自分より若い人を羨ましいと思うだろうか?
70代の引退した人が30代の上り坂のビジネスマンに、40代で体力がなくなり、お腹も出てきた男性が23歳のすっきりした身体つきの若者に、あるいは、20代の十分若い女性がノーメークで美しい女子高生に、羨ましいと感じるものだろうか?
渡部昇一さんの1977年の著書「知的風景の中の女性」という古い本にあるが、大学のパーティーで、たまたまパートナーが見つからなかった男子大学生が 16歳の従妹を連れていったところ、女子大生がみんな惨めなほどオバさんに見えたという話がある。そして、あくまで当時のであるが、渡部さんは、無限の権力を持つ男性なら、本音としては10代半ばの女性を求めるだろうといったことを書いていたと思う。確かに、皇帝ナポレオンの恋人は15歳だったし、51歳のシーザーは15歳のクレオパトラに出逢って全能の力を発揮し、聖徳太子の側室(正妻以外の妻)はことごとに10代前半だったりである。60過ぎのピカソは、「僕、ピカソ」の一言で通用する口説き文句で16歳の美術学校の女生徒をナンパし、あげく、結婚している。
男の場合は、「時をかけるおじさん」サンジェルマン伯爵は、単なる伝説かもしれないが、好きな年齢から老化しなかったというが、その年齢を、風格と若々しさを併せ持つ40歳としたらしい。有名なヨーギ(ヨガ行者)のババジは数世紀に渡って生きたとされるが、外見はずっと25歳から35歳(現代的には35歳ということと思う)であったと言われる。
例えば、50歳と18歳の人がいるとする。一般的には、若さの違いは明らかである。
しかし、50年経てば、18歳の人は68歳だ。では、50歳だった人は100歳であるのだが、80歳で「若死」し、すぐに転生したので20歳であったりする。
もし、そういったことが本当のことなら、若いことは良いことだとしても、別に羨ましいことではない。
それを信じられないのは、なんと言っても前世の記憶がないからである。
ところが、本人もあまり言わないし、言う必要も感じていない場合が多いが、前世をはっきり憶えている人もいるかもしれない。
ただ、「300年前は武士で」とか、「5000年前は神官だった」とか言う人は、おそらく単なる妄想だろう。仮に本当だとしても、その間の別の生を忘れているか、押し殺しているのだろう。日陰者やろくでなしだった人生など忘れたいものかもしれない。
前世に執着しないなら、憶えていることが出来るだろう。
例えば、前世での自分の子供などの家族や親友に逢って、そうと認識できても、ただ、全ての人に対するのと同じ平等な愛情だけを感じるほどに進化したなら、前世を忘れる必要もない。
前世を記憶している人をことさらに取り上げる本などもあるが、子供は案外によく憶えているものであるし、前世の自分の姿を現実と変わらないくらいはっきりと見て、大人にその話をするので、子供は空想の友達を持っているとか言われる。もっとも、現在では、子供は大人にそんな話をしなくなった。即座に否定されるか、そうでないとしても、大人が真面目に聞かないからだ。精神医学や心理学では、そのようなケースをあたりさわりのない仮設で説明し、それが一般論になったりもしていると思う。
もし、前世のことを明晰に憶えていられるなら、死も全く恐ろしいものではなくなる。
政木和三さんは、80歳を過ぎていた時、「自分はとっくに死んでいるはずだが、神様が何度も延命させてくれた。この身でやることがあったし、楽しくはあったが、そろそろ新しい身体が欲しい」と、よく言われていた。
死が恐くないと言っても、自殺をすると必然的に厳しい来世になる可能性があるし、年をとったり病気になった身体をうまく扱うことは良い学びになり、心がけ次第で楽しくなることも多い。決して老化しない方法を見つけて楽しむことも出来る。斎藤一人さんは200歳まで生きると大真面目に言っておられるらしいが、別段、驚くことでもない。私は、人間は潜在的に数百年、若いままで生きられると思っているし、私は、生前の政木和三さんに「君は千年生きられる」と言われたものだ。
政木さんは70歳を過ぎて身長が伸び、50歳過ぎて始めたゴルフでは70歳を過ぎてもプロのパワーゴルファーより飛距離を出せた。ヘンリー・フォードが愛読したトラインの著書には80代なのに25歳の女性に劣らない若さを持つ女性の話がある(下記の2冊目に紹介する書籍の80ページ)。
年齢に関する世間の考え、信念など捨てることだ。自分が何歳だとか思うこともほとんど意味はない。ただ、日々学び向上することが大切なのである。
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70代の引退した人が30代の上り坂のビジネスマンに、40代で体力がなくなり、お腹も出てきた男性が23歳のすっきりした身体つきの若者に、あるいは、20代の十分若い女性がノーメークで美しい女子高生に、羨ましいと感じるものだろうか?
渡部昇一さんの1977年の著書「知的風景の中の女性」という古い本にあるが、大学のパーティーで、たまたまパートナーが見つからなかった男子大学生が 16歳の従妹を連れていったところ、女子大生がみんな惨めなほどオバさんに見えたという話がある。そして、あくまで当時のであるが、渡部さんは、無限の権力を持つ男性なら、本音としては10代半ばの女性を求めるだろうといったことを書いていたと思う。確かに、皇帝ナポレオンの恋人は15歳だったし、51歳のシーザーは15歳のクレオパトラに出逢って全能の力を発揮し、聖徳太子の側室(正妻以外の妻)はことごとに10代前半だったりである。60過ぎのピカソは、「僕、ピカソ」の一言で通用する口説き文句で16歳の美術学校の女生徒をナンパし、あげく、結婚している。
男の場合は、「時をかけるおじさん」サンジェルマン伯爵は、単なる伝説かもしれないが、好きな年齢から老化しなかったというが、その年齢を、風格と若々しさを併せ持つ40歳としたらしい。有名なヨーギ(ヨガ行者)のババジは数世紀に渡って生きたとされるが、外見はずっと25歳から35歳(現代的には35歳ということと思う)であったと言われる。
例えば、50歳と18歳の人がいるとする。一般的には、若さの違いは明らかである。
しかし、50年経てば、18歳の人は68歳だ。では、50歳だった人は100歳であるのだが、80歳で「若死」し、すぐに転生したので20歳であったりする。
もし、そういったことが本当のことなら、若いことは良いことだとしても、別に羨ましいことではない。
それを信じられないのは、なんと言っても前世の記憶がないからである。
ところが、本人もあまり言わないし、言う必要も感じていない場合が多いが、前世をはっきり憶えている人もいるかもしれない。
ただ、「300年前は武士で」とか、「5000年前は神官だった」とか言う人は、おそらく単なる妄想だろう。仮に本当だとしても、その間の別の生を忘れているか、押し殺しているのだろう。日陰者やろくでなしだった人生など忘れたいものかもしれない。
前世に執着しないなら、憶えていることが出来るだろう。
例えば、前世での自分の子供などの家族や親友に逢って、そうと認識できても、ただ、全ての人に対するのと同じ平等な愛情だけを感じるほどに進化したなら、前世を忘れる必要もない。
前世を記憶している人をことさらに取り上げる本などもあるが、子供は案外によく憶えているものであるし、前世の自分の姿を現実と変わらないくらいはっきりと見て、大人にその話をするので、子供は空想の友達を持っているとか言われる。もっとも、現在では、子供は大人にそんな話をしなくなった。即座に否定されるか、そうでないとしても、大人が真面目に聞かないからだ。精神医学や心理学では、そのようなケースをあたりさわりのない仮設で説明し、それが一般論になったりもしていると思う。
もし、前世のことを明晰に憶えていられるなら、死も全く恐ろしいものではなくなる。
政木和三さんは、80歳を過ぎていた時、「自分はとっくに死んでいるはずだが、神様が何度も延命させてくれた。この身でやることがあったし、楽しくはあったが、そろそろ新しい身体が欲しい」と、よく言われていた。
死が恐くないと言っても、自殺をすると必然的に厳しい来世になる可能性があるし、年をとったり病気になった身体をうまく扱うことは良い学びになり、心がけ次第で楽しくなることも多い。決して老化しない方法を見つけて楽しむことも出来る。斎藤一人さんは200歳まで生きると大真面目に言っておられるらしいが、別段、驚くことでもない。私は、人間は潜在的に数百年、若いままで生きられると思っているし、私は、生前の政木和三さんに「君は千年生きられる」と言われたものだ。
政木さんは70歳を過ぎて身長が伸び、50歳過ぎて始めたゴルフでは70歳を過ぎてもプロのパワーゴルファーより飛距離を出せた。ヘンリー・フォードが愛読したトラインの著書には80代なのに25歳の女性に劣らない若さを持つ女性の話がある(下記の2冊目に紹介する書籍の80ページ)。
年齢に関する世間の考え、信念など捨てることだ。自分が何歳だとか思うこともほとんど意味はない。ただ、日々学び向上することが大切なのである。
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