私は、2008年8月から1日1食の菜食主義をほとんど完全に継続しているが、2009年8月から開始した肉体トレーニングも、欠かした日はほぼない(3日ほど体調不良で休んだ)。
ただ、肉体トレーニングの意味が変わってきた。
夜の10時頃から、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動などをやるのだが、以前のように、腕立て伏せを数百回連続でやっていた頃は、明らかに強力な肉体の獲得を目指していた。それは欲望であろう。
昨年7月に、それで右肩を痛め、現在は治っているが、トレーニングのやり方を変えた。
以下のようなものだ。
ストレッチ運動の後、腕立て伏せを20回やる。
以前は、ボクサーがやるような超高速でやっていて、200回以上もやればフラフラになるし、確かに腕力増強著しかった。
しかし、今は、床ギリギリまで胸を落とし、そこから、もったいぶった感じで、身体をまっすぐ保ったまま腕を伸ばすが、伸ばしきって尚、床を突き離すように身体を高く上げる。腰が天上から吊られているような感じである。
プロレス式のやり方とも違うが、以前、ビデオで見た、柔道王、木村政彦の道場のやり方に似ていなくもない。
このやり方なら、20回程度でも、少しこたえる。
その後、ヒンズースクワットを200回行う。さほど厳しくはないが、この地味な運動はなかなか辛いものである。
そして、腹筋運動は、膝を垂直に立て、両手を頭の後ろで組み、完全に仰向けに寝た体勢から、ゆっくり上体を巻き込むようにして起こしていき、肘が膝に付く位まで起こす。余裕はあるが、30回で終わる。
そして、もう一度腕立て伏せに戻る。
これは夜だが、朝は、腹筋運動と腕立て伏せだけはそれぞれ1セットずつ同じようにやる。
朝は元気があるので、むしろ爽快であるが、夜は疲れているので、やや辛い。
ところで、これらの運動の目的は、体力をつけるとか、美しい肉体を創ることが目的ではない。
数ヶ月前から、そんな意図が全く無くなり、本当に、いったい何のためにトレーニングしているのだろうかと思ったものだ。
健康のためなら、こちらは既に10年ほど続けている腕振り運動を1日1000回もやれば十分と思う。
結局のところ、少し辛いことを、毎日欠かさずにやることが良い修行になっているのだ。
何の修行かというと、私は、およそあらゆる修行の目的は、自我を弱めるためであると思っているし、そうでなければならないと思っている。
以前の私がやっていたようなトレーニングのように、自己の利益や我欲のためにやっていることは修行ではない。
肉体トレーニングのように、本質的には良いことであっても、目的がなく、辛いことをするのを自我は嫌がる。自我はやめようとするだろう。しかし、それを敢えてやり、自我の要求が通らないことを示して、自我を屈服させることで、自我を弱くするのである。
だから、やること自体は、「本質的には良いこと」「少し辛い」「無目的」であれば何でも良いのである。
新渡戸稲造の『武士道』に、修行に関する素晴らしいお話がある。
江戸時代、ある立派な武士が、1人の町人に目を留め、近寄って尋ねる。
「お前は何者だ?」
問われた町人は、戸惑った様子で、
「何者でもありません。ただの職人で御座います」
と答えた。
しかし、武士は納得しない。
「これでも、わしの目は節穴ではない。その立ち居振る舞い。お前がただ者でないことは明白じゃ。お前が何者か教えてくれぬか?」
町人は、本当に困って、
「何者と言われましても・・・」
と言って、少し思案した後、こう続けた。
「もし、何か私に、他の人と違ったところがあるとすれば、私は、毎夕、墓場に行くという習慣が御座います。私は生来の臆病者で、それをなんとかしたいと思い、墓場にでも行けば、少しはそれが治るのではないかと考えたので御座います。もう長年、1日も欠かさず続けておりますが、効果があったかどうかは何とも・・・」
この町人は、初めこそは、臆病な心をなんとか出来ると考えて、墓場通いを始めたのであろう。
当時の墓場は、ろくに明かりのない夕刻に行けば、さぞ恐ろしいものであったろう。
彼の自我は、それをするのが嫌だったはずだ。しかし、それを抑えて、毎日続けるうちに、目的などもなくなり、恐怖と戦いながら墓場に行くことそのものが目的になったに違いない。
それが、この町人の自我を希薄にし、普通の人間を超えさせたのである。
自我は、自分の思い通りにならず、屈服させられると弱くなるのである。
学校の部活でも、あるいは仕事でも、辛いのを我慢して続ければ、自我が弱くなって、結果、自己の内部の高い存在と融合していくのである。
これがいわゆる、苦労が人を育てるとか、辛い経験のある者ほど他人に優しいという結果になる。
ただし、あまりに辛いような場合は、自我が強く反発してしまい、かえって自我が強くなる。
例えば、校則が厳し過ぎることに反発して不良化したり、いじめが酷過ぎて自殺したりである。自殺は、自我が自分を守ろうとする最後の手段なのである。
また、限度を超えて他人から辛くあたられると、やはり、冷酷な人間になるのである。
『新世紀エヴァンゲリオン』で、ミサトさんが言ったように、「本当に嫌だったら逃げていい」のである。
あるいは、「自殺するなら引きこもれ」である。
我々も、ちょっと辛いことを、毎日欠かさずやることで、自我を弱くし、神仙に近付くのである。
本質的には良いことだが、毎日やるには辛いことを続け、それをやめたいと願う自我の要求をはねつけ、自我を屈服させることなら何でも良い。
1冊の本を呆れるほどの回数読んで、高次の存在に近付いた人もいる。
私が昔、TM(超越瞑想)を始めた頃、朝鮮出身で日本で起業した社長さんに、「それを1年365日、1日もかかさずやれば大したものだがな」と言われたが、彼も苦労人だけあり、よく分かっていた。
私は、TM自体はあまり良いとは思っていないのだが、1年間欠かさず続けたことで、驚くべきことがあった。自動車を運転していて、信号無視で警察に捕まったのだが、相手の高飛車で傲慢な態度を受け流し、気が付いたら、その警官は、「それじゃ・・・」と言って去ってしまった。考えられないことではないだろうか?
まあ、言い換えれば、私にとってTMは辛いものでしかなかったということで、TMの宣伝とはまるで異なる成果であったとは言えるかもしれない。
(ただし、クリント・イーストウッドやポール・マッカートニーのように、TMを賞賛する人もいる)
私は、今後も、毎日、トレーニングを続けるだろう。
実際は、かなりのナイス・バディになり、何かと身体の強さを発揮することも確かにあるのだが、そんなことは取るに足りないことなのである。
皆さんも、是非、正しい修行をして、真の力を得て欲しい。
ただ、くれぐれも無理をせず、ちょっと辛い程度のことをやることをお薦めする。
過度に厳しいことをやろうとするのは、それで何か良い思いをしたいという欲望なのである。そんな人は、欲望が強ければ、ある程度はそれをやり遂げる。しかし、自我はますます強くなり、いつかは破綻するのである。
あまり厳しいことでなくてもいいが、毎日、決して欠かさずにやることだ。自我は、自分の都合で休むのが好きだ。しかし、自我のそんな要求など、決して通らないことを自我に思い知らせることが大切である。そうすれば、自我は屈服して弱くなるのである。
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ただ、肉体トレーニングの意味が変わってきた。
夜の10時頃から、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動などをやるのだが、以前のように、腕立て伏せを数百回連続でやっていた頃は、明らかに強力な肉体の獲得を目指していた。それは欲望であろう。
昨年7月に、それで右肩を痛め、現在は治っているが、トレーニングのやり方を変えた。
以下のようなものだ。
ストレッチ運動の後、腕立て伏せを20回やる。
以前は、ボクサーがやるような超高速でやっていて、200回以上もやればフラフラになるし、確かに腕力増強著しかった。
しかし、今は、床ギリギリまで胸を落とし、そこから、もったいぶった感じで、身体をまっすぐ保ったまま腕を伸ばすが、伸ばしきって尚、床を突き離すように身体を高く上げる。腰が天上から吊られているような感じである。
プロレス式のやり方とも違うが、以前、ビデオで見た、柔道王、木村政彦の道場のやり方に似ていなくもない。
このやり方なら、20回程度でも、少しこたえる。
その後、ヒンズースクワットを200回行う。さほど厳しくはないが、この地味な運動はなかなか辛いものである。
そして、腹筋運動は、膝を垂直に立て、両手を頭の後ろで組み、完全に仰向けに寝た体勢から、ゆっくり上体を巻き込むようにして起こしていき、肘が膝に付く位まで起こす。余裕はあるが、30回で終わる。
そして、もう一度腕立て伏せに戻る。
これは夜だが、朝は、腹筋運動と腕立て伏せだけはそれぞれ1セットずつ同じようにやる。
朝は元気があるので、むしろ爽快であるが、夜は疲れているので、やや辛い。
ところで、これらの運動の目的は、体力をつけるとか、美しい肉体を創ることが目的ではない。
数ヶ月前から、そんな意図が全く無くなり、本当に、いったい何のためにトレーニングしているのだろうかと思ったものだ。
健康のためなら、こちらは既に10年ほど続けている腕振り運動を1日1000回もやれば十分と思う。
結局のところ、少し辛いことを、毎日欠かさずにやることが良い修行になっているのだ。
何の修行かというと、私は、およそあらゆる修行の目的は、自我を弱めるためであると思っているし、そうでなければならないと思っている。
以前の私がやっていたようなトレーニングのように、自己の利益や我欲のためにやっていることは修行ではない。
肉体トレーニングのように、本質的には良いことであっても、目的がなく、辛いことをするのを自我は嫌がる。自我はやめようとするだろう。しかし、それを敢えてやり、自我の要求が通らないことを示して、自我を屈服させることで、自我を弱くするのである。
だから、やること自体は、「本質的には良いこと」「少し辛い」「無目的」であれば何でも良いのである。
新渡戸稲造の『武士道』に、修行に関する素晴らしいお話がある。
江戸時代、ある立派な武士が、1人の町人に目を留め、近寄って尋ねる。
「お前は何者だ?」
問われた町人は、戸惑った様子で、
「何者でもありません。ただの職人で御座います」
と答えた。
しかし、武士は納得しない。
「これでも、わしの目は節穴ではない。その立ち居振る舞い。お前がただ者でないことは明白じゃ。お前が何者か教えてくれぬか?」
町人は、本当に困って、
「何者と言われましても・・・」
と言って、少し思案した後、こう続けた。
「もし、何か私に、他の人と違ったところがあるとすれば、私は、毎夕、墓場に行くという習慣が御座います。私は生来の臆病者で、それをなんとかしたいと思い、墓場にでも行けば、少しはそれが治るのではないかと考えたので御座います。もう長年、1日も欠かさず続けておりますが、効果があったかどうかは何とも・・・」
この町人は、初めこそは、臆病な心をなんとか出来ると考えて、墓場通いを始めたのであろう。
当時の墓場は、ろくに明かりのない夕刻に行けば、さぞ恐ろしいものであったろう。
彼の自我は、それをするのが嫌だったはずだ。しかし、それを抑えて、毎日続けるうちに、目的などもなくなり、恐怖と戦いながら墓場に行くことそのものが目的になったに違いない。
それが、この町人の自我を希薄にし、普通の人間を超えさせたのである。
自我は、自分の思い通りにならず、屈服させられると弱くなるのである。
学校の部活でも、あるいは仕事でも、辛いのを我慢して続ければ、自我が弱くなって、結果、自己の内部の高い存在と融合していくのである。
これがいわゆる、苦労が人を育てるとか、辛い経験のある者ほど他人に優しいという結果になる。
ただし、あまりに辛いような場合は、自我が強く反発してしまい、かえって自我が強くなる。
例えば、校則が厳し過ぎることに反発して不良化したり、いじめが酷過ぎて自殺したりである。自殺は、自我が自分を守ろうとする最後の手段なのである。
また、限度を超えて他人から辛くあたられると、やはり、冷酷な人間になるのである。
『新世紀エヴァンゲリオン』で、ミサトさんが言ったように、「本当に嫌だったら逃げていい」のである。
あるいは、「自殺するなら引きこもれ」である。
我々も、ちょっと辛いことを、毎日欠かさずやることで、自我を弱くし、神仙に近付くのである。
本質的には良いことだが、毎日やるには辛いことを続け、それをやめたいと願う自我の要求をはねつけ、自我を屈服させることなら何でも良い。
1冊の本を呆れるほどの回数読んで、高次の存在に近付いた人もいる。
私が昔、TM(超越瞑想)を始めた頃、朝鮮出身で日本で起業した社長さんに、「それを1年365日、1日もかかさずやれば大したものだがな」と言われたが、彼も苦労人だけあり、よく分かっていた。
私は、TM自体はあまり良いとは思っていないのだが、1年間欠かさず続けたことで、驚くべきことがあった。自動車を運転していて、信号無視で警察に捕まったのだが、相手の高飛車で傲慢な態度を受け流し、気が付いたら、その警官は、「それじゃ・・・」と言って去ってしまった。考えられないことではないだろうか?
まあ、言い換えれば、私にとってTMは辛いものでしかなかったということで、TMの宣伝とはまるで異なる成果であったとは言えるかもしれない。
(ただし、クリント・イーストウッドやポール・マッカートニーのように、TMを賞賛する人もいる)
私は、今後も、毎日、トレーニングを続けるだろう。
実際は、かなりのナイス・バディになり、何かと身体の強さを発揮することも確かにあるのだが、そんなことは取るに足りないことなのである。
皆さんも、是非、正しい修行をして、真の力を得て欲しい。
ただ、くれぐれも無理をせず、ちょっと辛い程度のことをやることをお薦めする。
過度に厳しいことをやろうとするのは、それで何か良い思いをしたいという欲望なのである。そんな人は、欲望が強ければ、ある程度はそれをやり遂げる。しかし、自我はますます強くなり、いつかは破綻するのである。
あまり厳しいことでなくてもいいが、毎日、決して欠かさずにやることだ。自我は、自分の都合で休むのが好きだ。しかし、自我のそんな要求など、決して通らないことを自我に思い知らせることが大切である。そうすれば、自我は屈服して弱くなるのである。
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