形を忘れなければ幸福になれず、生きがいもなく、心安らかでいることもできない。
自分は背が低いから駄目だとか、もう40歳を過ぎたから先が見えたなどというのは、あまりにも形に囚われているのだ。
私が知っている、一番もてる男は、身長が157cmだった。
ジャイアント馬場さんは207cmもあって、かえってそれで劣等感を持っていた。しかし、馬場さんだって、そんなことに悩むべきではなかったのだ。
そして、157cmと207cmでは、たったの50cmしか違わない。
ルイス・キャロルは、60歳を過ぎても、少女のガールフレンドが一杯いた。彼は、生涯に渡り、少女にばかり、膨大な数の手紙を出したが(男の子にも1通だけ出していることが確認されているらしいが)、その中に、秘訣らしいことが書かれている。それは、「忘れることはこの上なく楽しい」ということだ。彼は、自分の年なんて忘れていた。彼と長い間親しかった少女は、彼が60歳を過ぎても、顔にしわ1つなく、若々しかったことを書き残している。歳を忘れれば、歳など取らないのだ。
実は、私もそうだった。ある時期、家の前は遊びに来る少女達が鈴なりだった(私は20歳を過ぎていた)。みんなとても可愛い小学生で、ちょっと家族を心配させたようだが、同じ目線に立っていれば、対等に付き合えるものだ。
ゲーテにいたっては、70歳を過ぎて10代の美少女の恋人がいた。しかし、彼はかっこいいおじ様などではなかった。確かに、彼は、若い時は美青年だったが、中年過ぎた頃、彼に憧れて彼の家を訪れた青年が、あきらかな失望の色を示すほど肥満して醜かった。しかし、その頃も、ずっと若い恋人がいたのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、ある時、掛け軸にするための書を書いて、人に授けた。その字を見た優れた書家が、文字から溢れる人徳の高さに感動したが、よくよく見て、「これは18歳か20歳の人の書いた字のようだが、その若さでこれほどの人徳があるとは・・・」と不思議がった。それを書いた宗忠は68歳だったが、確かに、18歳の気分で書いた書だったのだ。宗忠は、年齢などどうにでも出来たのである。そして、習い事をする時は、8つの子供のつもりでやれば上達しやすいと言っていたようだ。
ジョセフ・マーフィーも、神に頼みごとをする時は、8つの少年にならなければ駄目だと言った。そして、一途に神を信じるなら、どんな願いも叶うのである。
『荘子』に、最悪の醜男が、男にも女にももてまくる話がある。若い娘は妾でもいいから側に置いて欲しいと言い、男は皆、彼と義兄弟の契りを結びたがる。王様は、彼に国の政治を任せて、共に国の繁栄を喜ぶことを生きがいとしたがる。しかし、その男は、醜いばかりか、何もできず、知恵や見識がある訳でもないのだ。
荘子は、孔子の口を借り、その秘密を語る。この男は、あらゆる作為を捨て、道(タオ)と一体化しているので、皆、彼の形など忘れてしまうばかりか、彼から感じる、道に惹きつけられるのだ。詳しい説明は、『荘子』を読まれたい。
道元は、仏道(仏教)を一言で言うなら、「自己を忘れること」と言った。
姿、年齢、地位、富、名前、家柄・・・その程度のことすら忘れれば、天下無敵である。ましてや、自己の全てを忘れれば、神や仏に等しい。
中島敦の『名人伝』(『列子』にもほぼ同じ話がある)では、天下一の弓の名人が、ある時、なにかの道具を見て、どこかで見たことがあると思うが、それが何かどうしても思い出せなかった。それは・・・弓だったのだ。
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自分は背が低いから駄目だとか、もう40歳を過ぎたから先が見えたなどというのは、あまりにも形に囚われているのだ。
私が知っている、一番もてる男は、身長が157cmだった。
ジャイアント馬場さんは207cmもあって、かえってそれで劣等感を持っていた。しかし、馬場さんだって、そんなことに悩むべきではなかったのだ。
そして、157cmと207cmでは、たったの50cmしか違わない。
ルイス・キャロルは、60歳を過ぎても、少女のガールフレンドが一杯いた。彼は、生涯に渡り、少女にばかり、膨大な数の手紙を出したが(男の子にも1通だけ出していることが確認されているらしいが)、その中に、秘訣らしいことが書かれている。それは、「忘れることはこの上なく楽しい」ということだ。彼は、自分の年なんて忘れていた。彼と長い間親しかった少女は、彼が60歳を過ぎても、顔にしわ1つなく、若々しかったことを書き残している。歳を忘れれば、歳など取らないのだ。
実は、私もそうだった。ある時期、家の前は遊びに来る少女達が鈴なりだった(私は20歳を過ぎていた)。みんなとても可愛い小学生で、ちょっと家族を心配させたようだが、同じ目線に立っていれば、対等に付き合えるものだ。
ゲーテにいたっては、70歳を過ぎて10代の美少女の恋人がいた。しかし、彼はかっこいいおじ様などではなかった。確かに、彼は、若い時は美青年だったが、中年過ぎた頃、彼に憧れて彼の家を訪れた青年が、あきらかな失望の色を示すほど肥満して醜かった。しかし、その頃も、ずっと若い恋人がいたのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、ある時、掛け軸にするための書を書いて、人に授けた。その字を見た優れた書家が、文字から溢れる人徳の高さに感動したが、よくよく見て、「これは18歳か20歳の人の書いた字のようだが、その若さでこれほどの人徳があるとは・・・」と不思議がった。それを書いた宗忠は68歳だったが、確かに、18歳の気分で書いた書だったのだ。宗忠は、年齢などどうにでも出来たのである。そして、習い事をする時は、8つの子供のつもりでやれば上達しやすいと言っていたようだ。
ジョセフ・マーフィーも、神に頼みごとをする時は、8つの少年にならなければ駄目だと言った。そして、一途に神を信じるなら、どんな願いも叶うのである。
『荘子』に、最悪の醜男が、男にも女にももてまくる話がある。若い娘は妾でもいいから側に置いて欲しいと言い、男は皆、彼と義兄弟の契りを結びたがる。王様は、彼に国の政治を任せて、共に国の繁栄を喜ぶことを生きがいとしたがる。しかし、その男は、醜いばかりか、何もできず、知恵や見識がある訳でもないのだ。
荘子は、孔子の口を借り、その秘密を語る。この男は、あらゆる作為を捨て、道(タオ)と一体化しているので、皆、彼の形など忘れてしまうばかりか、彼から感じる、道に惹きつけられるのだ。詳しい説明は、『荘子』を読まれたい。
道元は、仏道(仏教)を一言で言うなら、「自己を忘れること」と言った。
姿、年齢、地位、富、名前、家柄・・・その程度のことすら忘れれば、天下無敵である。ましてや、自己の全てを忘れれば、神や仏に等しい。
中島敦の『名人伝』(『列子』にもほぼ同じ話がある)では、天下一の弓の名人が、ある時、なにかの道具を見て、どこかで見たことがあると思うが、それが何かどうしても思い出せなかった。それは・・・弓だったのだ。
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