日本は自殺大国である。この13年、必ず年間3万人以上が自殺し、未遂者となるとその10倍以上はいると言われる。
自殺率では世界4位であり、豊かな経済大国であっても、全く幸福な国でないということが分かる。
また、震災自殺が多いのも、弱い立場の者に冷淡な国家であることを示していると感じる。
死ぬには死ぬ理由がある。
しかし、死ぬなら、3年待って欲しいと思う。せっかく生まれてきたのだから、最後の3年くらい、好きなことをやって欲しい。
出来れば、その3年、自由でいられるよう、資金を作って欲しいと思う。そして、あまり食べずに過ごせるよう、少食の習慣をつければ良いと思うのだ。そうすれば、大したお金は必要としないと思う。そして、最後は、餓死が望ましい。少食の習慣をつけておけば、徐々に食を落として、最後は余分な肉がなく死ねるので、死体の処理も比較的簡単になるだろう。
追い詰められたような状態で死ぬのではなく、少しは楽しい人生だったと思って逝って欲しいのだ。
「私はあと3年で死ぬ」と表明して生活できるようになれば良い。周りも、本人の意思を尊重して、そのままで普通に接してやれればいい。自殺予定者専用宿泊所なども出来れば良いと思う。
結果、予定の時に自殺せず、生きる方を選ぶ者が1人でも多くいれば、それは喜ばしいことである。逆に、予定より早く死ぬ者を出すなら日本は終わりである。死を決意した者の目は冷静だからだ。そんな者に見放された国があっても仕方がない。
最後の3年、何をするか?
それこそ、自分探しで良い。先のある人間に自分探しなんて出来ない。今の世間で生きていくというのは、偽の自分にならないと難しいからだ。
実際に何をやるかは、大した問題ではないと思う。これまで通り勤めても良いし、放浪の旅に出ても良い。外面的に何をするかは、どうでも良いのだ。それが本当に分かれば、自我としての死だけに満足し、外面的には生き続けるかもしれない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「私は世間的にはすでに死んでいる」と言ったが、同じようなことをあなたも言うかもしれない。そうすれば、人々の方であなたを求めるだろう。
私は、肉体的にはどうかは分からないが、世間的には早く死ぬつもりだ。そうすれば、肉体として生きるかどうかは、さほど大した問題ではなくなってくると思う。
至道無難が「生きながら死人になりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言い、岡田虎二郎が「自分を棺おけに入れ、地下千万丈(約30万キロメートル)に埋葬したつもりになれ」と言ったようなものである。
そうすれば、自殺大国ではなく、死者の文化の花開く美しい国になるのではないだろうかと思う。
死者と生者が共に暮らす古代のような霊的国土となる。それはきっと世界を魅了する幽玄な地である。
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また、震災自殺が多いのも、弱い立場の者に冷淡な国家であることを示していると感じる。
死ぬには死ぬ理由がある。
しかし、死ぬなら、3年待って欲しいと思う。せっかく生まれてきたのだから、最後の3年くらい、好きなことをやって欲しい。
出来れば、その3年、自由でいられるよう、資金を作って欲しいと思う。そして、あまり食べずに過ごせるよう、少食の習慣をつければ良いと思うのだ。そうすれば、大したお金は必要としないと思う。そして、最後は、餓死が望ましい。少食の習慣をつけておけば、徐々に食を落として、最後は余分な肉がなく死ねるので、死体の処理も比較的簡単になるだろう。
追い詰められたような状態で死ぬのではなく、少しは楽しい人生だったと思って逝って欲しいのだ。
「私はあと3年で死ぬ」と表明して生活できるようになれば良い。周りも、本人の意思を尊重して、そのままで普通に接してやれればいい。自殺予定者専用宿泊所なども出来れば良いと思う。
結果、予定の時に自殺せず、生きる方を選ぶ者が1人でも多くいれば、それは喜ばしいことである。逆に、予定より早く死ぬ者を出すなら日本は終わりである。死を決意した者の目は冷静だからだ。そんな者に見放された国があっても仕方がない。
最後の3年、何をするか?
それこそ、自分探しで良い。先のある人間に自分探しなんて出来ない。今の世間で生きていくというのは、偽の自分にならないと難しいからだ。
実際に何をやるかは、大した問題ではないと思う。これまで通り勤めても良いし、放浪の旅に出ても良い。外面的に何をするかは、どうでも良いのだ。それが本当に分かれば、自我としての死だけに満足し、外面的には生き続けるかもしれない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「私は世間的にはすでに死んでいる」と言ったが、同じようなことをあなたも言うかもしれない。そうすれば、人々の方であなたを求めるだろう。
私は、肉体的にはどうかは分からないが、世間的には早く死ぬつもりだ。そうすれば、肉体として生きるかどうかは、さほど大した問題ではなくなってくると思う。
至道無難が「生きながら死人になりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言い、岡田虎二郎が「自分を棺おけに入れ、地下千万丈(約30万キロメートル)に埋葬したつもりになれ」と言ったようなものである。
そうすれば、自殺大国ではなく、死者の文化の花開く美しい国になるのではないだろうかと思う。
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