ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本の復讐は終っていない

戦後の日本では、小説、映画、芝居、そして、漫画であっても、「仇討ち」に関係するもの一切がアメリカによって禁止されていた。もちろん、戦争で親、兄弟、息子を殺され、アメリカ人等西洋人を恨んでいた日本人が多かったからだ。
だが、それが効果的な政策だったかは疑問だろう。むしろ、芝居や漫画の世界で、ぱーっと仇討ちをさせて、日本人に鬱憤を晴らさせた方が良かったかもしれない。抑圧は必ず反発で現れるというのが心理学の原理だ。反発はいくら抑えても、決して消えることはなく、歪んだ形で現れる。歪んだ反発ほど恐ろしいというのも、フロイトが発見した鉄則と言えるものだ。
戦後も、占領軍が日本人に対し、横暴の限りを尽くしたが、決して逆らえない日本人の心に押し込まれた抑圧は凄まじいものだったはずだ。
そして、力道山という大相撲から転向したプロレスラーが、リング上でアメリカ人レスラーをやっつけ、力道山は国民的英雄となったが、これは日本人にとってかなり健全な反発を果たせ、良いガス抜きになって、爆発を防げたところもあると思う。
だが、SF作家の平井和正さん(1938年生まれ)が、中学生の時、クラスメイトの女の子が学校に来なくなったと思ったら、ある日、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっているのを見たといったことを著書のあとがきで書いていたように思うが、こういった抑圧が、まだまだ日本人の心に押し込まれたままなのだ。

戦後の日本の漫画、アニメというのは、日本人のアメリカ人に対する復習なのではないかと思うことがある。
鉄腕アトムや鉄人28号が戦ったのは、仮想米軍のようなものだろう。原作ではそうではないだろうし、作者(手塚治虫さんや横山光輝さん)も、意識上はそんな意図はなかったかもしれない。しかし、彼らの心にだって、子供時代に押し込まれたアメリカへの恨みは少なくはない。手塚治虫さんは、そのことを『紙の砦』等の漫画作品の中でも隠してはいなかった。そして、アニメ作品の方では、まさに、日本のアメリカに対する復讐劇ではないかと思わせるものであったと思う。
ただ、上にあげた平井和正さんは『8マン』の中で、戦争敵国の雰囲気を色濃く残したアメリカの悪者も登場させるが、スーパーロボット8マンは、決して彼らに対しても暴力的ではなく、彼らの命を大切にし、まさに、キリストのごとき隣人愛を示したのは感動的である。

およそ、漫画、アニメ作品で、戦闘ものと考えられるものは、どこか、アメリカに対する復讐の雰囲気が感じられはしないだろうか?それは、現代に至るもそうなのではないかと思う。
現在放送されている、Production I.GとCLAMP原作の『BLOOD-C』というアニメ作品の、オープニングアニメでは、曲はいかにも西洋風のロックで、主人公の高校2年生の女の子も、いまどき西洋人的というのも何であるが、すらりとした現代的な身体付きをしている。しかし、その女の子の雰囲気は全く日本人的である。その女の子が、日本刀を持ち、巨大な怪物に向かっていく様子が凄い。スピード感、迫力が昔のアニメとまるで違う。そして、女の子は冷酷で激しい恨みがこもったような表情で、血しぶきを上げて、怪物を未練未酌(みれんみしゃく)なく叩き切っていく。制服は返り血で穢れているが、彼女の様子には何等の悔恨も恐れも感じられない。そして、怪物を切り殺し終えると、満足し切った冷酷な顔を見せる。もし、こんなものが、戦後にあったら、制作者はアメリカに処刑されていたであろう。この女の子が日本人で、怪物が米英軍であることは明らかであると必ず思われるだろう。そして、心の奥深いところで、それは本当かもしれない。特に、占領下での、アメリカ兵に対する日本人の女性の恨みを象徴するようなものに感じるのである。

思想、哲学的にも高度な霊覚者の多くが、戦争で恨みを残して死んだ霊が、現代に転生して様々な形で、その恨みを晴らそうとしているらしい。転生はともかく、もし、C.G.ユングの言う、民族の集合無意識のようなものがあれば、そこに恨みが蓄積されていても不思議はない。
それが、個人に対してであろうと、グループ、民族、国家相手であろうと、恨みを与えるようなことしたくはないものである。









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人間性や能力は突然に変わることがある

特に何かあった訳でもないのに、昨日まで熱心にやっていたことにまるで興味が無くなってしまったり、好きで仕方がなかった異性に何も感じなくなったということが無いだろうか?
自分では気が付かないかもしれないが、そういったことは案外よく起こっているのである。
つまり、今熱愛中の恋人の片方が、瞬間に相手に興味を無くしたり、それどころか嫌悪することもあるかもしれない。そして、その理由らしきものが全く無いということも起こりうるのであるし、起こっているのである。
私も、小学5年生の時、クラスにずっと好きだった女の子がいたのだが、本当に急に、全く魅力を感じなくなり、自分でも不思議な感じがしたものだ。また、好きで仕方がなかった食べ物を、やはり急に、嫌いではないが特に食べたいと思わなくなったこともある。

こういった現象は、現代の科学や心理学で合理的に説明できるのだろうか?
例えば、催眠術ではどうだろう?
催眠術というものは、今では神秘的なものだと考えられてはいない。また、ある程度の催眠術であれば、誰でも出来る。私も中学生の時、本で覚えた催眠術を人前でやってみせたりしていた。そして、少し前、お酒の大好きな女性を、これも一種の催眠術だと思うが、NLP(神経言語プログラミング)のテクニックで禁酒させたこともある。
このように、嗜好の変化みたいなことは、ある程度は催眠術でも起こさせることが出来るのである。

だが、催眠術で説明の付かないような現象が起こることもある。
例えば、旧ソ連で、ごく平凡な肉体労働者に催眠術をかけ、深い催眠状態にある時、お前は世界的な画家であるといった暗示を与えると、催眠から解けた後で、彼は猛然と絵を描き始めた。最初は、下手な子供の絵のようだったが、みるみる上達し、本当に一流の画家になってしまったのである。
また、フランスで、ある日曜音楽家が、ある夜に精神が高揚し、一晩で創り上げたのが、フランス国歌ラ・マルセイエーズである。彼には、他に残っている曲はない。彼が天才であったのは一夜だけだった。

そして、私は2人ほど実際に知っているが、練習をしたことが1度もないピアノやシンセサイザーを突然弾きこなせるようになり、人々の前で見事な腕前を披露し、あげく、曲を作って、超一流の音楽家が歌ってCDにしたりもした。

これらは、人間に、別の生命体が合体した時に起こるのである。
音楽家の生命体が合体すれば、楽器が弾けたり、作曲が出来るようになるし。画家の生命体が合体すれば、名画も描けるようになる。

自己開発訓練では、暗示を使う方法もあるが、それがきっかけで、商売の上手い生命体と合体したり、投資の達人の生命体と合体すると、実際に、大変な能力を発揮することもある。

ただ、優れた生命体と合体するのと同じくらい、いや、ひょっとしたら、それよりはるかに多く、邪悪な生命体と合体する場合もあるのだ。
力を得たい理由が、人々への奉仕のためであれば、善良な生命体を呼ぶが、個人的な欲望のためであれば、邪悪な生命体を呼ぶだろう。そして、ほとんどの場合、力を望む理由は、個人的欲望のためである。それならば、力など得ない方が安全で幸福である。
世間の金持ちの大半は、力はあるが邪悪な生命体の助けで成功したのだ。だから、ほぼ全ての者が、遅かれ早かれ破滅するのは確実なのである。また、最初は良い動機もあったのに、力がつき、世俗の富を得る中で、邪悪な生命体と合体する者も多い。彼らは、世間を騒がせて、刑務所に入るか、いろいろな形で破滅するのである。
アメリカでは、力が付くほどに慈善活動や多額の寄付を行うようになるのは、結局はそれが破滅を免れる合理的な方法であると知っているからである。









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目に見えない師

先生の教えを受けて、その道で成功した人もいれば、特定の師は持たずに独学で成功した人もいる。
アインシュタインは、高校では授業を嫌悪し、大学時代も講義に出席しなかった独学の人だと言われるが、ただ1人、良い影響を受けたことをずっと感謝していた科学の教師がいた。それは、アインシュタインが大学受験に失敗して通っていた学校(1年通うと、大学の入学試験を免除された)の教師だった。しかし、その教師の方では、アインシュタインのことを憶えていなかったという。
聖者でいえば、釈迦は独学で悟りを開いたが、イエスの青年時代のことは知られていない。ただ、イエスは、死海文書やエドガー・ケイシーのリーディング、その他の特殊な伝承では、エジプトその他で特別な教育を受けたとも伝えられる。
ラマナ・マハルシ(1879-1950)も、師を持たずに解脱(悟りを開くこと)を果たしたと言われるが、彼は、師の恩寵なくして解脱は得られないと言う。ただ、彼は、師とは真我(真の自己)と異なるものではないと言う。真我が外の世界に形をとって現れたものが師であると言う。
多くの聖者が、師の絶対的な必要性を説くが、それが、必ずしも、個人としての人間だとは言っていない。
また、優れた人間の師が、別れの際、弟子に、「離れても、私はずっとお前と共にある」と言うことがある。そして、確かに、弟子は、その後も師の存在を感じるのである。

重要な師とは、昨日も話題にした第2生命体である。自分の生命体を第1生命体とすると、人には、第2生命体、あるいは、第3生命体が付くが、それが、善良で強い生命体であれば、それが師としての役割となる。
まこと、人生は、良い第2生命体が付くかどうかで決まるようなところがある。ただ、良い第2生命体が付くかどうかは偶然ではなく、あくまで第1生命体次第である。
第1生命体である我々が、努めて明るく前向きな想念を持ったり、たゆまぬ修行をすることが大切である。修行は、気が向いた時にやるのではなく、毎日欠かさず行うものでないといけない。修行とは実に多様なものがあり、自分で工夫するしかないが、最も良いのは、報酬を考えずに義務として世俗の仕事をすることであると言われる。
また、誰でもすぐに取り組めることで、多くの聖者が薦めるのが、食の慎みである。ラマナ・マハルシすら、「清らかな食事を適切な量食べること」が最上と言ったという話もある。ラマナ・マハルシの言う清らかな食事とは、パン、野菜、果物、ミルクである。彼は、肉、魚、卵は一切食べなかったし、肉食で悟りを開くことは不可能ではないが、それは難しく、避ける方が賢明であると言ったようだ。
聖典を読むことは、もちろん優れた修行であるが、学校の教科書を読むような読み方ではいけない。聖典は知識ではない。エドガー・ケイシーは、必ず毎朝、聖書を読み、1年に1度通読したという。ラマナ・マハルシも、バガヴァッド・ギーターを常に読むよう薦めたことがある。ベアード.T.スポールディングによれば、ヒマラヤの超人的大師達は、バガヴァッド・ギーターなどの聖典を、一度に一節、一日に一文を熱心に読んでいたという。やはり、読みたくなったら読むというのではなく、毎日、必ず読むというのでなくては修行とは言えないようである。
ただ、食を慎み、聖典を読んでも、やはり、自発的に、明るい、前向きな想念を出す努力が最も必要であると感じる。









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第2生命体の神秘

造られたものの分際で、自分のことをどれだけ理解できるのかは分からない。
あなたも、自分のことがよく分かっていないはずだ。
昔、中村あゆみさんの「キライになれない」という歌(作詞作曲は高橋研さん)で、「いつでも自分のこと、一番の謎」なんて歌詞があったのをよく憶えているが、その通りだ。
だが、幼い子供というのは、自分のことがよく分かっている。だから、子育てなんてのは、苦労が多いながらも興味深いのだ。

ローム太霊が仰っておられた。「釈迦やイエスが背後の霊のことを知らないはずがないのに、その提携法をなぜ教えなかったのか解せない」と。
教えたのかもしれないが、後の世に伝わらなかったのかもしれない。
なぜ自分のことが分からないのかというと、自分自身の生命の他に、2つ目の別の生命体がくっつくからだ。人によっては、3番目、4番目、さらに多くがつく。6つがくっつけば、元の生命体と合わせて7重人格だ。そんな場合、生命体のエネルギーを制御する技術を使えば、いくつかの生命体を休止状態にはできる。だから、多重人格者で、一見、治療が成功したような人に聞くと、別の人格は自分の中で眠っているだけだって言うのだ。
NLP(神経言語プログラミング)にも、多重人格を統合する方法があるが、時が経てば、元に戻る場合があると思う。もっと、根本的な方法を取るべきと思う。
強くて邪な生命体がくっつけば、人格を乗っ取られる。しばらく見ないうちに、妙に邪悪な性格に変わったなんて人を、あなたも1人位は知っているのではないだろうか?

幼いうちは、2番目の生命体はまだ付いていない。だから、素のままの性格で、とてもすがすがしいものだ。本当に無垢な子供を嫌いな人はいない。だが、いくら子供でも、4つか5つにもなれば、早くも2番目、3番目の生命体が付いていることがある。子供なのに、不意に大人の顔を見せることがあるだろう?実際、特に女の子が話している様子は、母親達の様子にそっくりなものだ。

政木和三さんは、苦労して上記のようなことを探求したのだ。
彼には、ある時に、八幡大菩薩が付いたという。神道で言うところの八幡神である。詳しいことは分からないが、とてつもなく強い生命体ということだろう。だが、邪悪な生命体ではないので、第1生命体を乗っ取ることなく、力を与え、政木さんはいろいろ大きなことをやれた。
あなたも同じで、邪悪な2番目以降の生命体を払い、強くて善なる生命体が付けば、力を得る。神道の儀式には、その目的を感じさせるものがよくある。
『マジック・ストーリー』というお話がある。10分かそこらで読めるような話だが、読めば別人に生まれ変わり、成功への道を軽々と走っていけるようになる。このお話に、強くて善なる生命体を付ける働きがあるのだろう。『マジック・ストーリー』の作者も、そのことには気付いたように思う。作者は、第2生命体のことを、プラス・エンティティ、あるいは、マイナス・エンティティとか呼んでいる。翻訳では、「プラスの自分」「マイナスの自分」と訳されていた。つまり、強くて善ならプラス、弱くて邪悪ならマイナスだ。エンティティとは、存在とか実体といった意味だが、霊体の意味でも使われる。『マジック・ストーリー』では、この2種類の第2生命体を、はっきり見える形で語るのであるから、効果があるのは当たり前かもしれない。
だが、「では、強い第2生命体を得て、富と力を得て良い思いをしてやる」とか思っていると、強いが邪な第2生命体に人格を乗っ取られるのがお決まりなので、気を付けて欲しい。
『アラジンの魔法のランプ』のお話は、秘密を明かせば、魔人というのは、第2生命体のことだ。あなたも、それを味方に出来るのだ。

江戸末期の超人的な神道家の黒住宗忠は、病気で死の間際にあった時、もう最後と思って入浴し、朝日に向かうと、天照大神が自分の中に入ってきて、あっというまに元気になってしまった。もうお分かりと思うが、天照大神そのものかどうかは私には分かりかねるが、宗忠に、おそろしく強力な第2生命体が入ったのだ。
それまで、宗忠は、愛する父母が死んだことで悲観し、嘆くうちに、弱くて邪悪な第2生命体が入ってしまったのだ。だが、良い意味で全て諦め、無になり、さらに、朝日を浴びて清々しい気持ちになった時に、邪悪な第2生命体を払い、偉大な第2生命体が入ったのだ。
神道で、「祓い(払い)たまえ、清めたまえ」というのは、邪悪な第2生命体を払うことを言うのだ。

つまり、善なる強い第2生命体を呼ぶには、明るい、前向きな心でいることが大切だ。今の第2生命体が邪悪で、すぐに人を恨んだり、批判したりする場合には、「そんな心は嫌だから、広い心、明るくて強い心が欲しい」と願えば良い。きっと叶えられるだろう。
黒住宗忠は、徹底した楽天主義を薦めた。彼に学ぶと良い。以下にご紹介する本は、どれも非常に参考になるだろう。









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普遍的正義なら常に勝つ

「正義は常に勝つ」という言葉を一度は聞いたことがあると思う。
私は、子供の時、漫画の『エリート』(原作:平井和正、漫画:桑田次郎)で、主人公の中学生の少年に、ある博士が「世の中に悪人は多いが、正しい人はもっと多い。その証拠に、歴史を見ても正しい方が必ず勝っている」といったことを言うのを見て、大いに納得したことがある。しかし、後で考えてみたら、正しい方が勝ったというより、勝った方が正しいことになっただけだと分かった。そういうのを、我が国では「勝てば官軍」と言う。官軍とは、正規の軍(政府軍)のことで、その敵が賊軍であるが、賊軍が勝って新しい政府を建てれば、こちらが官軍となり、前の官軍は賊軍になる。

だが、敢えて断言するが、正義(正しい方という程度に考えて欲しい)は常に勝つ。
ただし、世間の正義のことではない。世間よりずっと高い、普遍的な正義のことだ。
よく、第二次世界大戦で、「やはり日本が悪かった」とか「いや、本当に悪いのはアメリカ、イギリスなどの連合国側だ」と、証拠と論理をもって主張するのを見聞きする。そして、それぞれの言い分のいずれも、なかなか立派で筋が通っているのだ。
では、日本、ドイツなどの枢軸国と連合国のどちらが正しかったのかというと、両方正しい訳がない。戦争なんてものをするのは悪でしかない。

我が国で常に勝ち続けたのは皇室だろう。おそらく、最も普遍的正義に近いのが皇室だったからだ。これに関しては、色々意見もあろうが、これもまた、世間的な論理に意味はない。つまり、世間的な理によれば、そうではないと言えるのである。ただ、天の理で言えば、皇室はいつも正義だったのだ。

普遍的な正義が常に勝つというのは、昨日も書いた『狼王ロボ』が良い例なのである。
ロボと名付けられた狼のリーダーに、一流の経験豊富なウルフハンターや、動物学者シートンらが手も足も出なかったのは、ロボが普遍的正義と共にあったからだ。
いかにロボが賢くて強くても、人間の知恵や道具に優るはずがない。しかし、ロボは常に勝ち続けた。
ロボは確かに、牧場を襲い、多くの家畜を奪った。しかし、それは天の理に反しない。
だが、最後、なぜ、ロボはシートンに敗れたのだろう?
それは、ロボが天の理に反したからだ。ロボは、ブランカと名付けられた雌狼をえこひいきしていた。ロボはブランカが好みのタイプだったのだろう。そこをシートンにつけこまれたのだ。
上に立つ者は、配下の者を公平に扱わないといけない。それには、人も動物もない。天の掟である。

我々も普遍的正義に則っていれば、百戦危うからずである。常に勝利する。
そのためには、普遍的正義である、天の理、宇宙の英知を知らなければ話にならない。
それは、別段、特別なことではない。自然をよく観察すれば分かることだ。
明治時代、自然を徹底観察して日本屈指の稲作家になった岡田虎二郎は、更にアメリカで磨きをかけ、偉大な教育家、思想家になった。
イツァク・ベントフは、幼稚園中退でありながら、自然から学ぶことで天才的な医療エンジニアになり、さらに、偉大な本物の科学者になった。
中村義一さんは、小学校中退でありながら、やはり自然に学び、NASAも宇宙船に採用するカメラや世界の大手の製品に優る医療光学機器を開発した。
アダムスキーは天体観測を通して学び、高度な生命科学や宇宙哲学を打ち立てることが出来たのだろう。

我々もなるべく自然に接しないといけない。自然から離れると馬鹿になるとは、分かる人には分かる事実である。
子供達は、学校で拘束された後、塾に行き、自由な時間はゲームをして過ごしている。みんな馬鹿になっているのである。どうしようもない馬鹿にさせられているのだ。
よく、朝日を拝すると身体に良いと言われるが、朝日自体に意味はない。早起きが自然であり、朝日が昇る様子には、自然の理がよく表現されているというだけのことだ。
優れた聖典には、普遍的正義、宇宙の英知が書かれている。
だから、優れた聖典と一体となるまで、頭ではなく、魂で読む者なら、何者も適しえない。不敗であり、無敵なのである。
最も純粋に宇宙の理が書かれているのは、『バガヴァッド・ギーター』であると思う。もちろん、聖書も仏典もそうであるが、最も不純物がなく得られる聖典であると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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