世間で聞く英語の奨めは、英語ビジネスの宣伝か、学校の妄想かだろう。
ビジネスや政治のような大きな利益の絡むことで中途半端な英語など危なくて使えるはずがない。TOEICの成績が満点に近かろうが文化の理解や専門知識が無ければ中途半端は中途半端だし、日本語で話したって深刻な失言をするのに、ましてや、外国語では、自分で気付かないうちに、ピストルで撃たれても仕方がないようなことを言いかねない。多分、本当だと思うが、大リーグで活躍した日本のプロ野球選手が、缶コーヒーを飲んで「苦!」と言ったら、近くにいた巨漢の黒人選手に殴られたらしい。ニグロ(黒人)と言ったのと勘違いされたのだ。ニグロは学術用語ではあるが、アメリカでは人種差別を感じさせる言い方だからだ。
また、イケメンの西洋人や金髪の美少女の恋人が欲しいという願望が悪いとは言わないが、そのために英語を学ぶというのは順序が逆で、そんな恋人を作って、彼、あるいは彼女に英語を教われば良い。そもそも、向こうが必死で日本語を覚えるようでなければ、近付きになれても、奴隷や下僕みたいなものだ(それでもいいのかもしれないが)。
私は、英語は中学生レベルも怪しいが、少し勉強しようという気になってきた。
英訳の『老子』や『バガヴァッド・ギーター』に興味があるからだ。
これらの原典は、中国語やサンスクリット語(インドの古代言語)で、日本語の翻訳も沢山あるが、英訳に極めて素晴らしい名訳があるようなのだ。
『老子』は、日本語への翻訳の際、英語訳を参考にするのが常識と言って良いほどだ。
英文学者の加島祥造さんは、タオイスト(老荘思想愛好者)を自称しているが、和訳された老子を読んでもさっぱり分からなかったが、英訳の老子を読んでやっと分かったという。いかに英文学者でも、やはり日本語の方が明快なはずだが、それでも英訳の方が良かったのである。
日本語で書かれた『バガヴァッド・ギーター』は、原典からの翻訳を売り物にする本がほとんどだが、英訳から和訳した三浦関造さんのものが素晴らしいのである。これも、やはり英語の名訳があるからだ。
中国語すらそうだが、インドの言葉も、日本語よりはるかに英語的なのである。そして、『老子』や『バガヴァッド・ギーター』は叙事詩なのであり、芸術、文学、哲学などを深く理解する者が英訳したものが素晴らしいというのは当然かもしれない。そして、優れた英語版から和訳した三浦関造さんはヨーガの大家で、古代インドの思想に詳しい。彼の和訳が格調高く、心に響くのは当然かもしれない。
私は、人類の至高の聖典は、『エメラルド・タブレット』と『バガヴァッド・ギーター』であると思う。しかも、これらは、原典がはっきり残っており、回りくどい神話で書かれていないところも良いと思う。『老子』は後の加筆や改ざんがいくらかはあるし、漢字一字ですら、その意味に諸説あるほどだし、『聖書』は、やはり改ざんの問題と共に、あまりに象徴的に書かれていて、理解が容易ではない。ただし、直観を働かせて読むなら、『老子』や『聖書』の価値もまた計り知れないのも確かである。
尚、『バガヴァッド・ギーター』は神話の一部ではあるが、教えそのものは直接的に書かれているのである。
『エメラルド・タブレット』は、2万年前に書かれた純粋なものの原典はアトランティス語で、それの直接の翻訳は、ドーリル博士が英語で書いたものだけだ。これは、日本語の翻訳が2つあり、翻訳者のプロフィールなどから、共に素晴らしいと思うが、大変な冒険の末、エメラルド・タブレットを発見した、そして、大賢者であったドリール博士の英訳も味わってみたいものである。
こういったことのために、英語を学ぶというのは、非常に良いことと思うが、そのようなことを、世間では誰も言わないのである。
下に、三浦関造さん訳の『バガヴァッド・ギータ』である『至高者の歌』、英訳を参考にした小川環樹さんの名訳である『老子』、そして、『エメラルド・タブレット』をご紹介しておく。
三浦関造さんの『至高者の歌』は文語で、やや読み辛いと思うかもしれないが、文語に慣れていない私が読んでも、非常に心に響くのである。ただ、田中嫺玉さんの、サンスクリット原典からの翻訳も、分かり易い上、解説も丁寧だ。田中嫺玉さんは、三浦関造さんの『至高者の歌』も参考にしたことも書いている。
尚、『至高者の歌』は、旧版は校正に誤りが多いので、古書を買う際は注意されたい。下記に紹介したものが最終版である。三浦関造さんは昭和35年に亡くなられているが、ヨーガの大研究者であった彼の著作を絶やしてはならないと思う。
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ビジネスや政治のような大きな利益の絡むことで中途半端な英語など危なくて使えるはずがない。TOEICの成績が満点に近かろうが文化の理解や専門知識が無ければ中途半端は中途半端だし、日本語で話したって深刻な失言をするのに、ましてや、外国語では、自分で気付かないうちに、ピストルで撃たれても仕方がないようなことを言いかねない。多分、本当だと思うが、大リーグで活躍した日本のプロ野球選手が、缶コーヒーを飲んで「苦!」と言ったら、近くにいた巨漢の黒人選手に殴られたらしい。ニグロ(黒人)と言ったのと勘違いされたのだ。ニグロは学術用語ではあるが、アメリカでは人種差別を感じさせる言い方だからだ。
また、イケメンの西洋人や金髪の美少女の恋人が欲しいという願望が悪いとは言わないが、そのために英語を学ぶというのは順序が逆で、そんな恋人を作って、彼、あるいは彼女に英語を教われば良い。そもそも、向こうが必死で日本語を覚えるようでなければ、近付きになれても、奴隷や下僕みたいなものだ(それでもいいのかもしれないが)。
私は、英語は中学生レベルも怪しいが、少し勉強しようという気になってきた。
英訳の『老子』や『バガヴァッド・ギーター』に興味があるからだ。
これらの原典は、中国語やサンスクリット語(インドの古代言語)で、日本語の翻訳も沢山あるが、英訳に極めて素晴らしい名訳があるようなのだ。
『老子』は、日本語への翻訳の際、英語訳を参考にするのが常識と言って良いほどだ。
英文学者の加島祥造さんは、タオイスト(老荘思想愛好者)を自称しているが、和訳された老子を読んでもさっぱり分からなかったが、英訳の老子を読んでやっと分かったという。いかに英文学者でも、やはり日本語の方が明快なはずだが、それでも英訳の方が良かったのである。
日本語で書かれた『バガヴァッド・ギーター』は、原典からの翻訳を売り物にする本がほとんどだが、英訳から和訳した三浦関造さんのものが素晴らしいのである。これも、やはり英語の名訳があるからだ。
中国語すらそうだが、インドの言葉も、日本語よりはるかに英語的なのである。そして、『老子』や『バガヴァッド・ギーター』は叙事詩なのであり、芸術、文学、哲学などを深く理解する者が英訳したものが素晴らしいというのは当然かもしれない。そして、優れた英語版から和訳した三浦関造さんはヨーガの大家で、古代インドの思想に詳しい。彼の和訳が格調高く、心に響くのは当然かもしれない。
私は、人類の至高の聖典は、『エメラルド・タブレット』と『バガヴァッド・ギーター』であると思う。しかも、これらは、原典がはっきり残っており、回りくどい神話で書かれていないところも良いと思う。『老子』は後の加筆や改ざんがいくらかはあるし、漢字一字ですら、その意味に諸説あるほどだし、『聖書』は、やはり改ざんの問題と共に、あまりに象徴的に書かれていて、理解が容易ではない。ただし、直観を働かせて読むなら、『老子』や『聖書』の価値もまた計り知れないのも確かである。
尚、『バガヴァッド・ギーター』は神話の一部ではあるが、教えそのものは直接的に書かれているのである。
『エメラルド・タブレット』は、2万年前に書かれた純粋なものの原典はアトランティス語で、それの直接の翻訳は、ドーリル博士が英語で書いたものだけだ。これは、日本語の翻訳が2つあり、翻訳者のプロフィールなどから、共に素晴らしいと思うが、大変な冒険の末、エメラルド・タブレットを発見した、そして、大賢者であったドリール博士の英訳も味わってみたいものである。
こういったことのために、英語を学ぶというのは、非常に良いことと思うが、そのようなことを、世間では誰も言わないのである。
下に、三浦関造さん訳の『バガヴァッド・ギータ』である『至高者の歌』、英訳を参考にした小川環樹さんの名訳である『老子』、そして、『エメラルド・タブレット』をご紹介しておく。
三浦関造さんの『至高者の歌』は文語で、やや読み辛いと思うかもしれないが、文語に慣れていない私が読んでも、非常に心に響くのである。ただ、田中嫺玉さんの、サンスクリット原典からの翻訳も、分かり易い上、解説も丁寧だ。田中嫺玉さんは、三浦関造さんの『至高者の歌』も参考にしたことも書いている。
尚、『至高者の歌』は、旧版は校正に誤りが多いので、古書を買う際は注意されたい。下記に紹介したものが最終版である。三浦関造さんは昭和35年に亡くなられているが、ヨーガの大研究者であった彼の著作を絶やしてはならないと思う。
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