ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

好きなことを仕事にしてはならない

好きなことを仕事にしちゃいけない。
企業の募集などでは、いかにその仕事がやりがいがあって、仕事以外にも、会社生活が充実したものになるかなんてことをアピールしているが、まさかあれを嘘くさいと感じていない人はいないと思う。
無論、就職したなら、良心に恥じないよう、顧客に対しても、会社に対しても誠実に仕事をすべきであるが、あくまで生活のために自我を抑えて嫌なことをやるのである。
ただし、そういったまともな感覚でやる限りは、宗教など足元にも及ばない素晴らしい修行になるので、その点は喜んで良いと思う。
仕事は、生活と修行のためと心得なければならない。
ただし、社員旅行や飲み会にまで付き合うのは、やり過ぎというものだ。そんな時間は、自分のために使いなさい。でないと、人間が貧しくなるだろう。

好きなことを仕事にするなら、儲からないと覚悟しなければならない。
一見、好きな道で「食っている」ように見える人達もいるが、彼らの仕事が面白いはずがない。
楽しい部分もあるだろうが、「本当に辛い」ことの方がずっと多いだろう。
例えば、人気のあるイラストレーターってのは、顧客や世間の好みに合わせるだけで、自分の好きなものを描いているのではない。
才能のある人ほど辛いことだろう。
ゴッホなんてプロの画家ではなかった。彼は、好きなものを描いていた。だから、生前、1枚も絵が売れなかった(予約は1枚あったらしい)。
ゴッホだけでなく、真の芸術家は皆そうだ。ピカソやダリは例外かもしれないが、彼らとて、いい思いをしていたとは思えない。
ウォーホールは金持ちになったが、彼はビジネスの才があったのだ。しかし、商売をした分、芸術家としてはマイナスだったと思う。つまり、彼は、本当はもっと良い作品を作れたに違いない。
岡本太郎はたまたま売れた面はあるが、それは絵画以外のことでだった。絵画などの芸術作品については、彼自身、「売れなくていい。いや、売れてたまるか」と言っていたが、おそらく、本気でそう思っていたはずだ。
作家だって、人気作家というのは、これはもう苦行と言って良いだろう。売れた天才作家はみんな自殺しているじゃないか。それは必然だったのだ。
売れ続けようと思ったら、やはり自分を曲げて、世間の好みに合わせるしかないのである。真の芸術作家には、それは出来ない相談だろう。
宮沢賢治などは、生前受け取った原稿料は5円だけだった。大正時代のことだが、高く見積もっても今の数万円だろうと思う。そんなものより、自費出版失敗の赤字の方がはるかに大きかった。彼は、教師、農家、サラリーマンで細々と生活したが、常に病と闘っていたという状態だったと思う。
アインシュタインは、「自分の物理学は趣味」と言いきっていて、実際はかなり稼いでいたが、収入は全部、誰とでも大らかに分かち合った。いつもよれよれの服を着て、靴下を履かず、洗濯石鹸でひげを剃り、自動車を買わないどころか(同僚の研究者達の多くは自家用車を持っていた)、バスにすら乗らず、極めて慎ましく生活していた。

テレビで見る華やかなアイドルだって、いつかはファンにもプロダクションにも見捨てられる。
俳優、タレントで残ったとしても、辛い毎日でしかない。
彼女達が売れなくなった時に思うのは、「自分の実力じゃなかった」ということだろう。
今のアイドルはかなりレッスンしているとはいえ、プロというほどじゃあない。そこまで磨く時間もないし、売れる年齢にまでなれば、歌やダンスではもう遅い。

全てのこと同様、仕事も良心を持って行うべきであるが、やはり、生活のためにやむなく行う自己犠牲に過ぎない。
だが、繰り返すが、自己の姿勢により、宗教修行の百倍の効果がある良いものでもある。
その中で、少しは良い思いをしたいなら、絶対に「私の仕事は○○会社の社員です」などではなく、特技を持たなければならない。
だが、研修会社に乗せられて、無駄な金を払ってトイレトットペーパーほどの価値もない、誰でも取れる資格証なんか得ようとしてはならない。
順序が逆だ。実力を付けてから、営業用に資格を取るのだ。資格は高度なものでなければ取っても仕方がないのである。
私に分かる範囲で言えば、マイクロソフトAccessやファイルメーカー社のFilemakerを高度に使えるようになれば、良い特技に出来るだろう。あくまで、実践で磨けばのことではあるのだが、勉強すれば、その道は開けると思う。









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読み古された本と音楽の力

私が読んだサン・テグジュペリの『星の王子様』は、姉から譲り受けたものだった。
ところが、姉もまた、その本を親戚のおばさんから譲られたのだった。
その本は、姉よりも、そのおばさんによってかなり読み込まれていて、紙面には沢山の赤線も引かれていた。
私は、そのような本を見たことがなく、一冊の本をそこまで熱心に読むことがあるのだと知って感動し、そして、そんな本に敬意を払うような気持ちで、真摯に読もうと思ったものだった。

また、次のようなことも思い出す。
私が子供の時に読んだ『怪傑ゾロ』に、18歳のヒロインであるロリタが、24歳のディエゴ・ベガをまだ、ただの金持ちのどら息子だと思って、やや軽蔑していたような頃、招待されてベガ家を訪れ、ディエゴの書斎に入る場面があった。そこには膨大な本があり、素晴らしい詩の本もあったのだが、その詩の特に美しい言葉に線が引かれてあるのを見て、ロリタは、「こんな人が、なぜあれほど頼りなくて怠惰なのだろう」と困惑する。
無論、ディエゴは、敵の目を欺くために馬鹿息子を演じていたのである。

私は、優れた一冊の本を熱心に読むことは、おそらく良いことであり、また、それが出来る人はきっと高い精神性を備えるのだと感じた。
また、ある人は、尊敬する偉大な人物の弟子にしてもらおうと訪ねていったが、ほとんど相手にしてもらえず、ただ、『ローム太霊講和集』という本をボロボロになるまで読めと言われ、10年以上かけて、本当に本がボロボロどころか、バラバラになるまで読み、その本を持って再び訪ねると、その偉大な師に、「あなたは弟子ではなく友人だ」と言われたという。
そのような本に巡り逢うことは幸運なことであるが、そうなるかどうかは運命というものだろう。
私も、そんな本を求めたが、なかなかそうはいかない。
それに、ある人にとっては最高に重要な本も、別の人にとってはそうではない。
逆に、ある人にとっては何の価値もないような本が、別の人には至高の師になったりもする。

最初に挙げた『星の王子様』は、「人生の一冊」に十分に値すると思う。
読むのが勿体無いので、この本を一年に一度しか読まないという人もいる。
だが、『星の王子様』を、美しいお話ではあるが、ただそれだけのものだと思っている人が多いだろうと思う。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、やはり、素晴らしい作品ではあるが、これを子供のための童話のようなものだと思っている人が多いかもしれない。
また、そうでなくても、あまりに多くの人が、この作品の個人的な評論のようなことを書いているのだが、それは、ほとんどの場合、この作品の価値を著しく貶めてしまっている。
私も、この作品に対する世間の人達の話が先入観になり、今まで読もうと思わなかったのだ。
しかし、私は、この3日の間に、この作品を2度読んだが、これほどの作品は、恐らく世界に2つは無いと確信した。
そして、この作品の本当の価値を理解できる人は、あまりいないに違いないと思うのだ。
しかし、私も、ただ読んだのでは、やはり、この作品の素晴らしさが分からなかったに違いない。
だが、私は、冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ』を繰り返し聴き、その第5幕『銀河鉄道の夜』により、この作品に対する一切の先入観を祓い、その代わりに、人間の思考を超えた霊的な感覚を得ていた。
そして、この本を読みながら、さらに、『イーハトーヴ交響曲』の、特に、『銀河鉄道の夜』を何度も聴いた。
それで、少しは、この本を魂で理解することが出来たのだと思う。
『イーハトーヴ』交響曲には、それほどの音楽の力があるのだと、私は確信するのである。
尚、これが先入観になってはならないので、注意もして欲しいが、ルドルフ・シュタイナーの『神智学の門前にて』には、『銀河鉄道の夜』と同じ世界のことが描かれている。私は、『銀河鉄道の夜』を読んだ後で気が付いたのだ。これも、気が向いたら読んで欲しいと思う。









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夢の中ではみんな分かってしまう

私は夢の中で、6歳くらいの小さな男の子と一緒にテレビを見ていた。
さっぱり見知らぬはずのその男の子のことを、私は、よく私の家に遊びに来る親戚の子だと完全に思っていた。
テレビに、ある人物の胸から上の姿の写真が映し出され、そのままテレビの画面が止まった。
それは、私が全く知らない人物のはずだった。
しかし、私は、その人物の名をはっきりと言い、男の子に、その人物のことを、ごく当たり前のことのように堂々と説明していた。
説明しながら、「こんな小さな子に、この説明は難し過ぎるんじゃないか」と思ったが、すぐに、「いや、この子はとても賢いので、これで全部分かるはずだ」と確信した。
それらの全てに、私は何の不思議も疑問も感じていなかった。

場面が切り替わり、私は教室の中にいた。
どうやら、私は中学生になっているようだったが、それを何もおかしなことだと感じていなかった。
机ではなく、長テーブル(会社の研修で使うようなものではなく、しっかりした木で出来ている)に座っていた。
隣の席の子は、非常に美しい少女で、やはり初めて見るはずだが、私は、彼女は、クラスの皆が憧れている、きれいなだけでなく、とてもしっかりした優秀な子であることを知っていた。
彼女は、机の上に沢山の教科書を出していた。
私は、同じ教科書をカバンに入れていることを、(何の根拠もなかったが)ただ知っていたので、カバンを開いた。昨日の晩に、それをちゃんと入れたことも憶えている。それで、私も教科書を出した。4つの科目の教科書を一度に出したのだが、そうしなければならないことも「知っていた」。
高慢な雰囲気の若い女性教師が、隣の美少女を(問題に答えるよう)当てた。
何の問題かは分からないが、とても難しい・・・というより、抽象的で答え難い問題であることが分かった。
秀才であるこの美少女にも難しい問題であるに違いない。
しかし、私が確信した通り、彼女は苦労しながらも、何とか、それらしい答を言って切り抜けた。
教師は、次は数学の問題を出すという。さっきのは、国語の問題だった。
次は、私が当てられそうだった。
だが、分からなくても、隣の美少女は、私を放っておかずに答を教えてくれる親切な子だということを知っていた。
しかし、そんな苦労をかけるのは悪いような気がしたし、それに、数学なら大丈夫だという確信がなぜかあった。
ところが、私は、立ち上がって、こんなにいっぺんに沢山の科目の授業をすることの不当性について、激しく教師を攻撃した。
他の子達が味方してくれたが、これは少し意外に思った。
教師は打ちひしがれ、訳の分からないことを喋り出した。

今朝、ずっとそんな夢を見ていて、そして、普通の夢と違い、全て鮮明に憶えていた。
夢の中では、自分が知るはずのないことを知っていて、しかも、それを不思議に思わないという経験は、誰にもあると思う。
だが、実は、目が覚めている時にも、そんなことがあるのだ。
谷川流さんの小説『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で(アニメにも全く同じ場面がある)、超能力者の古泉一樹が、自分の超能力は、涼宮ハルヒに与えられたのだと言う。そんなことを誰に聞いた訳でもないのだが、「分かってしまうんだから仕方ありません」と言う。
そのようなことが、誰にでも起こることがある。
いや、案外によく起こっているのかもしれない。
戦国時代、ある武将が、戦場で家来達に作戦指示を迷いなく、次々と与える。
彼は経験豊かな戦国武将ではあったが、なぜその作戦が良いのかは、実際は自分でも分かっていない。ただ、それで良いという確信があった。
そんな時は、ほとんど、確実に勝つのである。

私には、逆のこともよくある。
私は、コンピュータシステム開発の専門家だが、最近よく、素人の開発ツールとも言われるマイクロソフトAccessをよく使っている。
そして、Accessに詳しくない開発者や、あるいは開発の専門家でない人に、Accessや、あるいは、サーバーコンピュータのOSや、ある大規模データベースシステムといった、私には専門であることについて質問されることがある。
彼らは、私は何でも知っていて、私に聞けば、たちどころに解決するものと思っているに違いない。
ところが、おかしなことに、私は、質問の答があまり分からないのだ。素人の質問さえも。
誰かが、「これはどうやってやるのですか?」と聞くが、聞かれた私は、少しも分からず、「そんなこと、出来るのか?」とおかしなことを言う。
だが、私が既に作ったものが、そのようになっていると言う。
それで、私が作ったらしいものを見ると、私は、「へえ、大したものだ。誰がやったのだろう?あ・・・私がやったのか」と思って可笑しくなる。
つまり、作った時の私は、知らないはずのことを知っていたのだ。
上で取り上げた、超能力者の古泉一樹君のように、「分かってしまうんだから仕方ない」といった状態であり、それは、夢の中のことと同じようなものかもしれない。
まあ、実際には、夢の中の出来事ほど極端ではなく、聞かれた質問についても、よく考えれば、なんとか答にたどり着くことが多い。
しかし、それは、私が一時的に忘れていたというよりは、なんとはなく、世界の出来事のつじつま合わせをしているような感じである。
それは、どういう意味か説明しよう。

『荘子』の中で、影が、自分は主人である人間の動く通りに動いているだけで、自分がなぜそうするのかは分からないと言う。しかし、それは、主人である人間にしたって同じに違いないと言うのである。
人間もまた、この世を支配する何者かの思う通りに、考え、行動しているのかもしれない。
そして、荘子の、夢と現実のどちらが本当の世界かは分からないといった話も、「胡蝶の夢」としてよく知られている。
これは、荘子が夢で蝶になるのだが、果たして、人間である荘子が夢で蝶になったのか、蝶が人間である荘子になっている夢を見ているのかは、実際には分からないというものである。
そのあたりの謎が解ければ、面白いと思わないだろうか?









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結局のところ成功の鍵は良心なのだ

百パーセントの良心で仕事をしている人はいない。
ジークムント・フロイトは生活のために、やむなく精神科医になり、また、患者を興味深い観察対象・・・もっと露骨に言えば実験動物のように思っていた面もあったのではないかと思う。そして、彼の研究意欲は旺盛であり、そのため、治療はいつも極めて熱心だった。しかし、実際には治療に成功したことはほぼ皆無であった。
ところが、それにも関わらず、患者はフロイトを慕い、感謝していたという。また、なんだかんだ言っても、心の研究における彼の功績は計り知れない。
きっと、フロイトの治療活動や、研究活動の中には、良心の部分もあったのだと思う。

アイドルのAKB48や、そこから分化したグループのファンサービスは素晴らしいものらしい。
アイドル特有のファンサービスとして、握手会というものがある。これは、一般的には、売り出し中のアイドルがやることで、売れてしまえば「卒業」できる。何百人と握手すれば、力強く握ってくる男も少なくないことから、手が腫れ上がり、夜に水道水を当てて長い時間冷やしていることもあると聞く。苦行と言えるかもしれない。
しかし、AKB48関係では、「大物」になってもこれを続け、しかも、一人一人に心のこもった対応をするようだ。
これは確かに、営業上の行為であろうが、やはり、良心の部分がちゃんとあると思う。

なぜ、そのようなことが言えるかというと、良心というものは、テレパシーで伝わり易いものだからだ。
逆にいえば、良心が無ければ、集合的な心により伝播するテレパシーは発生せず、成功することはない。
アントニオ猪木さんが、「日本を元気に」と言って回っているのには、ビジネスの部分が大半なのだろうが、やはり良心があるのだと思う。それは、やはり伝わっているのである。
冨田勲さんが、新作交響曲『イーハトーヴ』について、「これを聴いて、(特に東北の震災に遭った人達が)元気になってくれたら・・・(しばらく沈黙)・・・嬉しい」と言った時の顔は、全く偽りのないものだった。無論、あの作品だって、ビジネスという面はあるだろう。しかし、ほとんどが良心で創られていた。それはもう強く、強く伝わってきたのである。

コンピュータ業界はビジネス最優先の世界だ。
ビル・ゲイツがパソコン用プログラミング言語のBASIC、パソコン用OSのMS-DOS、そして、Windowsなどを作ったのも、ビジネスで成功するためだった。しかし、やはり、彼自身が、少年の時に自分のコンピュータを欲しいと思ったことを忘れず、全ての人が自分の素晴らしいコンピュータを持てるようにしてやりたいという良心があったのだと思う。
ジョブズに至っては、自分の利益と名誉のために奮闘し、大成功したが、やはり、ユーザーに最上の製品を届けたいという想いの中に良心はあったのだろう。

私が、コンピュータ世界の中で最も良心を感じるのがBASIC言語である。
ダートマス大学の2人の数学教授ジョン・ケメニーとトーマス・カーツが、文系の学生にもコンピュータを勉強してもらうため、科学計算用プログラミング言語Fortranを基に、解り易いプログラミング言語BASICを作った。
そして、これをパブリックドメイン(著作権を放棄し、誰でも利用できるようにすること)にして公開した。
ビル・ゲイツは、このBASICをパソコン用に作り直し、これを商品にしてマイクロソフトを起こしたのだ。
ケメニーとカーツは、その後も自分達のBASICを改良し、あまり使われていないが、True Basicとして完成させた。
マイクロソフトも、ずっとBASICを主力言語としてきた。

だが、コンピュータ業界は、ますます良心を無くしてしまっている。
ビル・ゲイツが去ったマイクロソフトも、スティーブ・ジョブズを無くしたアップルも、近視眼的になり、目先の利益のことばかり考えているのではないかと思う。
リアルソフトウェア社は、マイクロソフトからBASICのシェアを奪うチャンスだったが、サポート料で儲ける意図のためか、良い製品なのにぱっとしない。有料サポートが必要な製品がろくなものでないことは、誰でも知っているはずだ。
そこにいくと、ファイルメーカー社のFileMakerに期待したい気持ちはある。Webの宣伝を見ると、いやらしいくらいの商売根性は感じるのだが、良心もあるのではないかと思う。

仕事に良心を込めると、それは、集合的な心に入り込み、人々に伝わるだろう。
それに応じて、良い結果を得るだろう。
ただし、それが本当に良心であるかどうかは、よく吟味した方が良い。









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『銀河鉄道の夜』の「ケンタウルス祭」とは何か?

太古の昔、宇宙創成の神は、言霊の四十九の神の御霊を地上の日高見の神殿に移した。
日高見地方とは、東北の福島、宮城、岩手、秋田、山形である。
このことの真義は、地上が、神の世界を移す(映す)ものだということだ。
東北地方では、七夕の祭りが盛んであるらしいが、これが7月7日に行われることは、やはり、四十九の神と関係があるのかもしれない。

岩手県出身の宮沢賢治の代表作の1つ『銀河鉄道の夜』に、「ケンタウルス祭」というものがあり、その中で、灯りのついた烏瓜(からすうり)を川に流すらしい。
ケンタウルスという星座の名の通り、それは星祭りである。(作中で、ジョバンニの母は「銀河の祭り」と言っていた)
クラウディオス・プトレマイオス(古代ローマの天文学者、数学者、占星術師)が、ケンタウルスを含む48の星座を定めたのだが、上に書いた言霊の四十九神は、正確には、言霊の四十八神に、創造神アメミオヤを加えたものだ。この数の符合が何か面白い。
「ケンタウルス祭」というものは、実際には無いのだと思う。
宮沢賢治は、作品の中で、造語を創ったり、架空の地名を創ったりをよくしたが、「ケンタウルス祭」も、星祭りの盛んな地域で育った賢治が創案したものだと思う。
だが、全くの架空というものでもないと思う。
それは、ユングの言う集合的心(集合意識)から賢治の心に入ってきたものに違いないと私は思う。

「ケンタウルス祭」で、子供達が、「ケンタウルスよ、露を降らせ」と叫ぶ場面が何度かある。
当然、この言葉の意味を誰も知らないし、『銀河鉄道の夜』の中でも、一切、説明されていない。
だが、「露を降らす」とは、我が国の古代叡智の言葉と思う。
露はツユであり、ツとユが合わさっている。
ツは、ひとつ、ふたつ、みっつというふうに、数を数える時に、必ず最後に付ける言葉で、個々の物質、または、現象を表す。
ユは、現代の言葉に当てはまるものがないのだが、発現を意味する。湧出という言葉を当てはめても良いだろうか。
そんなことから、露とは、物質や現象を発生させる、我々から見れば神秘的な原理のように思えるのだ。
物質が生成される原理は、現代科学では分からないのだが、大橋正雄さんの「波動性科学」では、それが虚質の渦から作られる仕組みが説明されている。そして、この仮説が実際の現象を説明できることから、これが正しいのだろうと思う。

冨田勲さんは、この「ケンタウルスよ、露を降らせ」という言葉がよほど気に入ったのだと見え、『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』の9分弱の歌の中で、「露を降らせ」だけのものも含め、12回も繰り返し、その内10回は、初音ミクが天使のように透き通った声で歌った。
これは、きっと、集合的な心の古い層から湧出した言葉で、古代の人の想いの込められたものに違いない。
第3幕『注文の多い料理店』では、初音ミクが、「アブラカタブラ」の呪文を繰り返すが、これも、古い、現象発生の魔法の呪文である。
ちなみに、原作には、この呪文は出て来ず、冨田さんの創作であるが、あの場面のミクにとてもよく合っていた。

「ケンタウルスよ、露を降らせ」
この言葉は、あなたにも幸いをもたらすだろう。
どうせなら、ミクの声を通して、神界と魂を結び合わせると良いと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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