アメリカの偉大な哲学者で詩人のラルフ・ウォルドー・エマーソンは、英雄の物語を読む時は、自分のことだと思って読めと述べたが、その通りだと思う。そして、偉大な文学や思想を読む時は、自分が著者であると思って読まなければならないとも述べた。この「思う」とは、空想するということではなく、そうであると知るということだ。
サルトルも、本を読むということは、自分でそれをもう一度書くことだと言う。
ジョセフ・マーフィーは、旧約聖書を読む時は、かつて自分がそれを書いた時のことを思い出して読めば意味が自ずと分かると言う。
ショパンの音楽を聴いていると、自分が完全にショパンになると言う人がいるが、それは自然なことである。
あなたは学校で、こういった読み方、聴き方を学んだだろうか?
これら、人類史上最高の賢者達と同じ見解を少しでも学校で聞いたことがあるだろうか?
そうではなく、全く正反対のことを教わったはずだ。
旧約聖書にしろ、古事記にしろ、そのまま読めば、荒唐無稽な馬鹿話だ。
しかし、宗教の権威者達は、書かれているままに読めと言う者は多いのだ。
これらのお話は、1人の人間の物語と見れば、すんなりと理解できる。
アダムとイヴは、生まれたばかりの無垢な自分の2つの性質だろう。そして、片方が何かの欲望を持つようになり、もう片方を取り込み、結局、私は欲望に従って生きるようになり、必然として人生の苦難を味わうことになる。自分の中に、汚れも崇高さも繰り返し現れ、様々なことを学んでいく。そして、自分がどうあるべきかを感じ、それを目指し努力すれば、どうなるかを予言し、それはことごとに実現する。そして、予言はイエス・キリストによって実現され、「私の物語」も完成したはずなのだ。
古事記も、やはり、イザナギとイザナミという人の2つの性質から始まる。それらは影響し合い、欲望をエネルギーに創造していくが、片方が欲望に飲み込まれて滅び、汚れた食物(より低い欲望)を食べて腐敗する。だが、理性は欲望に打ち勝ち、それらの穢れを客観視することで純化して、最後に人の基本的な3つの性質をはっきりと見た。それが、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの三貴神として象徴される。それぞれ、理性、潜在意識、生命力である。
もちろん、私の世俗的知識の中での解釈であり、この通りでなくて良く、あくまで大筋である。
およそ、世界中の神話や伝承の全ては、このようなものと思う。
昨日もご紹介した、2万年前にアトランティスのトートによって書かれた『エメラルド・タブレット』を読む時も、あくまで私の読み方だが、解説の一切を見ず、自分の物語として読み、自分の心の中の出来事と見れば、人間の作ったどんな大スペクタルも、大海と比べた、髪の毛1本を100に砕いたもので救い上げた僅かな水のごときものとなる。それほどのロマンの高揚の中で、宇宙と1つになることだろう。
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ジョセフ・マーフィーは、旧約聖書を読む時は、かつて自分がそれを書いた時のことを思い出して読めば意味が自ずと分かると言う。
ショパンの音楽を聴いていると、自分が完全にショパンになると言う人がいるが、それは自然なことである。
あなたは学校で、こういった読み方、聴き方を学んだだろうか?
これら、人類史上最高の賢者達と同じ見解を少しでも学校で聞いたことがあるだろうか?
そうではなく、全く正反対のことを教わったはずだ。
旧約聖書にしろ、古事記にしろ、そのまま読めば、荒唐無稽な馬鹿話だ。
しかし、宗教の権威者達は、書かれているままに読めと言う者は多いのだ。
これらのお話は、1人の人間の物語と見れば、すんなりと理解できる。
アダムとイヴは、生まれたばかりの無垢な自分の2つの性質だろう。そして、片方が何かの欲望を持つようになり、もう片方を取り込み、結局、私は欲望に従って生きるようになり、必然として人生の苦難を味わうことになる。自分の中に、汚れも崇高さも繰り返し現れ、様々なことを学んでいく。そして、自分がどうあるべきかを感じ、それを目指し努力すれば、どうなるかを予言し、それはことごとに実現する。そして、予言はイエス・キリストによって実現され、「私の物語」も完成したはずなのだ。
古事記も、やはり、イザナギとイザナミという人の2つの性質から始まる。それらは影響し合い、欲望をエネルギーに創造していくが、片方が欲望に飲み込まれて滅び、汚れた食物(より低い欲望)を食べて腐敗する。だが、理性は欲望に打ち勝ち、それらの穢れを客観視することで純化して、最後に人の基本的な3つの性質をはっきりと見た。それが、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの三貴神として象徴される。それぞれ、理性、潜在意識、生命力である。
もちろん、私の世俗的知識の中での解釈であり、この通りでなくて良く、あくまで大筋である。
およそ、世界中の神話や伝承の全ては、このようなものと思う。
昨日もご紹介した、2万年前にアトランティスのトートによって書かれた『エメラルド・タブレット』を読む時も、あくまで私の読み方だが、解説の一切を見ず、自分の物語として読み、自分の心の中の出来事と見れば、人間の作ったどんな大スペクタルも、大海と比べた、髪の毛1本を100に砕いたもので救い上げた僅かな水のごときものとなる。それほどのロマンの高揚の中で、宇宙と1つになることだろう。
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