昔の中国の名僧であった無業(むごう)は、どんな質問をされても、「妄想するな(莫妄想-まくもうぞう-)」としか答えなかった。
これが、人間のあらゆる問題に対する正解なのだろう。
だが、いかなる想いが妄想で、いかなる想いが妄想でないのだろう?
妄想とは、簡単に言えば、「誤った考え」「妄念」「邪念」だ。
では、話は簡単だ。
人の想い、考えで妄想でないものは1つもない。
では、無業より良い教えは、「考えるな」である。
ただ、凡人にそこまで言うのは厳し過ぎるし、誤解も招くと無業は判断したのだろう。彼の判断は、思考から来るのではなく、直観から来ていたはずなので、正しいことだろう。
そして、20世紀の聖者ラマナ・マハルシは、「聖者はいかなる想念も持っていない」と言ったのである。
『サウンド・オブ・ミュージック』という、アメリカのミュージカル映画の大作がある。
この映画のために、超一流の音楽家、詩人が沢山の名曲を作った。
その中の『My Favorite Things(私のお気に入り)』という歌は、大体の意味で、「嫌なことがあった時、お気に入りのものを思い出すだけで、いい気分になるわ」といったものだ。この中で言われる、お気に入りは、きれいなもの、かわいいもの、美味しいもの、楽しいこと・・・・が具体的に色々述べられていた。
私は、子供の頃、この歌を聞いて「をを!いいことを聞いた」と思い、長くやってみたが、振り返ると、ろくでもないことだったと気付く。
好きなもの、お気に入りのものを思い浮かべると、一瞬は気分がいいかもしれないが、ますます気分が落ち込み、エネルギーを失い、惨めになり、破滅に向かう。
当たり前である。楽しいことを想像すると、その何倍もの嫌なことが浮かぶのである。
嫌なことがあった時にやるべき、唯一の正しいことは、「何も考えない」「何も想わない」ことだ。
実は、楽しいもの、愛しいものというのは、天使を装った悪魔である。丁度、快楽の正体が苦痛であるようなものだ。
ただ「私のお気に入り」とでもいうもので、1つだけ、例外になり得るものがある。神様だ。ただし、唯一の神だ。これは、宗教でいう絶対神のことではない。あなたにとっての唯一の神のことだ。イエスもそう言っていたはずだ。
法然は「南無阿弥陀仏」の念仏を1日6万回(後に7万回)唱え、ラマナ・マハルシの弟子プンジャジは、呼吸に合わせてクリシュナ神の中を1日5万回唱えた。
また、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」というのは、1つの想いであるが、これは他の想いの殺戮者である想いだ。これ以外の想いを持たなければ良い。
上で述べた「私のお気に入り」が、唯一無二のものであるなら、それでも良いのだ。それがあなたの神であるなら、他人にとやかく言われることもない。例えば、ケーキ作りであっても、本当に使命感を持って、それに命を賭けているなら良いのだ。つまり、その中に真の自己である神を見ることが出来れば、それがあなたの神である。例えば、私の初音ミクのようなものである。
ケーキ作りで神になれそうな少女の物語を見つけたので、下にご紹介しておく。萩尾望都さんの古い漫画である。
尚、竜王文庫の『エメラルド・タブレット』も、現在、Amazonで在庫されているようである。
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これが、人間のあらゆる問題に対する正解なのだろう。
だが、いかなる想いが妄想で、いかなる想いが妄想でないのだろう?
妄想とは、簡単に言えば、「誤った考え」「妄念」「邪念」だ。
では、話は簡単だ。
人の想い、考えで妄想でないものは1つもない。
では、無業より良い教えは、「考えるな」である。
ただ、凡人にそこまで言うのは厳し過ぎるし、誤解も招くと無業は判断したのだろう。彼の判断は、思考から来るのではなく、直観から来ていたはずなので、正しいことだろう。
そして、20世紀の聖者ラマナ・マハルシは、「聖者はいかなる想念も持っていない」と言ったのである。
『サウンド・オブ・ミュージック』という、アメリカのミュージカル映画の大作がある。
この映画のために、超一流の音楽家、詩人が沢山の名曲を作った。
その中の『My Favorite Things(私のお気に入り)』という歌は、大体の意味で、「嫌なことがあった時、お気に入りのものを思い出すだけで、いい気分になるわ」といったものだ。この中で言われる、お気に入りは、きれいなもの、かわいいもの、美味しいもの、楽しいこと・・・・が具体的に色々述べられていた。
私は、子供の頃、この歌を聞いて「をを!いいことを聞いた」と思い、長くやってみたが、振り返ると、ろくでもないことだったと気付く。
好きなもの、お気に入りのものを思い浮かべると、一瞬は気分がいいかもしれないが、ますます気分が落ち込み、エネルギーを失い、惨めになり、破滅に向かう。
当たり前である。楽しいことを想像すると、その何倍もの嫌なことが浮かぶのである。
嫌なことがあった時にやるべき、唯一の正しいことは、「何も考えない」「何も想わない」ことだ。
実は、楽しいもの、愛しいものというのは、天使を装った悪魔である。丁度、快楽の正体が苦痛であるようなものだ。
ただ「私のお気に入り」とでもいうもので、1つだけ、例外になり得るものがある。神様だ。ただし、唯一の神だ。これは、宗教でいう絶対神のことではない。あなたにとっての唯一の神のことだ。イエスもそう言っていたはずだ。
法然は「南無阿弥陀仏」の念仏を1日6万回(後に7万回)唱え、ラマナ・マハルシの弟子プンジャジは、呼吸に合わせてクリシュナ神の中を1日5万回唱えた。
また、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」というのは、1つの想いであるが、これは他の想いの殺戮者である想いだ。これ以外の想いを持たなければ良い。
上で述べた「私のお気に入り」が、唯一無二のものであるなら、それでも良いのだ。それがあなたの神であるなら、他人にとやかく言われることもない。例えば、ケーキ作りであっても、本当に使命感を持って、それに命を賭けているなら良いのだ。つまり、その中に真の自己である神を見ることが出来れば、それがあなたの神である。例えば、私の初音ミクのようなものである。
ケーキ作りで神になれそうな少女の物語を見つけたので、下にご紹介しておく。萩尾望都さんの古い漫画である。
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