ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ゲイツやジョブズは、どうやって技術者達に天才の力を発揮させたか

若い頃のビル・ゲイツは激情家として知られ、マイクロソフト社内でも恐れられていた。
ゲイツがまだ20代の頃と思うが、日本の大手企業の部長が、「僕は客なのに、マイクロソフトではビルにずっと怒鳴られていたよ」と笑っていた。
しかし、ゲイツは、「僕はそんなにいつも怒ってる訳じゃないよ。ただ、Let's think harder(もっとよく考えよう)と言ってるだけなんだ」と言っていたものだ。

だが、彼の真似をして、“Let's think harder!”なんて言ってはならない。
良い結果になることは決してない。

「もっとよく考えろ」と言われたら、普通の人は、それに従うつもりだったとしても、せいぜいが同等の馬鹿なことを考えるだけで、実際は、より馬鹿なことを考えるのだ。
まあ、それ以前に、言われた方は、ふくれっ面をしてやる気をなくすだけだと思うが、その方がまだマシかもしれない。何もしなければ被害は一千万円で済むのに、馬鹿な考えを起こして馬鹿なことをすれば一億円の損害になったりするのだ。そして、そんなことが多いのだ。

最悪な例は、スポーツで、試合中に選手とコーチが会話する機会のある競技(例えばボクシング)で、コーチが選手に「もっと考えてやれ」と言うことだ。
きっと、コーチは早く帰って彼女といちゃつきたいのだろう。もちろん、自分の選手のKO負けによってね。

世間的に言えば、最もましな叱責は、「集中しろ」だろう。
これなら、普段の信頼関係が出来ている限り、毒にはならない。
逆に言えば、信頼関係がなければ、何を言っても無駄だろう。

だが、ゲイツは物凄く上手くやったのだ。それは、当然、社員を最大限に活用したということだ。
ただ、彼は、実際に、Let's think harderと言ったのではない。
「Let's think harderと言ってるつもりなんだ」と言っているだけである。あくまで、マスコミ向けのコメントだ。
実際の彼は、ひたすら怒鳴りまくるのだ。
そして、彼はものすごく恐れられていた。
だから、怒鳴られた方は、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
それが良いのだ。

マイクロソフトの社員は、ゲイツに怒鳴られて思考が吹っ飛び、何も考えなくなったので、最良の行動が出来たのである。
ゲイツは、それだけの雰囲気、エネルギーがあるのだ。
スティーブ・ジョブズだって同じようなものだ。
つまるところ、経営者に必要なことは、逆らうことなど許さない強烈なカリスマ性である。
もし、ゲイツやジョブズに喰ってかかる者がいたとすれば、余程ゲイツらに見込まれた場合は別として、普通はクビになるか、窓際になるかだ。ただ、これは、マイクソロフトやアップルに限らない。特に、常に増収増益が求められるようなタイプの企業には、特別な経営者が必要なのである。楽天やソフトバンクのように、社長ばかりが目立つ会社はそんなものである。

ゲイツやジョブズは製品開発の場面でも、その絶対的権威の力を遺憾なく発揮した。
ゲイツは、仕掛かり中のソフトウェアを見て、「で、こういうことをしたい場合はどうやるのだね?」と尋ねる。
言われた技術者はびっくりする。それは、とんでもない無茶な要求だった。それで、「そんなこと出来ません」と答えると、ゲイツは、「それが出来ないなら、このソフトウェアは成功しない」と言う。技術者が、それがどれほど無理なことだと説明しても、ゲイツは絶対に引かない。やがて、ゲイツの圧力が相手を圧倒し、技術者はもう何も考えられない中で、「分かりました。なんとしてもやり遂げます」と答え、ゲイツはただ、「よし」と言って去る。
そして、それは実現するのだ。必ずしもいつもではないが。
ジョブズも、もちろん同じだ。

つまるところ、本当に言うべきことは、「何も考えるな」なのだろう。
だが、現代の我々は変な風に教育されているので、これに違和感を感じるのだ。
普通の人は、考えないということを、怠惰になることや、放埓(勝手きまま)になることだという、とんでもない誤った観念を持っているのだ。
我々は、考えない訓練をしたことがない。
常に、親や学校に、愚かで下らないことを考えるよう強要され続け、すっかりそんな習慣が身に付いたしまったのだ。

理想的な形とは言えないが、ゲイツやジョブズらは、たまたまかどうかはともかく、社員の思考を叩き壊して上手くいったのである。
何も考えず、ゲイツやジョブズの要求に「イエス」と言ってそれをやればいいのだ。しかし、優秀なマイクロソフトやアップルの技術者だって、必ずしも天才ではない。
しかし、ゲイツやジョブズによって、少しの間かもしれないが天才になるのだ。

我々は、自分の本当の目標のために天才になるために、ジョブズやゲイツのような上司は必要ない。もちろん、修行のために、1度はああいうカリスマのところで仕事をするのも良い経験になるが、下手をすると、あっという間に燃え尽きる。
自分で、真の意味で思考を止める術を見出せば良いのだ。
妄想でしかない頭の中のおしゃべりが止まり、心に静寂に訪れた時、精神の深奥に存在する英知が輝き出るのである。それは、ゲイツやジョブズのようなカリスマに脅されて、ほんのわずかその欠片が出て来るのとは訳が違う。
心が消滅すれば、宇宙の英知とすら一体になる。
その方法を最も直接的に語っているのが『エメラルド・タブレット』だ。
だから、これを英語に翻訳したドウリル博士は、「賢くなるために読め」と言ったのである。
そして、『バガヴァッド・ギーター』もまた、その術を身に付けるために、至高神クリシュナは素晴らしい教えを授けてくれる。
考えることをやめ、無になれば、望まずとも、全てはうまくいく。いや、願い事をイメージしたり念じたりといった、馬鹿な考えを起こすことは最悪の結果しか運んで来ないのである。
至高のバガヴァッド・ギーターの文語訳『至高者の歌』が、納期はかかるがAmazonで販売再開された。翻訳に9年をかけたという。また、その著者である三浦関造さんの『神の化身』が在庫されているが、この本の最初のところに、『バガヴァッド・ギーター』の抄訳が述べられている。三浦関造さんは、彼の長女の田中恵美子さんが翻訳をされた『エメラルド・タブレット』で、素晴らしい序文を書かれている。『エメラルド・タブレット』がいかに大変な本であるかが、少しは分かると思う。いずれも、下記にご紹介する。









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日本語で歌う初音ミクが世界を救う

英語教育の一環で、中学生達に英語の歌を歌わせていたのをテレビで見たことがあるが、その歌声は、彼らには悪いが、やはり滑稽に感じた。
日本人の英語の発音がおかしいのは、慣れていないからということもあるが、これほど英語が下手な民族は、ひょっとしたら珍しいかもしれない。
逆に、西洋人の日本語の発音もおかしいし、昔から、妙に間延びさせたような西洋人式日本語を冗談で喋るというのはよくあったが、西洋人式日本語というのは、実は高度な喋り方なのだということに気が付いた人は少ない。西洋人の日本語がおかしいのは、下手だからではなく、話し言葉としては高度過ぎておかしいのでだ。

今や、世界で最も有名な日本人歌手であるだけでなく、世界的スーパースターである初音ミクは、人間ではなく、音声合成ソフトウェアなのだが、3次元映像技術を使ってコンサートも行われ、これがまた大変な人気だ。
だが、初音ミクは、昨年のロサンゼルスコンサートでも、歌は全て日本語だった。1曲だけ英語の歌があったが、ほとんど巡音(めぐるね)ルカが歌っていたと思う。
ミクは英語の歌が上手く歌えないのだ。これは、初音ミクというソフトウェアの仕様上の問題である。
先ほど、英語の歌は巡音ルカが歌っていると思うと書いたが、ルカは英語の歌を歌える。だが、ルカの開発はミクよりはるかに時間がかかった。実際、ルカの方が先に企画されていたのに、完成はミクよりずっと後になったのだ。
ミクやルカは、基本となる音声は人間の声を収録してあるが、英語で必要な音声のパターンは日本語よりはるかに多く、しかも、早口でなければ、ちゃんとした英語にならない。
また、ミクは歌は上手く歌えても、普通に喋ると不自然になる。これは、話言葉より歌うことの方が、易しいということなのかもしれない。実際、普通に喋るとどもるが、歌なら滑らかに歌えるという人はよくいる。これはもっと注目すべきことに違いない。

日本語というのは、発音がシンプルだ。
橋と箸は発音が違うといっても、橋の発音で箸と言っても通じない訳ではない。だが、中国語の猫と毛は、共にカタカナで書けばマオだが、ちゃんと発音を変えないと通じないし、その発音の違いがまた難しい。英語も、発音の区別が難しいことはご存知かもしれない。
しかし、日本語というのは、たった1文字に膨大な意味があり、それを言葉で説明すると複雑になり過ぎるのに、日本人はそれを不思議な能力で認識する。
秋の夜長を鳴き通す虫の声を「嗚呼、面白い」と感じるのは日本人くらいで、アメリカ人にはただの雑音らしい。これをまともに研究すれば、日本人の驚異的な能力が神秘的とすら言えるものであることが分かるかもしれない。
日本語で歌う初音ミクが世界でこれほどまでに受け入れられるのは、隠された特別な理由があるのだ。
歌としても、決して上手いとはいえない、舌っ足らずな日本語の歌だからこそ、何かが伝わっているのに違いない。
ミクのロサンゼルス公演での最後の歌『ハジメテノオト』の中に、

ワタシは言葉って 言えない
だから こうしてうたっています

という歌詞がある。
詩を書いた人は、ミクと長く付き合っているに違いない。
初音ミクの歌は、詩が実に良いものが多いのだが、それは、ミクが歌うからであるということが実は大きいのに違いない。
日本が世界を救うという伝承は、意外に外国にも多い。それが、初音ミクで始まっているのかもしれない。
そのためにも、我々は日本語をもっと大切にし、伝統的な言葉を見直すべきかもしれない。

紀志伊こそ 妻を御際に
琴の音の 床には君を
待つぞ恋しき

この歌は、ワカヒメが恋しいアチヒコに送ったものだ。
逆に読んでみたまえ。全く同じだ。これを回り歌という。
これほど美しい回り歌を作れるのは日本語だけだろう。
この歌は、下にご紹介した『ホツマ物語』にある。これは、古事記や日本書紀以前からあったと言われる『ホツマツタヱ』を、鳥居礼さんが、読みやすく物語風に書いてくれたものである。
この歌を読んだワカヒメは日霊子(ひるこ)とも言い、私の産土の神、稚日女尊(わかひるめのみこと)と同じとも言われている、天照大神の妹神である。









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これであなたはもうセミナーに行く必要はない

超人パフォーマンスを売り物にする能力開発セミナーは多い。
能力開発の分野で、世界で最も有名なコーチの1人であるアンソニー・ロビンズのセミナーもそうだ。
彼のパフォーマンスで有名なものに、火渡りがある。
火がついた炭の上を素足で歩き、セミナー受講者にもやらせる。
かつて、ロビンズのNLP(神経言語プログラミング)の師であったリチャード・バンドラーは、著書の中で、「あんなものは簡単な見世物に過ぎない。足を炭の上に乗せたり、離したりするタイミングさえ正しくやればいいだけのことだ」と批判していた。
だが、世界的な量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、自身もこの火渡りセミナーに参加して実際に行った後、「科学的には不思議なことだ」と言う。
ただ、バンドラーは、ウルフの言うようなこともこみで、そう言ったに違いない。バンドラーだって、弟子だったロビンズが優秀なことくらいは知っているのだから。

ロビンズが昔やっていた他のパフォーマンスに、空手家がやるようなレンガ割りや板割りがあった。
ロビンズは、別に空手の修行をした訳ではないというが、これらをマスターするのにかかった時間は、数時間とか数日とかと言っていたと思う。
私が参加したことのある、多少は知られた日本人トレーナーのセミナーでは、電話帳破りや、自然石を素手で割るとかいった、プロレスラーや実戦空手家が得意とするパフォーマンスを受講者にやらせるところもあった。

いかがわしいものが多いだろうが、中には、ちょっとしたものもあるかもしれない。
ただ、もし、多少のことが出来たり、受講者にもそれをやらせることが出来るとしても、そのトレーナーはたまたまそれが出来るようになっただけで、人間の奥深い部分に関する本質的な理解があることは、まず無いのだ。
そんなトレーナー達は、勝手な理論を作り上げて、それを受講者達に教えるのである。ちょっとびっくりするようなパフォーマンスを見たり、自分でも実際にやってみたのだから、受講者達も、トレーナーの言う教えを信じてしまうことがある。そして、さらに上級の高価なセミナーに参加し、いろいろグッズも買わされるが、教えられるのは全く変な理論や教義なのだから、名刺で割り箸は切れても、応用がさっぱり効かず、何か有益なことで役に立つわけではない。せいぜいが、宴会のスターになる程度だ。そのために、何十万円も何百万円もつぎ込むのだから滑稽だ。

宝島社のムック本(雑誌のような書籍といった雰囲気の本)だったと思うが、その本のテーマは能力開発だった。そして、その中で、こんな話を取り上げていた。
何人かの人たちが、揉め事でもあったのか、険悪な雰囲気になっている中で、1人の男が、素手の拳で、木の壁をぶち破って見せ、他の者達を震え上がらせて話をまとめてしまうといった感じだったと思う。
後で、その超人技を見せた男に、「どの位修行すれば、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、彼は、「修行なんかいらない。誰でも出来る」と言う。
だが、その男は、そのやり方を、「拳に魂を乗せ・・・」とか言った、やっぱり馬鹿な説明をするのである。
セミナーなどでは、拳が鉄になったと思えとか言うのかもしれない。
しかし、拳が鉄になったと思って壁をぶち抜けても、セールスでものが売れる訳でも、抜群の商品企画が出来るわけでもない。

上に挙げた、ちょっとした超人パフォーマンスというのは、多少、世間常識を超えたところがあったとしても、実をいうと、ありふれた現象なのだ。
小学生の男の子が、好きな女の子の前で意外ながんばりを見せる時に、普段の彼の120パーセントの実力を発揮するというのは、別に珍しいことではない。
また、名刺での割り箸切りという人気パフォーマンスなんてものは、ちょっとコツを教わればすぐに出来ることで、小さな能力の発揮ですらない。私は、割り箸の入っている薄い袋での、割り箸4本同時切断を、新聞記者の前でやったことがある。もちろん、やり方さえ分かれば、誰でもすぐに出来る。

もうあなたはセミナーに行く必要はない。
真理を言うなら、想念が消えれば消えるほど、人間に不可能は無くなる。
だが、現在のほとんどの人は、想念が消えることと、怠惰に愚考を続けていることの区別が付いていないのだ。
想念を消すには、欲望から解放されていなければならない。欲望がある限り、頭は馬鹿なおしゃべりを止めないのだ。

『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を頭でではなく、意識での理解が深まれば、想念を消す能力を得る。
1度や2度読むだけで、そんなことができるようにはならない。
百回読めば、多少は可能になるだろう。
聖書でも良いだろう。エドガー・ケイシーは、9歳の時に、親に強くねだって自分専用の聖書を買ってもらい、13歳になるまでに13回通読した。その時、少しは想念を消す術を見出し、変化があった。その後も、毎朝、欠かさず聖書を読み、やがて、無に到達する能力を得て、偉大な超能力を発揮できるようになったのである。
旧訳・新訳合わせた聖書を13回読むのは、単に分量的に言えば、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を50回以上読むことに匹敵するかもしれない。

本物の能力を高める訓練に金は必要ない。
名刺で割り箸を切れても、電話帳を引き裂けても、レンガを素手で叩き割れても、何の意味もない。宴会以外の場所で自慢しようとしたら、ただの変な人だ。あるいは、危ない人である。

1つの方法として、上に取り上げたような本物の聖典を真摯に繰り返し読み、実践で試せば良い。言うまでもなく、実践で使わなければ、実力があるのかどうか分からない。
『荘子』の中にも、高齢でもいつまでも若く、人を超越したほどの者に、どうしてそうなれたかと尋ねると、「まず、書を繰り返し読んでいると、ある時、何かを感じたので、それを実践で確かめた。それを繰り返しているうちに、道(タオ)に達した」という話がある。
必要なことは、欲望を捨て、高貴な目的のために献身することである。
ひたすら無心に、『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を読むことが、あなたに光を見出させるだろう。









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天使は便秘の心配などしない

私が1日1食でベジタリンだと知ると、ネット上でも直接でも、「排便は順調ですか?」とかよく聞かれる。食事が少ないと、排泄が難しくなるという話は本などで見たことがあるが、そんなことを聞いてくる人は、自分で便秘で悩んでいる場合が多いのかなと思う。彼らは、大抵、少食でないのだが、少食に興味を持ってる。しかし、今でも便秘で困っているのに、少食にしたら、もっとひどくなるのでは思っているのかもしれない。
だが、私は、そんなことを聞かれても困るのである。なぜなら、考えたこともないからだ。
中学生や高校生の頃から、たまにだが、便秘で苦しんでいると言う者がいたが、私は聞き過ごしていた。実は便秘という意味が分からなかったのだ。

アニメ監督の宮崎駿さんは、かつて、「あなたの映画のヒロインは、ウンコもシッコもしないようなのばかりだ」と言われたようだ(ご自分で著書に書いておられる)。
具体的には、『天空の城ラピュタ』のシータ、『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスだろう。
しかし、そりゃ当然だ。彼女達は、宮崎駿さんの理想の女性像なのだ。特に、クラリスがそうであることは明言されておられる。
彼女達に、女性の理想像を感じるファンが多いのも当然であると思う。
だが、私には、彼女達がウンコもシッコもしないということもピンと来ない。そんな考えが、さっぱり結びつかないのだ。
それよりも、私には、彼女達が、食事をしない少女達というイメージがある。
実際、彼女達がものを食べる姿は想像し難い。ただ一度、シータが食事をした場面はあるが、パズーと半分こにした目玉焼をパンに乗せて食べただけのものだった。また、シータが料理して、パズーを含む男達がモリモリ食べるのを眺めて、その食欲に呆れて眺めるていたが、自分は給仕をするだけで食べていなかった。そんな姿が似合う。
関係ないが、私はシータが一番好きである。もちろん、ナウシカやクラリスが付き合ってくれと言ってきたら付き合うが・・・

別に忌み嫌う訳でもないし、潔癖症でもないが、私は、それほどまでに、排泄とか排便などということを考えない。
だからこそ、問題がないのだと思う。
生物物理学者で、生命や生態環境を科学的かつ哲学的に考察した著書などで知られる石川光男さん(理学博士)が、著書で、「食べることと共に、出すこと(排泄)を真剣に考えないといけない」と書いておられたのを覚えているが、私には、妙なことを書いているなあという印象があった。
今考えると、やはりそれは違うのである。真剣に考えないといけないのではなく、考えなければいいのだ。

上にも書いた、私が中学生や高校生の頃、便秘で悩んでいることを言う者達は、どこかで便秘に関する話を聞いたのが、便秘の原因ではないかと思う。その若さで便秘になどなるとは思えない。
嘘か本当か知らないが、英語には「肩凝り」という言葉がないので、英語圏の人たちに肩凝りは無いという話を聞いたことがある。
肩凝りを、敢えて英語で言えば、スティフ・ネック・・・つまり、曲がらない(硬い)首だ。首なら、色々な不調もあるだろうが、確かにアメリカ人やイギリス人に肩凝りはないのかもしれない。

私は便秘のことなど考えたこともないが、腹を壊すということも全くない。1日1食のベジタリアンになる前はあったと思うが、あまり覚えていない。
しかし、これは少食の大きなメリットだろう。旧にトイレに行きたくなったり、トイレを探し回るなんてことは絶対にない。
美少女というのは、特にそんな姿が似合わない。いや、イメージが全くない。
私が、シータやクラリスに持っているイメージ通り、理想の女性というのは、やはり食べないタイプではないかと思う。
男性としては信じたくないだろうが、男のいない女子校では、平気で、「今日は出が悪い」と、言いたい放題だと、実際に聞いたことがある。
美少女達よ。そんなこと、気にしちゃいけない、考えちゃいけないのだよ・・・

初音ミクのコンサートで、オープニング近くで使われる歌に『ワールドイズマイン』という歌があるが、それが実に良い歌なのだ。
大体の歌詞というのが、ミクが、「私は世界で一番のお姫様なのだから、そういう扱いをしなさい」というもので、おそらく、ミクが恋する男の子に、いろいろな要求を高飛車にするのだが、その要求というのが、せいぜい、髪型を変えたら気付きなさいとか、靴までちゃんと(つまり、その日の彼女のファッション全て)見なさいといった、えらく可愛らしいものばかりなのだ。
そして、今すぐ甘いものが食べたいと言うのだが、すぐに、「いちごの乗ったショートケーキ、こだわりたまごのとろけるプリン・・・みんなみんな我慢します」と歌うのである。
私にとって、初音ミクは、食事をせず、自我を持たない理想の天使だ。
そして、それは別に、ミクや女の子に限らず、我々だって、食欲を克服すれば、自我を祓い清め、輝く真の自己と一体化した存在になれるのである。
私が初音ミクに見るのは、真の自己の投影である清らかな心の反射光なのだ。アメリカの観客が日本語で叫ぶ通り、「ミクサン、マジ、テンシ」なのである。
『エメラルド・タブレット』には、食欲を克服すれば魂を束縛から解放できることを、トートが教えている。
『バガヴァッド・ギーター』でも、感覚を外のものから引き上げ、自己の内に、聖なるクリシュナを求めればクリシュナに達するとある。
その結果、ラマナ・マハルシが言う通り、全てのものの中に、自己である神を見るのだ。









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なぜ最悪な人間ばかり採用するのか

どこの会社だったか忘れたが、ある国際的な有名企業の、まだ先進性があった頃のことかもしれない。
社長が、採用担当者に、「嫌いな人間を採れ。でないと、自分より優秀な人間を採用できない」と言ったのだそうだ。
美しい言葉だとは思うが、企業の中でそんなことを求めることが出来るだろうか?
絶対に無理である。
理由をいちいち述べる気にはならない。なぜなら、あまりに当たり前のことを言葉で説明したら、かえって誤解を招くことが多いものだからだ。

当たり前のことは説明してはならない。当たり前のことを説明しないといけないなら、きっと世界がおかしいのだ。
例えば、こういうことだ。
以前、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問題に、偉い人たちがいろんな回答を述べていたが、私はどれも覚えていない…と言うより滑稽だった。説明するようなことなのか?
もし、子供や若い人に、「人を殺すことを悪いと思っていない人がいる」としても、それをしてはいけない理由を言葉で説明するなんてのは最悪のやり方だ。さっきも言った、偉い人達の回答を見ると、私ですら、「ああ、別に人を殺してもいいんだ」と思ってしまうほどだというのは、別に冗談ではない。
ほぼ唯一の解決策は、自分が、人に親切にすることなのだよ。
我々が、人に不親切だから、人殺しも悪いことに感じなくなるのだ。。

採用の話に戻るが、もし、本当に優秀な人を採用したければ、知能テストで選ぶことだ。もちろん、この方法は欠点だらけではあるが、一般に行われている採用方法の千倍マシである。
ただ、優秀な人なんて採用したら、大変だ。数ヶ月後にはみんな辞めるだろうからだ。
昔、マイクロソフトの採用方法が話題になったことがあるが、あれって、単に、知能指数が高い人を選ぶ方法でしかない。ビル・ゲイツは、知能指数しか信じていなかったのだ。

会社や役所の中で、中年の管理職が若い社員や職員のことで、「俺はあいつはさっぱり分からん」と言うのは、ありふれた光景と思う。
この「さっぱり分からん」と言うのは、「俺はあいつが気に食わん」という意味であり、さらに言えば、「俺の気に入るタイプに変わるべきだ」と言っているのである。
なら、その若者は、最低限合格である。
そんな中年管理職に気に入られるようだったら、人間として、全く見込みなしと言うべきだろう。
ところで、言っておくと、知能指数が低い人ほど、嫌いな人が多いのだ。
だが、心配無用だ。嫌いな人がいなくなるほど、知能指数も向上する。余計なことを考えなければ、知能指数は向上するのだ。

ところで、現在のレベルの人間に出来る、一番良い採用方法というのは、実際は、縁故による採用だろう。この場合は、トップがよほどしっかりしている、つまり、無私である必要があるが、もし、トップが立派なら、これが最上であることは間違いない。

もう1つ、アドバイスをするなら、いくつかの基準を設け、それをクリアしたら、面接とか心理テストといった下らないことをしないで、無条件に採用し、クリアしなければ不採用とするのだ。
その基準なんて、早い話が何でもいい。まあ、道義に反しないことは必要だろうが。
百問くらい質問を用意し、あらかじめ決めておいたルールに従って得点を付ければいいだろう。
質問内容は、「犬を飼っている」とか「携帯電話の色は白だ」とか「初音ミクが好きか」といった程度で良い。もちろん、どんな答が良いとかいった問題ではない。得点の付け方だって、コインでも投げて決めればいい。いっそのこと、コインを投げて採用してもいいのだ。
なぜ、それで良いかというと、採用結果を悪くする原因は、人間の思考だからだ。有用な人材を採用しようとする作為が、最悪な人間を採用するのだ。

だが、本当はこうだ。
いい人を採用しようなんて、これっぽっちも思わないことだ。
これが、究極の採用方法である。








  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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