賢しい工夫では歯が立たないという意味だ。ぼうっとしていて、自然に良い方法が閃いてこそうまくいくのだ。昔から、賢者には釣り好きが多い。
009は創造主に打ち勝ち、フェイトは母親がどうであれ幸福に生きる。
そして、それこそが、創造主が我々を生み出した目的だったのかもしれない。

余談だが(私の話は全て余談みたいなものだが)、原作者の都築真紀さんが全て脚本を書くアニメ「魔法少女リリカルなのは」シリーズの第2作「魔法少女リリカルなのはA's(エース)」の中で、人の理性と本能とハートの関係が、魔道書(理性)と、その防衛プログラム(本能)とハート(少女ハヤテの心)の関係で表現されていた。都築真紀さんは天才であるようだ。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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