水野南北は、江戸時代の10代将軍家治(いえはる)から11代の家斉(いえなり)までの時代の観相家だ。観相とは、顔や身体の相で運命を鑑定する占術である。
南北の観相の実力は凄く、全国から鑑定依頼者が押し寄せ、南北は大富豪になった。さらには皇室に出入りするまでになり、遂には天皇に貴族に叙せられることになる。南北は、若い頃は牢屋敷に入れられるようなチンピラだったことを思えば信じられないことである。弟子は直弟子以外を含め千人を超えていたと言われる。
ところが、それほどの観相の達人でありながら、南北は鑑定が決して百発百中でないことに悩んでいた。
そこで、断食と水行の荒行で禊していたところ、伊勢神宮の外宮で天啓を受け、「食が全て」と悟る。南北は、この伊勢外宮に祭られたトヨウケ神からの啓示と確信する。
トヨウケは、古事記ではイザナミの尿から生まれたワクムスビの娘とされる。しかし、古事記や日本書紀以前の書とも言われるホツマツタヱでは、トヨウケはイザナキ、イザナミの親で、アマテル(天照大神)の祖父に当たり、業績からも、アマテルと並ぶほどの偉大な神人とされている。
南北は以降、鑑定の際に、被鑑定者の食生活について尋ねることとした。ポイントは食が多いか少ないか、美食か粗食かである。すると、南北の鑑定は、万に1つの外れも無くなった。
やがて、南北は、観相そのものについて語らなくなる。それを修得するのに長年、苦労をして何万もの鑑定で磨き上げてきたにも関わらずである。つまり、鑑定するまでもなく、食を慎んでいれば健康で幸運、美食で飽食であれば健康、経済、家族、社会全てにおいて悲運、衰運であると分かったからである。他のことは特に問わず、たとえ遊郭遊びが好きな男であっても、遊びながら食を慎めと言ったとも言われる。南北自身、女好きは生涯治らず、妻は8人いたと言われる。
南北は、大長者になっても、自ら厳しく食を節し、米は決して食べず、麦と野菜と汁の質素な食事をした。酒は大好きであったが、1日1合(約180ml)と厳しく定めた。先述通り、妻は8人おり、いずれも悪妻であったようだが、南北は妾ではなく全て正妻として大事にした。それも、7つの蔵を持つ富豪南北ならではだろう。そして、親切な人達に囲まれ、健康なまま、当時としては異例の75年の長寿を全うした。
南北の時代、江戸は豊かな町で、美食、飽食する者も多かったと思われる。肉食も珍しくはなかった。この点でも、南北の教えは現代の我々にも実に参考になると思う。
美食、飽食であれば、一時は成功して奢る者も、必ず、健康、家庭、経済、友人全てで悲惨なことになるのは、まず例外のないことは十分に実証されていると思う。
しかし、何事も、矛盾があるなら、それを解消することができなければならない。
例えば、今でも豊かな国は実はほんの一部で、世界の大半は貧困であり、多くの餓死者がいる。食を慎むどころか、飢餓に苦しむ人達は全く幸運ではない。南北の教えには欠点があるのだろうか?
だが、食の慎みとは自らの意思で行うものだ。食べ物が3つあれば、1つは食べず、貧しい者に施すか、そうでなくても、心の中で神に捧げることが食の慎みである。
エマニュエル・スウェーデエンボルグは、英国にいた時、夕食を少食食べ過ぎたと思ったことがあった。その時、不思議な現象が起こった中で、1人の霊人が現れ、スウェーデンボルグに「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と言ったという。スウェーデンボルグは、それを肝に銘じ、生涯忘れることはなかった。ゲーテ、カント、ヘレン・ケラー、エマーソン、鈴木大拙らに崇敬されたスウェーデンボルグにおいてさえ、食の慎みとは強く心に留めるべきものであるのだ。
我々が食を節し、それを貧しい国に回すなら、食料は十分なはずと思う。食の慎みは回りまわって世界を幸福にする。食の慎みこそ最大の徳と言われる所以はそこにあると思う。
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南北の観相の実力は凄く、全国から鑑定依頼者が押し寄せ、南北は大富豪になった。さらには皇室に出入りするまでになり、遂には天皇に貴族に叙せられることになる。南北は、若い頃は牢屋敷に入れられるようなチンピラだったことを思えば信じられないことである。弟子は直弟子以外を含め千人を超えていたと言われる。
ところが、それほどの観相の達人でありながら、南北は鑑定が決して百発百中でないことに悩んでいた。
そこで、断食と水行の荒行で禊していたところ、伊勢神宮の外宮で天啓を受け、「食が全て」と悟る。南北は、この伊勢外宮に祭られたトヨウケ神からの啓示と確信する。
トヨウケは、古事記ではイザナミの尿から生まれたワクムスビの娘とされる。しかし、古事記や日本書紀以前の書とも言われるホツマツタヱでは、トヨウケはイザナキ、イザナミの親で、アマテル(天照大神)の祖父に当たり、業績からも、アマテルと並ぶほどの偉大な神人とされている。
南北は以降、鑑定の際に、被鑑定者の食生活について尋ねることとした。ポイントは食が多いか少ないか、美食か粗食かである。すると、南北の鑑定は、万に1つの外れも無くなった。
やがて、南北は、観相そのものについて語らなくなる。それを修得するのに長年、苦労をして何万もの鑑定で磨き上げてきたにも関わらずである。つまり、鑑定するまでもなく、食を慎んでいれば健康で幸運、美食で飽食であれば健康、経済、家族、社会全てにおいて悲運、衰運であると分かったからである。他のことは特に問わず、たとえ遊郭遊びが好きな男であっても、遊びながら食を慎めと言ったとも言われる。南北自身、女好きは生涯治らず、妻は8人いたと言われる。
南北は、大長者になっても、自ら厳しく食を節し、米は決して食べず、麦と野菜と汁の質素な食事をした。酒は大好きであったが、1日1合(約180ml)と厳しく定めた。先述通り、妻は8人おり、いずれも悪妻であったようだが、南北は妾ではなく全て正妻として大事にした。それも、7つの蔵を持つ富豪南北ならではだろう。そして、親切な人達に囲まれ、健康なまま、当時としては異例の75年の長寿を全うした。
南北の時代、江戸は豊かな町で、美食、飽食する者も多かったと思われる。肉食も珍しくはなかった。この点でも、南北の教えは現代の我々にも実に参考になると思う。
美食、飽食であれば、一時は成功して奢る者も、必ず、健康、家庭、経済、友人全てで悲惨なことになるのは、まず例外のないことは十分に実証されていると思う。
しかし、何事も、矛盾があるなら、それを解消することができなければならない。
例えば、今でも豊かな国は実はほんの一部で、世界の大半は貧困であり、多くの餓死者がいる。食を慎むどころか、飢餓に苦しむ人達は全く幸運ではない。南北の教えには欠点があるのだろうか?
だが、食の慎みとは自らの意思で行うものだ。食べ物が3つあれば、1つは食べず、貧しい者に施すか、そうでなくても、心の中で神に捧げることが食の慎みである。
エマニュエル・スウェーデエンボルグは、英国にいた時、夕食を少食食べ過ぎたと思ったことがあった。その時、不思議な現象が起こった中で、1人の霊人が現れ、スウェーデンボルグに「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と言ったという。スウェーデンボルグは、それを肝に銘じ、生涯忘れることはなかった。ゲーテ、カント、ヘレン・ケラー、エマーソン、鈴木大拙らに崇敬されたスウェーデンボルグにおいてさえ、食の慎みとは強く心に留めるべきものであるのだ。
我々が食を節し、それを貧しい国に回すなら、食料は十分なはずと思う。食の慎みは回りまわって世界を幸福にする。食の慎みこそ最大の徳と言われる所以はそこにあると思う。
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