ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ロマンチックなドッペルゲンガー

この世にもう1人の自分がいるという話を聞いたことがあると思う。
それは、ドッペルゲンガーと言われ、自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬとか言われている。
ドッペルゲンガーとは、「歩く分身」程度の意味と思う。
ところで、ゲーテは青年時代にそれを見たというが、歳をとっても十代の美少女と恋愛したりして長生きした。その他でも、ドッペルゲンガーを見た後でも問題なく生きていたという話も多い。
確かに、ある種の脳の疾患では、自分を他人に感じるという症状があるという話もあるが、その場合は、明確に自分を見る訳ではないだろう。
いずれにしろ、先程述べた通り、ドッペルゲンガーという言葉自体、別に怖い意味ではなく、これから説明するように非常に良いものかもしれない。

禅のお話に、『倩女離魂(せいじょりこん)』なんてロマンチックなものがある。
倩女という名の美少女がいて、どういうわけか2人に別れてしまう。しかし、最後に向かい合って微笑み、1人になるというものだ。

エドガー・アラン・ポーの短編『ウィリアム・ウィルソン』という傑作では、ウィリアムは、学童時代から青年になるまで、もう1人の自分につきまとわれて苦しむ。ただ、このウィリアムってのは相当なワルで良心の欠片も持っていない。その彼が捨て去った良心が、もう1人のウィリアムになったようなものなのだ。
尚、この作品は、アラン・ドロンとブリジッド・バルドーが競演という豪華版で映画化されている。『世にも怪奇な物語』という5作の作品からなるもので、私が大好きな作品だ。若きジェーン・フォンダの実にミステリアスな作品も含まれている。

『マジック・ストーリー』というお話では、おちぶれて乞食になった男の傍に、もう1人の自分が現れる。2人は不思議な共同生活を送るが、ある日、男は勇気を振り絞って、もう1人の自分に話しかける。
「君は誰だ?」
その質問は、もう1人の自分を面白がらせた。
「僕は君だ」
そして、もう1人の彼は、神を手本に作られたものだという。もう1人の彼は、乞食の彼を導くために現れたのだろう。

ドッペルゲンガーなんて、ちっとも怖いものでないばかりか、なんとも有難いものではないか?

さて、もう1人のあなたは存在するだろうか?
もちろん、存在する。
遠い宇宙を航行する宇宙船の中で笑っているかもしれない。
あなたは、もう1人の自分に情報を送っているのだが、もう1人の自分からの情報はなかなか受け取れない。そこが問題なのだ。
それで、あんまり無視されると、もう1人の自分はわざわざやってくる。とはいっても、一瞬でやって来ることが出来るのだけどね。
種を明かせば、もう1人の自分が遠くにいるような状況もあなたが作ったものなんだろう。
本来は一心同体なんだから。
聖典なんかに、視聴嗅味触の五感と心を支配すれば悟りに至るというが、もう1人の自分と接触するには、それとは別の感覚(直感)が必要なのだ。しかし、五感と心の活動が盛んだと、邪魔されて、直感が働かないのだ。五感と心が静かになれば、直感と閃きを感じるようになり、もう1人の自分と一体となれるのだ。
五感と心を静かにするには、欲望を持たないことだ。
欲望を捨てると、もう1人の自分とぴたっとくっつく。もう1人の自分は、神を手本に作られた者だ。それと一体であるあなたに一切の災難は降りかからないし、望まずとも幸運に恵まれる。

ただ、欲を捨てるのは難しい。
それなら、もう1人の自分に問いかけてみるのだ。
神を手本にして作られたもう1人の自分を信頼し、何でも尋ねてみると良い。すると、直感や閃きで答を返してくれる。それを通常の心で感じるかどうかは気にする必要はない。我々が思っているような形の答ではないのだから、無理に答を感じようと思ったり、答があったと勝手に思い込むようなことをしてはならない。
答が来るのは潜在意識の中だ。自分では気付かなくても、答はちゃんと来ているから安心すれば良い。
そうえいば、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の歌(OP曲。タイトルは『冒険でしょでしょ』)の出だしが、「答はいつも私の胸に」だったと思うが、さすが天才、畑亜貴さん(作詞者)だ。その歌の時の絵も良い。中学1年生のハルヒが大人になり(といっても高校1年生だが)、天に手を伸ばすと、天からの手がそれに答える。まさに、神の意思が働いて創らせた映像と思う。

さて、もう1人のあなたは、神を手本に作られたと書いたが、神そのものでもあるし、それはあなた自身でもある。それを、昔から三位一体とか言ったのだ。
ヨブ記にも書かれている。「神と仲良くして、平和に過ごしなさい。そうしたら幸せになれる」ってね。もう1人のあなたとお幸せに。









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神の占い

占い師とギャンブラー(賭け事師)は、共に予想するのが商売であるが、その性質はかなり違う。
占い師は、予想家というよりは人生コンサルタントだ。豊富な人生経験、巧みな話術、特別な理論、それに観察力や洞察力など、一流の占い師になるにはかなり優秀でなければならない。カードを使う占いだとしても、その解釈は占い師に委ねられるのであり、カードは1つの指標として使うのである。政治家や事業家に占いファンが多いのも不思議なことではない。
ギャンブラーは予測しないと仕事にならないが、霊感で的中させるわけではなく、基本的には統計を利用する。ただし、普通の人では騙されやすい統計上のカラクリをよく理解している。ところが、ギャンブルを本気で長くやっていると、確かに、意識が結果に影響を与えているとしか思えないと感じ、世界と精神がシンクロする神秘に惹き込まれることがある。ドストエフスキーやヘミングウェイといった文豪達にもギャンブル好きは多いのは偶然ではない。

ところで、占い師やギャンブラーが、本当に超能力や霊感の予知能力でも持っていたら、かえって商売にならなくなる。超能力が本当にあるかどうかはさておき、一流の占い師やギャンブラーは超能力者ではない。超能力で知った未来を人に告げることの全てが悪い訳ではないが、それを商売にすると、いろいろ問題があり、反動が自分に帰って来て、押し潰されることになる。
未来予知なんてことも可能かもしれず、昔から、トランス状態になった巫女やシャーマンが未来を知って語ることもあったと思うが、能力の高い巫女達はロクな人生になっていないはずだ。

私が何度かお逢いしたことがある政木和三さんは、振り子を使った人間性の測定をやっていた。これは占いというより、人の中にある生命体の様子を知るもので、その結果でアドバイスをすることで人間性を向上させ、結果として幸福に導くことを目的としたもので、政木さんは、これを「政木フーチパターン」と名付けていた。政木さんは、振り子を使ったが、他のやり方もあるだろう。
政木さんは、数万人の人の鑑定をしたそうである。アントニオ猪木さんの現役時代にも測定し、猪木さんは普段は女性的な優しい人柄であるが、リング上ではヘラクレスの霊が乗り移るということを本に書かれていた。もちろん、ヘラクレスとは、並外れて巨大で勇猛な生命エネルギーを象徴的に言ったのだと思う。
人には、第1生命体と第2生命体があるが、第1生命体は円満で優しい人柄なのに、第2生命体が邪悪で、しかも、第2生命体の力が強ければ、悪の誘惑に負けて苦しむようになる。この場合、第1生命体を強くしたり、第2生命体を良い生命体に変えることで解決できる。第1生命体を強くするには修行すれば良いだろうし、第2生命体を良い生命体に変えたいなら、「円満で優しい生命体に変えて下さい」と神様に祈ることになる。詳しくは、政木さんの本を参考にして欲しい。
今はどうか知らないが、政木さんが勤務しておられた岡山の林原にはO(オー)リング研究所があった。林原の前社長の林原健氏がOリングに熱心に取り組まれていたのは有名だが、原理は政木フーチパターンも同じであると思う。

ただ、政木さんも、ある時期から、政木フーチパターンをあまりやらなくなった。不要だと気付いたのだろう。
実際、不要である。知りたいことがあれば、高次の自分に尋ねれば良い。高次の自分とは、ハイヤーセルフとか、真我と呼ばれることもあるが、自我より上位にある存在で、本質的には神と等しいものである。
その高次の自己に尋ねれば、答えは閃きとか、直感、第6勘などと呼ばれるもので返ってくる。ただし、閃きを感じるには、心が静かでないといけない。心が静かであるには欲望があってはならない。「閃きを得てうまくやってやろう」などと考えているうちは駄目で、逆に邪悪な霊に騙されて弄ばれるのが関の山だ。
とはいえ、尋ねれば高次の自己は答を返してくれるのであるから、それを潜在意識は知っており、心が知る必要はない。大切なことは、真の自己(ハイヤーセルフ。内なる神)を信頼して質問することだ。後のことは気にせず、天に任せればいい。答を受けた潜在意識があなたを動かしてくれるだろう。不意に肉食が嫌になったり、何かを勉強したくなるかもしれない。また、自分では気が付かない変化があり、それが原因で新しい出逢いがあるかもしれない。しかし、あくまで、そういった良いことを欲深く求めてはならない。人がうまくいかない原因はそれなのだ。何も期待せず、天に任せて義務を果たすなら、必ずうまくいくのである。

尚、政木フーチパターンについて詳しく書かれているのは「精神文明と奇跡」「精神エネルギー」だが、貴重本で入手が難しくなってっきた。「未来への発想法」はフーチに関しては比較的簡単に説明しているが良書である。私は、この程度の説明で良いと思う。









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日本を救うのはワーキングシェアだけだ

経済が成長しようが、スポーツで自国選手や自国チームが勝とうが、我々の日常が不安で憂鬱では何の意味もない。
地球上では、人間だけが、生存とか未来とか死を考えることができるのだが、そういった能力を持つがゆえに、人は苦しむのだ。
それなら、生と死に違いはなく(我々は本当には死なない)、過去や未来というものが幻想であることを了解できれば人の問題は解決できるのであるが、普通の人がそれを悟るのは困難なようだ。そこで、世間の常識の範囲での解決策を提示しなければならないのだが、それで言えば、最上の方法は、「ワーキングシェア」である。ワーキーングシェアとは、文字通り、「仕事の共有」だ。

要は、人々の不安の原因は、食べていくにはお金がいるのに、そのための仕事を得られないかもしれないということと、仕事はあっても、それが苦痛で面白くないので、生きる意欲を失くすことだ。
なら、これまで1人でやっていた仕事を交代で2~3人以上でやれば良いだろう?
それで、仕事に就ける人数は2倍以上になり、仕事の選択幅が大きく増える。そして、仕事時間も1/2、1/3になるのだ。
実際、そうなのである。
現在、8時間労働といっても、大抵の人は実質で5~6時間も働いていない。それなら、仕事時間自体を3~5時間にすれば、集中力が上がり、作業効率は格段に良くなる。結局、生産効率もサービスも上がるのである。
一方、本当に仕事が好きな人は、能力も上がり、長時間働いても能率はあまり落ちないので、好きなように長い時間働くと良い。いろんな人がいる。みんな一律に同じことをやる必要なんか無い。

仕事時間が減れば収入は減るが、3つの理由で問題はない。
まず、上記のような理由で生産性が上がるので、仕事時間の減少ほどには収入は減らない。
次に、特定の人が極端な収入を得ないようにすれば、皆に十分な収入が回る。まあ、これは今の人間性では難しいのは認める。
そして、最も大きな理由は、本当は、そんなにお金が必要ないことだ。

我々は、不要なお金を使いすぎているのだ。別に貧しい暮らしをしなくても、健康的な暮らしに必要なお金は、我々が思い込まされているよりはるかに少ない。
美食したり、子供を学習塾やお稽古事に通わせたり、大きな車や新しい通信機器、、高価な服やバッグや装飾品なんてものが無くても、何の問題もなく幸福になれるし、実際は、こういったものが必要だと思い込む迷妄が不幸の原因なのだ。
そういったことにお金を使わなくなったら、多くの人が即時に幸福になるのである。
学習塾やお稽古事から解放された子供達は、友達と遊んだり、いろんな人達と本当に大切な交流をすることで幸福になる。
美味しいものを食べ過ぎないことの大切さをしれば、たちまち健康になり、精神的には格段に進歩する。
大きな車に乗らなければ省エネになるし、それどころか、必要もないのに車に乗らずに歩けば健康になる。事故も減る。お金もたまる。
着ている服や持っている物が人の価値と何の関係もないことを学べば、我々は賢くなり、人間性は向上し、素晴らしい世界になる。
その他のものも、無い方が確実に幸福になる。
幸福になるなんて、実に簡単なことだったのだ。

オランダ等、ヨーロッパのいくつかの国では、すでにそれは行われている。
人々は、収入は多少減っても、自由な時間、家族と過ごす時間を持ち、幸福に暮らし始めている。
もちろん、仕事好きな人はハードに働いている。どんな労働スタイルにするかは選択出来るのだそうだ。

働き口も増え、失業しても、政府が仕事を斡旋してくれ、しかも、次の仕事を紹介して貰えるまで、十分に生活は援助されるので、失業しても不安はない。余裕のある労働は心に余裕を生み、人々は親切なので、次の職場への不安はなく、むしろ、新しい出会いを楽しみにしている人が多いのだ。
インドあたりでは、かなり昔から、なりゆきでワーキングシェアになることが多かった。実態を見たある人の話だが、大使館で雇われている人のうち、1日働いている人もいれば、半日働く人もいる。そして、全く出勤もしない人もいる。ところが給料は皆同じなのだという。本当は皆が、半日勤務なのだが、1日働こうが、出勤せずにいようが、好きにさせていたら、うまくまとまるのだそうだ。世の中には、働くのが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。なら、働きたい人に働かせば良いのである。共産国家のように、労働を過剰に美化して均一に働かせようとしたら、やる気のない人が悪い影響を与え、足を引っ張り、それで、労働好きな人も次第に情熱も失せて、やはり怠惰になる。それで、仕事が恐ろしく非効率になるのだ。
働かないやつに給料を与える必要はないという心の狭さが、あらゆる問題の原因なのだ。そんなことを気にしない大きな器のある者が、本当に優れた人物になるのだ。

先に、一部の人が極端に大きな報酬を得なければ、皆に充分な収入が回るが、それが難しいという話をした。
だが、それが出来ない人達はもう古いのである。
確かに、世の中には、能力や活力に恵まれ、大きな収益をもたらす者がおり、そんな者は高収入を得るべきだと、本人達も思っている。
しかし、それは、自分と世界が切り離されているという考え方からきた妄想だ。無能者や怠け者がいなければ、有能な働き者は活躍できないのだ。様々な種類のものの調和ある統合で自然が成り立っているのをよく観察すれば、そんなことは自明のことである。
もちろん、怠惰が誉められる訳ではない。誰もが義務を果たすべきだ。しかし、人や行為の価値というのは、必ずしもはっきり分かるとは限らない。星の王子様が言ったように、「本当に大切なことは目に見えず」、一見、役に立っていない者の役割が実に大きいこともある。しかし、そんなことに白黒付けることはできない。皆が寛容な心を持てば、なぜか知らないがうまくいくのである。
こういったことを理解するかどうかが、人類の存亡を決めるのである。
いうまでもなく、ワーキングシェアが実施されている国にだって、現段階では問題はある。しかし、それは知恵を出せば解決できる。おそらく、日本人に言わせれば、問題を解決できない理由ばかり考えるだろう。しかし、原発も同じで、これまでの考え方を終らせ、新しい知恵を出せば、解決できない問題など無いのだ。









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食欲も性欲も自分では支配できない

痩せたければ、食べる量を減らす以外に方法は無い。だが、それがとても難しいのだ。
潜在意識の法則で痩せようと思ったら、すっきり痩せた自分の姿を鮮明に思い描けば良い。それを熱意をもって数ヶ月やれば成功するのだが、よほどの決意がない限り無理で、普通は本能の反発に負けて太る。
潜在意識は万能だが、顕在意識でイメージを描く段階で、ほとんどの場合、潜在意識を敵に回すのだ。
ではどうすれば良いかというと、単に、自分に、「どうすれば痩せるのか?」と問えば良い。答が浮かぶなんて思うな。答は潜在意識にやってくる。そしたら、潜在意識はあなたが知らないうちに痩せるようにしてくれる。なぜか食べるのを我慢できたり、食欲が無くなったりである。不意に、誰か痩せた人物(アイドルやアニメキャラ等)に異常に憧れて、同じようになりたいと思うといったことが起こることもある。

昔、松下幸之助さんが「ダム経営」を提唱し、セミナーで教えていた。ダム経営というのは、ダムのように、一定の蓄えをもった余裕ある経営方法だ。
セミナーの時、中小企業の経営者が幸之助さんに、「ダム経営が良いのは分かりますが、なかなか蓄えが出来ません。どうすれば蓄えが出来ますか?」といったことを聞いたらしい。すると、幸之助さんは、「蓄えが欲しいと願うことです」と答え、会場の笑いを誘ったという。しかし、稲盛和夫さんは、「そうか!」と思い、成功したらしいが、他にも「そうか!」と思った人もいたかもしれない。しかし、他の人は駄目だったのだ。
幸之助さんは、「蓄えが欲しいと願いなさい」ではなく、「どうすれば蓄えが得られるかと自分に問いなさい」と言った方が良かった。願いは欲になり、欲は潜在意識を乱す。よほど高貴な思いに基づいていなければ、欲は潜在意識を敵に回すのだ。稲盛和夫さんは、元々が崇高な理念を持っていただけだ。

男性が、好きな女の子でもいて、潜在意識の法則で彼女を恋人にしようと思って、本にあるように彼女と仲良くデートする場面を想像しても駄目だ。よほど崇高な愛でもなければ、間違いなく性欲が潜在意識を乱す。相手はきっと魅力たっぷりの可愛い子に違いないからだ。
この場合も、自分を信頼して、「どうすれば彼女と親しくなれるのか?」と自分に問うべきだ。すると、馬鹿な顕在意識を潜在意識が支配し、全てうまくやってくれるだろう。
失敗するとしたら、むしろ、結果を思い描くからだ。

ただ、同時に、「どうすれば自分を信頼できるのか?」「私とはいったい何なのか?」と問うべきである。
大切なのは自己信頼である。いかなる場合も、結果は真の自己である天に任せ切るべきである。









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信頼して尋ねれば答えてくれる

人は誰でも何らかの願いがあるだろうし、もし何も願わないと言うなら、「何も願わない」と言っていられる静かな日々を願っているのだ。
では、願いを叶えるのは誰だろう?自分だと言うなら、それはある意味正しいし、ある意味、完全な間違いだ。
世の中はままならぬものだ。何一つ思うようにはならない。
我々は、結果については天にまかせ、ただ目の前のことを義務としてやるしかない。
ただ、天もまた自分なのだ。
しかし、肉体を持ち、3次元思考しか出来ない我々には、このことが理解できないので、昔から下手な喩えが使われてきたのだ。
例えば、我々が一滴のしずくで、天は大海だとか、我々の中に天があって、天の中に我々がいるとか・・・。
そういった喩えは、今の人にはさらに分からなくなっている。何でも頭で考えるように教育されているからね。
そんな喩えはもうやめだ。
やり方だけ教える。
もし、あなたが、キリストか仏陀が好きなら有難い。
もし、そんな存在がすぐそばにいればどうするだろう?
言っておくが、キリストは願いなんて叶えてくれない。ただ、一緒に歩いてくれるだけだ。
だけど、話は聞いてくれる。神様や仏様は、とても聞き上手だ。
それなら、なんでも尋ねようと思うはずだ。人間の大天才といったところで、彼らと比べれば猿みたいなものだ。
では、どんどん尋ねたまえ。尋ねることが無いなら、あなたは怠惰なだけだ。
といっても、尋ねても、言葉で答えてくれる訳ではない。
答は閃き(ひらめき)で返って来る。
しかし、閃きったって、頭にびびびーんときたり、胸が熱くなったりなんかしない。そりゃ、アニメの見過ぎだ。まあ、たまーにそういうこともあるかもしれぬが。
答があったことも、答を受けたこともあなたには分からない。
答なんか気にするな。気にしたって仕方がない。どうせわかりゃあしないんだ。
ああ、そうそう。言い忘れたが、キリストや仏陀は、我々の胸の中にいる。それは、イエスや釈迦の中にあったものと変わらない。
イエスや釈迦はそれを自覚していたので、キリストであり仏陀だったのだ。
ちなみに、キリストも仏陀も同じものだ。そして、それが我々の本質だ。
我々は、本当の自分であるキリストや仏陀を信頼して質問すればいいのだ。
下手な質問で良い。
「どうすれば幸福になれるか?」
「どうすれば、もっと楽しい仕事に変われるか?」
「どうすれば、あの人と仲良くなれるか?」
ただ、こんな質問は感心できない。
「私は幸福になれるか?」
「私は、もっと楽しい仕事に変われるか?」
「僕はあの人の大切な人になれるか?」
こんなことを言ってもならない。
「幸福にして下さい」
「もっと楽しい仕事に変わらせて下さい」
「あの人と結ばれますように」

「自分とはいったい何か?」なんて、なかなかいい質問だ。
ただ、しつこく、すがるような聞き方はするな。別にしても悪くはないが、自分が滅入るだけだ。真面目ではあっても、気楽に尋ねたたまえ。目の前にイエス様がいたらそうするはずだ。イエス様もお釈迦様もとても気さくな人だった。
問題といえば別に無いが、キリストや仏陀を、つまりは、本当の自分を信頼するに越したはない。
ソクラテスは、「私は、自分が何も知らないということだけを知っている」と言ったが、自分の内にある高い存在を信頼していたのだ。彼の場合は、当時の伝承にならい、ダイモーンと呼んだようだ。
黒住宗忠は、重病で死を覚悟した時、天照大神の命が自分の中にあるのを感じ、たちまち回復し、数々の不思議を起こすようにもなった。彼の言う天照大神とは、神話の女神と言っても別に良いが、宇宙の根本神のことである。宗忠もまた、天照大神を完全に信頼し、全て委ねたのだ。

キリストや仏陀を信頼するなら、それらと一体であったイエスや釈迦について、あるいは、クリシュナについて知るのが一番だ。
良い本を紹介しておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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