昔見た映画で、ある若い詐欺師が、彼のボスに、金持ちに見える方法を伝授されていたのが面白かった。本当の彼は、金持ちどころか貧民だった。
ホテルに到着した時の心構えとして、「荷物を自分で持つな」「部屋に案内されたら、まず部屋にケチをつけろ。『殺風景だな』とか。金持ちは文句が多い」などであった。
他にも、「プールを見て、はしゃぐな(見飽きているはずだから)」「海をぼーっと見るな(理由は忘れた)」などがあった。
本当かどうか知らないが、米国の大物俳優や大物ミュージシャンには、ホテルに宿泊する際、部屋の造りや内装に自分好みの注文を出す者がいるらしい。壁の色やカーテンの色、家具や絨毯の好みから、シーツの端からステッチの幅も指定してくるということもあると聞いたことがある。工事が必要な改造を通達してくる者もいるとか。
まあ、本当かどうか知らないし、別にどうでもいいことだ。
ただ、どれも、本当に愚かだと笑えるものだ。
いや、慈悲深く、哀れむべきかもしれない。
そんな馬鹿げた性質にとりつかれてしまった者には、間違いなく悲惨が待っているからだ。人類史上、いまだかつて、例外は1つも無い。
そういったことをする大物達は、家庭で大きな問題を抱え、友に裏切られ、離婚して多額の慰謝料を請求され、健康を損ない、麻薬に手を出し、事業に失敗し、人生に疲れ果て、悔恨と屈辱の中で死んでいく。周りの誰も、彼らのために、本当の幸福について教えてあげることができない。
なぜそうなるかというと、そういった自然に反したことは、個人の心がつながっている、永遠の心を傷付けることになるからだ。
その永遠の心を神と言うなら、それは、神の望むことではない。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、自分の心の本体である、天照大神の心を傷付けることを何より恐れた。怒ったり、悲しんだり、欲をかいたりはもちろん、恐れたり、驚いた時すら、神の心を傷付けたことを反省した。
人類の中で、神の心に最も近い心でいた1人がイエス・キリストだとすれば、イエスが、どうするか考えればいい。
イエスが、自分の荷物を決して自分で持たないだろうか?
イエスが、宿泊する部屋に案内されて、「殺風景だ」と言うだろうか?
イエスが、ホテルの部屋の壁の色はブルーでないといけないと主張するだろうか?カーテンはピンクだと指定してくるだろうか?
米国の大物達もキリスト教徒のはずだが、おかしなものである。
イエスも釈迦も、別に難しいことを教えたのではない。ただ、大きな理に従えと言っただけだ。ただ、当たり前をやれということだ。
禅語にも、「朝御飯は食べたかね?」「はい」「では、食器を洗いなさい」というだけの短いものがあるが、この話にあれこれ難しい解釈をする「禅の専門家」がいるらしい。しかし、これを当たり前に受け入れれば、悟りすら開けるのである。
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ホテルに到着した時の心構えとして、「荷物を自分で持つな」「部屋に案内されたら、まず部屋にケチをつけろ。『殺風景だな』とか。金持ちは文句が多い」などであった。
他にも、「プールを見て、はしゃぐな(見飽きているはずだから)」「海をぼーっと見るな(理由は忘れた)」などがあった。
本当かどうか知らないが、米国の大物俳優や大物ミュージシャンには、ホテルに宿泊する際、部屋の造りや内装に自分好みの注文を出す者がいるらしい。壁の色やカーテンの色、家具や絨毯の好みから、シーツの端からステッチの幅も指定してくるということもあると聞いたことがある。工事が必要な改造を通達してくる者もいるとか。
まあ、本当かどうか知らないし、別にどうでもいいことだ。
ただ、どれも、本当に愚かだと笑えるものだ。
いや、慈悲深く、哀れむべきかもしれない。
そんな馬鹿げた性質にとりつかれてしまった者には、間違いなく悲惨が待っているからだ。人類史上、いまだかつて、例外は1つも無い。
そういったことをする大物達は、家庭で大きな問題を抱え、友に裏切られ、離婚して多額の慰謝料を請求され、健康を損ない、麻薬に手を出し、事業に失敗し、人生に疲れ果て、悔恨と屈辱の中で死んでいく。周りの誰も、彼らのために、本当の幸福について教えてあげることができない。
なぜそうなるかというと、そういった自然に反したことは、個人の心がつながっている、永遠の心を傷付けることになるからだ。
その永遠の心を神と言うなら、それは、神の望むことではない。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、自分の心の本体である、天照大神の心を傷付けることを何より恐れた。怒ったり、悲しんだり、欲をかいたりはもちろん、恐れたり、驚いた時すら、神の心を傷付けたことを反省した。
人類の中で、神の心に最も近い心でいた1人がイエス・キリストだとすれば、イエスが、どうするか考えればいい。
イエスが、自分の荷物を決して自分で持たないだろうか?
イエスが、宿泊する部屋に案内されて、「殺風景だ」と言うだろうか?
イエスが、ホテルの部屋の壁の色はブルーでないといけないと主張するだろうか?カーテンはピンクだと指定してくるだろうか?
米国の大物達もキリスト教徒のはずだが、おかしなものである。
イエスも釈迦も、別に難しいことを教えたのではない。ただ、大きな理に従えと言っただけだ。ただ、当たり前をやれということだ。
禅語にも、「朝御飯は食べたかね?」「はい」「では、食器を洗いなさい」というだけの短いものがあるが、この話にあれこれ難しい解釈をする「禅の専門家」がいるらしい。しかし、これを当たり前に受け入れれば、悟りすら開けるのである。
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