ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

睡眠時間に関する誤解と、間違ったヘミシンクのやり方の危険性

昔、睡眠時間に関する、こんな主張を受け入れてしまったことがある。
普通の人の1日の平均睡眠時間が8時間として、6時間睡眠の人なら、普通の人より1年で約730時間多く起きている。これは10年で7300時間となり、起きている時間である18時間で割れば405日で、実に10年の間に13ヶ月以上も、1日8時間睡眠の人より得をすることになるというものだ。
これは、人間にとって、起きている時間のみ有益なもので、寝ている時間は何もしない無駄なものであるという考え方であり、現代までの多くの者の観念である。
だが、眠っている時間の価値は、起きている時よりはるかに大きく、眠っている時に真に有益な活動をしているのである。
眠りの価値を知る者にとっては、上の主張はまるっきり逆ということになり、睡眠時間の少ない者は、かけがえの無いものを失っていることを知っている。

ナポレオンは1日3時間睡眠であったと信じられているが、昼間は度々居眠りをしているばかりか、用が無ければ大抵座ったまま寝ているような人だったらしい。
アインシュタインは1日10時間は寝ていたし、科学雑誌Newtonの初代編集長で地球物理学者の竹内均さんは、夜9時に寝て翌朝6時に起きるのが完全な習慣で、1日9時間睡眠ということになる。概ね、本当に賢い人は長時間睡眠である。

人は眠っている時に、精妙な普遍的意識と交流し、意識の質を高め向上するのである。この普遍的意識を宇宙の英知、道(タオ)、聖霊、神と呼ぶのも良いと思う。
この宇宙の英知と接触する度合いが少な過ぎると、精神レベルは低下し、愚鈍で愚かになる。
たまに夜に会食し、夜11時も過ぎたような電車で帰ろうとすると、ほとんどいつも満員に近いほどであるが、ぞっとするほど人間性の低さを感じるような人間が大半なのである。私は、世間の仕事はなるべく早く切り上げることにしているが、会社での忘年会や新年会は全て参加を断り、会社以外での夜の会食もなるべく控えることにしている。

ただし、目覚めている時間が不要な訳でもなく、バランスが必要である。
『バガヴァッド・ギーター』にも、睡眠時間は、長過ぎても短過ぎてもいけないということが特に書かれている。
しかし、いずれにしても、睡眠時間が短過ぎるのは問題である。

ただ、ドイツのテレーゼ・ノイマンのように、全く食事もしなければ、全く眠らないが、精神性は非常に高い人もいる。
政木和三さんも1日3時間睡眠であった。
その理由は簡単で、彼らは、起きている時でも宇宙の英知と交流できたのだ。
政木さんは、子供の時に、腹式呼吸で脳波をシータ波に下げることが出来るようになったというが、脳波がシータ波に下がれば、宇宙の英知と交流できるのである。
そのため、政木さんは、脳波を速やかにアルファー波からシータ波に下げることの出来る、パラメモリという装置を発明し、これが後にアルファシータと名前を変えた新型になり、当時、政木さんが所属していた株式会社林原から、同じ原理の装置をバイオソニックの名で発売していた。
脳波が下がれば、驚異的な記憶力を発揮するので、パラメモリは特に「記憶力増強装置」として販売されていた。
パラメモリ、アルファシータ、バイオソニックの原理はヘミシンク効果といって、左右の耳から異なる周波数の音を聴くと、脳波はその周波数の差に同調するというものであり、現在よくあるヘミシンク音楽も理論的に同じものだ。
だが、本当に大切なことは、自我が弱まれば、脳波は自然にシータ波になる。
眠っている時の脳波がシータ波か、それよりもさらに低いことから、それは分かるだろう。
聖人は、自我の不要な部分が無いので、眠っても眠らなくても同じなのである。(ただし、自我にも必要な部分はあり、それは青春時代にしっかり構築する必要がある)

ただし、ヘミシンクには注意が必要だ。
脳波がアルファー波やシータ波の時に願望をイメージすると叶うからそうしろと勧める者が多いかもしれないが、そんなことをしたら恐ろしい事態を引き起こしかねない。
ヘミシンクで強制的に脳波をアルファー波やシータ波下げようとしている時に、願望をイメージして欲望を起こすと、脳波はベータ波に上がるが、脳は脳波を下げようとしてせめぎ合いを起こし、これが脳機能の逸脱を起こす可能性がある。また、眠っている時すら、脳波がシータ波に下がらないという異常事態を招きかねない。
果ては精神異常や人間性の逸脱にまで発展する可能性があり、その前段階で、幻覚や精神不安定として警告が起こる。
時々、ヘミンシンクで幽体の離脱が起こるとか、精神を異次元にトリップさせるとかいう話を聞くが、それらは、ここで述べた精神異常の前兆や、すでにおかしくなってしまった症状の場合も多いように思うのである。
宇宙の英知との交流は、自我に関わりの無いものなので、異次元体験を記憶しているといったことは無い。記憶は自我にあるものだからだ。だから、眠っている時の宇宙の英知との交流も記憶されない。もし、奇妙な異次元体験を記憶しているとか言うなら、危険な症状と思って差し支えない。
くれぐれも注意されたい。









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全ての運命が決定済みだということと、マーフィーの潜在意識の法則は全く矛盾しない

私が先月の4月7日からはっきり申し上げるようになった、人の運命は生まれてから死ぬまで全て完全に決まっているということと、以前はよくお奨めしていた、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則は矛盾するのではないかといったコメントをいただいたが、これについて説明しよう。

ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則とは、いかなる願望であろうが、それを潜在意識に刻み込めば、潜在意識に隠された無限の力がそれを実現するというものだ。
しかし、上に述べた通り、人の運命はいかなる些細な点も全て決まっており、我々にはいかなるコントロールをする力もない。我々はただ、決められた通りに動き、話し、考えるだけの操り人形のようなものである。
それらが矛盾するかと言うと、何らの矛盾もない。
私は決定された運命のことと同時に、度々、石を投げ上げれば必ず落ちてくるのが法則だと述べている。
そして、マーフィーの潜在意識の法則は、正しい法則であり、石を投げれば落ちてくるのと同様、正しく使えば必ず願いは叶う。
私は、ジョセフ・マーフィーという人は、我々が思う以上に大変な人なのだと思う。普段の生活は実に質素で、ほとんどいつも、本を書くか読むかしかせず、食事なども非常に慎ましいものであったらしい。しかし、度々世界旅行に出かけていて、馴染みになっている海外の地も数多いようだった。彼は、インドやヨーロッパの魔法結社のようなものとも、よく通じていたに違いないと思う。

まず、世界に対し、何等の支配力も持たない我々の願いが叶うかというと、それは視点によって異なる。
それは、マーフィーの本にちゃんと書いてあるのだが、マーフィーの教えを勝手な解釈で歪めた人が多いので、そんな人達の書いたものを読むと分からなくなる。
私は、以前から、マーフィーの教えは、必ず、マーフィー自身が書いた本から学べと度々強調していたのだ。
我欲の願いは決して叶わない。叶ったように見えても、それは、たまたまそういう宿命だったというだけのことだ。
一方、本心から来る願い…それは、閃きとして浮かぶものだが、そんな願いは叶う。叶うべき願いが、閃きで訪れるのである。自分では、願いが起こった後にそれが叶ったように思っているが、実はその逆で、成就は既に決まっていたことが、心の深奥から願いとして湧いてくるのである。

再度言うが、石を投げれば落ちてくるのが法則であるように、マーフィーの法則に正しく則って祈れば必ず叶う。
マーフィーは、黄金律を守れ、即ち、自分に起こって欲しいことを他人のために心から祈れと教えたはずだ。そして、憎しみは捨てなければならず、自分に悪いことをした者も赦さなければならないと常に強調していたはずだ。
我欲からの願いで、これらのことは決してできない。
しかし、魂からの願いであれば、心がすっと晴れた瞬間、これらのことが完全に成されるのである。そして、その願いは必ず叶うのだ。
ただ、マーフィーは、一般の人々に対し、彼らのものの考え方に合わせた教えを与えたのも事実だ。
それは、釈迦もイエスも同じであり、まずは、人々が受け入れ易いような話をしたのである。









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幼い時に植え付けられた偏見から魂を解き放つ

幼い時の、親からの扱われ方が、どんな人間になるかに決定的な影響を与えるというのは本当だろう。
そして、ほとんどの人が、親に悪意はないのかもしれないが、否定的な影響を大きく受けているものらしい。
「お前が大した者になれるはずがないじゃないか」
「お前は、本当に何をやっても駄目だなあ」
「ほら、やっぱり失敗した」
といった言葉を、親から日常的に言われ続けてきた者は非常に多いという調査報告もあるようだ。
アメリカの自己開発プログラムでは、このような、幼い頃の頭脳への刷り込みを克服することを目的にするものが多いようだ。
つまり、そのような否定的な言葉の反対である、「私は出来る」「私は偉大になりつつある」「私は素晴らしい」といった暗示を与え続けて、否定的な影響を消し去ろうというものだ。しかし、実際には、それは不可能というものだろう。
幼い時に頭脳に刻み込まれたことを原因とする思考傾向を取り除くことは出来ない。そして、人のものの考え方は、18歳くらいまでにほとんど決まってしまい、それを無理に変えようとしたら、極端な自信喪失や、下手をすれば精神障害を引き起こしかねない。
アインシュタインが、「常識とは、18歳までに身に付いた偏見のコレクションだ」と言ったらしいが、その彼が、量子力学の考え方をどうしても受け入れられなかったのは、彼の持っていた常識という偏見のせいだったということに、彼自身、気付いていたような節もある。
アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言って、確定的な考え方が出来ない量子力学を拒否したが、それは、彼の家庭が、ユダヤ教の神の考え方を、そのように解釈していたせいかもしれない。私は、誰かが彼に、「神のサイコロには無限の目があるのだよ」と言ってやれば良かったかもしれないと思う。

映画監督の伊丹十三さんは、精神分析学者の岸田秀さんの「唯幻論」に傾倒し、これにより、幼い頃に頭にかぶせられた偏見という重い帽子を取り除けたと語っていた。
確かに私も、唯幻論を知ると、いかなる有名な自己啓発書も大嘘か、あまりにレベルの低い子供騙しだと思ったものだ。
別に唯幻論が良いというのではないが、私は百万円を超える自己啓発プログラムや自己開発訓練もいろいろやったが、それらは、唯幻論の本1冊に軽く負けていたと思う。
伊丹さんは恐ろしい勉強家だったが、伊丹さんもそう感じたのかもしれない。
伊丹さんが自殺した理由は岸田さんにも分からないらしいが、もちろん、岸田さんのせいではないだろう。伊丹さんは、実際は、幼い時や青年時代に溜め込まれた偏見を決して克服はしなかったはずだ。それは誰にもできないのだ。

特に幼少時、そして青春時代の影響はこのように大きなものだが、生まれつきの性質については否定され勝ちだ。人間の性質の全ては環境や教育で決まるというのが「常識」のようだが、これもまた偏見である。高名な学者が、「赤ん坊を預けてくれたら、強盗にでも聖者にでもしてみせる」と言ったが、それはとんでもない無知である。同じように育てられたきょうだいでも、性質は全く異なることは少なくない。
しかし、それは置いておこう。
いずれにしても、人の一生を左右するような信念、信条、習慣、思想は青春時代までに決まってしまう。
「俺が駄目なのは親の教育が悪かったからだ」と言って親を告訴した人が本当にいたが、それなら、その親がさらにその親を告訴しなければならなくなるだろう。
我々も、「こんな親じゃなかったら、俺はもっと立派になっていたはずなのに」と思うこともあるだろう。そして、それは実際正しい。
だが、どんな性質を持って生まれ、どんな育ち方をするかは運命であり、それはどうあろうと、決して避けることの出来なかったことなのだ。
ならば、全てあるがままに受け入れるしかない。
そして、全て完全に受容したなら、性格や考え方自体は変わらないが、その束縛を断ち切ることは出来る。
私の好きな歌に、初音ミクの「1/6」というものがあるが(作詞作曲はぼーかりおどPさん)、これは、ミクが「君をいつか重力の外に連れ出して救ってあげたい」と歌うもので、この重力とは、人を縛る何か得体の知れないもののことであるらしい。
ミクは、重力の影響を断ち切る高いところに「君」を連れて行こうというのだが、その直観は素敵だ。
我々は、受容という翼を手に入れることで、高いところに上昇し、その得体の知れないものを断ち切ることが出来るのだ。
全ては運命であり、人の力で変えることは出来ない。我々には、世界や人生に対し、何のコントロールも出来ない。それは冷静に考えれば分かることだ。
しかし、それを認めることができれば、つまり受容すれば、いかなる重荷も悲痛も幻想になる。そうなれば、世界は幼稚園の学芸会かマジックショーのようなものだ。
ただ、受容できない者にとっては、全てはやはり現実なのだ。「権力も栄誉も富も幻想だ」などと軽々しく言ってはならない。凡人にとっては、それらは確固たる現実である。
しかし、イエスが言うように、この世に打ち勝てば、全ては取るに足らないものになる。
荘子が、全てをあるがままに認め、判断を捨て、一切をなりゆきに任せることができれば、万有の実相である永遠不変の道(タオ)と一体化すると言ったのは、そのような意味である。









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セレンディピティと天の羽衣

私がまだ「セレンディピティ」なんて言葉を知らなかった時、ある科学者に、「今どき、セレンディピティを知らないと文化人とは言えない」と言われたものだ。
まあ、私は別に文化人ではない。

その科学者は某大学の学長で工学博士だったが、彼に教えてもらったセレンディピティの意味は「幸運な偶然を引き寄せる能力」だった。
実は、セレンディピティという言葉に正式な定義がある訳でもないのだが、だいたいこれで良いのではと思う。
科学の分野でもよく言われる言葉で、例えば、何かの研究をしていたら、その研究とは違うことで大発明をしたといった時に、セレンディピティが発揮されて「幸運な偶然」を得たと言うのだ。

科学史上の歴史的な発明、発見には、偶然の産物と思われるものは大変に多いと言われる。
それらを、セレンディピティによるものだと言っても構わないと思う。

だが、あえて言うなら、全ての発明、発見は、1つ残らず偶然なのだ。
ただし、それは、人の立場から言えば偶然だということである。
人を超えた視点から見れば、きっとそれは、起こるべくして起こった必然だろう。

例えば、別に科学者でなくても、閃きや直感で何かを思い浮かべ、それが良いアイディアであったということは誰にでもあると思う。
それは、我々の感覚では、偶然閃いたということになるのだが、本当は必然であったに違いない。
大発明、大発見というのも、単にセンセーショナルだというだけで、本質ではそんなものと変わらない。

実をいうと、人の知性が何かまともなものを作ったということは、人類史上、一度も無いのだ。意外に思うかもしれないが、それは確かだと思う。
コンピュータや宇宙ロケットなどでなくても、ビールのビンや鉛筆ですらそうだ。
あなたは、身の回りにあるものの1つでも、自分に作れると思うだろうか?
テレビ、ラジオ、スマートフォンはもちろん、自転車、窓、靴、ペンチ等々…。それらを作る仕事をしている人だって、単に作る手順を知っているというだけの話で、自分で発明できるかと言えば、それは疑問だろう。
確かに、我々は、火やナイフや自動車をもう一度発明する必要はない。しかし、しようたって出来ないのだ。何1つ。

『2001年宇宙の旅』という映画で、争っている猿人達の一匹が、1本の骨を拾ってそれを武器にするという場面がある。それにより、その猿人は強者になり、おそらく、その後、他の猿人も真似をしたはずだ。
ところで、最初に棒状の骨を武器にした猿人は、「何か強力な武器は無いかな?」などと考えた訳ではない。不意に、これを使えばいいと、ぱっと閃いたのだ。
全ての発明、発見もそれと同じだ。
エジソンが、「発明は空間の向こうからやって来る」と言ったのが、まさにそれを言い表している。
ただ、エジソンは、発明に必要なことは、「1パーセントの閃きと99パーセントの努力」と言ったと言われる。逆に、これは、99パーセントの努力が1パーセントの閃きをもたらすとも言われ、科学者の間では、むしろ後者がよく言われるように思う。
湯川秀樹博士は、漢文学の素養があったらしいのだが、「天の羽衣が来て撫でる」なんて美しい表現をしたものだった。

いずれにしろ、その閃きが無ければ、人類は何も生み出せなかった。
そして、閃きというのは、断じて人間の知性ではない。知性を超えた何かだ。
中国の賢者、荘子は、この知恵を超えた知恵を、とりあえず明と呼んだ。
ところで、その明を得るには、「99パーセントの努力」が必要なのかというと、実際はそうではない。荘子もそう言っていない。
ただ、結果として、大きな努力をした後の方が閃きが起こりやすいのは確かだ。
その訳は、欲望があると閃きは起こらないからなのだが、散々努力してうまくいかず、疲労困憊して諦めた時に欲望が消えるからだ。
確かにその意味で、現状の人類では、激しく努力でもしなければ発明は出来ないのかもしれない。
しかし、いずれにしても、人間の知性、いわゆる、アタマが何かを作ったことは一度もないのだ。
ミサイルや原発も含め、テクノロジーそのものは善でも悪でもない。本質においては、善というよりは美と言えるだろう。
それを悪にし、醜にするのが、人間の知性なのである。

さて、知性を超えた超知性である、荘子の言う明であるが、それをどう得るかは荘子自身が『荘子』でちゃんと語っている。
何のことはない。全てをあるがままに見、思慮分別を離れ、なりゆきに任せることだ。
これほど楽なことはない。
しかし、それを誰もできない。
そもそも、大発明をするためにそれをやろうとしても無駄だ。
発明をして儲けたい、賞賛されたいという欲望があれば、決して、荘子の言うようなことは出来ないからだ。
だが、諦めてはならない。
なぜなら、明は、我々から遠いものではなく、言ってみれば、我々の故郷であり、手足よりも近いものだ。
イエスが「求めよ、そうすれば与えられるだろう」と言った時の、その与えられるものとは聖霊であるらしいが、きっとそれは、明と同じものか、あるいは、聖霊の作用が明なのであろう。
得られないはずがないものである。
イエスのこの言葉は、こう解釈しなければならない。
「求めれば、得られる過程が始まっている」
超知性、明、至高の英知、エデン、楽園の乙女、神の火花…何と呼んでも構わないが、求めれば、それが得られるプロセスは自動的に開始され、進んでいく。
我々の運命は、神により全て完全に決められているが、これに関しては運命外のことである。
運命そのものは変わらなくても、ベートーヴェンがシラーの詩を基に『歓喜の歌』で表現したように、あるいは、『バガヴァッド・ギーター』で至高神クリシュナが言ったように、我々は崇高な聖なる所に入れるのである。









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子供の時の心の晴れやかさを取り戻す方法

子供の頃というのは、悪い状況にあったとしても、どこか心が晴れているものだ。
ただ、昔なら9歳位まではそうである子供が多かったが、現在は、6歳以前に心が重く曇っている子が多くなってきた。
6歳以前に、世間的な欲望が与えられるからだ。他の子より優位に立たせるために、お稽古事や学習訓練を受けさせたり、寿司や焼肉やハンバーグなどの美味しい店に連れていってもらったりするからだ。
小学校に入ると、もう心が晴れることはほとんど無くなり、中学生になる頃には、心は重荷でしかなくなっていることが多いだろう。

幼い頃というのは、世界がお芝居の舞台で、自分がお芝居をしているのだということを自覚しているものなのである。
だから、どんな状況でも、さして不満がないので、心が澄んでいるのだ。
子供らしい子供を見ると、心が和むのはそのためだ。ただ、現在では、7つ8つにもなると、つい嫌悪感を感じてしまう子供が多いように思うのだ。

ところで、子供の頃のような心の晴れやかさを取り戻す方法がある。
仏教の修行らしいのだが、仏教との関係はよく知らない。しかし、素晴らしい方法なので感激してしまう。
例えば、道を歩いている時は、心の中で、「歩いている、歩いている」と唱え、食べている時は、「食べている、食べている」と唱える。
自分が意識的に行動しているのではなく、ただ、筋書き通りに演じているのだということを思い出す修行なのだろうと思う。
慣れてくれば、あえて心の中で、「座っている」「仕事をしている」「キスしている」と唱えなくても、ただ、自分は今、こんな演技をしているのだなあと思えば、心が安らいでくるのを感じるようになる。
いつも述べるが、人生は、最初から筋書きの決まっている舞台で、我々は役者に過ぎない。そのことを受け入れれば、自我が弱まり、心の苦しみは少なくなって、やがて、神が、自我の不要な部分を破壊してくれるだろう。そうなれば、人生は遊びに過ぎなくなる。

最近はあまり取り上げなくなったが、腕振り運動(スワイソウ)をしながら、自分がこれをやっているのではなく、やらされているのだと観じて、ただ淡々とやれば、心が澄んで来る。
そして、スワイソウで心が澄めば、健康になり、病気も治る。
なぜなら、石を放り上げれば必ず落ちてくるように、スワイソウをやって心が澄めば健康になるのが法則だからだ。
我々の舞台は、細部に至るまで神が決めたのだが、神は、法則を破るシナリオは余程のことが無い限り作らないものらしいのだ。
食の慎みもそうだ。それをあなたが出来るかどうかは、神の御心次第ではあるが、もしそれが出来れば、健康で美しくなり、運も良くなるだろう。
ただ、そのためには、欲望があってはならないのである。
自分には、世界、人生、状況をコントロールする力など全く無いことを受け入れ、全てなりゆきにまかせることができれば、初めて欲望の束縛を逃れるのである。
中国の古典『荘子』には、そのことが生き生きと描かれている。あの良寛さんも『荘子』を読み、苦悩を解き放ち、心の晴れやかさを取り戻したのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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