小学2年生の時に聞いた、娘を持つ母親の、こんな話を憶えている。
その母親は、娘が小学校に上がる時、娘に持たせた下敷きに、「努力」という漢字を書いた。娘は、その字を読めないが、母親はその読み方も意味も教えず、「これを見ていれば勉強ができるようになる」と言った。そして、実際に、娘は勉強がとても良く出来たらしい。
これは、おそらく、母親の言葉を盲目的に信じたことで、娘は、「この字を見ていれば大丈夫」だという、安心感、安定感、自信といったものを持つことが出来たのだろう。
俳優の川津祐介さんは、霊や超能力に関する著書も書いていて、自ら神秘的な体験も多くしており、霊能などもあるらしい。
彼の本で見た覚えがあるが、人間はお腹のところに大きな光の球があり、それがあるから大丈夫だと思えば、大丈夫になるのだそうだ。
斎藤一人さんは、「神様は我々を愛しているのだから、困ったことなんか起こるはずがない。困ったことが起きるのは、自分で勝手に困ったことを作っているのだ」と、一番最初の本に書いていた。
こういったことを、素直に信じれば、まず間違いなく、その通りになる。単に暗示であるだけでなく、やはり、本当のことだからだ。
また、暗示といったところで、信じれば、それは真理になる。
私は、小学3年生の時、友達に「これが力がつく紙だ」と言われて、黒い紙切れをもらったことがある。私は、当時読んでいた漫画の影響と思うが、高く飛ぶことに憧れていたので、「これを持っていると、誰よりもジャンプ力がつく」と思ったのだが、以降、体育の授業で走り高跳びをやると、誰にも負けなくなった。あの友達は、後で、その紙が、ただの包装紙の一部であることを白状したが、私はがっかりしなかった。
こういったことは、無垢で純粋な子供ほど効果が高いということはお分かりになると思う。
イエスが、「幼い子供のようにならなければ天国に行けない」と言ったのも、こんな意味があるのかもしれないと思う。
ジョセフ・マーフィーも、8歳の子供のようになれ、そうすれば、願いは叶うと著書に書いていた。
大人の場合は、無垢というより、ある程度、単純な馬鹿であることも必要なのだろう。
馬鹿・・・と書いたが、それは、世間的な馬鹿である。世間で言う賢い人とは、世間の教義や信念にひれ伏した者のことであり、そのようなものを超えた本当に賢い人が、世間での馬鹿なのである。
おそらく、大人が本当に子供のようになってはいけないのだろう。大人とは知恵がなければならない。だが、子供の良い部分を持っていないといけないのだ。
ラマナ・マハルシは、「賢者はある意味で子供に似ている。子供は、遊んでいる時は遊びに夢中になるが、終ったら忘れている」と言ったが、『荘子』にも、「本当に優れた人の心は鏡のようなもので、来たものはそのまま写すが、過ぎ去れば何の痕跡も残さない」と同じことが書かれている。
良い意味で子供のようになるには、聖書の詩篇23を読めば良い。
中国出身のアメリカの事業家で作家のチン・ニンチュウは、散々努力して、国際的な事業家、作家になったが、結局は、詩篇23に書かれたことが本当だと悟って、涙がとめどなく流れるほど感激したといいう。
詩篇23の全文は以下の通りだ(『口語訳聖書』より。著作権は既に失効のようだ)。
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
また、あらゆることからの防御には、当ブログの以下のリンク先に書かれた、詩篇91が良いだろう。
誰でも奇跡を起こせる2つの言葉(全文掲載)
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その母親は、娘が小学校に上がる時、娘に持たせた下敷きに、「努力」という漢字を書いた。娘は、その字を読めないが、母親はその読み方も意味も教えず、「これを見ていれば勉強ができるようになる」と言った。そして、実際に、娘は勉強がとても良く出来たらしい。
これは、おそらく、母親の言葉を盲目的に信じたことで、娘は、「この字を見ていれば大丈夫」だという、安心感、安定感、自信といったものを持つことが出来たのだろう。
俳優の川津祐介さんは、霊や超能力に関する著書も書いていて、自ら神秘的な体験も多くしており、霊能などもあるらしい。
彼の本で見た覚えがあるが、人間はお腹のところに大きな光の球があり、それがあるから大丈夫だと思えば、大丈夫になるのだそうだ。
斎藤一人さんは、「神様は我々を愛しているのだから、困ったことなんか起こるはずがない。困ったことが起きるのは、自分で勝手に困ったことを作っているのだ」と、一番最初の本に書いていた。
こういったことを、素直に信じれば、まず間違いなく、その通りになる。単に暗示であるだけでなく、やはり、本当のことだからだ。
また、暗示といったところで、信じれば、それは真理になる。
私は、小学3年生の時、友達に「これが力がつく紙だ」と言われて、黒い紙切れをもらったことがある。私は、当時読んでいた漫画の影響と思うが、高く飛ぶことに憧れていたので、「これを持っていると、誰よりもジャンプ力がつく」と思ったのだが、以降、体育の授業で走り高跳びをやると、誰にも負けなくなった。あの友達は、後で、その紙が、ただの包装紙の一部であることを白状したが、私はがっかりしなかった。
こういったことは、無垢で純粋な子供ほど効果が高いということはお分かりになると思う。
イエスが、「幼い子供のようにならなければ天国に行けない」と言ったのも、こんな意味があるのかもしれないと思う。
ジョセフ・マーフィーも、8歳の子供のようになれ、そうすれば、願いは叶うと著書に書いていた。
大人の場合は、無垢というより、ある程度、単純な馬鹿であることも必要なのだろう。
馬鹿・・・と書いたが、それは、世間的な馬鹿である。世間で言う賢い人とは、世間の教義や信念にひれ伏した者のことであり、そのようなものを超えた本当に賢い人が、世間での馬鹿なのである。
おそらく、大人が本当に子供のようになってはいけないのだろう。大人とは知恵がなければならない。だが、子供の良い部分を持っていないといけないのだ。
ラマナ・マハルシは、「賢者はある意味で子供に似ている。子供は、遊んでいる時は遊びに夢中になるが、終ったら忘れている」と言ったが、『荘子』にも、「本当に優れた人の心は鏡のようなもので、来たものはそのまま写すが、過ぎ去れば何の痕跡も残さない」と同じことが書かれている。
良い意味で子供のようになるには、聖書の詩篇23を読めば良い。
中国出身のアメリカの事業家で作家のチン・ニンチュウは、散々努力して、国際的な事業家、作家になったが、結局は、詩篇23に書かれたことが本当だと悟って、涙がとめどなく流れるほど感激したといいう。
詩篇23の全文は以下の通りだ(『口語訳聖書』より。著作権は既に失効のようだ)。
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
また、あらゆることからの防御には、当ブログの以下のリンク先に書かれた、詩篇91が良いだろう。
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