ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神が降りてくるということ

詩、音楽、絵画などの優れた作品を生み出すインスピレーションが起こることを、「神が降りてきた」と言うことがあると思います。
しかし、人間の発想、アイディア、想像力で、神が降りてきたものでないものは1つとしてありません。
ただ、人の自我のフィルターがどれだけかかるか、どれだけ歪めるかだけのことです。
人の自我が面白い歪ませ方をすることで、歪んだ芸術が生み出されることもあります。まあ、そんなものは、一時的な支持しか得られないと思いますけどね。

自我というものは、自分が作った個性だと思っている人もいますが、実際は世間に押し付けられたものです。世間とは、親や家族や学校や、あるいは、テレビを中心にしたマスコミなどです。
世間に押し付けられた個性を排除していけば、神から降りてくるものをよりピュア(純粋)に表現できます。
精神操作で、一時的にでも自我を滅することができれば、神がかり的な能力を発揮できますが、そういうことができる人を大芸術家とか達人と言います。

ところで、最初に戻りますが、「神が降りてきた」という表現は、本当は正しくありません。
神は、どこか外にあるのではなく、内側にいるからです。神が降りてきた体験を持つ者は、実際には、内側から浮かんできたとか、溢れてきた、現出したと感じたはずです。身体の部分で言えば、単に神経的に敏感という理由で、胸のあたりで感じるかもしれません。あるいは、下腹部とか背中という場合もありますが、やはり、個人の有機体としての特性の問題です。

芸術に限らず、神と一体化したければ、世間の幻想を壊し、自我を静めることです。それを聖書では「心を静め、自分が神であることを知れ」と言ったのです。

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私は1日1食を続けています

私は、2008年8月から、食事を1日1回にし、肉や魚を食べるのをやめました。
1回の食事は夕食で、普段は21時頃になります。品数は5品目程度。食事の時以外に何か食べることはありません。

24時間、常に空腹です。食事の直後でも、食欲が残るような量に抑えて食べます。
こういった食生活のおかげで、以前よりはるかに健康になりました。私自身は医学は全く信用していませんが、義務として受けさせられている病院の健康診断でも完全に健康であるという結果が出ています。

とはいえ、決して極端な少食ではなく、十分に食を楽しんでいますので、痩せ過ぎていることはありません。身長180cmで65kgあり、そこそこ良い身体をしています。
肉や魚を食べないと言ったら、サラダばかり食べていると思っている人がいるようなのですが、野菜もあまり食べませんし、サラダになった野菜となるとほとんど食べません。根菜類や豆類をよく食べています。また、クルミやアーモンドなどのナッツ類もよく食べます。果物も少々は食べます。

世間では、3食しっかり食べないといけないとか、30品目食べないといけないとか言われているようですが、私は、それは全くの嘘だと確信しています。
1日1食、あるいは、2食の人、食を慎む人で不健康な人はまずいないと思います。
世界には、トウモロコシしか食べないとか、1種類の芋しか食べないという民族もありますが、そんな民族の人達が、驚くほど健康、強靭な肉体を持ち、長寿であることがテレビや書籍で紹介されているのを見たことがあります。
そのトウモロコシ(轢いて粉にして練ったもの)しか食べない民族の若者が、何かの事情で西洋の長距離走の選手達とクロスカントリー大会に出て、靴も履かずに好成績を上げてしまったのをテレビ番組で見たこともあります。

オバマ大統領は、大統領選挙の時、毎晩、サーモン、ブロッコリー、ライスの夕食であったことがニューズウィーク誌日本語版(2008年11月19日発行)の記事に書かれていたのを見ました。おそらく、それが彼の通常の食事でしょうから、現在も変わっていないと思います。
宮崎駿監督は、ご飯の中に卵焼き、沢庵、ハム程度が入った1つのお弁当を昼と夜に分けて食べるということを25年以上続けていることが、糸井重里氏の「ほぼ日刊イトイ新聞」サイトの中で紹介されています。
ほぼ日刊イトイ新聞「鈴木敏夫さんと深夜の映画館で。」第5回「宮崎駿の弁当箱」

食を慎むことで得られることは驚くべきものです。
ただ、それがはっきり予想できないとしても、食事が大変に美味しく、楽しくなることは間違いがありません。1日1食であれば、一般的には粗末な食事でも、まさに天国の饗宴になります。それだけでも、大きな幸福を実感できるはずです。

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芸術の目的

美術館に行って絵画を眺め、作者の腕前に感激するだけでは、芸術が存在する意味がないように思います。
岡本太郎は、パリの美術館でセザンヌの絵を見て、涙がとめどもなく流れたようです。
岡本太郎に起こったこととは何だったのでしょうか。

芸術は何のためにあるのでしょう。
英国の作家コリン・ウィルソンは、著書の中で、芸術は宗教の下僕として始まったと述べていました。
宗教というものは、本来は、人が魂の深奥に触れ、世界や自分が存在する意味を知り、人に無限の活力を甦らせることが出来るものでした。しかし、いつしか、宗教は権威を持つと共に形骸化され、その役目を果たすことが無くなりました。
芸術は、宗教の本来の目的を助けるためのものでした。美しい絵画や彫刻、あるいは、音楽で儀式の雰囲気を荘厳にし、人と魂の接触を容易にするために役立っていました。
しかし、宗教の方が形だけになってしまったので、本来は宗教が果たすべき役割を芸術が担うようになりました。そして、芸術は、そのために、実際に驚くべき進化を遂げました。

芸術は、人の心に荘厳さを甦らせ、魂を高貴にし、神の霊感を受けて生きる意味を悟り、無限のエネルギーを受けるためのものになりました。しかし、宗教がそうであったように、芸術も権威主義となって形骸化してしまい、その力を失くしてしまったように思います。
サルトルは、本を読むことは、その本を自分で書くことだと言いましたが、絵画や彫刻を見ることも、自己の内の神秘的な存在が、それらをその場で再構築しているのです。
そして、果てしない宇宙すら、自分の意識が創り出したものであることを知るに至ると思います。芸術とは、そのようなものであるべきだと思います。

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One Mat アスリートとは

私が提唱するOne Mat アスリートとは、文字通り、「畳一枚の広さ」で実施するスポーツ、および、トレーニングを行うスポーツマンであることです。

世間で、「運動していますか?」とか「スポーツしていますか?」と問う時には、それが、広い場所や道具を使うようなものをやっているとか、スポーツクラブのようなものに所属していることと同義(意味が同じであること)であるような雰囲気があります。
別に、グラウンドやスポーツジムでやるようなスポーツや運動を否定するわけではありませんが、スポーツとは必ずしもそのようなものである必要はなく、むしろ、手間も時間も場所もお金もかからずにやれるものが、継続性があり、実質的な効果も高いことを見逃してはなりません。スポーツクラブは、行き帰りだけで時間がかかり、しかも、その間に飲食でもしたら、効果どころか、むしろ不健康の元になる可能性があります。

畳一枚の広さがあれば、極めて効果的で、やりがいのあるトレーニングが出来ます。
例えば、腕立て伏せですが、これは、もしかしたら、スポーツ医学、スポーツ科学においては、合理的なトレーニングとみなされていないかもしれません。しかし、特に武術家や格闘家には愛好者が多く、私は、神秘的なまでの究極のトレーニングだと思います。誰が考えたのかは知りませんが、神が人間に教えた秘法の訓練法と思えるほどです。
毎日やれば、確実に回数が増え、力が付いてくるのが実感できます。
私は、昨年(2009年)8月に10回から始め、割と楽にやってますが、毎月10回ずつ回数を増やし、今月は140回で、来月は150回になる予定です。現在は、100回までは軽々で、120回までは少し疲れる程度、そこから140回までは少し苦しいといった感じです。あまり厳しいと長続きしませんが、少しは苦しさもないと、10代の頃ならともかく、二十歳も過ぎると力が付いていきません。

腕立て伏せにもいろいろなやり方があります。
腕をしっかり曲げてしっかりと伸ばすというオーソドックス(正統的)なものや、プロレスラーがよくやるらしい、身体を前後に大きくゆするようにしてやる方法などがあります。
私も、いろいろやってみましたが、個人的に、一番効果を実感できたのは、ボクサーがやるように、できるだけ高速でやるものです。腕というのは、伸ばしきった時にさほどの力を入れることは無く、やや曲げたくらいで強い力を発揮するのが自然なのだと思います。そこで、伸ばしきることにこだわらず、スピードによる負荷を増すわけです。このやり方だと、100回が苦しかったのが、2~3日でかなり楽にやれるようになりました。つまり、力が早く付きますし、高速でやることだけに集中すれば雑念も吹っ飛び、気分的にも充実します。ただ、準備運動は十分にやってから行わないといけません。
大相撲の元横綱、千代の富士も、大変によく腕立て伏せをやっていたらしく、テレビでその様子を見たことがありますが、彼もこのボクサースタイルだったように思います。これが、速攻の得意な千代の富士の秘訣であったのかもしれません。また、ボクシングでも、マイク・タイソンの、チャンスでの鋭い猛攻に、彼が腕立て伏せを熱心にやっていたと言われることが納得できるように思います。

私は、毎日続けられることを第一に、楽にやっていますが、力と共に身体付きも現役ボクサーのような雰囲気になってきたと感じます。身長180Cmで体重 65Kg、胸囲92Cm、ウエスト73Cmと、まずまずの理想的な身体になり、ゆるやかに作った身体は維持も楽であると思います。

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学生の就職活動に思う

就職活動をしている学生というのは、本音を言うなら、仕事がしたいのではなく、お金が欲しいという人が大半でしょう。
企業にしたって、まともに働いたこともなく、仕事とは何か分かるはずもない学生が本気で仕事をしたくて応募しているとしたら、それはやはり学生の勘違いと認識するのではと私なら思います。
また、企業も、入って勝手なことをする人ではなく、滅私奉公タイプの人材を求めている場合が圧倒的ではないでしょうか。
もちろん、入社後にいろいろ学んだり、何かのきっかけを掴んで、本格的なビジネスマンになる場合もあるかもしれませんが、そんな人間は独立すべきでしょう。
個人的には、働いたこともない学生が、待遇を考えるのは身の程知らずだと考えています。
とりあえず就職したいなら、滅私奉公型の人間であることを訴えることに集中すれば良いと思います。

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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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