戦後の日本では、小説、映画、芝居、そして、漫画であっても、「仇討ち」に関係するもの一切がアメリカによって禁止されていた。もちろん、戦争で親、兄弟、息子を殺され、アメリカ人等西洋人を恨んでいた日本人が多かったからだ。
だが、それが効果的な政策だったかは疑問だろう。むしろ、芝居や漫画の世界で、ぱーっと仇討ちをさせて、日本人に鬱憤を晴らさせた方が良かったかもしれない。抑圧は必ず反発で現れるというのが心理学の原理だ。反発はいくら抑えても、決して消えることはなく、歪んだ形で現れる。歪んだ反発ほど恐ろしいというのも、フロイトが発見した鉄則と言えるものだ。
戦後も、占領軍が日本人に対し、横暴の限りを尽くしたが、決して逆らえない日本人の心に押し込まれた抑圧は凄まじいものだったはずだ。
そして、力道山という大相撲から転向したプロレスラーが、リング上でアメリカ人レスラーをやっつけ、力道山は国民的英雄となったが、これは日本人にとってかなり健全な反発を果たせ、良いガス抜きになって、爆発を防げたところもあると思う。
だが、SF作家の平井和正さん(1938年生まれ)が、中学生の時、クラスメイトの女の子が学校に来なくなったと思ったら、ある日、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっているのを見たといったことを著書のあとがきで書いていたように思うが、こういった抑圧が、まだまだ日本人の心に押し込まれたままなのだ。
戦後の日本の漫画、アニメというのは、日本人のアメリカ人に対する復習なのではないかと思うことがある。
鉄腕アトムや鉄人28号が戦ったのは、仮想米軍のようなものだろう。原作ではそうではないだろうし、作者(手塚治虫さんや横山光輝さん)も、意識上はそんな意図はなかったかもしれない。しかし、彼らの心にだって、子供時代に押し込まれたアメリカへの恨みは少なくはない。手塚治虫さんは、そのことを『紙の砦』等の漫画作品の中でも隠してはいなかった。そして、アニメ作品の方では、まさに、日本のアメリカに対する復讐劇ではないかと思わせるものであったと思う。
ただ、上にあげた平井和正さんは『8マン』の中で、戦争敵国の雰囲気を色濃く残したアメリカの悪者も登場させるが、スーパーロボット8マンは、決して彼らに対しても暴力的ではなく、彼らの命を大切にし、まさに、キリストのごとき隣人愛を示したのは感動的である。
およそ、漫画、アニメ作品で、戦闘ものと考えられるものは、どこか、アメリカに対する復讐の雰囲気が感じられはしないだろうか?それは、現代に至るもそうなのではないかと思う。
現在放送されている、Production I.GとCLAMP原作の『BLOOD-C』というアニメ作品の、オープニングアニメでは、曲はいかにも西洋風のロックで、主人公の高校2年生の女の子も、いまどき西洋人的というのも何であるが、すらりとした現代的な身体付きをしている。しかし、その女の子の雰囲気は全く日本人的である。その女の子が、日本刀を持ち、巨大な怪物に向かっていく様子が凄い。スピード感、迫力が昔のアニメとまるで違う。そして、女の子は冷酷で激しい恨みがこもったような表情で、血しぶきを上げて、怪物を未練未酌(みれんみしゃく)なく叩き切っていく。制服は返り血で穢れているが、彼女の様子には何等の悔恨も恐れも感じられない。そして、怪物を切り殺し終えると、満足し切った冷酷な顔を見せる。もし、こんなものが、戦後にあったら、制作者はアメリカに処刑されていたであろう。この女の子が日本人で、怪物が米英軍であることは明らかであると必ず思われるだろう。そして、心の奥深いところで、それは本当かもしれない。特に、占領下での、アメリカ兵に対する日本人の女性の恨みを象徴するようなものに感じるのである。
思想、哲学的にも高度な霊覚者の多くが、戦争で恨みを残して死んだ霊が、現代に転生して様々な形で、その恨みを晴らそうとしているらしい。転生はともかく、もし、C.G.ユングの言う、民族の集合無意識のようなものがあれば、そこに恨みが蓄積されていても不思議はない。
それが、個人に対してであろうと、グループ、民族、国家相手であろうと、恨みを与えるようなことしたくはないものである。
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だが、それが効果的な政策だったかは疑問だろう。むしろ、芝居や漫画の世界で、ぱーっと仇討ちをさせて、日本人に鬱憤を晴らさせた方が良かったかもしれない。抑圧は必ず反発で現れるというのが心理学の原理だ。反発はいくら抑えても、決して消えることはなく、歪んだ形で現れる。歪んだ反発ほど恐ろしいというのも、フロイトが発見した鉄則と言えるものだ。
戦後も、占領軍が日本人に対し、横暴の限りを尽くしたが、決して逆らえない日本人の心に押し込まれた抑圧は凄まじいものだったはずだ。
そして、力道山という大相撲から転向したプロレスラーが、リング上でアメリカ人レスラーをやっつけ、力道山は国民的英雄となったが、これは日本人にとってかなり健全な反発を果たせ、良いガス抜きになって、爆発を防げたところもあると思う。
だが、SF作家の平井和正さん(1938年生まれ)が、中学生の時、クラスメイトの女の子が学校に来なくなったと思ったら、ある日、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっているのを見たといったことを著書のあとがきで書いていたように思うが、こういった抑圧が、まだまだ日本人の心に押し込まれたままなのだ。
戦後の日本の漫画、アニメというのは、日本人のアメリカ人に対する復習なのではないかと思うことがある。
鉄腕アトムや鉄人28号が戦ったのは、仮想米軍のようなものだろう。原作ではそうではないだろうし、作者(手塚治虫さんや横山光輝さん)も、意識上はそんな意図はなかったかもしれない。しかし、彼らの心にだって、子供時代に押し込まれたアメリカへの恨みは少なくはない。手塚治虫さんは、そのことを『紙の砦』等の漫画作品の中でも隠してはいなかった。そして、アニメ作品の方では、まさに、日本のアメリカに対する復讐劇ではないかと思わせるものであったと思う。
ただ、上にあげた平井和正さんは『8マン』の中で、戦争敵国の雰囲気を色濃く残したアメリカの悪者も登場させるが、スーパーロボット8マンは、決して彼らに対しても暴力的ではなく、彼らの命を大切にし、まさに、キリストのごとき隣人愛を示したのは感動的である。
およそ、漫画、アニメ作品で、戦闘ものと考えられるものは、どこか、アメリカに対する復讐の雰囲気が感じられはしないだろうか?それは、現代に至るもそうなのではないかと思う。
現在放送されている、Production I.GとCLAMP原作の『BLOOD-C』というアニメ作品の、オープニングアニメでは、曲はいかにも西洋風のロックで、主人公の高校2年生の女の子も、いまどき西洋人的というのも何であるが、すらりとした現代的な身体付きをしている。しかし、その女の子の雰囲気は全く日本人的である。その女の子が、日本刀を持ち、巨大な怪物に向かっていく様子が凄い。スピード感、迫力が昔のアニメとまるで違う。そして、女の子は冷酷で激しい恨みがこもったような表情で、血しぶきを上げて、怪物を未練未酌(みれんみしゃく)なく叩き切っていく。制服は返り血で穢れているが、彼女の様子には何等の悔恨も恐れも感じられない。そして、怪物を切り殺し終えると、満足し切った冷酷な顔を見せる。もし、こんなものが、戦後にあったら、制作者はアメリカに処刑されていたであろう。この女の子が日本人で、怪物が米英軍であることは明らかであると必ず思われるだろう。そして、心の奥深いところで、それは本当かもしれない。特に、占領下での、アメリカ兵に対する日本人の女性の恨みを象徴するようなものに感じるのである。
思想、哲学的にも高度な霊覚者の多くが、戦争で恨みを残して死んだ霊が、現代に転生して様々な形で、その恨みを晴らそうとしているらしい。転生はともかく、もし、C.G.ユングの言う、民族の集合無意識のようなものがあれば、そこに恨みが蓄積されていても不思議はない。
それが、個人に対してであろうと、グループ、民族、国家相手であろうと、恨みを与えるようなことしたくはないものである。
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