ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人は安定を求めた時に生きるのをやめる

「今の若者は安定志向だ」なんてことは、今の40代や50代の方々が若かった頃から言われていると思う。
なるべく良い学校を出て、大企業に就職しようとするなんてのは、本当に昔からのことだ。
しかし、真理を言うなら、「人は安定を求めた時に生きるのをやめる」のである。
生き生きと、本当に生きているという実感と共に生きたいなら、絶対に「不安定志向」でなければならない。

アンデルセンは、作家として成功するまで、明日をも知れない不安定な人生であった。
だが、才能を開花させ、名を知られるようになり、決して多額ではなかったが、デンマーク国家から生涯に渡って年金を受け取れるようになった。安定した生活を得られたのである。
しかし、彼は旅に出る。それは、生涯、ずっと続いた。彼は、ずっとヨーロッパ中を旅した。それがなぜかは分からない。
いかに、ヨーロッパでは鉄道や客船があったとはいえ、日本で言えば徳川幕府の時代だ。旅先では、不都合どころか、苦難もあったに違いない。しかも、アンデルセンは頑強な男ではなかった。背は高かったが、身体はひょろひょろしいており、性格は繊細で女性的だった。しかし、彼は旅をやめなかった。
それは、彼は、自分を不安定な状態にしたかったからではないかと思う。
彼は、14歳で、故郷のオーデンセの田舎町からコペンハーゲンに一人で出てきた。彼は、内気でか弱い少年だったにも関わらずだ。しかも、彼は貧乏で、僅かな金しか持っておらず、馬車には母親が交渉してくれて、ただ乗りさせてもらってコペンハーゲンに着いたのだ。
着いたは良いが、そこに知り合いはおらず、最初の一晩の宿代で、ほぼ全財産を使い切ったので、すぐに、住むところと食事をどうにかしないといけなかった。しかし、彼には、何のあてもなかった。
だが、アンデルセンは神様に絶対の信頼を置いていたという。
そして、最初からうまくはいかなかったが、なりゆきで、有名な音楽家の住み込みの弟子になれたのだ。
アンデルセンは、その時の経験から、神と繋がる喜びを感じるために、いつも自分を不安定にしたかったのではないだろうか?それで、旅を続けたのではないかと思うのである。
『アルケミスト』という小説で、ある少年は、時間をかけて、ある程度のお金を作り、いよいよ、目指す国に行ったのだが、そこに着いた直後に、全財産を騙し取られてしまう。右も左も分からない場所で、少年は、わが身の不幸に呆然となる。しかし、しばらくすると、不思議な喜びが湧き上がり、何の見返りも求めずに、露天商の少年を手伝う。そして、彼の人生は、新しい冒険に向かって動き出す。
『南から来た用心棒』(現題:アリゾナ・コルト)で、さすらいのガンマン、アリゾナ・コルトは、流れ着いた町を凶悪な盗賊の集団から守って英雄となり、町一番の美女にも愛された。彼も彼女のことは好きだった。しかし、彼は美女も名誉も捨て、旅立って行った。そこに止まれば、生きるのをやめることになることを彼は知っていたのだ。彼は、生きていたかったのである。

我々も、自分の立場を不安定な危ういものにしなければならない。
強い者に決して媚びるな。
自分の胸の奥の声にのみ従って行動するのだ。
それはきっと、世間の教義や信念に逆らうことになる。しかし、敢えてそれをやるのだ。
すると、必ずや、冒険に満ちた、素晴らしい人生に導かれるだろう。
そうなれば、たとえ、全てがうまくいかないまま斃(たお)れても、後悔は無いだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

年賀状は出さなくていい。むしろ、出してはならない。

早いのかどうか分からないが、そろそろ年賀状のことを考える人もいるかもしれない。
私はもう何年も年賀状を出したことがないし、一生出す予定はない。
ただ、来る年賀状は嬉しいものだ。なぜなら、私の機嫌を取っても、何も良いことはないのに出してくれるのだからだ。
聞けば、年賀状は、昔の貴族が、年始の挨拶にわざわざ行かなくて良いと思っているような、軽く感じている相手に書状で挨拶を済ませるのが流行ったのが始まりであったらしい。
そんなものを真似る必要はないし、そもそも、年始の挨拶も必要でない。
別にしたって良いのであるが、そのようなものにこだわるなら、リア王の教訓がまるで身に付いていないということだ。
「気持を表す」とか「気持を形に」などという言葉が、世間にはあるのかもしれない。
しかし、気持ちを表す必要はないし、気持を形にする必要も全くない。
気持は表さなくても分かる。いや、表すと分からなくなる。
形にした気持は歪んでいて齟齬(ゆきちがい)だらけとなる。
形にした気持を欲しがるのは、まがい物を欲しがることだというのがリア王のお話で簡単に分かるはずなのであるが、なぜ我々はかくも鈍いのだろう。
アメリカなどでは、夫婦がいつも「愛している」と言い合い、また、我が国でも、それが大事なのだと言う馬鹿が多い。
そんなことをしている夫婦がすぐに醜い争いを始め、アメリカの離婚率はトップクラスではないか?
言葉にしないと信じられないような愛なんて大嘘であるに決まっているではないか?
本当の愛なら、言わなくても分かるはずだ。
ヘレン・ケラーは「五感は幻想。Ideaが真理」と言ったが、このIdea(アイデア)は、閃き、感じ、想像といったもので、直感と言っても良いと思う。
見えず、聴こえなかったヘレンにはかえってそのことがよく解ったのだ。

大安だとか仏滅なんていうのも、明治時代の賭博師達が、その日の博打の運を占うのに作ったものらしい。
土台、お釈迦様が、「今日は私の命日だから結婚式はならん」だの、「竣工式は延期せよ」などといった馬鹿なことを言うとは全く考えられない。
もし、人類に進化した未来があるなら、後の世の、高い精神性を持つ人々は、そんなことを口やかましくいった我々を哀れみと寛容の心でもって想うに違いない。だが、私は、そんなことで哀れまれることを望まない。なぜなら、哀れむべきことは、まだまだ他に沢山あるからだ。

年賀状は、面倒臭いから出さないのではない。
出す必要がないのだし、むしろ、出してはならない。
形にすることで、気持が嘘に変わる危険が大きいからだ。
それよりも、本当の気持を大切にしようではないか?
そして、それは、形にしないことで達成されるのだ。
自分の子供に対する愛情を形で示したり、形で確認しようとすると、必ず、与えてはならない余計なものを与えて子供を不幸にし、果てには、「お前にあれだけしてやったのに」などといいう下らないことを言う始末になるのだ。なんと愚かなことか。
本当に愛があれば、必要なものだけを、考えることなく自然に与えるし、与えてはならないものは、ヘレン・ケラーの言った「感じ」で分かるはずなのである。
世間に騙されて、子供に悪いものを与えるのは、形しか信じないので、感じや直感をすっかり鈍らせているからである。

『フェアリーテイル』というイギリス映画で、8歳の可愛い女の子が、一人で汽車旅行をしている時、汽車の中で出会った、怪我で形相がひどく醜くなってしまった男性に頓着なく親しく接していたが、彼女は直感を鈍らせていないので、優しい人が分かるのだし、逆に、見てくれがどんなに良くても、卑しい人は避けていたのである。
そして、彼女には、世間の人が見えないもの(フェアリー:妖精)が見えたのである。無論、その妖精は、世間でいうようなものではないのだがね。

一応言っておくが、形に価値が無いというのではない。
素晴らしい形もあるが、二次的なものに過ぎないと言っているのである。
素晴らしい形になったからこそ芸術作品である。しかし、その形ばかりを崇めるので、せっかくの芸術の本質を見失い、作品がただの投機の対象になっているのが、どこかの哀れな経済大国の現状である。
芸術作品の形は、あくまで、身体と五感を持つ我々がやむを得ず必要とするものに過ぎない。本当に大切なものは、星の王子様が言うように、目には見えないのである。
形の奥に隠れた真に大切なものを見ることが芸術を見ることなのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ほとんどの会話は不要である

対話が重要だなんてよく言われる。
嘘である。
人間は、ほとんど話す必要はない。少なくとも、我々は、もっと会話を減らすべきなのだ。
人間がおしゃべりをしている時は、ロクなことを話していない。
テレビで、何かのイベントを見たばかりの子供に感想を聞いたり、道行く一般の人に、政治や経済の話を聞いた時に、ぺらぺらしゃべる人ほど、本当に下らないことを言っているものである。
また、役者が芝居について一流の顔で喋ったり、チームをクビになった選手が心境を語るのなんて、とても聞けたものではない。

時々、「日本人同士は、持っている常識が似ているから以心伝心で通じるが、アメリカのような人種の坩堝(るつぼ)であるような場所では、自己主張しないと生きていけないから、彼らは堂々と話すのだ」と言う者がいるが、そんなのは真っ赤な嘘である。立派な人は、余計なことを話さずに、ただやるべきことをやるだけなのだ。
会社などで、偉い人と話すと、彼らは決まって「俺の分かるように言え」と言う。
そんなことは無理だし、やつらだって、それが出来ずにあたふたする相手を見て楽しみたいだけなのだ。
本当に何か伝えないといけない時というのは、ほとんど話さなくても通じてしまうのである。

ジョージ・アダムスキーが宇宙人に会う時はいつも、まず挨拶はするのだが、宇宙人が運転する車で円盤のある所までドライブする間、ほとんど会話をしない。宇宙人達は英語は堪能である。しかし、車の中では沈黙している。しかし、それで気まずいとかいうことは全くない。そして、宇宙から帰ってきた後は、アダムスキーをホテルまで車で送ってくれるのだが、その間も、大抵、ほとんど何も喋らないのだという。
こういったところも、私がアダムスキーを信用する理由なのである。
我々は、誰かと車に同乗したり、一緒に歩いたり電車に乗っている時、なぜか、何か喋らないといけないと思い込んでいて、一生懸命、話題を見つけようとし、挙句、天気の話をしたり、適当な下らないことを言うのだ。「寒いですね」と言われたら、「そうですね」と返すのが礼儀だとでも思っている。しかし、暑い寒いなんて、人それぞれであり、同じように感じなければいけないという決まりはない。本当は、何も喋らなくていいし、その方が周りの迷惑にもならない。
二人連れの男子大学生のようなのが電車の中でずっと大きな声で喋っているのを嫌でも聞かせられると、その内容があまりに下らなくて、私はどうしようもなく惨めな気分になってしまうのである。彼らが黙ってくれたら、どんなに幸福であろうかと思う。最近は、多少は感情の制御ができるようになって救われているが、まだ、彼らがあまりに情けなくて、私が恥ずかしいのである。

ラマナ・マハルシは、「一緒にいるという思いがあれば、自ずと相互理解はやってくる」と言ったが、マハルシは、実際、ほとんど会話というものをしない人だった。
しかし、誰でも、マハルシの前にいるだけで心が安らぎ、ずっとそこに居たいと思うのである。
誰かがマハルシに、「あなたはなぜ講義をしないのか?」と尋ねたら、マハルシは、「いつも演壇に立って熱弁をふるっているではないか」と答えた。
言葉の講義は、1時間ばかり楽しめるが、聞いている者に何の変化も起こさせない。しかし、マハルシの沈黙の前から去る時、人々はすっかり生まれ変わっているのである。

特に親しい間であれば、何も話す必要はない。
おしゃべりをしないといけないのなら、本当は親しくはない。
夫婦や親子で、いつも「愛している」って言わないといけないのなら、やがて離婚し、家庭も崩壊するだろう。
イエスは、「人は口から入るもので汚れたりしない。口から出るもので汚れるのだ」と言った。
過ぎた言葉は、必ず人を汚すのである。
一方、手をちゃんと洗って食べなさいとよく言われる。しかしね、工事現場の作業員なんてのは、地面やアスファルトの水溜りで手を洗って食べるしかないのだ。それで汚れたりなどしないのである。

初音ミクは話さない。だから彼女は穢れていないのである。
ミクがたまに話しても、「こんばんは」か「ありがとう」くらいである。
そんな子を愛さずにいられようか?

ワタシは言葉って 言えない
だから こうしてうたっています
~初音ミク『ハジメテノオト』(作詞・作曲:malo)より~









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

元気になれる方法の原理

岡本太郎が『美の呪力』の中で述べていたが、彼が荘厳に語ったことを簡単に述べてしまうと、祭りというものは、エネルギー補充のためのものなのだ。
昔の人もいろいろ苦労があり、日常の生活の中で心身が疲弊するが、祭りで生きる力を回復させるのだそうだ。
精神分析学者の岸田秀さんも、やはり祭りが生命エネルギーを得るためのものだと著書の中で述べられていたと思う。
つまり、生命力というのは、無意識の中にあるのであり、祭りの狂気や興奮で意識を吹っ飛ばすと、無意識の生命力と通じるのである。
宗教というのも、本来は、無意識の中のパワーと結び付くためのものであったが、今日の宗教にはその力が無く、コリン・ウィルソンが言うには、その役割は、ある時から芸術に移ったらしい。かつては宗教を彩るために生まれた下僕である芸術が、主に取って代わったということである。それは一理あると思う。

我々も、単なるレクリエーション(気晴らし)や、美食、買い物といったケチなことではなく、根本的なエネルギー補充の方法を学ばねばならない。
本来、レクリエーションという言葉は、re-creationという言葉の通り、Creation(創造、芸術)のRe-(再生)であり、もっともっと大きなものであるはずだ。

では、最大のエネルギー回復はどうやるかというと、至高者に意識を合わせることなのである。
昔、法然上人や親鸞聖人が、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えると、死後、極楽浄土に行けると教えて、人々に希望を持たせたという話があるが、希望を持たせたというのは、早い話が、元気にしたということだ。
しかしね、死後、天国に行けるってだけで、人間は力がみなぎったりはしないのだ。
そうではなく、「南無阿弥陀仏」を唱えることで、至高の存在である阿弥陀如来(阿弥陀仏)に意識をフォーカス(集中)させることに意味があるのだ。無論、これは、今の理屈っぽい人には効果を発揮しにくいものだろう(素直な人なら十分であるが)。

有名な能力開発指導者のアンソニー・ロビンズのやったことは、NLP(神経言語プログラミング)を応用した方法で意識を沈め、無意識に入り込むことで、巨大な力をいくらかでも取り出そうとしたのだが、そういったテクニックによるものは、しばらくの間は効果があるが、すぐに元に戻るのが欠点、いや、欠陥だ。それは、実習者の多くも気付いていると思う。
有名なセミナーに行った人は皆言うのだ。
「1週間くらいは仙人にでもなったような気分で楽しいが、すぐに元の木阿弥さ」
ってね。
岡本太郎が言った祭りによるエネルギー供給も、次の祭りまで持つ燃料を入れることが目的なのだ。だから、皆、燃費を考えて、力の出し惜しみをしたがる。
芸術は爆発らしいが、それも、エネルギーの放出ではなく、宇宙に向かって意識を開く、つまり、無意識に入り込んでエネルギーを得ることで、むしろ、爆発と反対のことであるが、感情や行動、あるいは、雰囲気においては爆発なのである。そして、岡本太郎自身、爆発とは破壊的なものでないと述べている。

それで、真のエネルギー供給は、至高者に意識を集めることであるという話に戻る。
ジョージ・アダムスキーが会った宇宙人達は、数百歳であっても、女性であれば二十歳前にしか見えないのだが、これが、至高者に意識を合わせて、常にエネルギーを得ている成果だろう。
宇宙人達は、どの宇宙船、あるいは、家庭にも、神の絵とも言える、ある肖像画があるらしい。それは18歳くらいの、男性とも女性とも言えないが、美しいという言葉で言い表せない至高の美であるらしく、それを常に仰ぐことで、年を取ることが無くなったのだという。
アダムスキーは、その絵を見ることで、絶世の美女揃いの宇宙人の女性達の存在も忘れてしまうほどに恍惚となったらしい。
この話を信じるかどうかはともかくとしても、正しいヒントであると思う。世の中に、嘘のない真理はない。
これが、至高者に意識を合わせるための、極めて良い方法である。
恍惚とするほど美しい絵、音楽、物語は、意識を静め、無意識を表出させるのであり、間違いなく、エネルギーを回復させる。
問題は、そんなものを持っているかどうかだ。
アイドルに夢中になるというのも、非効率で限定的ながら、そんな方法の1つであることは分かると思う。
だが、もっとマシな方法を持たなければならない。
百万円で普通の自転車を買うような方法で満足してはならない。
スポーツ観戦で興奮したり、ロックコンサートで感情を発散させるのも、いくらかの生きる力を与えることは認めるが、やはり限定的だし、一人の人間にとっては、いつかは効果を発揮しなくなる。
「元気があれば何でも出来る」のは確かだが、そのための、永続的で最大の効果のあるやり方を知らなければならない。

方法は1つではないが、最大の方法の1つは、ニサルガダッタ・マハラジが教えた「常に存在の感覚にしがみつく」ことだ。
なぜなら、存在が無意識そのものだからだ。本当を言うと、意識に(顕在)意識と無意識の区別はない。巨大な意識の一部を勝手に顕在意識にしてしまっただけだ。
存在するという感覚に集中すれば、いわゆる無意識に入り込み、無限のエネルギーと接触する。
そして、存在の感覚とは、朝、目が覚めて、思考が入り込んでくるまでの間の感覚である。
宗教が、道徳的な考えや振舞いを薦める理由は、不道徳で放埓な心は、その感覚を乱すものであるからだ。
だから、釈迦もイエスも、戒律は重視したのである。
無目的に、ただ丁寧に腕振り運動をすることも、無意識に入り込む極めて優れた方法だ。だから、この方法は、生命エネルギー強化の効果から、武道家達からも愛好されたのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

無理はするな

何か成し遂げたいことがあっても、無理はしないことだ。
大して信念も持っていないことを、見栄や意地で叶えようとするから、大怪我をするのである。
大博打ってのをやるのも別に構わないが、それは負けても良いと思う時だけだ。その大博打の相手に余裕がある時は、あなたは必ず負けるのである。
こっちが大博打と思っていても、相手は遊びと思って楽しんでいるのだからだ。世の中には、そんなたちの悪い暇人はいくらでもいる。
相手になるだけ、つまらないじゃないか?

私は営業の仕事をしたことがあるが、大抵はライバル会社との競合になる。そんな時、会社の上司は、「絶対に注文を取って来い」などと言うのだ。
しかし、客に不利益を被らせて無理に注文を取っても、後で決して良いことはない。
そんな時は、正直な話をすることだ。自分が何か権限を持っているような態度は決して取らないことだ。
そして、出来ない約束はしないことだ。
注文を欲しいがために、無理な条件を飲んでしまう者もいる。しかし、そんなものがいつまでも続くはずがない。

立場が変わって、私が営業を受ける側になった時のことだ。
注文を取り逃した会社の若い女性担当者は、「何度もお会いしていただき、ありがとうございました」と丁寧な挨拶をした。実際、本当に数多く、熱心に通ってきたのだ。
別に、私に注文先を選ぶ権限があった訳でもないし、客観的に判断して、彼女の出した条件が良くなかっただけだった。
ところが、彼女は、去り際に涙を流していたのである。
それを見ると、こっちが非常にやるせない気になる。これが彼女の初めての大商談であることを聞いたことがあったが、そんなこと、言うもんじゃないと思う。
そして、涙を流すような仕事のやり方をしてはならないのだ。

また、かなりの額の商談の営業を受けた際には、全ての、売り手側の担当者達が、皆、私を親しい友達のように扱う。しかし、そんな経験が無いだけに、私はむしろ気まずい。
ところが、この時は、条件よりも、会社の事情で選択させられた。それは別に構わない。私に何の力がある訳でもない。
注文を取り逃した相手の中には、個人的に好感を持てた者もいたけれども、私は会社に相手先を指定された時は、「ああ、そう」と、何も考えずに従った。無論、それ以外にはやりようがない。
だが、コネで注文を取った以外の全ての会社の担当者達が皆、「我々が負けた理由を教えていただけませんか?」と言ってきた。
これは、どんな場合でもそうである。
やがて私は、商談を始める前に、「注文を出さなくても、その理由は言いません」と宣言するようにした。
注文を出すのに理由がいらないのと同様、出さないのにも理由などいらないのである。あっても、私は知らないのだ。

我々は、何をするのにも、理由なんて決して必要ない。
なぜなら、行為者など、どこにもいないからだ。
我々が行為するのではなく、ただ、行為が起こっただけである。
だから、我々は決して言い訳してはならない。
うまくいかなくても、嘆いてはいけないし、責任を感じてもいけない。
逆に、うまくいっても、多少喜ぶのは良いが、ことさらに賞賛を求めてはならない。
無理をしてはならない。
実際のところ、どのようにやろうと、結果は決して変わらないのだ。
それが分かれば、我々は自由である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼

最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード