今年の健康診断の結果が出たが、私は一昨年からは毎回、オールAの完全健康体としかならない。
別に、病院で健康診断をしていただく必要もないが、強制的に受けさせられているのである。私が、自分の用事で病院に行くことは他には全くない。
しかし、病人が多い。
家族、親戚、近所の人、学校の同窓生、職場の人など、つまり、知っている人の大半が何らかの身体の不調を抱えており、日頃から病院通いをしている人も少なくない。
むしろ、私のように完全に健康である者が稀なようである。
私と世間の人との重要な違いは食事だけである。世間の人は1日3食で、肉食が中心で満腹するまで食べる場合が多く、菓子類などの間食をするのも普通だ。私は1日1食で夕食だけであるが、肉、魚は食べず、食後でも十分な食欲が残るように食べ、間食も全くしない。
世の中には多くの健康法や健康食品があるが、それらが健康をもたらすことは決して無く、健康かどうかの違いは、食事の量だけで決まる。適切な一定量の食事を決まった時間に食べるようにすれば健康にしかならない。
世間の人は、あまりに食べ過ぎで、しかも、食事の量や食べる時間が一定していないので、健康であるはずがない。
私は食べないが、肉食自体はそう悪いものだと私は思っていない。ただ、肉類は食べ過ぎの原因になる可能性があるし、多く食べれば極めて身体に悪い。食事の量が適切なら、何でも非常に美味しいので、別に肉や魚を食べる必要がない。
今は、病院に行くと、大学病院など公立の病院の場合では特に、予約を入れていても長時間待たされることが多いようだ。
公立病院では業務効率の改善を考える必要がないということもあるのかもしれないが、とにかく病人が多過ぎるのである。いまや健康な人が珍しいほどなのだ。
私自身、長年、重度のアトピー性皮膚炎、心筋梗塞、めまい、だるさに苦しみ、発作を伴うメニエール氏病でしばしば立ち上がることも出来なかったが、食を慎むようになってから、それらの症状は自然にすみやかに消えた。当然、何の医療サポートも必要としなかったし、金がかかるどころか、食費は数分の1になり、医療や薬、あるいは、効果もない高価な健康食品で多額の金を無くすこともない。私の1日の食費は数百円である。これは、決して我慢しているわけではなく、飽食、肉食であった頃と比較にならないくらい食を楽しんでいる。本当に空腹な時に食べる食事はまさに天国の食事であり、自然に心から感謝し、食事の度に歓喜というものを感じるほどである。
「日本人は米」という思い込みも捨て、米を食べなくなってから更に身体が軽くなった。これは、米が悪いというのではなく、日本人だからといっても、必ずしも誰にも米が合う訳ではないということだ。徳川家康や水野南北は、富裕でありながら少食粗食で、米を食べなかった。彼らは当時としては異例の長寿(家康は73歳、南北は75歳まで生きた。当時の平均寿命は30数年と思われる)で、しかも、晩年まで健康だった。
また、世の中には数多くの精神修養法や自己開発法があるが、そのほとんどが単に提供側が儲ける目的のために作られた偽物であるが、稀に良いものもある。しかし、その本当に良いものも、実践し効果を上げるのは絶望的に難しい。私自身、良いと思えるものは、数百冊の本を読み、高額なセミナーに参加し、高価な教材(軽く百万円を超えるものもあった)も購入したが、熱心には取り組んだが、どれも成果はなかった。
しかし、ただ食を慎み出すと、決して他人との比較ではなく、以前の自分が精神的にも肉体的にも恐ろしく低レベルであったことが分かり、更に向上するのを感じている。ただ、そうなると世間と付き合えなくなると思う。世間で成功したいなら、世間的な愚かさも必要なのかもしれない。
おそらく、欲にまにれた現代人が、賢者の優れた教えや、論理的訓練で成果を出すことは極めて難しいだろう。それは私自身が実感した。そんな我々に残された唯一の実践可能なものが食の慎みである。それは簡単で確実である。
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別に、病院で健康診断をしていただく必要もないが、強制的に受けさせられているのである。私が、自分の用事で病院に行くことは他には全くない。
しかし、病人が多い。
家族、親戚、近所の人、学校の同窓生、職場の人など、つまり、知っている人の大半が何らかの身体の不調を抱えており、日頃から病院通いをしている人も少なくない。
むしろ、私のように完全に健康である者が稀なようである。
私と世間の人との重要な違いは食事だけである。世間の人は1日3食で、肉食が中心で満腹するまで食べる場合が多く、菓子類などの間食をするのも普通だ。私は1日1食で夕食だけであるが、肉、魚は食べず、食後でも十分な食欲が残るように食べ、間食も全くしない。
世の中には多くの健康法や健康食品があるが、それらが健康をもたらすことは決して無く、健康かどうかの違いは、食事の量だけで決まる。適切な一定量の食事を決まった時間に食べるようにすれば健康にしかならない。
世間の人は、あまりに食べ過ぎで、しかも、食事の量や食べる時間が一定していないので、健康であるはずがない。
私は食べないが、肉食自体はそう悪いものだと私は思っていない。ただ、肉類は食べ過ぎの原因になる可能性があるし、多く食べれば極めて身体に悪い。食事の量が適切なら、何でも非常に美味しいので、別に肉や魚を食べる必要がない。
今は、病院に行くと、大学病院など公立の病院の場合では特に、予約を入れていても長時間待たされることが多いようだ。
公立病院では業務効率の改善を考える必要がないということもあるのかもしれないが、とにかく病人が多過ぎるのである。いまや健康な人が珍しいほどなのだ。
私自身、長年、重度のアトピー性皮膚炎、心筋梗塞、めまい、だるさに苦しみ、発作を伴うメニエール氏病でしばしば立ち上がることも出来なかったが、食を慎むようになってから、それらの症状は自然にすみやかに消えた。当然、何の医療サポートも必要としなかったし、金がかかるどころか、食費は数分の1になり、医療や薬、あるいは、効果もない高価な健康食品で多額の金を無くすこともない。私の1日の食費は数百円である。これは、決して我慢しているわけではなく、飽食、肉食であった頃と比較にならないくらい食を楽しんでいる。本当に空腹な時に食べる食事はまさに天国の食事であり、自然に心から感謝し、食事の度に歓喜というものを感じるほどである。
「日本人は米」という思い込みも捨て、米を食べなくなってから更に身体が軽くなった。これは、米が悪いというのではなく、日本人だからといっても、必ずしも誰にも米が合う訳ではないということだ。徳川家康や水野南北は、富裕でありながら少食粗食で、米を食べなかった。彼らは当時としては異例の長寿(家康は73歳、南北は75歳まで生きた。当時の平均寿命は30数年と思われる)で、しかも、晩年まで健康だった。
また、世の中には数多くの精神修養法や自己開発法があるが、そのほとんどが単に提供側が儲ける目的のために作られた偽物であるが、稀に良いものもある。しかし、その本当に良いものも、実践し効果を上げるのは絶望的に難しい。私自身、良いと思えるものは、数百冊の本を読み、高額なセミナーに参加し、高価な教材(軽く百万円を超えるものもあった)も購入したが、熱心には取り組んだが、どれも成果はなかった。
しかし、ただ食を慎み出すと、決して他人との比較ではなく、以前の自分が精神的にも肉体的にも恐ろしく低レベルであったことが分かり、更に向上するのを感じている。ただ、そうなると世間と付き合えなくなると思う。世間で成功したいなら、世間的な愚かさも必要なのかもしれない。
おそらく、欲にまにれた現代人が、賢者の優れた教えや、論理的訓練で成果を出すことは極めて難しいだろう。それは私自身が実感した。そんな我々に残された唯一の実践可能なものが食の慎みである。それは簡単で確実である。
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