ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自殺するなら3年待て

日本は自殺大国である。この13年、必ず年間3万人以上が自殺し、未遂者となるとその10倍以上はいると言われる。
自殺率では世界4位であり、豊かな経済大国であっても、全く幸福な国でないということが分かる。
また、震災自殺が多いのも、弱い立場の者に冷淡な国家であることを示していると感じる。

死ぬには死ぬ理由がある。
しかし、死ぬなら、3年待って欲しいと思う。せっかく生まれてきたのだから、最後の3年くらい、好きなことをやって欲しい。
出来れば、その3年、自由でいられるよう、資金を作って欲しいと思う。そして、あまり食べずに過ごせるよう、少食の習慣をつければ良いと思うのだ。そうすれば、大したお金は必要としないと思う。そして、最後は、餓死が望ましい。少食の習慣をつけておけば、徐々に食を落として、最後は余分な肉がなく死ねるので、死体の処理も比較的簡単になるだろう。
追い詰められたような状態で死ぬのではなく、少しは楽しい人生だったと思って逝って欲しいのだ。
「私はあと3年で死ぬ」と表明して生活できるようになれば良い。周りも、本人の意思を尊重して、そのままで普通に接してやれればいい。自殺予定者専用宿泊所なども出来れば良いと思う。
結果、予定の時に自殺せず、生きる方を選ぶ者が1人でも多くいれば、それは喜ばしいことである。逆に、予定より早く死ぬ者を出すなら日本は終わりである。死を決意した者の目は冷静だからだ。そんな者に見放された国があっても仕方がない。

最後の3年、何をするか?
それこそ、自分探しで良い。先のある人間に自分探しなんて出来ない。今の世間で生きていくというのは、偽の自分にならないと難しいからだ。
実際に何をやるかは、大した問題ではないと思う。これまで通り勤めても良いし、放浪の旅に出ても良い。外面的に何をするかは、どうでも良いのだ。それが本当に分かれば、自我としての死だけに満足し、外面的には生き続けるかもしれない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「私は世間的にはすでに死んでいる」と言ったが、同じようなことをあなたも言うかもしれない。そうすれば、人々の方であなたを求めるだろう。

私は、肉体的にはどうかは分からないが、世間的には早く死ぬつもりだ。そうすれば、肉体として生きるかどうかは、さほど大した問題ではなくなってくると思う。
至道無難が「生きながら死人になりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言い、岡田虎二郎が「自分を棺おけに入れ、地下千万丈(約30万キロメートル)に埋葬したつもりになれ」と言ったようなものである。
そうすれば、自殺大国ではなく、死者の文化の花開く美しい国になるのではないだろうかと思う。
死者と生者が共に暮らす古代のような霊的国土となる。それはきっと世界を魅了する幽玄な地である。









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ニートは何が悪いのか?どうすればいいのか?

ニートというのは、学校にも通っていなければ、仕事もしておらず、する気も無いという人のことだと思うが、学校に関して言えば二十歳そこそこまでのことだから、それ以上の年齢では、働く予定も意欲もない無職ということなのだろう。
では、ニートが悪いのかといえば悪いのであるが、別に金を稼がないから悪いのではない。
じゃあ、何が悪いのか?
私が二十歳過ぎまでニートをやった後で働き始めた職場に、17歳という男子がいた。だが、彼が、何をやっても私よりはるかに上で、大人なのである。彼だって、中学を出てから2年も働いていないのだが、今どき、中卒で働く苦労は大変なもので、その厳しかった分だけ成長したということだ。私が知っていた別の中卒の20代は、起業し、上場寸前だった。
医療をはるかに超える成果を上げているMRTを創始した内海康満氏も中卒だが、別に家庭が貧しかったのはなく、彼は小学生の時に既に、学校教育の安っぽさを見抜き、中学卒業の時、「高校に、私を教えられる教師はいない」と言って進学しなかったのだという。
私の今の職場は、大卒以上しか採用しないのだが、初めて勤めた、中卒でも簡単に入れる職場の人達の方が、およそあらゆる面で優秀だった。そして、親切だった。私以上に人付き合いが下手で、他の誰とも話さない(話せない)人がいたら、お姉さん格の人が、陰で、「ほら!誰か話しかけなさいよ!」と職場の人をせっついて会話をさせ、どんな人でも、やがて職場に馴染むのだ。世間的にまともな職場ほど、こんな人はいないのである。

ニートの何が悪いのかというと、働きでもしない限り、成長しないということだ。これが一番問題なのだ。
ニートでも、本をよく読んで勉強したり、身体を鍛えている者だっているが、そんなことはあまりに些細なことで、根本的には全く成長せず、子供のままだ。人間というのは、単に努力しただけでは進歩せず、何か、危機のようなものが必要なのだろう。
1951年公開の『地球が静止する日』のリメイク作品である、キアヌ・リーブス主演の2008年公開の同タイトルの映画で、進化した宇宙人は、地球人類を存在価値無しとして、その消去を決定する。しかし、この宇宙人は、地球の科学者で、賢者といえる老人に奇妙な説得をさせられる。
「お前たちだって、かつては未熟だったはずだ」と指摘されると、宇宙人はそれを認めながらも、「だが、我々は克服した」と言う。「では、どうやって克服したのか?」と地球の科学者が尋ねると、宇宙人は、「巨大な危機が迫り、団結して立ち向かうことで」と答えた。そこで、地球の科学者は、「なら、地球人類にもそれが出来ると思わないのか?」と言うと、宇宙人は反論出来なかった。まあ、映画の時間の制約で、少々変な話だったかもしれないが、原作はきっと、もっとちゃんとした話なのだろう(原作は1940年出版のハリイ・ベイツ著『Farewell to the Master(主人への告別)』)。

ニートの中には、育った家庭に根本的な問題がある場合も少なくないのだが、多くのニートの本質は、「金のために働きたくない」ということだ。だが、日本には、金のためでない仕事はない。しかし、教師などはそうではないかというと、とんでもない話で、給料が高くて安定しているから教師になるのである。
では、なぜ金のために働きたくないのかというと、本当の馬鹿になりたくないからだ。金のために働くと、本当の知恵である自然の英知から離れてしまうのだ。
だが、ニートというのは、自分で道を切り開く才能やエネルギーに欠けるのも確かなのだ。だから、理想実現のために、嫌な仕事でも、しばらくはやらないといけない。だが、若い間であれば、辛い経験ほど、思い出すと楽しいものだ。しかも、あなたの才能を育てるのだ。それも確かである。









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究極の能力開発法はクヨクヨしないこと

科学者で発明家であった中山正和さんは、NASAにも採用される発明もしたし、IBM等巨大企業で成果を上げた能力開発法も考案したが、彼の理論・哲学の源泉は仏教なのである。大数学者であった岡潔に倣い、道元の『正法眼蔵』を意味が分からないまま20年も読み続け、ある日突然、天啓を得たように、その内容が全て解ったという。また、法華経や般若心経も深く研究されていた。
中山さんは、元々、興味を持って行っていた脳の研究と、コンピュータが発達してからはそれを取り入れたので、結局、脳、仏教、コンピュータを融合させた能力開発方法を完成させたと言えると思う。
中山さんのお話が時に小難しく感じるのは、仏教の教えを語るのに、適切な言葉というのが元々無いからなのだと思う。それを無理に、普通の言葉で論理的に語ろうとしたら、もう訳が解らなくなるのは仕方がないことだ。中山さんも、その弊害は認めてはいるのだが、どうしても理論で説明したかったのだろう。ついつい、論理学や物理学の理論を持ち込み、結局、誰にも分からなくなったり、誤解を生んだりしてしまう。

中山さんのお話を簡単に言えば、人が天才の能力や超能力を発揮できないのは、心が濁っているからなのである。
人間の心の中には神様と同じものがあって、元々、誰でも大天才なのだが、それを覆う心が濁っているので、神様からのメッセージ(閃き)が伝わってこない・・・とこれだけの話である。これを理屈で説明するから、大変なことになるが、まあ、世の中、理屈でないと納得しない人もいるのだろう。
さて、では、心の濁りを除くにはどうすれば良いかというと、中山さんは、いろいろ理屈を言った挙句、結局、「クヨクヨするな」だと言う。まあ、過ぎたことを後悔するなという意味でいいと思う。また、先のことを心配するなということでもある。いわゆる、「持ち越し苦労」と「取り越し苦労」だ。神道家で医学博士でもある葉室頼昭さんは、「取り越し苦労、持ち越し苦労は、神様への侮辱だ」と言った。なぜなら、それは神様を信頼していないからだと言う。しかし、それは強い信仰を持っている人の話で、我々はどうしても、後悔したり、将来を不安に思うものだ。かといって、変な宗教に入って、数百万円のつぼを買わされてもたまらない。
そこで、中山さんは、あの般若心経の呪文を唱えれば良いと言う。あの「ギャテイギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」である。サンスクリット語では「ガテーガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。これの何が良いかというと、気が紛れるからであると、なかなかあられもない(とんでもない)。まあ、それだけではないのだが、どう良いかは、正確には分からない。だから、気が紛れるで良いのである。むしろ、その程度と思って、妙な欲を持たない方が霊験も現れるだろう。
別に、「ナムアミダブツ」でも「アマテラスオオミカミ」でも良い。「アマテラスオオミカミ」は、十言神呪(とことのかじり)という、神道の呪文である。
阿弥陀如来と天照大神、あるいは、イエスの言う父なる神や『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナが同じものだと言ったら怒る人もいると思う。しかし、同じなのである。これらは、神とか仏の形で象徴した至高の英知、至高の力である大生命を、さらに、人に分かりやすいように形にしたもので、根本はその大生命だ。人格的な神や仏の姿を通して礼拝することを、慈悲深い神様は認めて下さるはずだ。『バガヴァッド・ギーター』で、最高神クリシュナは、本来は、自分のみに礼拝すべきで、他の神への礼拝は正しくはないのだが、それでも結果は同じと言う。
心配事や悩み事があっても、考えても仕方がないことなら、下手なことを考えず、「ギャテイギャテイ」とやったり、「ナムアミダブツ」を唱えれば良いのである。あるいは、ついかっとしたり、恨み心が起きた時は、「ナムアミダブツ」を唱えれば良い。
ただ、中山さんも指摘するが、考えて仕方がないことはそれで良いが、考えるべきことはちゃんと考えろと言う。そんなアホな注意をしないといけないおかしな人間が多いということであろう。クリシュナも、自分の義務は果たせと言っているのである。









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苦しみに耐えること

風邪をひくと風邪薬を飲んで、熱を下げたり、咳を止めたりする。頭が痛いと頭痛薬を飲み、腹の調子が悪いと胃腸薬を飲む。
そんなことが当たり前になっている。
しかし、我々の身体は進化の極みに達した超高性能システムであり、いかなるコンピュータもバイオテクノロジも足元にも及ばない。
その身体が熱を出したのなら、熱が必要な理由があったのに違いない。例えば、殺菌の必要だとか、代謝速度の高速化を促すためとか、汗を出して不要なものを排出するためである。実際、重い風邪をひいた人が、特に治療もしなかったのに、汗をかいたら治ってしまったという話はよくある。私も、少し前、何かのウイルスのせいだと思うが、ひどく胃腸の調子が悪いとき、不意に高熱を発し、汗が滝のように流れたら、次の瞬間にすっかり治ってしまったことがある。

身体が、必要があって出した熱を、薬で無理に下げてしまったら、身体が調整しよとしたことが行われず、困ったことになるのではないだろうか?
特に、今は、発熱は点滴でほとんど確実に下げられるので、熱があっても、点滴をうって会社や学校に来る人も多い。
しかし、熱が出れば休むしかない。こう言えば、「何を甘いことを言うのだ。熱ごときで休んでいては、ライバルに勝って志望校に受からない。社会人ならそもそも失格だ」と言う者は多いだろう。しかし、それで言えば、熱を出す原因を作るのが悪いのである。そして、熱が出てしまったら、その原因に気付かないといけない。そのためには、休んだ方が良い。
私は、この3年ほどは、ウイルス感染のような場合は別として、一度も平常以上の熱を出していない。今はどんな薬も飲まないが、薬を飲んでいた頃は、1ヶ月に1瓶の風邪薬を消費するほど風邪をひいていたが、やはりこの3年は一度もひいていない。腹痛も同様だ。

だが、少し前から、少々苦しい目に遭っている。
肌が異常に乾燥し、激しい痒みがあるが、掻くと肌が荒れて痛む。
アトピーはずっと前に克服したし、症状からいえば、乾癬(かんせん)という肌の病気と思う。
ところで、乾癬でネット検索しても、有効な対処法は得られない。例えば、食事では、納豆が改善に有効と言う人もいれば、納豆は厳禁だと言う人もいる。
そして、もしかしたら、有効な治療法を知っている人もいるかもしれないが、無料では教えないようだ。
とにかく、カサカサに乾燥し、表面が白くなるほどだ。風呂は駄目だ。上がってしばらくしたら、肌はコンクリートのようになり、なんとも言えない痛痒さに苦しめられる。そこで、まずシャワーを最初はぬるい湯で、そして、冷水にと変えて浴びるのだが、それでも、やはり硬く乾燥してしまう。
掻いてはいけないと思っても、おそろしいまでの痒みに、ついつい掻いてしまい、肌はボロボロだ。
あまりに苦しいので、ついつい、家にあった痒み止めの軟膏薬を塗ったら、これが良い感じだった。保湿成分が入っているらしく、肌が潤うし、痒みもある程度止まる。つい喜んで、全身に塗って眠り、朝、また縫った。そして、会社に行って帰宅する頃には、最悪の状態になっていた。シャワーでぬるま湯をかけただけでヒリヒリする。しかし、なんとか軟膏薬を洗い流した。
だが、しばらくすると、また、乾燥と痒み、そして、痛みが襲ってきた。
私は決意した。どんなに苦しかろうと、耐えてみせようと。地獄に落ちたら、どうせ逃れようが無いのだ。良い訓練である。

昔、アントニオ猪木さんとラッシャー木村さんとの試合で、怪我をしていた猪木さんの脚を、木村さんが執拗に攻めてきた。これは卑怯ではなく、プロレスでは当然の戦法で、むしろ、それをやらないと相手をなめていることになる。
苦悶してのたうちながらも、猪木さんは、「もっとやれ」と木村さんを煽る。これは凄かった。超人的な精神力だ。石川五右衛門は、かまゆでになりながら、「ぬるいぞ!もっと熱くしろ!」と大見得を切ったという話があるが、やはり男はこうでなくてはならぬ。
私の痒みに対する態度もこれでいこう。
いずれにしろ、原因は私にあるのだ。
近藤真彦さんのミリオンヒット『ミッドナイト・シャッフル』(作詞は沢ちひろさん)の中に、「罪もないのに苦しんでいる。その心切なく、俺を呼び続ける」という歌詞があるが、原因もないのに苦痛があったりしない。まあ、私に関しては、思い当たることだらけである。しかし、現象として現れたからには、もう終わりである。ならば、二度と同じことが起きないよう、学ぶべきことは学んでおこう。そのためには苦しみも必要だ。

頭痛や腹痛になったり、風邪をひくと、すぐに薬や医者に頼る者が多い。
早く苦しみから逃れたいのだろう。だが、自分が原因を作っているのだから、苦しんでおいた方が良い。それで原因を絶つと、もう二度と同じことは起こらない。
逆に、いつも苦しみを逃れていると、次はもっと強い苦しみになるだろう。そして、最後のものは、あまりに過酷なことになるだろう。
もちろん、薬や治療が全部悪い訳ではない。しかし、耐えられるものなら耐えた方が良い。まして、たかが学校や会社など、休んでしまえば良い。それで困ったことになるなら、遅かれ早かれ、あなたはそこに居られなくなるだろう。なら、早めに脱出するのも手ではないだろうか?
そして、我々には究極の秘法、腕振り運動がある。
私も、一昨日から、普段より多い3000回を励行している。症状ほど辛くはなく、気分はいたって明るいのである。10年以上経っても治らないことが珍しくない乾癬もすぐに克服するだろう。
また、苦しい時にこそ、念仏や呪文を使えば良いし、祈る気にもなるだろう。どうにもならない時、思わず口をついて出る念仏、あるいは、祈りこそが本物なのだ。









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瞑想の危険性

私は、以前、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが普及させた瞑想法であるTM(超越瞑想)を熱心に行っていたことがある。
TMは、当時で、世界中で450万人が実践していたと言われ、我が国でも、経済界や芸能界、スポーツ界の大物達が行っていることが知られていた。
海外では、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、デビット・リンチらは、自身が実践するだけでなく、普及活動も熱心に行っている。クリント・イーストウッドも熱心な実践者であることが知られている。

TMは、朝と夜、食事前に20分行うのが正統な方法らしい。私もそうしていた。
ただ、当時、私は猛烈に働くソフトウェア開発者で、朝は7時にオフィスに入り(他には誰もいない)、夜は深夜0時まで働いていた。実に、土日祝日も関係なく同じようにやり、休みは1日も取らなかった。別に誰かがそうしろと言った訳でもなかった。もちろん、そのままの勤務が事実とされれば労働法に触れるのだが、私は、8時に出勤して5時に帰っていることにしていた。仕事は個人的な知り合いの開発会社の社長に回してもらっていた。

そんな訳もあり、私はTMを朝も夜もオフィスで行っていた。
朝は7時過ぎ、夜は午後10時半くらいにやっていた。午後9時まで他の社員がいることはなかったので、誰にも邪魔されなかった。

そんな生活を続けていた時のことである。
いつものように、誰もいないオフィスで、朝、TMを行っていたら、不意に激しい恐怖に襲われた。
疲れている訳ではなく、意識ははっきりとしていた。
確信は持てないが、楕円形に回転するエネルギー体の存在を感じた。大きさはよく分からなかった。随分小さい感じもしたが、それが実体ではないだろうと思う。そんなものが、私の中に入ろうとしていたのである。
私は恐ろしくはあったが、TMを続けた。気のせいだと思ったのだ。
しかし、エネルギー体のさらなる接近を感じ、TMを中止した。汗をかいていたかどうかは憶えていない。
その後、特に変調は感じなかったので、エネルギー体に取り憑かれたのでは無いと思っていた。それで、仕事は相変わらず、その調子で続け、TMも時間を短くして行ったりしていた。
それから一月も経たない頃と思うが、私は倒れた。それは、エネルギー体の影響ではなく、単なる過労と思う。

あのエネルギー体に取り憑かれていたら、どうなっていただろうか?
あれは、私が恐怖を感じたように、邪悪なものだったのかもしれない。それで、取り憑かれていたら、私は強欲な事業家にでもなって成功し、大金を掴み、その後、破滅したのではないかと思う。
私の当時の異常なハードワーク振りは、何か高貴な志あってのことではなかった。

TMは、専門の教師から教わった、自分だけのマントラ(短い言葉)を、目を閉じて心の中で唱えるだけである。
私は、TMの教師に、マントラがどうやって決まるのか尋ねたが、知りたければTMの教師になるしかないと言われたし、それは科学であるとも言われた。
だが、それは多分、本当ではない。割と最近、あくまで、私個人の場合に関してのみだが、マントラは、TM教師に教わるまでもなく、知ることが出来かもしれない証拠を確認した。

TMに効果があるのかどうかは知らないが、ある程度の精神の統一は出来る。TMを教える者によれば、意識的に精神を統一したりする必要はなく、マントラを唱えていれば、自動的に統一に導かれるらしい。
だが、そうであれば、霊的な感受性が上がっているのに、防御の方法を知らないという危険な状態なのかもしれない。
自己流で瞑想をやって、邪悪な霊に取り憑かれておかしくなったような人もいるかもしれない。
イツァク・ベントフの『ベントフ氏の超意識の物理学入門』という本に、TMを何年もやっている人が、身体に激しい症状が起こった様子が書かれていたと思うが、それを肯定的に考えて良いのかどうか分からない。
我が国の著名な宗教家の谷口雅春氏によれば、そういった、統一中の反応は低級な霊による良くないものである場合が多いようである。
日本の有名な政治家にも、TMを熱心に行っている者がいることを知っているが、どうも見ていて、他人の非難ばかりで、建設的でない人のように感じるのである。

海外の著名人がTMを行っていることが宣伝になっていることも多いが、そういった大物達は、本当に良い状態にあるのだろうか?
やたらと離婚し、裁判沙汰になっているのではないだろうか?経済的には巨万の富を得ていても、それが重荷になっているのではないだろうか?
瞑想は、指導者の下で行わないと危険だと言われることもあるが、指導者自体がおかしな場合が多くはないだろうか?
アインシュタインが瞑想をしていたと言われることもあるが、彼は無念無想の状態で瞑想していたのではなく、また、常に論理的に考えていた訳ではないが、自分の意志を持ち続けていたのだと思う。
聖者の中には、自我を悪いものとして全否定する者が多いが、たとえ自我が悪いものになり易くても、それを磨くことが大切なのだと思う。そのためには、真の英知というものの存在を認め、自我をその下に置くことである。真の英知というものは、疑いもなく、自然の中に存在していることが分かると思う。我々にとって最も重要なことは、部屋の中で瞑想するようなことではなく、自然と接することである。自然を観察することだ。ゲームをしたり学習塾の通っている子供は、皆、心が歪み、それが身体の変調として訴えているのだろう。特に皮膚に異常のある子供は早く生活を変えた方が良い。アトピー、乾癬、花粉症、その他、アレルギーの者は、子供に限らず増え続けている。それをもっと疑問に思わないといけない。決して放置してはいけない。でないと、それ(悪因)はもっと大きな災害として現れるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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