一説によれば、徳川家康に、天下取りの秘訣を尋ねると、家康は、
「長い方と短い方、どっちが良いか?」
と尋ね、
「両方、お願いします」
と乞うと、
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』である」
と答えたと言う。
ギリシャのデルポイにある、アポロン神殿の入り口に「汝自身を知れ」という格言が書かれているそうだ。
この言葉の意味は、人によって様々に言うが、それは、「身の程を知れ」ということである。
なぜなら、ギリシャ神話に親しんでいれば、それが最も自然だと感じるからだ。
ギリシャ神話では、いかなる場合でも、人間が神を貶めるようなことを言うと、必ずや重い罰が下る。
また、神の意図を知ろうとすることも、不遜であるとして、強く戒められるる。それは、英雄オデュッセウスすら例外ではなかった。
プシューケーという名の人間の美少女は、美の女神アプロディーテーより美しいと噂を立てられただけで、自分でそう言った訳でもないのに、アプロディーテーの厳しい罰を受けたのである。ただ、プシューケーはそれを恨まず、後に女神となっているのである。
「身の程を知る」ことが、人間にとって、いかに重要かを、色々なお話で説いているのである。
しかし、「身の程を知る」ということの正しい意味を知る者は少ない。
せいぜいが、社会的に分不相応なことをしたり、求めることを、「身の程を知らない」と言う。それは未熟で愚かではあるが、罪ではない。
「身の程を知れ」とは、まさに、ギリシャ神話に秘められた教えであると思う。
その元の言葉である「汝自身を知れ」とは、「お前は神ではなく、人間であるということを知れ」と言う意味である。
だが、そう言われたら、ほとんどの者が、「俺は自分が人間だと思っているし、自分が神だなどと思っていない」と言うかもしれない。
だが、彼は、自分ではそう言っているが、実際には、神のような態度で生きているのだ。
なぜなら、彼は、自分は特別であると思っている。
自分が万物の一部ではなく、自分以外を万物を見なしているのである。
万物の一部でしかない彼が、万物の一部または全部を思い通りにしようとしているのではないか?
つまり、出来事を自分の意思でコントロールし、人生を自分が支配できると思っている。
そういったことが、自分を知らないことであり、身の程を知らないことなのだ。
身の程を知らない者は、決して苦難から逃れることはできない。
だが、自分を知る者には、いかなる危険も及ばない。
身の程を知る者は、いかなることも、起こるがままにまかせ、心静かである。
彼は、自分が、人生や世界に対し、何の影響を及ぼすこともできないということを知っているのだ。
それを無条件に受け入れたのである。
それが、身の程を知るという、優れた知恵を得たということであり、自分自身を知ったことになるのである。
そうである者には、鬼神も道を譲り、神々すら地に付して敬うのであると、荘子や親鸞は言ったのである。
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と尋ね、
「両方、お願いします」
と乞うと、
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』である」
と答えたと言う。
ギリシャのデルポイにある、アポロン神殿の入り口に「汝自身を知れ」という格言が書かれているそうだ。
この言葉の意味は、人によって様々に言うが、それは、「身の程を知れ」ということである。
なぜなら、ギリシャ神話に親しんでいれば、それが最も自然だと感じるからだ。
ギリシャ神話では、いかなる場合でも、人間が神を貶めるようなことを言うと、必ずや重い罰が下る。
また、神の意図を知ろうとすることも、不遜であるとして、強く戒められるる。それは、英雄オデュッセウスすら例外ではなかった。
プシューケーという名の人間の美少女は、美の女神アプロディーテーより美しいと噂を立てられただけで、自分でそう言った訳でもないのに、アプロディーテーの厳しい罰を受けたのである。ただ、プシューケーはそれを恨まず、後に女神となっているのである。
「身の程を知る」ことが、人間にとって、いかに重要かを、色々なお話で説いているのである。
しかし、「身の程を知る」ということの正しい意味を知る者は少ない。
せいぜいが、社会的に分不相応なことをしたり、求めることを、「身の程を知らない」と言う。それは未熟で愚かではあるが、罪ではない。
「身の程を知れ」とは、まさに、ギリシャ神話に秘められた教えであると思う。
その元の言葉である「汝自身を知れ」とは、「お前は神ではなく、人間であるということを知れ」と言う意味である。
だが、そう言われたら、ほとんどの者が、「俺は自分が人間だと思っているし、自分が神だなどと思っていない」と言うかもしれない。
だが、彼は、自分ではそう言っているが、実際には、神のような態度で生きているのだ。
なぜなら、彼は、自分は特別であると思っている。
自分が万物の一部ではなく、自分以外を万物を見なしているのである。
万物の一部でしかない彼が、万物の一部または全部を思い通りにしようとしているのではないか?
つまり、出来事を自分の意思でコントロールし、人生を自分が支配できると思っている。
そういったことが、自分を知らないことであり、身の程を知らないことなのだ。
身の程を知らない者は、決して苦難から逃れることはできない。
だが、自分を知る者には、いかなる危険も及ばない。
身の程を知る者は、いかなることも、起こるがままにまかせ、心静かである。
彼は、自分が、人生や世界に対し、何の影響を及ぼすこともできないということを知っているのだ。
それを無条件に受け入れたのである。
それが、身の程を知るという、優れた知恵を得たということであり、自分自身を知ったことになるのである。
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