若い頃のビル・ゲイツは激情家として知られ、マイクロソフト社内でも恐れられていた。
ゲイツがまだ20代の頃と思うが、日本の大手企業の部長が、「僕は客なのに、マイクロソフトではビルにずっと怒鳴られていたよ」と笑っていた。
しかし、ゲイツは、「僕はそんなにいつも怒ってる訳じゃないよ。ただ、Let's think harder(もっとよく考えよう)と言ってるだけなんだ」と言っていたものだ。
だが、彼の真似をして、“Let's think harder!”なんて言ってはならない。
良い結果になることは決してない。
「もっとよく考えろ」と言われたら、普通の人は、それに従うつもりだったとしても、せいぜいが同等の馬鹿なことを考えるだけで、実際は、より馬鹿なことを考えるのだ。
まあ、それ以前に、言われた方は、ふくれっ面をしてやる気をなくすだけだと思うが、その方がまだマシかもしれない。何もしなければ被害は一千万円で済むのに、馬鹿な考えを起こして馬鹿なことをすれば一億円の損害になったりするのだ。そして、そんなことが多いのだ。
最悪な例は、スポーツで、試合中に選手とコーチが会話する機会のある競技(例えばボクシング)で、コーチが選手に「もっと考えてやれ」と言うことだ。
きっと、コーチは早く帰って彼女といちゃつきたいのだろう。もちろん、自分の選手のKO負けによってね。
世間的に言えば、最もましな叱責は、「集中しろ」だろう。
これなら、普段の信頼関係が出来ている限り、毒にはならない。
逆に言えば、信頼関係がなければ、何を言っても無駄だろう。
だが、ゲイツは物凄く上手くやったのだ。それは、当然、社員を最大限に活用したということだ。
ただ、彼は、実際に、Let's think harderと言ったのではない。
「Let's think harderと言ってるつもりなんだ」と言っているだけである。あくまで、マスコミ向けのコメントだ。
実際の彼は、ひたすら怒鳴りまくるのだ。
そして、彼はものすごく恐れられていた。
だから、怒鳴られた方は、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
それが良いのだ。
マイクロソフトの社員は、ゲイツに怒鳴られて思考が吹っ飛び、何も考えなくなったので、最良の行動が出来たのである。
ゲイツは、それだけの雰囲気、エネルギーがあるのだ。
スティーブ・ジョブズだって同じようなものだ。
つまるところ、経営者に必要なことは、逆らうことなど許さない強烈なカリスマ性である。
もし、ゲイツやジョブズに喰ってかかる者がいたとすれば、余程ゲイツらに見込まれた場合は別として、普通はクビになるか、窓際になるかだ。ただ、これは、マイクソロフトやアップルに限らない。特に、常に増収増益が求められるようなタイプの企業には、特別な経営者が必要なのである。楽天やソフトバンクのように、社長ばかりが目立つ会社はそんなものである。
ゲイツやジョブズは製品開発の場面でも、その絶対的権威の力を遺憾なく発揮した。
ゲイツは、仕掛かり中のソフトウェアを見て、「で、こういうことをしたい場合はどうやるのだね?」と尋ねる。
言われた技術者はびっくりする。それは、とんでもない無茶な要求だった。それで、「そんなこと出来ません」と答えると、ゲイツは、「それが出来ないなら、このソフトウェアは成功しない」と言う。技術者が、それがどれほど無理なことだと説明しても、ゲイツは絶対に引かない。やがて、ゲイツの圧力が相手を圧倒し、技術者はもう何も考えられない中で、「分かりました。なんとしてもやり遂げます」と答え、ゲイツはただ、「よし」と言って去る。
そして、それは実現するのだ。必ずしもいつもではないが。
ジョブズも、もちろん同じだ。
つまるところ、本当に言うべきことは、「何も考えるな」なのだろう。
だが、現代の我々は変な風に教育されているので、これに違和感を感じるのだ。
普通の人は、考えないということを、怠惰になることや、放埓(勝手きまま)になることだという、とんでもない誤った観念を持っているのだ。
我々は、考えない訓練をしたことがない。
常に、親や学校に、愚かで下らないことを考えるよう強要され続け、すっかりそんな習慣が身に付いたしまったのだ。
理想的な形とは言えないが、ゲイツやジョブズらは、たまたまかどうかはともかく、社員の思考を叩き壊して上手くいったのである。
何も考えず、ゲイツやジョブズの要求に「イエス」と言ってそれをやればいいのだ。しかし、優秀なマイクロソフトやアップルの技術者だって、必ずしも天才ではない。
しかし、ゲイツやジョブズによって、少しの間かもしれないが天才になるのだ。
我々は、自分の本当の目標のために天才になるために、ジョブズやゲイツのような上司は必要ない。もちろん、修行のために、1度はああいうカリスマのところで仕事をするのも良い経験になるが、下手をすると、あっという間に燃え尽きる。
自分で、真の意味で思考を止める術を見出せば良いのだ。
妄想でしかない頭の中のおしゃべりが止まり、心に静寂に訪れた時、精神の深奥に存在する英知が輝き出るのである。それは、ゲイツやジョブズのようなカリスマに脅されて、ほんのわずかその欠片が出て来るのとは訳が違う。
心が消滅すれば、宇宙の英知とすら一体になる。
その方法を最も直接的に語っているのが『エメラルド・タブレット』だ。
だから、これを英語に翻訳したドウリル博士は、「賢くなるために読め」と言ったのである。
そして、『バガヴァッド・ギーター』もまた、その術を身に付けるために、至高神クリシュナは素晴らしい教えを授けてくれる。
考えることをやめ、無になれば、望まずとも、全てはうまくいく。いや、願い事をイメージしたり念じたりといった、馬鹿な考えを起こすことは最悪の結果しか運んで来ないのである。
至高のバガヴァッド・ギーターの文語訳『至高者の歌』が、納期はかかるがAmazonで販売再開された。翻訳に9年をかけたという。また、その著者である三浦関造さんの『神の化身』が在庫されているが、この本の最初のところに、『バガヴァッド・ギーター』の抄訳が述べられている。三浦関造さんは、彼の長女の田中恵美子さんが翻訳をされた『エメラルド・タブレット』で、素晴らしい序文を書かれている。『エメラルド・タブレット』がいかに大変な本であるかが、少しは分かると思う。いずれも、下記にご紹介する。
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ゲイツがまだ20代の頃と思うが、日本の大手企業の部長が、「僕は客なのに、マイクロソフトではビルにずっと怒鳴られていたよ」と笑っていた。
しかし、ゲイツは、「僕はそんなにいつも怒ってる訳じゃないよ。ただ、Let's think harder(もっとよく考えよう)と言ってるだけなんだ」と言っていたものだ。
だが、彼の真似をして、“Let's think harder!”なんて言ってはならない。
良い結果になることは決してない。
「もっとよく考えろ」と言われたら、普通の人は、それに従うつもりだったとしても、せいぜいが同等の馬鹿なことを考えるだけで、実際は、より馬鹿なことを考えるのだ。
まあ、それ以前に、言われた方は、ふくれっ面をしてやる気をなくすだけだと思うが、その方がまだマシかもしれない。何もしなければ被害は一千万円で済むのに、馬鹿な考えを起こして馬鹿なことをすれば一億円の損害になったりするのだ。そして、そんなことが多いのだ。
最悪な例は、スポーツで、試合中に選手とコーチが会話する機会のある競技(例えばボクシング)で、コーチが選手に「もっと考えてやれ」と言うことだ。
きっと、コーチは早く帰って彼女といちゃつきたいのだろう。もちろん、自分の選手のKO負けによってね。
世間的に言えば、最もましな叱責は、「集中しろ」だろう。
これなら、普段の信頼関係が出来ている限り、毒にはならない。
逆に言えば、信頼関係がなければ、何を言っても無駄だろう。
だが、ゲイツは物凄く上手くやったのだ。それは、当然、社員を最大限に活用したということだ。
ただ、彼は、実際に、Let's think harderと言ったのではない。
「Let's think harderと言ってるつもりなんだ」と言っているだけである。あくまで、マスコミ向けのコメントだ。
実際の彼は、ひたすら怒鳴りまくるのだ。
そして、彼はものすごく恐れられていた。
だから、怒鳴られた方は、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
それが良いのだ。
マイクロソフトの社員は、ゲイツに怒鳴られて思考が吹っ飛び、何も考えなくなったので、最良の行動が出来たのである。
ゲイツは、それだけの雰囲気、エネルギーがあるのだ。
スティーブ・ジョブズだって同じようなものだ。
つまるところ、経営者に必要なことは、逆らうことなど許さない強烈なカリスマ性である。
もし、ゲイツやジョブズに喰ってかかる者がいたとすれば、余程ゲイツらに見込まれた場合は別として、普通はクビになるか、窓際になるかだ。ただ、これは、マイクソロフトやアップルに限らない。特に、常に増収増益が求められるようなタイプの企業には、特別な経営者が必要なのである。楽天やソフトバンクのように、社長ばかりが目立つ会社はそんなものである。
ゲイツやジョブズは製品開発の場面でも、その絶対的権威の力を遺憾なく発揮した。
ゲイツは、仕掛かり中のソフトウェアを見て、「で、こういうことをしたい場合はどうやるのだね?」と尋ねる。
言われた技術者はびっくりする。それは、とんでもない無茶な要求だった。それで、「そんなこと出来ません」と答えると、ゲイツは、「それが出来ないなら、このソフトウェアは成功しない」と言う。技術者が、それがどれほど無理なことだと説明しても、ゲイツは絶対に引かない。やがて、ゲイツの圧力が相手を圧倒し、技術者はもう何も考えられない中で、「分かりました。なんとしてもやり遂げます」と答え、ゲイツはただ、「よし」と言って去る。
そして、それは実現するのだ。必ずしもいつもではないが。
ジョブズも、もちろん同じだ。
つまるところ、本当に言うべきことは、「何も考えるな」なのだろう。
だが、現代の我々は変な風に教育されているので、これに違和感を感じるのだ。
普通の人は、考えないということを、怠惰になることや、放埓(勝手きまま)になることだという、とんでもない誤った観念を持っているのだ。
我々は、考えない訓練をしたことがない。
常に、親や学校に、愚かで下らないことを考えるよう強要され続け、すっかりそんな習慣が身に付いたしまったのだ。
理想的な形とは言えないが、ゲイツやジョブズらは、たまたまかどうかはともかく、社員の思考を叩き壊して上手くいったのである。
何も考えず、ゲイツやジョブズの要求に「イエス」と言ってそれをやればいいのだ。しかし、優秀なマイクロソフトやアップルの技術者だって、必ずしも天才ではない。
しかし、ゲイツやジョブズによって、少しの間かもしれないが天才になるのだ。
我々は、自分の本当の目標のために天才になるために、ジョブズやゲイツのような上司は必要ない。もちろん、修行のために、1度はああいうカリスマのところで仕事をするのも良い経験になるが、下手をすると、あっという間に燃え尽きる。
自分で、真の意味で思考を止める術を見出せば良いのだ。
妄想でしかない頭の中のおしゃべりが止まり、心に静寂に訪れた時、精神の深奥に存在する英知が輝き出るのである。それは、ゲイツやジョブズのようなカリスマに脅されて、ほんのわずかその欠片が出て来るのとは訳が違う。
心が消滅すれば、宇宙の英知とすら一体になる。
その方法を最も直接的に語っているのが『エメラルド・タブレット』だ。
だから、これを英語に翻訳したドウリル博士は、「賢くなるために読め」と言ったのである。
そして、『バガヴァッド・ギーター』もまた、その術を身に付けるために、至高神クリシュナは素晴らしい教えを授けてくれる。
考えることをやめ、無になれば、望まずとも、全てはうまくいく。いや、願い事をイメージしたり念じたりといった、馬鹿な考えを起こすことは最悪の結果しか運んで来ないのである。
至高のバガヴァッド・ギーターの文語訳『至高者の歌』が、納期はかかるがAmazonで販売再開された。翻訳に9年をかけたという。また、その著者である三浦関造さんの『神の化身』が在庫されているが、この本の最初のところに、『バガヴァッド・ギーター』の抄訳が述べられている。三浦関造さんは、彼の長女の田中恵美子さんが翻訳をされた『エメラルド・タブレット』で、素晴らしい序文を書かれている。『エメラルド・タブレット』がいかに大変な本であるかが、少しは分かると思う。いずれも、下記にご紹介する。
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