私は最近、食欲や性欲などの本能は、単なる観念から来る幻想ではないかと疑っている。
ジクムント・フロイトは、「人間の本能は壊れているので、その本能を補うために自我(心)を作った。だが、自我は、自然に出来たものではない幻想のようなものだ」と言った。そのようなことは、フロイトが初めて言ったのだから、さすが天才と思うが、本能というものは、壊れているのではなく、本当は無いのだと思う。
なぜそう言えるかというと、私は、観念を捨てるごとに本能が無くなってきたからだ。
私は2008年8月から1日1食で菜食主義となったが、最近までは食欲と戦っていた。ところが、自分が持っていた観念全体、つまり、固定観念であるが、これを捨てていくごとに、食欲を感じなくなっていた。ただ、空腹であるということは分かるのである。つまり、これまでは、「空腹になったら食欲が強くなる」と、単に思い込んでいただけだと分かった。
同じく、性欲に関しても、これまでは抑え付ける必要があったのだが、今は、どれほど好みのタイプの美少女を見ても、単に「綺麗だな」と思うだけである。
おそらく、生存欲や名誉欲などについても同じである。
これらの欲望というのは、あらゆる場所で見聞きしたことを取り込んでしまった記憶や観念による作用でしかなく、なんら実態のない幻想である。
テレビ、雑誌、小説、漫画、インターネットの広告などには、我々の食欲や性欲を煽るもので満ち溢れている。それらが、我々の心に入り込み、心は、その驚くべき力で身体に反応を引き起こして、破滅的な欲望を生み出し、人類のあらゆる不幸や悲惨の原因を作り続けているのである。
これらの、押し付けられた記憶や観念を捨て去れば、それらの支配から逃れることが出来るのだ。
動物は、本能で生きているのかもしれないが、人間は全く違う進化したものなのである。しかし、心というものを持つがために、かえって動物に劣る振る舞いを起こす考えを持ってしまい、それが情熱と結びつくと、残虐な行いを平気で、さらには、熱狂的にやらずにいられないのである。
尚、私がやったような、固定観念、幻想を消すことは、世界の様々な場所で、秘教として伝承されているのではないかと思う。
ただ、そんな方法を教えるとか謳っている書籍は沢山あるが、ほとんど全て偽物で、かえって、観念や幻想を積み重ねるのである。
やはり、真理は、新約聖書や仏典に書かれている。仏典の中では、法句経が最も純粋な釈迦の言葉だと思う。イエスも釈迦も、庶民と気楽に話したのだ。現代で言えば、ニサルガダッタ・マハラジが、最も純粋に真理を語っているが、翻訳でしか読めないので、あまり字面にこだわって読んではいけない。
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ジクムント・フロイトは、「人間の本能は壊れているので、その本能を補うために自我(心)を作った。だが、自我は、自然に出来たものではない幻想のようなものだ」と言った。そのようなことは、フロイトが初めて言ったのだから、さすが天才と思うが、本能というものは、壊れているのではなく、本当は無いのだと思う。
なぜそう言えるかというと、私は、観念を捨てるごとに本能が無くなってきたからだ。
私は2008年8月から1日1食で菜食主義となったが、最近までは食欲と戦っていた。ところが、自分が持っていた観念全体、つまり、固定観念であるが、これを捨てていくごとに、食欲を感じなくなっていた。ただ、空腹であるということは分かるのである。つまり、これまでは、「空腹になったら食欲が強くなる」と、単に思い込んでいただけだと分かった。
同じく、性欲に関しても、これまでは抑え付ける必要があったのだが、今は、どれほど好みのタイプの美少女を見ても、単に「綺麗だな」と思うだけである。
おそらく、生存欲や名誉欲などについても同じである。
これらの欲望というのは、あらゆる場所で見聞きしたことを取り込んでしまった記憶や観念による作用でしかなく、なんら実態のない幻想である。
テレビ、雑誌、小説、漫画、インターネットの広告などには、我々の食欲や性欲を煽るもので満ち溢れている。それらが、我々の心に入り込み、心は、その驚くべき力で身体に反応を引き起こして、破滅的な欲望を生み出し、人類のあらゆる不幸や悲惨の原因を作り続けているのである。
これらの、押し付けられた記憶や観念を捨て去れば、それらの支配から逃れることが出来るのだ。
動物は、本能で生きているのかもしれないが、人間は全く違う進化したものなのである。しかし、心というものを持つがために、かえって動物に劣る振る舞いを起こす考えを持ってしまい、それが情熱と結びつくと、残虐な行いを平気で、さらには、熱狂的にやらずにいられないのである。
尚、私がやったような、固定観念、幻想を消すことは、世界の様々な場所で、秘教として伝承されているのではないかと思う。
ただ、そんな方法を教えるとか謳っている書籍は沢山あるが、ほとんど全て偽物で、かえって、観念や幻想を積み重ねるのである。
やはり、真理は、新約聖書や仏典に書かれている。仏典の中では、法句経が最も純粋な釈迦の言葉だと思う。イエスも釈迦も、庶民と気楽に話したのだ。現代で言えば、ニサルガダッタ・マハラジが、最も純粋に真理を語っているが、翻訳でしか読めないので、あまり字面にこだわって読んではいけない。
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