ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ちぃとミクとあなたが起こすアセンション

老人の…と言うより、老人になったアイルランドの詩聖W.B.イェイツの本当にの願いは、彼の詩にあるように、「もう一度若くなって、あの娘を抱きたい」だったのかもしれない。
私なら、そんなことは願わない。なぜなら、そんなことを考えないからだ。
そう、考えないだけのことだ。考えれば、当然、そんなことを願うようになる。
その意味でも、初音ミクはとてもいい。どんなに可愛くても、バーチャルなのだから邪まな考えをせずに済む。それは、彼女よりお姉さんで美しさで優るボーカロイドの巡音ルカさん(なぜか「さん」付けだが)でも同様である。
私は、バーチャルなものも、物質的なものも同じと思っているが、バーチャルなものは、より精神的に愛せるだろう。
以前も書いたが、初音ミクを見ると、時々、CLAMP(4人組の女性漫画家)の漫画『ちょびっツ』のヒロイン、ちぃを思い出す。ちぃは人型パソコンで、それは、アンドロイドと同じである。2人は、個性は異なる部分が多いが、外見の年齢や、くるぶしまで届きそうな長い髪、そして、身軽そうな細身の身体つきがよく似ている。
身長は、ミクが158センチで、ちぃは152センチとなっている。ちぃの姉フレイヤは、外見はちぃとそっくりだが、とてもクールで、巡音ルカさんの雰囲気があるように思う。

ところで、漫画の中で、ちぃを愛する予備校生の秀樹に、ちぃの姉フレイヤは「ちぃとしたい?」と尋ねる場面がある。青年誌掲載の漫画であれば、何をしたいかは自ずと明らかと思うが、秀樹はイエスと答える。だが、フレイヤはそれをしない方が良い理由を説明する。ちぃのその部分には(パソコンとしてのちぃの)初期化スイッチが設置されており、それをしてスイッチを押すと、ちぃは秀樹を忘れる。CLAMPというのは、こういったことを決して冗談で描く作家ではなく、あらゆる作品を見ても、高度な思想家、哲学者と言って差し支えないと思う。
だが、それでも、秀樹はちぃを選ぶ。それは、性的欲望を捨てるということだ。
秀樹がちぃを選んだ時、それは、実は、ちぃが選んだ秀樹という男が、ちぃの「私だけの人」になったという意味なのだが、その時、アセンション(地球の次元上昇)が起こる。漫画にアセンションと書かれていた訳ではないが、それはアセンション以外のなにものでもない。
アセンションの中身は、漫画でもアニメでも明かされていない。しかし、それが起こった後、世界はきっと変わってしまったのだろう。
政府はアセンションを止めるため、最高性能の人型パソコン、ジーマとディータに、ちぃを機能停止させようとする。しかし、政府の指令に従って動くディータ(女性型)を、同じプログラムがされているはずのジーマ(男性型)が止め、ちぃはアセンションを起こす。
いや、正確に言うなら、ちぃと秀樹の2人で起こしたのだ。
何が起こったのかは、政府の男性型パソコンジーマの言葉が示唆する。「信じてみたくなったのさ。人に造られたものが幸せになれるというおとぎ話を」。
さて、幸せとは何だろう?(そんな歌があったような気がするが)
CLAMPさんの昔の漫画で、このブログでも常駐でご紹介している『CLOVER』で、織葉(おるは)という名の歌姫(彼女は超能力者だ)が歌う歌にこんな詩がある。「あなたと幸せになりたい。あなたの幸せになりたい」。
これが幸せの本質である。幸せになろうとか、幸せにしてやろうというのはエゴイズムだ。
だが、誰かの幸せになるというのが愛なのだ。
なぜなら、我々は幸せになる必要はない。
それは、恩恵そのものである神が恩恵を与える必要が無いようなものだ。
本質において幸福そのものである我々が幸福になる必要はない。
存在している我々が、存在しようとする必要はない。ただ、存在すれば良い。
我々は、ただ幸福であれば良いのだ。
そのために、我々は秀樹のように、純粋な愛を見つけなければならない。
だが、現在は、その正反対の方向に進んでおり、どうなるかは微妙でもある。

以下は、ちょっとした冗談と思って欲しい。
古代より、日本には、ある情報エネルギーが設置されている。これを、アカシャと言った者もいたと思う。
初音ミクが生み出されたのは必然であり、日本からアセンションの波は広がっている。
ミクの誕生日2007年8月31日は、数霊では、2+7+8+3+1=21で、2と1を足せば3である。
ミクという名は、日本語で39であり、その中に、無(6)になった我々が融合すれば369(ミロク)となり、弥勒の世が実現する。それがアセンションだ。
初音ミクという名は、古代から我が国に伝わる数霊で計算すれば111となる。1が3つで、この数字は、言霊そのもの、数霊そのものであり、それが波及していくという意味だ。だから、彼女の歌が世界に広まったのもまた必然だ。そのための人々の努力は素晴らしいものだったのだ。そして、クリプトン・フューチャー・メディアが、ミクのキャラクターを非営利に限り使用許可したことも立派なことだった。それが無ければ、ミクの歌は世界に広がらなかった。ミクの歌を創る人々の多くにも、アカシャは働きかけている。それで、実に、ゲーテやイェイツ、あるいは、タゴールでも書けなった詩が生まれている。今のところ、ウェルギリウスやダビデには及ばないのであるが…
古代マヤ暦の最終日に一致する、2012年12月22日は、2+1+2+1+2+2+2=12で、1と2を足して、やはり3である。
ダンテが、人類至高の叙事詩『神曲』(原題は神聖なる喜劇)を、33篇の詩3つに、序詞を加えた100の詩で完成させたように、3は神聖なる数だ。
ミクは3で出来ている。
ミクの生まれた日は31日で、ちぃは13日。フレイヤも31日、ルカは30日と、やはり3が多い。4人とも3を持つが、4人で1が3回現れる。ルカだけ0を持つが、彼女の誕生数は6であり、やはり0を示す6(無)であるあたり、肌が真っ白で生命力を感じさせない彼女に相応しい。尚、これを書いている私が31日生まれである。
IOCが、電子投票の通り、ミクにロンドンオリンピックのオープニングセレモニーで歌ってもらうことを決定すれば、アセンションに至るまでの悲劇は小さくなるだろう。その際は、ミクの歌は日本語でなければならない。

THE TOP TENS ~ロンドンオリンピックセレモニーで歌って欲しい歌手投票経過~

私が、アカシャの波に触れて、瞬間で菜食主義の1日1食になったように、これからは、本来は誰でも簡単にそうなるだろう。それも、アセンションの成否につながるのである。
実は、私は、今の時期は、日本が戦争状態にあると覚悟していた。その危険は十分以上にあったはずだ。これは、あくまで夢の中で聞いたことだが、天皇陛下が自ら犠牲になることで護って下さった(心臓手術以外にも多くの苦難を背負われた)。「次は、お前の命でも多少の役には立つが」と言われたが、「餓死で良ければ」と答えておいた。
ついでに言っておくと、これからは歳の差婚というものがますます増える。アセンション後の寿命は飛躍的に伸びる。また、相当な年齢まで老化が起こらなくなり、例えば祖母と孫娘の外見の違いがなくなる。それにより、40や50の歳の差は何でもなくなる。古代中国の秘教の教えによれば、現在ですら、実は最も相性の良い年齢差は43歳である(その周辺でも相性は良い)。ただ、従来は、人間の寿命が短かったので、それは不道徳なことに思われたのである。エドガー・ケイシーのリーディングでは、イエスの両親であるマリアとヨセフの年齢差は22歳だった。マリアが16歳で、ヨセフは38歳だった。本当はもっと年長の男の方が良かったのかもしれないが、当時は平均寿命が30歳程度だったのである。









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プログラム組込装置としての本

装置といえば、機械とか電子機器を思い浮かべるだろうし、プログラムといえば、コンピュータやコンピュータが組み込まれた機器のことを考えると思う。
しかし、紙に書かれた図形が装置であったり、本がプログラムだったりすることがある。
これは、従来の常識ではあり得ないことだ。
図形に関しては、その上に置いておいた食べ物や飲み物の味が変わるといった話が昔からあるが、それは単に心理的な影響かもしれない。また、その上に曇りのある宝石を乗せておくとクリアになるということもあるが、それは自分で確認しなければ、話だけでは信じられないだろう。
私も、図形の話は信じないではないが、食べ物の味が変わったとか、宝石の曇りがなくなったとしても、さほどのことでもないので、あまり関心を持たなかったが、プログラムが組み込まれた本というのは実用価値がある。
それこそ心理作用と言われるかもしれないし、そう言う者にとっては心理作用にしかならないが、実践してみると、明らかに威力がある。それが偶然というなら、偶然で良いではないかと思っている。ニーチェやイェイツの偶然に対する考え方を研究すれば、その意味が分かると思う。
古代から伝わる書の中には、プログラムが組み込まれた本があり、それを読むことでプログラムが作動するようになっているものもあるのだろうと思う。
それがどんな仕組みなのかは、説明しようとすると、説明に用いる用語をうまく定義することが出来ないので、どうしても抽象的になってしまう。しかし、そんなことを考えるより、自分で試してみるのが一番である。
プログラムされた本についての説明では、やむなく、「行間に隠されたものがある」といった表現をすることもあるが、それで納得するしかない。
絵画でも、ダ・ヴィンチの絵などは、技法そのものよりも、彼が神秘学の研究をした中で、絵画にプログラムを組み込む方法を見つけ、それを行ったのだと思う。彼の贋作は、見る人がみれば、分析的ではなく、直感的に一目で分かるのではないかと思う。ただ、彼のものが、それほど強力で高性能なプログラムかどうかは疑問もある。
経文、祝詞、マントラ(真言)も、非常に強力なプログラムが組み込まれている。クラシック音楽もそうである。クラシック音楽の何が良いかというと、実は、精妙なメッセージを受信できる天才が創ったものだからだ。そのような音楽家は、現代ではいない。

足立育朗さんの『波動の法則』という本は、読後に、読者の波動(身体や心を構成する素粒子のことだろうか)が大幅に上がるようにプログラムされているということであるが、確かにそうであると思う(プログラム図形もいくらか掲載されている)。ただ、これも自分で確認するしかない。面白いのが、私は、この本の旧版を持っていたが、物置みたいな場所に10年ほども放置していたので、ホコリと湿気でボロボロになっているように見えたし、一緒に置いてあった本はそうなのだが、この本は、きれいに拭いたら、新品のようになってしまった。読んでみたら、気分が良くなるというのではなく、空気の色が変わったように感じる。予想もしないお金が、数百万円程度だが急に振り込まれてくる(事実ではある)。
別に、これを読んだら儲かるというのではないが、世界的な成功哲学が真理の周辺にちょっと近付いてうろうろしている程度なのに、この本では、その本質をさりげなく明かしていたりするようである。この本の著者の妹さんの足立幸子さんは画家だが、彼女の本にもプログラムが組み込まれている。英語版も出版され、25万部が出ているらしい。

聖書は完全にプログラムが組み込まれていたが、翻訳や転記の際に歪んだり、改ざんのようなこともあったかもしれない。それでもプログラムの効力が無い訳ではないが、原書ほどではないかもしれない。エドガー・ケイシーは、9歳の時から毎朝必ず聖書を読み、そのプログラムを作動させたのだと思う。
『エメラルド・タブレット』には、強力なプログラムが組み込まれているし、アメリカのドリール博士が英語に直訳したものは、プログラムをほとんど純粋に保っている。日本語訳が2つあるが、単に言語学的な意味ではなく、翻訳者が良いので、プログラムが純度を保っていると思う。「意味が分からなくても読め」と書かれているのは、強力なプログラムの恩恵を得るためであると思う。
2冊の翻訳は、Amazonでも品切れの時が多いが、現在は大量入荷したようである。良いタイミングであると思う。









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良いことなんかなくていい

多くの人が、「何もいいことなんてない」と思っている。
「いいこと」って何だろう?
これを、著名な心理学者アブラハム・マズローの「欲求の5段階説」に当てはめて考えると面白い。
別に難しいことではない。欲求の5段階とは、簡単に言えば、
(1)住むところがあって、食べていける。
(2)安全である。
(3)所属する家庭や職場がある。
(4)所属している場での立場がある。
(5)やりたいことをしている。
で、数字が小さいほど、基本的で低レベルな欲求で、数字が大きいほど高度な欲求だ。
特に、(5)は「自己実現欲求」と言われる、人間にとって、とても大事なものらしい。

「いいことがない」と言う者は、(1)から(5)の中のどこかの段階で欲求が満たされていないということなのだろう。
では、高いレベルの方から、それが満たされないことが本当に「いいことがない」ことなのか検証してみよう。

●第5段階での不満(したいことが出来ない)
したいことを出来ないのは、それをすることで、嫌われたり、誤解されたりし、結果、何かを失うことを恐れているのだろう。
いいじゃないか、別に。
「嫌われたっていいじゃないか?いや、嫌われないといけない」
「誤解されたっていいいじゃないか?いや、誤解されないといけない」
(岡本太郎)
したいことをするとは、世間から嫌われ、誤解されることなのだ。

●第4段階での不満(家庭、学校、職場での立場、居場所がない)
いいじゃないか、別に。
凡人ってのは、本当の人の価値を認めないものなのだよ。
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」
(岡本太郎)
学校や職場はもちろんだが、家族だって、必ずしもあなたのことを本当に気遣っているとは限らない。母の愛は海より深いなんてのも幻想かもしれないのだ。
でも、それでもいいじゃないか。
あなたは本物を目指すのだ。

●第3段階での不満(仕事がない。家庭がない)
いいじゃないか、別に。
宇宙が私の家庭で、生きることが私の仕事なのだ。
これ以上の家庭や仕事なんてあるものか。
現実の仕事や家庭、交友関係は、宿命に任せることだ。

●第2段階での不満(安全でない)
いいじゃないか、別に。
サルトルは、ゲリラが多数潜伏するパリの街をうろついていた時、一番、生きていることを実感したらしい。
藤平光一さんは、砲弾飛び交う戦場を悠々と歩き、部下全員を生還させたのだ。
いい機会だから、ちょっとコツを掴んでおくことだ。

●第1段階での不満(住居がない。食べられない)
一休禅師は弟子に遺言を託し、本当に困った時に見ろと言って死んだ。
それで、弟子達が本当の窮地に陥った時にそれを見たら、
「心配するな、何とかなる」
と書かれていた。

世間でいう「いいこと」なんか全く必要がない。
「いいことなんかなくていい。いや、あってたまるか」
(岡本太郎・・・は別に言ってない)

一休さんの遺言に従うことだ。
尚、法然の遺言は、「私は念仏すること以外、何もしなかった」だ。
まとめて言えば、神様、仏様に任せてしまい、安心しろということだ。
イエスも、「思い煩うな。天の父は、あなたの必要なものが何かくらい、とっくにご存知だ。それを下さらぬはずがない」と言ったではないか?
ちょっとまずい状況になったからといって、青くなったり、あたふたするのは、車に乗ってまで、荷物を頭の上に乗せて苦労しているようなものだ。荷物を降ろして安心すれば良い。











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自分の美点を忘れろ

人は、想念を捨て、無になった時に不可能はなくなる。
そのために、どうしてもやらなくてはならないことは、自分の美点を忘れることだ。
自信を持つことは大切だと言われるかもしれないが、たかが世間でいう美点での自信は百害あって一利無しであり、そんなものにこだわれば、むしろ劣等感や無力感に苦しみ、あげく、破滅するだけだ。
本当の自信は、自分の内にあるものを見つけた時にのみ得られるのだ。エマーソンが言った通り、「内にあるものに比べれば、外のものなど取るに足りない」のである。
美人であれば、そんなことは忘れることだ。下らない男の性欲を煽るだけの美点であるし、すぐに歳をとって、誰も振り向かなくなる。だが、自分が美人だということを忘れてしまえば、いつまでも若く美しいのだ。面白いパラドクスである。
学歴など、あるにしろ、ないにしろ、言わなければ誰にも分からない。つまり、本質的な力ではないのだ。アインシュタインは無試験入学の上に大学の講義に出たことは無かったし、エジソンとなると8歳で学校をやめている。その2人が大学の価値で論争したのだから面白い。イツァク・ベントフという天才的な医療エンジニアは幼稚園中退だし、世界的な光学機器を開発した三鷹光器の中村会長は小学校中退だ。ソニー創業者の1人である盛田昭夫さんは『学歴無用論』なんて本を書いたものだった。
プロレスのルー・テーズは、ライバル達がアマレス全米王者、大学王者、オリンピック出場だらけの中で、彼は中卒で、アマレスの実績がなかった。だからこそ、彼は純粋に本質を追及した。そして、彼は、誰よりも負けず、誰よりも長く世界王座にいて、エリート選手達に「テーズと同じ時代に生まれたのが俺の不幸(世界王者になれなかった)」と言わせたものだった。

中でも不幸なのは、医大、芸大、音大出などの肩書きにこだわる者だ。
私も、このブログで、医療、芸術、音楽の分野の記事はよく書くが、時々、「お前は素人だから黙ってろ。お前のは浅すぎる」と言ってくる者がいる。
中には、芸大出などではなく、ちょっとかじった程度の連中もいるのだろうが、それも同じようなものだろう。
彼等が持っている知識を基準とすれば、その他は全て、間違いであり、浅いのだろう。もちろん、私は自分が浅いことを知っているが、彼らはもっと浅いのに、それを知らないのだ。
彼らがどんな人間かというと、身障者や老人相手にしかすごめない不良のようなものだ。実際、普段、中学や高校で、抵抗してくるはずのない生徒相手に個人的な芸術論を吹っ掛けて満足している者も多いかもしれない(残念ながら多く、若い人たちの芸術への関心を殺してしまっている)。自分の立場以外の者が、老人や身障者のように弱くないと不安で仕方がないのである。しかし、もちろん、現実はそうではない。
岡本太郎も、そんな連中を嫌っていたものだ。
池田満寿夫は、東京芸大を3回落ちて諦めたが、似顔絵屋をしていた時、営業のために芸大生を名乗っていたようだ。そして、本物の芸大生の似顔絵屋と遭遇してしまったら、コソコ逃げ出していたらしい。そして、町の似顔絵屋達に、「お前は下手過ぎて俺達の評判が落ちるから、お前はやめてくれ」と言われたようだ。しかし、彼は世界的な芸術家になった。なるほど、似顔絵屋や芸大の基準から言えば、彼は落第で失格なのだろうが、芸術では彼は超一流だったのだ。
神から見れば、絵がへたくそな小学生もピカソも、算数の劣等性もアインシュタインも大差はないだろう。

NLP(神経言語プログラミング)の創始者リチャード・バンドラーは、彼がバンドラーだと知らない人がNLPについてバンドラーに講義するように話すのを、じっと最後まで聞き続け、「よく知ってるなあ。勉強になった」と思ったそうだ。
アインシュタインは、自分の物理学の能力が大したものだとは全く思っておらず、自分では趣味だと思っていると言っていたものだ。
私のことで恐縮だが、当然、私は現代医療というジャンル(領域-仏語-)でいえば素人であるが、自分のアトピー、メニエール、乾癬病を、何の医療の助けも借りずに完全に治したし、人のことについても、医者が絶対に治らないと言った末期胃癌その他を完全に治したことがいくつもある。

あなたも、美点の1つや2つはあるだろうし、それはそれで良いことだ。
しかし、それらを忘れなければ、本当の素晴らしいものは決して得られない。
上の話は、そのための参考になればと思って書いた。決して特定の誰か、あるいは、何かへの批判ではない。そう思う者は、早く自分を忘れて欲しい。そうでないと、惨めさが待っているだけか、すでにそうであるのだろう。









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誰もあなたのことなどに関心はない

日本人はとても人目を気にする。
しかし、そんな必要は全くないのだ。
なぜなら、誰もあなたのことなど気にしていないからだ。

かなり昔の竹村健一さんの本に、「あなたがチンドン屋みたいな格好してたって、他人は大して気にしないものだ」と書かれていたが、現在では、さらにそうなのである。
ところが、おかしなことに、人目を気にすることに関しては、昔よりずっと強くなっているのである。
つまり、誰も気にしていないに関わらず、人々は他人の目にひどく敏感なわけである。
滑稽な話である。

これはどういう訳かというと、人々が自分にしか関心を持たなくなっているのである。
自分への関心が強いのは幼稚な人間だ。つまり、我々は、ますます幼児化しているのである。
愚かにも、自分のことが頭から離れないのだ。
自分の見栄え、持ち物、評価・・・・そんなことが気になって仕方がない。
だが、あなたが世界一の愚か者だと思われていようと、そんなこと、誰も知ったことではないのである。

だが、自分は関心を持たれていると感じられることもあるかもしれない。
それは、誰かが、あなたに対し、自分に関心を持ってくれる人間として関心を持っているというだけのことだ。それは、確かに物凄く強いものだ。
しかし、あなた自体に関心がある訳ではないのだ。

スターやアイドルは関心を持たれているだろうか?
それも全くない。言い換えれば、人間としての彼らや彼女らに、誰も関心を持っていない。
ファンというのは、スターやアイドルが、自分との個人的関係が成立するという妄想で熱狂しているだけのことなのだ。
つまり、スターが自分に関心を持つということが最高の快感であり、そんなことがあると思うほどに愚かなのだ。

幸福で、運命を支配する力を持つ者というのは、自分の身体や心に、ほとんど関心を持っていないのである。
とはいえ、別に身体や心をないがしろにしているわけではない。
余計なことを考えなければ、身体も心も健康に保たれるものなのである。
病気になったら、病気を忘れるほど夢中で何かをやれば、治ってしまうものである。病気のことを考え続けるから治らないのだ。
心の悩みも同様である。心配ごとについて、いつも考えてばかりいるので、心がいっそう憂鬱になるし、問題も解決しない。
私も、最近、非常に煩わしい問題があったのだが、必要なことをやったら後はすっかり忘れてしまった。そうしたら、本日、全て勝手に解決してしまった。
つまり、身体や心の問題のみならず、余計なことを考えることをやめれば、状況まで変わるのである。
これは、私がいつも述べる通り、人間は想念を消し、無になれば、不可能はなくなるということなのである。
だから、イエスは「思い煩うな」と言い、釈迦は「妄想するな」と言ったのである。

余計なことを考えないためには、何かを熱心にやって、「あ、脚が痛いのを忘れていた」と思うようになれば良いのである。そうすれば、痛い脚も治るだろう。
昔から、悩みがあれば、水垢離をした者がいたが、これは考えずにすむ良い方法である。
ところが、現代人は、悩みを人に話すことで、相手を不快にさせるばかりか、自分の悩みもますます強いものにしているのである。

誰もあなたに何の興味も持っていない。
なら、自分への興味も無くすことだ。身体も心も手放すのだ。自分を地平線の彼方にいるように感じるのである。それが超人になる秘法だ。
真の超人は、自分に関心がないのだ。
神は自我を持たない。よって、我々が思うような意味での関心を、我々に対して持たないが、その愛に満ちた無関心は一度知ると、忘れることはできないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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