あまりにショキングな出来事があると、人はそれに関する記憶を失ってしまうことがあるらしい。もし、そのことを憶えていたら、精神が深刻な障害を受けかねず、それを回避するために働く、脳に備わった自立機能のようで、それが本当なら、なんとも素晴らしい能力である。
小説では、筒井康隆さんの『悪夢の真相』(角川文庫版『時をかける少女』に同時収録)や、L.ロン.ハバートの『フィアー』などにそんな話があるが、実に面白かった。
子供が見るアニメではあまりに残酷なのでストーリーが変更されたのだと思うが、武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』では、セーラームーンこと月野うさぎは、恋人の地場衛(ちばまもる)が、目の前で肉体が崩壊して死ぬのを見たのに、彼女の意思は、それを完全に記憶から抹消してしまう。
『ウルトラセブン 失われた記憶』(1998)では、大爆発に巻き込まれ、記憶を失くしたセブンは、人間の姿で、肉体労働者としてある母娘の家で暮らしながら、夜空の星を見上げては懐かしさを感じていた(セブンはM78星雲から来た宇宙人である)。
真下耕一監督のアニメ作品『NOIR』や『エル・カザド』でも、それぞれ記憶を失った少女が登場するが、これらの美少女達が本当は何者なのかというところが作品に神秘的な魅力を与えているのである。
だが、我々は、最も大切なことに気付いていない。
それは、我々自身が、大いなる記憶喪失者であることだ。
我々は、自分が本当は誰なのかを忘れてしまっているのである。しかも、そのことが全く分からない。
人間というのは、自分を、周囲との関係性でしか理解できない。その最も基本的なものが、自分が生まれた家であり、両親である。そして、父親より母親との関係で自分を認識する。
父親の場合はさほどでないが、自分の本当の母親が分からないことは、人間にとって実に不安なもので、それで、『母をたずねて3千里』のようなお話が世界的なものになるのである。
しかし、母親との関係なんてものは、とりあえずの相対的なものにしか過ぎない。人間は、そのことが分からない。そんな仮のもので一応納得しているが、実は、心の奥では、自分が何者か分からない大きな不安を持っているのである。
人は、自分が誰なのか分からないという潜在的な不安に動かされ、この世で自分というものをしっかりと確立したくて、自分の揺るぎない確固たる居場所を求める。それで地位や富を得ようと狂奔したり、偉大な男の妻になることに憧れたり、多くの人に名を知られる業績を上げることを夢見るのである。
だが、いかに富を得、有名になり、賞賛されても、不安はいっこうに拭えない。それどころか、得れば得るほどに不安が大きくなり、絶望に陥っていくのだ。
驚くべきことに、世界でも指折りの成功者ほど、実際は惨めなのである。
世間での自分など、偽者とは言わないが、仮のものに過ぎない。そんなものを追求することに意味はない。
現在、深夜に放送されているアニメ『BLOOD-C』で、主人公の更衣小夜(きさらぎさや)が苦しげな表情で言う。
「私の名は更衣小夜。私立三荊学園高校の2年生。お友達はねねさん、ののさん、優花さん・・・。父様の更衣唯芳は浮島神社の神主で・・・」
自分のことを必死で語るが、そんなことは彼女にはどうでもいいことだった。ある大きなことが分からないからだ。
我々も同じなのだ。本当に肝心なことが何も分からない。
『BLOOD-C』で、小夜は、「自分が何者なのかをよく考えろ」と言われるが、我々も、本当はそうしなければならない。
20世紀の初め、ラマナ・マハルシは我々に、探求すべき最大の問題を提示した。
「私は誰か?」
それを常に自分に問うことを薦めた。
それが分からなければ何も分からない。逆に、それを知れば全てが分かる。
だが、マハルシの著作は分かり難い。彼は、実際は、ほとんど会話をしなかった。そして、話したことも、誰かが著述し、翻訳する中で齟齬が生じる。
マハルシを崇拝する者は我が国にも多いと思うが、そのことで悩む人もいるかもしれない。
スコットランド出身の神学者マード・マクドナルド・ベインの身体を借り、イエスはこう言った。
『自分は一体何なのか?』
この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい。
~『心身の神癒-主、再び語り給う-』(霞ヶ関書房)より~
これは、答を作るのではない。思い出すのだ。
決して他人に尋ねてはならないし、他人の答えを聞こうと思ってもならない。
アンサーを求めないこと
つねにクエスチョンを
自らの意志を信頼して
投げかけること
~『リメンバリング』(徳間書店5次元文庫)より~
※著者は、本書は特殊な読者のために書いたのだから気楽に買うなと警告している
本当の自分が分かれば、全ての問題は解決する。
病気は消えるし、お金で困ることもなくなる。人間関係も解決する。
いや、問題は消えるのだ。いやいや、元々、問題なんて存在しなかったと分かるだけだ。
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小説では、筒井康隆さんの『悪夢の真相』(角川文庫版『時をかける少女』に同時収録)や、L.ロン.ハバートの『フィアー』などにそんな話があるが、実に面白かった。
子供が見るアニメではあまりに残酷なのでストーリーが変更されたのだと思うが、武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』では、セーラームーンこと月野うさぎは、恋人の地場衛(ちばまもる)が、目の前で肉体が崩壊して死ぬのを見たのに、彼女の意思は、それを完全に記憶から抹消してしまう。
『ウルトラセブン 失われた記憶』(1998)では、大爆発に巻き込まれ、記憶を失くしたセブンは、人間の姿で、肉体労働者としてある母娘の家で暮らしながら、夜空の星を見上げては懐かしさを感じていた(セブンはM78星雲から来た宇宙人である)。
真下耕一監督のアニメ作品『NOIR』や『エル・カザド』でも、それぞれ記憶を失った少女が登場するが、これらの美少女達が本当は何者なのかというところが作品に神秘的な魅力を与えているのである。
だが、我々は、最も大切なことに気付いていない。
それは、我々自身が、大いなる記憶喪失者であることだ。
我々は、自分が本当は誰なのかを忘れてしまっているのである。しかも、そのことが全く分からない。
人間というのは、自分を、周囲との関係性でしか理解できない。その最も基本的なものが、自分が生まれた家であり、両親である。そして、父親より母親との関係で自分を認識する。
父親の場合はさほどでないが、自分の本当の母親が分からないことは、人間にとって実に不安なもので、それで、『母をたずねて3千里』のようなお話が世界的なものになるのである。
しかし、母親との関係なんてものは、とりあえずの相対的なものにしか過ぎない。人間は、そのことが分からない。そんな仮のもので一応納得しているが、実は、心の奥では、自分が何者か分からない大きな不安を持っているのである。
人は、自分が誰なのか分からないという潜在的な不安に動かされ、この世で自分というものをしっかりと確立したくて、自分の揺るぎない確固たる居場所を求める。それで地位や富を得ようと狂奔したり、偉大な男の妻になることに憧れたり、多くの人に名を知られる業績を上げることを夢見るのである。
だが、いかに富を得、有名になり、賞賛されても、不安はいっこうに拭えない。それどころか、得れば得るほどに不安が大きくなり、絶望に陥っていくのだ。
驚くべきことに、世界でも指折りの成功者ほど、実際は惨めなのである。
世間での自分など、偽者とは言わないが、仮のものに過ぎない。そんなものを追求することに意味はない。
現在、深夜に放送されているアニメ『BLOOD-C』で、主人公の更衣小夜(きさらぎさや)が苦しげな表情で言う。
「私の名は更衣小夜。私立三荊学園高校の2年生。お友達はねねさん、ののさん、優花さん・・・。父様の更衣唯芳は浮島神社の神主で・・・」
自分のことを必死で語るが、そんなことは彼女にはどうでもいいことだった。ある大きなことが分からないからだ。
我々も同じなのだ。本当に肝心なことが何も分からない。
『BLOOD-C』で、小夜は、「自分が何者なのかをよく考えろ」と言われるが、我々も、本当はそうしなければならない。
20世紀の初め、ラマナ・マハルシは我々に、探求すべき最大の問題を提示した。
「私は誰か?」
それを常に自分に問うことを薦めた。
それが分からなければ何も分からない。逆に、それを知れば全てが分かる。
だが、マハルシの著作は分かり難い。彼は、実際は、ほとんど会話をしなかった。そして、話したことも、誰かが著述し、翻訳する中で齟齬が生じる。
マハルシを崇拝する者は我が国にも多いと思うが、そのことで悩む人もいるかもしれない。
スコットランド出身の神学者マード・マクドナルド・ベインの身体を借り、イエスはこう言った。
『自分は一体何なのか?』
この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい。
~『心身の神癒-主、再び語り給う-』(霞ヶ関書房)より~
これは、答を作るのではない。思い出すのだ。
決して他人に尋ねてはならないし、他人の答えを聞こうと思ってもならない。
アンサーを求めないこと
つねにクエスチョンを
自らの意志を信頼して
投げかけること
~『リメンバリング』(徳間書店5次元文庫)より~
※著者は、本書は特殊な読者のために書いたのだから気楽に買うなと警告している
本当の自分が分かれば、全ての問題は解決する。
病気は消えるし、お金で困ることもなくなる。人間関係も解決する。
いや、問題は消えるのだ。いやいや、元々、問題なんて存在しなかったと分かるだけだ。
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