ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

般若心経の呪文について

般若心経というとても短いお経がある。漢字で270文字くらいで、唱えるのに1分もかからないと思う。
書いてあることは、簡単に言えば、「観自在菩薩(観音様)は、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)という修行をしたので、悟りを開いた。教えてあげるから、あなたも是非やりなさい。それはこうである」と言って、その修行を教えるのであるが、その修行とは、呪文を唱えることである。
その呪文は、「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」である。
この呪文の効果については、この短いお経の中で、何度も何度も保障しているのである。

この呪文に関して、こんなお話がある。
昔、中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が、仏教の経典を得るためにインドに行こうとしていた。インドに行こうとしていたと言っても、登山の達人でも命がけの険しい道のりだし、山賊も野獣もウヨウヨいる。生きて帰れるはずがないと言うのが全く正しい。しかし、三蔵の決意は堅かった。
(チベット越えの旅の凄まじい困難さは、M.マクドナルド.ベインの『解脱の真理』を読むと、文章からだけでも、かなりぞっとする)
そんな時、三蔵は、インドから来た僧が、病気で弱っているのに会い、親切に看病した。すると、その僧が、これを唱えれば、無事、インドに行けると言って、呪文を教えてくれた。それが、般若心経の呪文である。
三蔵は、この呪文を常に唱え、無事、インドにたどり着くと、そこには、なんと、あのインドの僧がいた。その僧は、「私は観自在菩薩である」と言って、姿を消した。
そして、三蔵は、あちこちで手厚いもてなしを受け、沢山の経典も入手し、無事、中国に戻り、その後は、それらの経典の翻訳に励んだ。

呪文の効果、恐るべしである。
ところで、この呪文であるが、人によっては、「ギャテイギャテイ・・・というのは、元のサンスクリット語を中国語式に真似たもので、正確ではない。元のサンスクリット語で唱えないと効かないぞ、アホ」とか言う者もいるようだ。
それが本当なら、この呪文自体がニセモノと言うべきだろう。
このお経、この呪文を守護するのは、仏様であるはずだ。仏様ともあろう御方が、その程度の調整が出来ないと思うなら、仏様も随分、見くびられたものだ。
一応、サンスクリット語では、「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。
しかし、本当のサンスクリット語の発音を聞けば、カタカナや発音記号で読むのとは全然違うはずだ。それは、何か外国語の会話をマスターしている人なら分かると思う。
呪文は、中国式でも、一応のサンスクリット語でも、効果は同じである。わざとでなければ、少々間違った読み方でも問題ない。仏様はおおらかだ。
ちなみに、英語では、こうなるらしい。
英語:gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
発音:ɡəteː ɡəteː paːɾəɡəteː paːɾəsəŋɡəte boːdʱɪ sʋaːɦaː









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会社を辞めたい時などの心構え

会社を辞めたいという人もいるだろう。
そんな人はどうすれば良いのかといっても、一律の答がある訳ではない。
また、ケースごとに分けて書いていたら、無限の量を書いたところで、あなたに適合するものなど、あるはずがない。

とはいえ、いかなることにも、単純な1つの解があるというのも本当だ。
その答は、「なりゆきにまかせる」という一言になる。
それは、会社を辞めるということでも、辞めないということでもない。
また、状況が良くなるということでも、悪くなるということでもない。
単に、なりゆきにまかせるということだ。

だが、本当になりゆきにまかせることが出来れば、必ず良くなる。
しかし、それが出来る者がどのくらいいるだろう。百人に1人か、百万人に1人だろうか?

こんな話がある。
ある人が、誤って崖から落ちそうになり、必死で木の枝に掴まった。しかし、そこからどうにも出来ない。
彼は叫んだ。
「神様、助けて下さい」
すると、神が答えた。
「よろしい。手を離せば助けよう」
だが、彼は手を話せない。

なりゆきにまかせるとは、この人が、素直に手を離すほど、神様を信頼していなければならない。
画家の横尾忠則さんは、このような状況になった夢を見たことがあることを著書に書かれていた。それで、横尾さんはどうしたかと言うと、やはり手を離せなかったようだ。

アニメ『灼眼のシャナ・セカンド』で、高校1年生の坂井悠二は、梯子で高い塔を登っていく場面があった。
悠二は思う。「僕が思っている通りだったら、(塔の上に)行けるはずだ」
彼は、梯子から手を離した。落下していく悠二。しかし、彼の身体は浮き上がり、塔の上に辿り着く。彼は、自分が今いるのは夢の中だと見破っていた。ただし、普通の夢ではない。不可思議な力を持つ何者かが彼に見せている、極めてリアルな夢だったのだ。

新約聖書の中にも、こんな話がある。
使徒(イエスの高弟)であるペテロは船に乗っていたが、水の上を歩いて近付いてくる者を見る。ペテロは幽霊だと思って怖がった。すると、近付いてきた者が、「怖れるな、私だ」と言う。それは、イエスだった。
感動して高揚したペテロは、「イエス様、私にも、水の上を歩けと命じて下さい。あなたが命じれば、私にもできます」と、イエスに願った。イエスは、「命じる。来い」と言った。
そして、ペテロは船を出、水の上を歩いた。
だが、風が起こると、ペテロは怖れ、沈みそうになった。ペテロは、「イエス様、お助け下さい」と懇願した。イエスはペテロを助けて、「愚か者!なぜ怖れた」と叱った。

悠二は、自分を信じた。
ペテロは、初めはイエスを信じたのに、最後まで信じることが出来なかった。

信じる力はとても重要なものだ。
合氣道家の最高峰と言われた藤平光一さんは、毎日、鏡に向かって「お前はますます信念が強くなる」と言い続けたらしい。彼流の信念の鍛え方なのだろう。
藤平さんは、元々が、心身共に、相当に鍛えた人だ。だから、こんなやり方でうまくいくのかもしれない。
しかし、信じるということも練習次第なのだ。
だが、我々は、信じる練習をしていないので、信念の力が弱いのだ。
だから、会社1つ辞める程度のことで、迷ったり、悩んだりするのだ。

目には見えない大きな存在の力を信じて、まかせ切ってしまうことが出来れば、悪くなるはずがなく、普通は、非常に喜ばしい結果になる。一見、悪くなるように見えるなら、その後で、さらに大きな恵みがある。
しかし、仮に悪くなっても、まかせた限りは文句を言わない覚悟は必要だ。

信じる練習は、どんなものでも良い。根気強く、必ず毎日やることだ。
藤平光一さんは、戦争中、23歳で一連隊を率いたが、彼は飛び交う弾丸の中を闊歩した。そんな大将を見た部下達は、「この人がいれば絶対大丈夫だ」という信念を持ったに違いない。全員無事に帰還したのだ。
イギリスのウイットルゼイ大佐は、第2次世界大戦で、部下全員に、聖書の詩篇91を暗誦させ、毎日祈らせた。それで、5年間戦ったが、一人の死者も出さなかった。
信じる力はかくも偉大なものだ。

聖書の詩篇91はとても美しく、あなたもこれを毎日読むと良い。
私は、何度も会社を辞めたが、それで後悔したことも、損をしたこともない。別に、何か特別なことが出来た訳でも、優秀だったわけでもない。それどころか、引きこもりで、今でもとんだ社会不適合者だ。しかし、私は、前にも書いたが、中岡俊哉さんなどの本を読んで、仏様の真言を毎日唱えていたが、それでうまくいくという信念が少しはあったのだ。
何でもいいから、続けることだ。出来るだけ1日中たゆまずやるなら、信念も強まり、世界があなたの手の中にあることを知るだろう。









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大きな超能力ほど易しく、小さな超能力は難しい

超能力を2つの種類に分けて考えると有意義と思う。
1つはサイキックで、もう1つは、テレサイキックだ。
サイキックは、一般に言われる超能力で、念力、透視、テレパシー、つまり、スプーン曲げ、念写、ESPカードの透視、文字を書いた紙を丸めて耳に突っ込んで文字を当てるといったものだ。なんともちっぽけな、つまらないものだ。
テレサイキックは、潜在意識の奥にある知性と交信する能力だ。こちらは、いかなる奇跡的なことでも起こせる。必然性さえあれば、星の軌道も変えることができる。

サイキックは自分の意志で起こし、テレサイキックは、自分は何もせず、力を持った何かに任せるものだ。
イエスの起こした奇跡は、テレサイキックだ。ラマナ・マハルシが、「イエスが奇跡を起こした時、イエス自身は何もしていなかった」と言ったのが、それを示している。
イエスは、天の父、あるいは、神と呼んでいた、力あるものに頼り、それと自在に交信できたのだ。

実をいうと、全ての超能力は、本当はテレサイキックだ。
サイキック的に行うほど、つまり、自分の意志でやっているという意識が強いほど、現象は実に小さく、つまらないものになる。
政木和三さんが、超能力を信じていなかった頃、精密な金属歪み計を作って、スプーン曲げの超能力を検証したことがある。すると、1万分の1ミリ曲がり、政木さんは大いに驚いて、超能力を認めたという。しかし、サイキック能力とは、そんな、小さな小さな力で、何の役にも立たない。
後で、政木さんは、テレサイキックを行うようになった。
すると、政木さんは、1秒で発明をし、練習したこともないピアノを、世界的ピアニストが絶賛するほどの腕前で弾き、歌を作って中国の天才音楽家ウー・ルーチンの歌唱でCDまで出した。そのCDには、政木さん自身のピアノ演奏も収録されていた。私は保有しているが、現在は絶版である。
政木さんは、ピアノ演奏も、自分でやっているという意識が残っていれば、つまり、サイキック的にやれば、ちょっと下手になると言っておられた。

サイキック的に自分の意識で行う超能力は、難しい上に、力はちっぽけだ。
しかし、テレサイキックは、誰でもすぐに出来る上に、力は無限だ。
ジョセフ・マーフィーの言う超能力は、テレサイキックで、マーフィーの本にも、実際に『テレサイキック』というタイトルのものがあるが、実際は、マーフィーのどの本もテレサイキックの使い方を述べた本だ。
しかし、マーフィーの本を読みながら、うんうんとがんばってサイキック的にやろうとする者が多い。必死で念じたり、願いに執着したりだ。そんな者の願いは全く叶っていない。一方、テレサイキックのやり方を知っている者は、世の中で全く苦労しなし、いい思いばかりしているのだ。

宗教的と言ってよいかどうかは分からないが、テレサイキックとは、神に全て任せるというものだ。
黒住宗忠が、まるごと神に任せろと常に教えたのはそれだし、インドの至高の聖典『バガヴァッド・ギーター』で絶対神クリシュナが繰り返し説いているのもそれだ。
テレサイキックは、聖書の詩篇23や91を読むことだ。また、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることもそうなのである。
実に簡単で、誰でもすぐにできることだ。なぜなら、本来、至高の英知である神は、手足よりも近くにあるものだからだ。
以下にあげた、『マーフィーの「超」能力!』が、ジョセフ・マーフィーの『Telepsychics(テレサイキックス)』の翻訳である。









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視力の衰えは脳機能の低下が原因だ

本日は、運転免許の更新に行ってきた。
私は、以前は、視力が0.1もなく、免許の条件に「眼鏡等」があったが、今日、それが外れた。
少食、菜食にしたら視力が回復したという話はよくあると思うが、私も、4年前に1日1食の菜食になってから、急速に視力が回復している。

私は、高校生の時に視力がひどく悪くなったが、それは、やはり生活習慣のせいだろう。
視力が悪くなる原因というのは、大体決まっていると思う。それは、
●太陽の光より、人工の光の下にいることが多い。
●近くにある、動かないものを長時間見る(パソコン、携帯、ゲーム等)
●味が良い食事のせいで、空腹でもないのに食べる。
である。
昨今、眼鏡がファッションだとか、知的とか言われるが、実際は、単にこのような悪い生活習慣による、衰えや異常でしかなく、知性は何の関係もない。むしろ、全く逆であることを以下に説明する。

視力の衰えは、脳の機能低下と深い関係がある。
脳機能が衰えると、情報処理能力が低下した脳は、入ってくる情報を制限するために、目や、あるいは、耳を悪くする。その極端なものが老齢による目や耳の機能の衰えだが、若い者でも同じことが起こる。
脳機能が弱くなっているのに、レーシック手術などで視力を回復させると、脳に負担がかかって、精神に異常が起こると思う。
目をよくするためには、まず、脳機能を活性化させる必要がある。
よく、視力回復運動みたいなもので、視力を向上させるという類のものがあるが、あれは効果が無いばかりか、脳を損なって危険な場合もあるのだ。

脳を駄目にするものに、上にあげたように、「味が良い食事のせいで、空腹でもないのに食べる」というものがある。
脳は、身体の状態をみながら、適切に食欲を起こさせるのだが、空腹でもないのに食べたくなる味の良いものを食べることで、脳がパニックを起こしておかしくなってしまうのだ。
空腹でもないのに食べるというのは、実際は非常に恐ろしいことと思う。それが過度に、そして、長く続くと、脳も身体も、取り返しがつかないほどの損害を受けるはずだ。

また、これも上にあげた「近くにある、動かないものを長時間見る(パソコン、携帯、ゲーム等)」というのも、脳機能を低下させる大きな原因だ。
以前から、電車の中で、携帯やスマホをいつまでもじっと見ている人がよく見るが、明らかに脳が衰えた虚ろな表情が実に不気味だと思っていた。
野生動物は、狩りをするものは、動くものを目で追い、近くや遠くに素早く視点を移動させる。狩られる側も、逃げるためにそうである必要がある。それで、十分に脳を活性化させ、健康な脳は、身体も健康な状態に調整できる。
しかし、現代人のように、部屋の中で、同じ距離にある動かないものばかり見ていると、脳が駄目になるのは当然かもしれない。
車の運転ですら、慣れると、それほど視点を移動しないし、かなりパターンの決まった単調なものだ。だから、運転慣れした者が、長時間、車を運転していると、退屈で眠くなるのだ。

できるだけ、雄大な自然のある場所に行き、太陽の光の中で、近くにあるものや遠くにあるもの、動かないものや速く動くものをよく見るべきだろう。
昔から、「自然に接しないと馬鹿になる」と言われるが、それは本当なのである。
また、自然の中には、宇宙の深遠な英知が秘められているのだから、その意味でも、我々はもっともっと自然を観察しなければならない。
また、剣術や武術の達人は、刀や相手の動きが止まって見える。野球の超人バッターも、投手の投げるボールの縫い目が見えるなどと言う者がいるが、それらは、目の能力というより、脳の特殊な力によるのだ。脳を特別な方法で鍛えれば、彼らに近づけるのである。









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孔子VS荘子~論語のように生きられる訳ないだろ~

『論語』といえば、お釈迦様とほど同時代といわれる2500年前に孔子が書いた、人類の英知の極地とも言われる名著で、現在も、特に経済界などで信奉者が沢山いる。
ところが、孔子を徹底してけなし、ほとんど馬鹿にした人が、孔子より100年ばかり後の人と言われる荘子だ。

『論語』は、これを読み込んでいれば、いかなる場所でも、重々しく引用できる名言だらけだ。
仁義礼学という、道徳、知性、品格など、人間が人間たる価値とは何で、それをどう高めるかといったことが、人類最高の英知の持ち主が説いているのであえる。
一方、荘子の言葉も数多く引用されるが、どうも論語とは雰囲気が違う。あまり重々しくもないし、知られてはいるが、意味はよく分からないといったものもある。「無為の為」だの「無用の用」なんてのは、言葉として面白い程度に思われているかもしれない。

『論語』は、数多くの貴重な教えに満ちている。
一方、『荘子』に書かれていることは、つまるところ1つだ。それは、「なりゆきにまかせろ」だ。言い方を変えれば、「作為をするな」、「思慮分別を捨てよ」であるが、やはり、一見すると軽薄な感じもする。

荘子は、なぜ、あそこまで孔子を叩いたのだろう?
また、荘子は、友人だった、孔子的な思想を持った恵子(けいし)も、しょっちゅう、からかってやり込めていたようだ。

以下は、本には書かれていないことである。
荘子は、論語を熟読し、非常に感動し、孔子こそ、人類最高の英知の持ち主であると思ったのだ。論語に書かれていることは全く正しいと納得していた。
だが、ふと思ったのだ。では、私は、論語に書かれている通りに生きられるのかと。いや、自分はまだ恵まれた立場だし、努力くらいは出来るかもしれない。しかし、今の生活に追われ、学問などに全く縁の無い衆庶(しゅうしょ。庶民のこと)となると、全く絶望的だ。
立派な人間になるのに論語が良いものだとしたら、下々の人達は駄目な人間でいるしかない。しかし、論語を暗誦するまで読み込んだ愚か者もいれば、学問など知らなくても素晴らしい人間もいるではないか?
いわゆる、「論語読みの論語知らず」の者達だって、論語を誤解している訳でない。ちゃんと理解しているのである。
いや、くどくど言わず、簡単に言えば、論語は素晴らしいが、「こんなこと出来るかあ!」と言いたいのである。

同じことを悩んだのが法然だった。
浄土系仏教の経典である『観無量寿経』には、極楽浄土に行くために、常に良いことを、心からの行いとしてやれと書かれている。そりゃ、それができないなら、阿弥陀仏の名前を呼びさえすればいいとも書かれている。しかし、やはり、立派な行いをしろと長々と強調しているのだ。それも、心がこもっていないと駄目なのだ。
法然は、そんなこと、貧苦に喘ぐ一般庶民に教えられるかいと思ったし、正直言って、自分も完全に出来るとは思えなかったのだろう。
だが、彼が敬い、傾注していた、中国の偉大な僧であった善導も、『観無量寿経』の解説書に、道徳的な規律や心がけについては、やはり大切であるとはっきり書いているのである。
しかし、法然は、考えに考えた末、とんでもないことを言い出した。
『観無量寿経』や、善導による解説書には、いつも良いことを心から行えと書かれている。一方、それができない愚か者は、阿弥陀如来の名前を呼ぶだけでも救われると書かれている。つまり、結論はこうだ。
「観無量寿経には、結局、ただ、阿弥陀仏の名前を呼びさえすれば良いと書かれているのだ。厳しい行をしろと書かれているのは、実は、この厳しい行を捨てろという意味である」
なんとも凄い発想である。
私は、思わず、青池保子さんの大長編漫画『エロイカより愛をこめて』に登場する、大ナルシストの泥棒で、漫画のタイトルにその名を冠するエロイカ伯爵を思い出す。彼は、素晴らしい美術品を見ると、「これを私が目にしたということは、神が私に、これを得よと言っているということだ」として、堂々と盗むのである。なんとも自己中心主義、なんともご都合主義であるが、この「なんとも」がつくのと、ただの自己中心主義、ご都合主義とは、何か違うのである。

法然は、極楽浄土に行くためには、良い行いや心がけなど一切不要で、ただ、阿弥陀仏の名を呼べば良く、それは、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば良いということだとし、自分も、これ以外の考えは持たぬと言い、遺書にもそう書いた。
別に、法然は、良い行い、良い心がけを否定したのではない。それらは良いものだし、それをするのは望ましい。しかし、「できんだろ?あんたにも俺にも」と言ったのだ。
口先だけ立派なことを言っても、実際にやってることは全然違うセンセイ達とは偉い違いではないだろうか?
法然の弟子の親鸞となると、その念仏もあんまし楽しくないなあとまで言い出した。さらに、肉は食うし、子供は作る。しかし、親鸞は法然を超えたと言われる名僧だ。まあ、親鸞の話は今回は置いておく。

イエスは、人々に、律法(モーセが教えた規律)を守れと言った。盗むな、殺すな、嘘を言うな、親を敬え、夫や妻以外と性行為をするな・・・などである。
しかし、誰かがイエスに、「一番大切なのはどれですか?」と尋ねたら、イエスは「神を愛せよである」と即答した。
法然流に言えば、神を愛せよ以外は、それ(神を愛せよ以外の律法)を捨てるために、とりあえず言ったのだということになる。
とんでもない話と言われそうだが、その通り(法然の言う通り)ではないだろうか?
昨日も書いた、藤圭子さんの『命預けます』ではないが、「嘘もつきます、生きるため」で、嘘をついたことのない人はいないし、犯罪にはならなくても、事実上の盗みなら、いっぱいやっているはずだ。その自覚が無いことの方が悪い。

そうだ。イエスも、ただ、神を愛し、信じなさいとだけ言ったのだ。
具体的には、詩篇23や91の通りに祈れば良いのだし、それをやった人達は奇跡を起こしている。
それは、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることと全く同じだ。

ただ、イエスも法然もこう言っているのだろう。
「それだけやれば、後のことは自然にできるようになる・・・はずだ。多分・・・」
まあ、堅いことは言わないことだ。人の本性は善なのである。多分・・・









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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